強くなるために――白日の決闘 1
偽の遺体護送から日は三日ほど過ぎて、金曜日。
いよいよ初夏の暑さが顔を見せ始めた午後一時半、快晴の日差しが容赦無く降り注ぐ第一グラウンドに、ジャージに着替えた礼治と直の姿があった。
訓練中だ。それも直の『一文字の弾丸』ではなく、ごく基本的な組手の訓練であった。
直の繰り出す蹴り、打撃、ときたま体当たりを、ひたすらに礼治が受け、躱す。礼治の方は相手の攻撃に合わせて防御の手を出すのが精一杯、というかそれすらも半分以上タイミングが遅れてモロに喰らっていることが多く、はたから見れば訓練というより一方的な暴行であった。
「うぐっ、ぐあ! いてえ!」
「構えが遅い! 相手の攻撃が伸び始めてからじゃ間に合わないわよ! こう、相手が攻撃『しようとする』動きを見て、どこになにが来るのか読むのよ!」
「んな無茶苦茶な……!」
「つべこべ言わない! そんなんじゃマジで死ぬわよ!」
言葉を交わしながらも攻撃の手が止まることはない。礼治は身体中に青あざを増やしながら、じりじりと後退していくしかなかった。
無論、直がこんな無茶を言うのも理由がある。
連撃の速度が上がり、対応しきれなくなった礼治が尻もちをつくと、そこで訓練は一時中断となった。直は礼治に手を伸ばし、彼の身体を引き起こす。半袖から伸びる腕には、痛々しい打撲痕が幾つも残っていて、しかもそれは今日だけのものではない。偽の遺体護送翌日から今日まで、同じ訓練で作った傷が、治癒魔法でも癒しきれていないのだ。
いててと腕をさする礼治に、直は薄く笑みを浮かべて言う。
「――見なさい、礼治。組手を始めたスタート地点から、すっ転んだこの位置まで、大体五十メートルってとこかしらね。初日は十メートルももたなかったのに、大したもんよ」
「そう言われると成長した気になるけど、モロに喰らってるのも多いからなあ……」
「それも、初日と比べればマシになってきたでしょ。ゲロも吐いてないし」
「初日はマジで吐くまで殴られたからね! 信じらんねえよ!」
恨み節全開で怒鳴る礼治に、しかし直はどこ吹く風。吐く方が悪いとばかりのすまし顔に、礼治は呆れて息を吐く。
(ま、直なりに心配してくれてるってのは分かるけどさ……)
にしたってスパルタだ。あの日はシャベッターに「#転入生吐いてる」「#転入生ボコられる」「#転入生死んだ」とか散々書かれたし。死んでないから。
そんなことを思い出して礼治は苦い顔になる。そんな彼に、直は何度目になるかという忠告を繰り返した。
「いい? あんたは普通の魔法使いが使える魔力障壁が使えないんだから、とにかくいざとなったら避けるか受けるかしなさい。あたしらが期末試験で相手をするのは地竜クラス、となれば基本は避けるのが最善だけど、どうしてもってときは即防御。身体強化状態なら、受け方次第で生き残れるから」
「受け方間違ったら死ぬってことだよね、それ……」
礼治自身も一度は地竜と戦った身だ、そのことは重々承知であったが。
――この訓練の目的は、礼治の生存率をあげることであった。自発的に魔法が使えない礼治には、魔法使いにとっての基本防御である魔力障壁が使えない。直が隣にいれば代わりに出してやることもできるだろうが、戦闘中は常にそういう状況にあるとも限らない。故に、少しでも自分の身は自分で守れるように、と防御及び回避の訓練を重点的にこなしているのである。
(元々今週は他の人と訓練する予定だったけど、直の事情聞いちゃったらそんなこと言ってられないしな……結果的に、こっちの訓練ができて良かったとも言えるかも)
スパルタではあるが、その分たしかに成果は出ている。この訓練は礼治のためであったが、同時にチームとしての生存率を上げることにもなる。この調子ならば、来週一週間である程度は回避や防御は身に付くだろう、というのが二人の見立てであった。
となると、問題は攻撃の方だ。
