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裏東京の異名持ち共  作者: 愛川莞爾
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初めての仕事 3


 体高三メートル、全長六メートル、巨大な翼を兼ねた前足を持つ前傾の巨体に、後部バランサーとしての機能も持つ太い尻尾。影をこねてまとめたような輪郭をもつその化け物を、交差点に面するビルの屋上から、満足げに見下ろす姿があった。


 男だ。年若い、二十代前半から半ばだろうか。ダメージジーンズにアメコミのキャラがプリントされたTシャツ、流線型のサングラスに短い金髪を隠すような野球帽。二メートル以上はあろうかという巨体だが、しかしシャツがはち切れんばかりの肉のせいで縦以上に横向きの存在感がある。そんな重量級の身体を、屋上に寝そべることでなんとか隠し、男は眼下の交差点に目を向ける。


(まさか、ここまで使うことになるとはな……!)


 先程仕掛けた翼竜型破滅因子(ワールド・エンド)の群れ、まさかあれがほぼ無傷で破られるとは思わなかった。彼――否、彼らの予定では、あの群れによって救急車を破壊し、どさくさに紛れて中にあるはずの遺体を回収するはずだったのだ。


 男は顔横に出している仮想画面に目をやる。映るのは他の仲間からの報告で、後部ドアが開け放たれた際に撮影された内部の写真が添付されたものだ。そこには狙いの遺体が映っていないが、それもまた『予言』の通りだ。彼らをこの凶行に駆り立てた『予言』によれば、遺体は「運び屋の中にある」と表現されていた。詳しい意味は分からないが、運び屋というのはおそらく内部から一度も出てきていない金髪の少年のことだろう。それさえ分かれば、少年ごと誘拐して、尋問でも拷問でもしてありかを吐かせればいいだけだ――男はそう考えていた。


(かえって遠慮無く車ごと破壊できて都合が良い。破滅因子(ワールド・エンド)は、召喚とターゲット指定はできても、制御はできないからな)


 ましてや、今救急車に襲い掛かろうとしているのは、彼らが用意した中でも最も強力な存在だ。あれを呼び出してしまった以上、最大の懸念はあの化け物が暴れまわる中で金髪の少年を誘拐しなければならない、という点だろう。

 だが、と男は思う。

 それさえ成し遂げて、『予言』の通りに大英雄の遺体が手に入れば、全てが変わるのだ――と。


 男は祈るような気持ちでポケットから小さなピンバッジを取り出して、それを握りしめる。その古ぼけたピンバッジは、星条旗を模したデザインの中に「アメリカ(Make)に再び(America)の栄光(Great)(Again)」という文言が刻まれたものだった。


 Make America Great Again――MAGAの通称で呼ばれるアメリカ極右魔法組織の、それは会員証代わりのアイテムだった。といっても特別な魔法的仕掛けがあるわけではない。魔法がこの世に明らかになる直前の時代、当時のアメリカ大統領が選挙戦に用いたグッズの一つで、そんなものをありがたがるのはそれこそごく一部の右寄りアメリカ人だけだろう。


 アメリカという国は、世界の変革に乗り遅れた国だった。二〇二〇年以降、世界が魔法によって塗り替えられていく中、既存の世界秩序に固執してあらゆる面で世界に取り残されてしまった。その結果として、かつて世界警察を自称した国力はもはや見る影もなく、しかし栄光の時代に世界各国にばらまいた怨嗟の種は報復という仇花を絶えることなく咲かせ続けた。


 とある歴史学者はこう言う。「|United Statesアンクルサムは地上から完全に消え去るまで、因果応報の意味を我々に教え続けてくれるだろう」と。


 没落し、世界の主導権を魔法先進国に奪われ、しかしそれでもアメリカは存在し続けていた。そして、その復活を願う者もいたのである。


(大英雄の遺体には、あらゆる分野における最先端の魔法が刻み込まれているという。それが手に入れば、アメリカの魔法技術は今の世界に追いつける……! たとえ時間が掛かったとしても、それだけの価値はある! アメリカは、もう一度誇りを取り戻せるんだ!)


