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裏東京の異名持ち共  作者: 愛川莞爾
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名を呼ぶことなかれ


 随分だね、と笑みを含んだ声が転がった。

 少年だ。名を呼ぶことなかれ(アンネームド)と呼ばれた少年は、ちらりと直の映る仮想画面に目をやり、しかしすぐに正面に視線を戻す。

 少年の正面、そこにいるのは帝だ。帝の顔から普段の余裕ある笑みは消え去り、かわりにぞっとするほど真剣な眼差しが少年に刺さる。


「なんだ、お茶菓子でもたかろうと思って来たのに、ティーセットの一つも出てないじゃないか。まだ会議やってるの?」

「いやはや、まさかと思ってたけど本当に来るとは……(るい)、随分久しぶりだね」


 帝の呼びかけに、涙と呼ばれた少年は冷たい視線を返す。


「別に会いたくもなかったけどね。嘘だけど。三つ葵の車が見えたからわざわざ遊びに来たんだ。そう言えば最近ちょっかい出してないなって」

「それは光栄だ。君にそんなに好かれてるとは思わなかった」

「つまらないよ、お前」


 風が来た、と礼治は感じた。

 そして一瞬後、それが攻撃に伴う衝撃波であったことに気付く。礼治の斜め前にいたはずの帝が遥か後方に吹っ飛ばされ、帝がいた位置には回し蹴りを放って残心に移行しつつある涙の姿がある。涙の身体の輪郭には、黒い霧のようなものがまとわりついていた。


(あれはなんだ。まるで、破滅因子(ワールド・エンド)みたいな――)


 動きは止まらない。吹っ飛ばされた帝は、靴底を摩擦で溶かしながらも姿勢を崩さず着地する。しかしその態勢が整うより先に、涙の追撃が飛んだ。

 目にもとまらぬ、という言葉のままの攻防だった。もし礼治に身体強化の魔法が掛かっていたら、多少は追えたのかもしれないが、それを差し引いてもそのやり取りは圧巻だった。

 蹴り、受け、投げ、いなし、殴り、弾き、突き、躱す。互いを本気で叩きのめそうとしているのにも関わらず、高速の演武のようにすら見えるそれは、彼らが幾度と無く拳を交えてきたことを如実に示していた。


『間違っても手ぇ出そうとするんじゃないわよ……裏東京最高の魔法使いと、最狂の黒魔法使いの喧嘩なんだから。怪獣大決戦みたいなもんよ』


 仮想画面の直が、溜息交じりに警告する。言われずとも、礼治はあんな暴風の中に突っ込んでいくような自殺志願者ではなかった。


「あー、あの二人はちょっと因縁があってナ……顔合わせるたびにあんな感じなんダ」

「顔合わせるたびにって……あの黒い霧みたいなのは? それに、黒魔法?」

「聞いたことないカ? 魔法は正の感情を使って発動すル。破滅因子(ワールド・エンド)は負の感情によって顕現すル。でもっテ――黒魔法ハ、負の感情を使って発動する魔法なんだヨ」


 激突の音が響く。それは既に生身の人体同士が出すような音ではない。そして攻防が過熱していくごとに、涙の纏う霧は濃く、粘性を持った実体を帯びつつあった。


「負の感情を使ってって、それまるっきり破滅因子(ワールド・エンド)と同じじゃ……?」

「そうですね。強力ですが、勿論リスクも大きい魔法です。負の感情をわざわざ身に纏っているのですから、それに飲まれない強靭な心か、あるいははじめから負の感情に浸された壊れた心の持ち主じゃなければ、そのまま人型破滅因子(ワールド・エンド)になってしまいますから」


 イヴはそう言ってから、白日(バイリー)へと視線を送る。白日の方も、それに頷いて見せる。


「あいつは完全に後者だナ。色々とぶっ壊れてるかラ、そもそも飲まれようがなイ。真似しようとなんかするなヨ? 黒魔法は危険な禁呪の類ダ。だかラ、実力はトップクラスでモ、あいつは異名持ち(ネームドクラス)入りはされてなイ。だから名を呼ぶことなかれ(アンネームド)ってわけサ」


 風が行った、と礼治は感じだ。

 そして一瞬後、それは白日が巻き起こしたものだと悟る。白日は一瞬にして帝と涙の間に入り、その両者の拳を完璧に受け止めていたのだ。


「「白日……!」」

「発ッ!」


 その姿勢のまま、白日は右足を上げ、そして地面に叩きつける。ただそれだけの行為だったが、それにより屋内庭園自体が鳴動し、木々からは鳥たちがけたたましい鳴き声をあげて逃げ出し、受け止められていた二人がそれぞれ逆方向に吹っ飛んだのだ。