まずはグラウンドで組手をして、その後は地下射撃訓練場で『一文字の弾丸』の練習、というのがここ三日の流れなのだが、攻撃の方の命中精度は今のところ一切向上していないのだ。
「避けて受けて生き残ったとして、その先どうするかだよな……」
「いつかみたいにスライディングで、ってんじゃ流石に火力が足りないのよね。地竜クラスとなると図体も大きいし表皮も堅い。かといって、しっかり構えて撃つとなると五秒は静止しなくちゃならないし……」
「そんな悠長なことやってたら二人してぺちゃんこだよね」
ぺちゃんこ。礼治は敢えて可愛く言ってみたが、実際そうなったらグロ画像であろう。全長七~八メートル、体重五百キロ以上の化け物に潰されたら人の形も残るまい。
(うぅん、なかなか難しいな……)
直と共に行こう、と覚悟は決めたものの、現実は厳しい。今更そんなことを痛感しつつ、礼治は悩まし気に唸るのであった。
■
「――あっちの二人も、頑張ってるみたいだねえ」
雑然とした生徒会室の奥、書類が山と積み重なる会長席に座り、帝は仮想画面を横目に呟いた。
画面に流れているのはシャベッターのタイムラインだ。そこには、いつも通り口さがない裏東京の住人が、礼治と直の訓練風景を動画付きでアップしている。他人を無許可で撮影してネット上に上げるとか、うちの生徒の情報倫理は大丈夫だろうか、と思わなくもないが今更であろう。どう考えても大丈夫じゃないし。
『――あ、そこのあんた! なに勝手に撮ってんのよ! 殺すッ!』
『ひぇっ!? ちょ、ま、ぐあぁ!?』
動画は最後思い切り天を仰いで終わっていた。自業自得という奴だろう。こんなもんよく上げる気になったな。
ともあれ、自分もそろそろ行かねば、と帝はいくつかの資料を持って立ち上がる。今日はこの三つ葵で三国連合の会議が開かれることになっていたのだ。
議題は言うまでもなく大英雄の遺体について。昨日ようやく世間一般に、遺体が三つ葵へと運ばれたことが報道された。それに伴い、三つ葵の警備を三国連合の交代制で担当しよう、ということになった。今日のメインは、その具体的な分担の調整についてになるだろう。
(あとは、護送の際の襲撃についてとか、各自集めた情報を持ち寄って交換し合うって流れになるかな……)
とはいえあれから新情報はあまり出てきていない。MAGAの身柄を預かっている裏東京都警察や、表の東京都から派遣されてきた魔法省の連中も捜査しているが、どうにも進捗は芳しくないらしい。
厄介なことだよ、と思わずぼやきつつ、帝は階段を下りる。会議の会場は丁度生徒会室の真下、第一特別棟三階の大会議室が準備されていた。
帝が室内に入ると、部下の役員たちの手によって既に椅子も机も用意されて、ペットボトルのお茶も各席に置かれていた。至高の庭園に囲まれ高級紅茶と茶菓子も出たアヴァロンに比べると随分質素だが、会議としてはこっちが普通なのでこれでいい。帝は皆をねぎらいつつ席に着いた。
「空調もうちょっと利かせようか。他校の人たちはこの暑い中来てくれるわけだしね。会議が始まって少ししたら緩めてくれ」
帝の指示ですぐに空調が調整される。こういう細かい気遣いができてこそ生徒会長、と帝が内心で自画自賛していると、不意に顔横に仮想画面が立ち上がる。映像通話の着信だ。受けてみれば、相手は新明星生徒会長の白日で、その背景から彼は既に三つ葵に来ていることが分かる。
「おや、どうかしたかい白日。道にでも迷ったなら案内出すけど」
『はハ、何度来てると思ってんダ、流石にそこまで物覚え悪くねえヨ。ただちょっとナ、悪いが十分ほど遅れル』
「遅れる? もううちの敷地内だろ、そこ」
『あア、だけどちょいと気になるもんが見えちゃってナ。そういうことだかラ、イヴの奴にもそう伝えておいてくレ』
上機嫌な言葉を最後に、映像通話は一方的に切られてしまう。
一体どういうことなのか、と帝も周囲の役員達も揃って首をかしげるが、その理由はすぐに分かることになった。
ぴこん!