 自ら鼓舞するように男は心中で唱える。この強奪作戦は、彼らの夢見たアメリカ復活への第一歩なのだ、胸が高鳴らないはずもなかった。


 はやる思いをなんとか抑え込みながら、男は改めて交差点の状況を確認する。地竜型破滅因子(ワールド・エンド)による初撃はドリフトによって躱されたが、あの状態から振り切るのは不可能だろう。ならば一体どうするつもりなのか。他のMAGAメンバーからの報告によれば、少なくともメイド服の少女と地味な少年は魔力切れだという。残る戦闘役はおそらくポニーテールの少女のみだ。


(あの女は有名だ。

行方知れず(ノーウェアー)の弾丸(・バレット)、威力だけが取り柄の魔弾しか能が無いはず。当たれば脅威だろうが、周りの援護もなく当てられるものかよ)


 と。動きが生まれる。

 完全に停止していた救急車が、破滅因子(ワールド・エンド)に背を向けて来た道を逆走し始めたのだ。


「逃げる気か! 馬鹿が、逃げ切れるわけがないだろ!」


 案の定、破滅因子(ワールド・エンド)は即座にそれを追って走り出す。低級の地竜はその翼ではごく短距離の飛翔しかできない代わりに、地上での速度はトップスピードに乗れば自動車を軽く上回る。現に地上でも、救急車の背に破滅因子(ワールド・エンド)が追いつきつつあった。

 巨体であればリーチが長いのも道理。そしてその翼を兼ねた巨大な前足は、装甲車だろうと一撃で貫く威力を持っている。そんなものが振り上げられ、今まさに救急車の車両後部を引き裂かんとする。


 どごぉんッ!


 轟音が響き、救急車の後部ドアが高々と空に舞う。

 だがしかし、それは破滅因子(ワールド・エンド)の一撃によるものではない。むしろその逆――車内から放たれた、巨大な赤い光球によるものであった。

 ドアを吹き飛ばした勢いそのままに、破滅因子(ワールド・エンド)をも喰らうかと思われたその弾丸は、しかし激突直前で大きく斜め上に軌道をぶれさせ、左肩をアッパーカット気味に掠っていくにとどまる。漆黒のドラゴンは大きく苦悶の声をあげたものの、それは致命傷には程遠い損傷であった。


(引き付けて引き付けて、食いついたところをカウンターか……! 危なかった、あれが当たっていればいくら地竜型でも消滅していたかもしれない。だがこれで、もうあちらに手は――)


 と。

 安堵しかけた男が、はっと気付く。この一撃の真の狙いはなんであるかに、だ。


「マーキング剥がしか!」


 上空に吹っ飛ばされた救急車の後部ドアが重力に従い落下してくる。不快な金属音をまき散らしながらバウンドするそれを、まるで飼い犬がおもちゃに飛びつくように、破滅因子(ワールド・エンド)は追いかけ始めたのだ。


 一見異様に見える光景だが、しかし理屈としては当然の成り行きである。そもそも先程の翼竜たちも、この地竜も、召喚はされたものの操作されていたわけではない。一番最初に救急車後部ドアに撃ち込まれたマーキング弾の、非常に強力な対破滅因子(ワールド・エンド)誘因効果によって引き付けられていただけなのだ。


 そして、そのマーキング弾が着弾したのは車両本体ではなく、後部ドア一枚に対してだけ。相手はそれを無理矢理打ち捨てることによって、地竜からの追撃を避けたのである。

 現に、剥がれた後部ドアを執拗に踏み潰す地竜の横を、救急車は悠々と通り過ぎて三つ葵へと向かう。


「くそ、させるか!」


 男の行動は迅速だった。そもそもこの作戦における彼の役目は、あの地竜の召喚と、こういう場合に備えた予備のマーキング要員だった。傍らに置いたマーキング弾入りの狙撃銃を構え、過ぎ去ろうとする救急車へと撃ち込む。魔法による補正もあって、ドアを無くした車両後方から、弾丸はたしかに救急車の内部に着弾する。スコープから見えたのは一瞬だが、恐らくあの位置ならば簡単に切り離すことはできないだろう。


 新たな誘因剤の気配を感じ取り、後部ドアを破壊しつくした地竜がのっそりと顔を上げる。距離は幾分開けられてしまったが、それでも地竜の脚力ならばまだ十分追いつく範囲だ。今度こそ、あの救急車をスクラップにしてくれることだろう。



「――我が行く先に道は無く 我が行く後に続く者無し」


 

 と。

 不意に、静まり返った未明の街の中、凛とした覚悟の詠唱が響く。


 なんだ、と戸惑う男が探す先、求める姿はすぐに見つかる。顔を上げた地竜の間近、距離にして一メートル以内――どころか本当に触れる寸前五センチの位置に、右腕を砲塔のように突き出して低く構えた姿の少女と、少女を後ろから抱き支える少年がいる。