 震脚、である。


(嘘だろ、おい……)


 ここには化け物しかいないのか。特異体質以外は完全に一般人でしかない礼治は、建物の揺れに戸惑いながら、それ以上にここにいる者たちに恐怖する。見れば、イヴらも平然と「終わりましたね」なんて言い合っていた。


『ほんっと出鱈目な連中ね……でも、運が良かった方よ。暴君がいれば、奴の敵意はそっちに集中するから。街中であったらすぐ逃げなさい、なにするか分からないから』

「そうするよ……」


 礼治は心底から頷く。

 そんな彼のもとに、一仕事終えた表情の白日が汗をぬぐいながら戻ってくる。見ればその後ろには、平然と起き上がってきた二人の姿も続く。二人とも不満顔ではあるが、ひとまずはお開きということのようだった。




     ■




 平然とお茶会になった。

 いつの間に現れたのか、サレン率いるメイド集団によって従者と涙の分の椅子も用意され、同じく人数分のティーセットと菓子が並ぶ。礼治以外全員ごく自然に談笑し始める様子を見るに、どうやら会議後のお茶会は定番の流れらしい。


(いやおかしいだろ……! さっきまで殺伐ステゴロバトルしてたじゃん……! なんで平然とお茶できるの……!)


 この人たちおかしい、と思いながら礼治は紅茶に口をつける。無自覚ながら、彼もなかなか豪胆である。


「涙、ところであなたどうしてこちらに?」

「ん? さっき言ったじゃん。お茶菓子食べに来たんだよ。ムカつく顔があったからついでに蹴飛ばしたけど」

「あ、僕よりそっち優先なのね……」

「あはハ、ふられたなあ帝! 好かれてなかったナ!」


 愉快そうに笑う白日に、露骨にへこむ帝。涙から帝への感情は分かりやすい敵意のようだが、帝から涙への感情はそう単純なものではないらしい。


 二人の殴り合いで一時はどうなることかと思われたが、お茶会は特に問題無く過ぎていく。礼治も次第に警戒心が解けていき、気付けばカップも空いていた。

 おかわりとかもらえるのかな、などと礼治が思うより先に、すっと背後にサレンが現れる。キャスター付きのティースタンドを傍らに置いた彼女は、礼治に対しても恭しく「おかわりはいかがでしょうか」と両手を揃えて問う。


「あ、お願いします」

「では。――明日は初仕事でございますね、阿部様。ご一緒させていただけること、大変光栄に思います」


 優雅に紅茶を注ぎつつ、サレンは無表情のまま告げる。


「こ、こちらこそ、よろしくおねがいします。足引っ張っちゃうかもしれませんけど」

「メイドにそのようなお気遣いは不要でございます。誰でも初めては恐ろしいもの、ですがどうかごゆるりと。必ず襲撃があるというわけでもありませんよ」

「そ、そうですよね。ここまで情報漏れてないんですもんね」


 そうだ、何事もなくただ車に同乗するだけ、ということだってありえる。というか、そちらの方が断然確率は高いくらいなのだ――礼治はそう思いなおすと、幾らか肩から力が抜ける。気付けば、自覚している以上に力んでいたようだ。

 サレンもこくりと小さく頷くと、恭しく一礼して去っていく。表情は読み取れなかったが、彼女なりに後輩を気遣ったのだろう。


(うん、プラスに考えていこう。この仕事がうまくいけば、これから魔法使いとして他の仕事に繋がるかもしれないし)


 実力不足は百も承知だが、希望を持つ分には構わないだろう。

 と、礼治は不意にこのアヴァロンに来る前、購買で謎の店員に言われたことを思い出す。


「――そういえば、アヴァロンや新明星の人たちって、本国に仕事で呼ばれたことあるんですか?」

「あー、俺は無いなア。タダで里帰りできるなら引き受けてみたいけド、中国は広いからナ」

「あたしは一度。まあ、あたしにとっては故郷でもなんでもないし、中国に行ったの自体それが初めてだったけど」


 破滅因子(ワールド・エンド)の討伐依頼だった、と麻央は付け加える。いいなアと呟く白日に、次はぜひご一緒にと麻央が手を取っているが、あれは新明星では日常風景なのだろうか。