特徴的な電子音が、室内で人数分響く。これは裏東京の住人ならば必ずと言っていいほどスマホに入れている決闘観戦専用アプリ『ホワイトグローブ』の通知音だ。帝がなんとなく察しながら仮想画面を立ち上げれば、そこに出てきたのは予想通りの文面であった。
『「千年為央竜」王白日 対 「行方知れずの弾丸」一文字直・阿部礼司』
■
グラウンドへと続く階段を一段飛ばしに軽快に、白日は糸目を更に細めたご機嫌な表情で降りてきた。
小休止も終えて、さて組手を再開しようかと二人が向き合ったその時のことだった。おうイと手を振って近付いてくる白日に、二人は揃って驚きの顔を見せる。当然だ、礼治は今日の会議のことなど知らされていないし、直は知らされてはいたが覚えてはいなかった。どちらにせよ、ここに新明星の生徒会長が乱入してくることなど予想外もいいところであった。
「ちょ、白日? いきなりなんなのよあんた」
「ははハ、たまたま通り掛かってナ。この暑い中よく頑張ってるじゃねえカ」
「あ、ありがとうございます?」
礼治の語尾が疑問形になってしまうのは、相手の意図が読めないからだ。見れば、階段の方では彼の部下らしき新明星の制服を着た数人が、戸惑った様子で立ち尽くしている。あちらにとっても白日の行動は予定に無いことなのだろう。
そんな周囲をよそに、白日はご機嫌な様子のまま軽く身体をほぐす。屈伸、伸脚、小刻みな跳躍に筋伸ばし――これから体育の授業でも始めようかという風情だ。
(あ、あれ、なんかこの感じ覚えがあるぞ……)
そういえばあの時も同じ第一グラウンドだった。突然の乱入者、しかも生徒会長というところまで被っている。
一通りの準備体操を終え、白日は改めて二人に向き合う。その表情は相変わらずの笑顔だが、それは以前の会議で見た穏やかなものではなく、もっとずっと攻撃的な、格闘家としての笑みであった。
「――組手をしているんだろウ? どレ、一つ相手してやるヨ。俺以上の奴はなかなかいないゼ?」
白日は右目を軽く開いて見せて、誘うように手招く。そして三人の顔横に、それぞれ仮想画面が立ち上がった。
『決闘申請:王・白日 対 一文字直・阿部礼司 条件:制限時間十分 決闘への参加を了承しますか YES/NO』
やっぱりー! と内心で叫びつつ、礼治は直の方へ目をやる。どうしようか、と一応問うつもりだったのだが、真横の彼女は既に『YES』の表示を押していた。
「お前……いやまあ、俺もそのつもりだったけどさぁ……」
「は? あんたなにぼさっとしてんのよ。さっさと押しなさい。言っとくけど、あいつナリはちっこくても格闘戦の実力はマジで裏東京最強レベルよ。こんな機会滅多に無いんだから!」
直の方はすっかりやる気で興奮気味だ。礼治も、白日が帝と涙の喧嘩を震脚一つで両成敗したのはその目で見ている。実力は疑うまでもなく、この機会の貴重さも重々承知、迷うことなく『YES』の表示に指をかけた。
そしてその瞬間、礼治達と白日の中間地点に花が咲くように光が生まれる。光はすぐに四体の羽を持つ妖精の姿に変わり、それらはすぐに四方へと飛んで不可視になった。決闘の開始に伴い自動召喚される撮影用の妖精だ。
続いてグラウンドを魔力障壁の結界が覆う。決闘の準備が整うと、機械音声がどこからともなく響く。
『これより、「千年為央竜」王白日 対 「行方知れずの弾丸」一文字直・阿部礼司による決闘を開始します。本訓練は実戦形式となっており、身体に重大な損傷、もしくは死亡する危険性があります。十分ご注意ください』
そのアナウンスが流れると、やはりいつの間にかに集まってきていた観衆が、それに白日の部下達も加わって、それぞれ好き勝手に歓声を上げる。明らかに三つ葵の生徒からも白日への声援があるのは、彼の人望ゆえであろう。直への恨みからではないはず。
歓声を背に受けて、白日は笑みを更に深くする。そして二人を煽り立てるように、彼は高らかに言い放つ。
「――良いナ、それでこそダ! お前達、地竜クラスに挑むらしいじゃないカ。ならば丁度良いイ、小さな竜と呼ばれるこの俺を討って見せロ!」