「なんで、そんなところに……!?」


 車内にいるはずではなかったのか。いつの間にその距離まで近付いたのか。彼の疑問に答える声は無く、ただ響き渡るのは呪文の詠唱だけだ。



「――疾走れ、一文字の弾丸よ!」



 そして、圧倒的な暴力が放たれる。距離五センチで放たれた莫大な威力の弾丸は、六メートルの地竜に風穴を開けて霧散し、少女たちは自分の放った弾丸の威力で後方に吹っ飛んだ。

 地竜が霧と消える。

 救急車は走り去り、このまま三つ葵の構内に無事辿り着くだろう。

 男は、ただただ呆然と、己の夢が遠ざかっていくのを見送るのであった。




     ■




 絡まるように転がって、近くのビルの壁に当たって、二人はようやく停止する。最初の討伐訓練といい、帝との決闘といい、なんか俺戦うたびにこんな目にあってるな――と礼治は己に呆れつつ、自分の胸に突っ伏す直に声を掛けた。


「直、大丈夫?」

「……あんた、なんか腰の抱き方がやらしかった」

「うぇ!? い、いや、あの体勢だとああするしかないんだって! 直撃つのに両腕使ってるから手も繋げないし! 肩に手を乗せるだけだと不安だし!」


 謂れのない非難に、礼治は思わず早口で反論する。声が若干上擦ってしまったのは、実はちょっと役得だとも思ったからだろう。

 まあいいわ、と直は言い、しかしそのまま起き上がろうとしない。今の姿勢は、寝転ぶ礼治の上に、直がうつ伏せに乗っている状態だ。正直先程の腰に腕をまわして抱きかかえる、という状態よりもよっぽど密着感があり、特に彼女の豊かな双丘の感触が腹部に当たって、礼治としては緊張しっぱなしなのだが。


「あの、直……?」

「流石にあたしも魔力切れ。もう一歩も動けないし、眠くてたまんないのよ……」

「ちょ、起きてー! この状態色々と大変だから!」

「勃起したらへし折るわよ」

「女の子がそんなこと言っちゃいけません!」


 本気でうつらうつらし始める直をどうにか起き上がらせ、礼治もまた身を起こす。しかし礼治の方も立って歩くだけの余力は無く、二人してビルの壁に並んで寄りかかった。

 顔横に仮想画面が現れて、救急車が無事三つ葵に到着したとイヴが告げる。後ほどこちらに迎えを寄越すという。礼治は力なく礼を言い、通話を切る。今はそれすら億劫だった。


「――にしても、よく気付かれなかったわよね」

「良いタイミングで飛び降りたからね……直が車内から弾丸ぶっぱなせば、誰だってそっちに目が行くよ。都合良くちょっと掠ってくれたし、その隙に飛び降りれば気付かれないよ」


 ちょっと誇らしげな口調で礼治は言う。会長に期待された機転というのは、きっとこういうことで良いんだろう、と彼は思う。


「マーキングが囮になる、っていうのも良いアイディアだったわよね」

「あれはイヴさんがよく気付いてくれたよね。っていうか、逆に車内の連中は誰も気付かなかったっていう……」

「当事者は意外とそんなもんなのよ。まあでも、新たにマーキング弾が飛んできたのは予想外だったけど」

「あれこそ、こっちの攻撃が間に合って良かった。あと一瞬遅れてたら、あっちにつられて動き始めて、きっと外してたよ」


 そうかもね、と小さく答えて直は目をつぶる。そろそろ本当に限界ということらしい。

 それは礼治の方も同じで、どんどん瞼が重くなってくる。しかし意識を手放す前に、礼治は言いたいことがあった。


「――直、起きたらさ、色々教えてよ。直のこと」

「………………」

「聞いてこなかったけど、俺に話してないこと、あるだろ。こんなに必死に実績稼ぐ理由とか、期末テストの事情とか。俺、力になるから、教えてくれよな」

「……生意気なのよ、馬鹿」


 呆れを含んだ苦笑が転がる。そしてその後に続くのは、安らかな寝息だ。

 ああ、俺ももう疲れた。色々考えるのは、次起きた時にしよう。

 抗っていた睡魔を受け入れると、礼治の意識はすとんと素直に落ちていく。

 ――こうして、礼治の初仕事は、数々の予想外を交えつつも、無事に完了するのであった。


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