「私は幾度かありますね。伝統的な儀式魔法を教わりに行く、というものなので、どちらかというと仕事というより勉強ですけれど」

「お嬢様は立場ある方なので、後継者として指名されることもあるのです。ちなみに私も同じだけ同行させていただいております」


 イヴの言葉を、後ろに控えるサレンが補足する。というか先程まで別の場所で給仕していたのに、いつの間にイヴの背後に回ったのだろうか。


「一応言っておくと、僕は裏東京の外での仕事は経験あるけど、海外はないなあ」

「……え、なんか言った? ごめんね、お茶してた」


 律儀に答える帝と、そもそも話をまるで聞いていない涙。お茶なら全員している。言いたかったけど怖いのでやめておいた。


(うーん、十分凄いけど、ロマンがあるかと言われると……)


 少なくとも礼治が期待したものではなかった。諦めきれないらしく、礼治は続けて問う。


「そういう感じですかー。都市伝説の調査とかは?」

「具体的にはどんなのダ?」

「ええと、たしか謎の人攫い、ハッピーになれる魔法のお薬、影から飛び出してくる黒犬、夜な夜な徘徊する森の巨人――」


 と。

 そこまで言ったところで、イヴの顔色が変わる。何かまずいことを言っただろうか、と思わず礼治が口を閉ざすと、イヴは大袈裟に声を上げる。


「まあ! もうこんな時間。皆さん、給仕はもう結構ですよ。ありがとうございました」


 言われて仮想画面を呼び出せば、時刻は四時半を回ろうという頃合いだった。たしかに用が無ければ下校しても時間帯である。

 サレンに促され、メイド達は揃って礼をしてから去っていく。残ったのは、今日最初から会議に参加していたメンバーのみだ。


「さらっと涙の奴も帰ったナ……帝も蹴ったシ、お茶菓子も食って満足したんだろうナ」

「去り際に僕の皿からカップケーキくすねていったけどね! 言えばあげたよ!」


 そんなこともありつつ、これで部外者はいなくなる。


 さて、と一息置いた後、イヴは礼治に向き直った。


「すみませんね、話の腰を折ってしまって。ところで、その『夜な夜な徘徊する森の巨人』の話は、一体どこで?」

「ええと、話すとちょっと長くなるんですが――」


 ところどころ端折りながら、購買の一件を説明する。この手の話は珍しいようで、皆不思議そうに聞き入っていた。


「成程、謎の店員から……それが何人だったかとか、分かりますか?」

「いえ。金髪碧眼だったので西洋人だろうな、ぐらいは思いましたけど……あの、なにかあるんですか?」

「その森の巨人に関する調査は、我が校が十年ほど前に受けた依頼です。巨人が何か悪さをしたということじゃなかったんですが、周囲の魔力に関する数値が極端な異常を示していたため、当時学術分野で優秀だった生徒らが数週間掛けて調査をしました。しかし、幾度か巨人を目撃したものの、それを捕らえることも周囲の数値との関連性を見出すこともできませんでした。そしてその調査団のうち一人、唯一の異名持ち(ネームドクラス)だった生徒が、最終日に忽然と姿を消したらしいんです」


 イヴは滔々と語る。それこそ、まるで都市伝説でも語るかのような口調で。


「それで? そこからどう話がつながるんだい」

「具体的な繋がりがあるかは分からないのですが、今回の大英雄の遺体、その出所がその森の巨人の調査をした場所なんです。その周辺は辺鄙な田舎町で、特に見るべき観光資源があるわけでも、政治的に重要な場所でもないのに」

「ふム……たしかにそれは奇妙な符号だけド、それだけなのカ?」


 いえ、とイヴは首を振る。それこそが重要だ、とばかりに一呼吸おいて、彼女は言った。


「――この森の巨人に関する調査、それ自体がほとんど誰も知らないはずのことなんです。わざわざ本国まで出向いたのにろくな調査結果も出せず、しかも有望な生徒までも失ったということで、それ以降この話に関しては箝口令が敷かれました。アヴァロンとしての面子の問題ですね。勿論完全に揉み消せるわけじゃないですけど、姿を消した生徒に関しては『本国の魔法学校に引き抜かれた』とカバーストーリーまで作って、学校として全力で隠蔽しました。事実、私は生徒会長になるまでその噂も知りませんでしたから。

 そんな話を、何故礼治君の言う謎の店員は知っていたのか。そして、それを礼治君に教えたのか」

「それは……」


 分からない。そもそもあれが何者だったのか、この話でなおのことよく分からなくなった。


(だけど、あの店員は、あの意味不明な一連の話を「いずれ分かる」とも言っていた)


 それは、今回の大英雄の遺体の一件と、なにか関係があるのだろうか。

 答えを出せるものは、この場には誰もいなかった。


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