053
市井には市井の苦労があるのはわかっているが、貴族には貴族の苦労があるのだ。それを市井の人間が、市井の常識を知らないことを馬鹿にするのはお門違いだろう。逆に貴族の世界に踏み込めば、馬鹿にされるのは市井の人間の方なのだから。
「で」
怒りに震えるアシュレイに気付かないアレクは、荷物を背負ったまま木の根に腰掛けた。あまりにも大きい根のせいで、足はぷらぷらと浮いている。地面に下りる時は軽く跳ばなければいけないだろう。
急に座ったアレクに、アシュレイが思わず訝しげな目を向けると、へらへらと緩んでいたアレクの顔が──一瞬で“無”になった。
「僕に用事なんでしょ?」
急に変わった雰囲気に、アシュレイは間を置いて彼を睨みつけた。
「……貴方のことを調べさせていただきました」
「うん、まあ、だろうね」
「不幸ではありますが、正直何処にでもいる──何処にでも有り得る人生でした」
「うん」
「だからこそ、怪しい」
相手の動揺を何一つ見逃さないように、じっとアレクを見据える。だが、先程まで無表情だったアレクは既に柔らかく微笑んでおり、アシュレイは内心舌打ちをする。
やはり、出会い頭すぐに──相手が動揺している時に尋問すればよかったかもしれない。もうだいぶ時間は経ってしまっている。一人にさせる時間も与えてしまったし、相手がこれから動揺する可能性は少ないだろう。
普通の子供なら、時間が経っても触れられたくない話題を振れば、少なからずとも動揺する。パーティで見かける他のレンの子供や、色名でない家名の子供でも、少し揺さぶれば気丈そうに振舞っていても視線は親を探していたものだ。
そう、“普通”なら。
目の前に座る彼は、背丈こそ殿下と同じくらいであるものの、その雰囲気は“普通”とは言えない。
殿下もだいぶ逸脱した人だとは思うが、彼はいい意味でも悪い意味でも純粋だ。初めて会う人間に、命の恩人とはいえ本名を名乗ったり、アレクの不自然さに一切気付かなかったり──勿論、城で隙を見せることはないので心配はあまりしていないが。
その点、彼は違う。
市井の人間によく見られる白髪に、恐らくカルトナ辺りの出身であろう薄い色の瞳。着ているものは粗末なものであるが清潔であるし、身のこなしは丁寧さが垣間見える。
今も堂々としているし、目線もそらせようとしない。視線で両親を探そうとする様子がないのは、ここに両親が居ないことが物理的にわかっているからなのか、本当に両親は亡くなっているのか、視線を彷徨わせる必要がないのか──理由はわからないものの、一つだけ断言できた。
「貴方、何者ですか?」
確実に、こいつには何かある。
「……両親を亡くして、サリクタの片隅で細々と一生懸命暮らしている、極々普通の子供だよ?」
「普通の人は自分のことを普通とは言いません」
「そう言われると何も言えなくなっちゃうんだけどなぁ」
「サリクタの片隅で暮らす極々普通の子供がどうして王宮語を話せたのですか?」
「どうしてだろうねぇ」
一歩踏み込んでみるも、アレクは薄い笑みを貼り付けたままその姿勢を崩さない。割と核心をつくような質問だと思ったのだが、どうやらまだ駄目らしい。
「そもそも、それはあの時軽くとはいえ話した筈だけど? どうしてまたわざわざ一人で出向いたわけ? そんなに僕って不審?」
「そうですね」
「即答かよ」
“あの時”──初めて会った時のことだろうと、アシュレイは思考をそこへと飛ばした。
二回目の殿下のお忍びの日、その後直ぐに父に許可を取り、陛下にも許可をいただいてからサリクタへ続く転移陣を利用した。今回も殿下には居場所が探知できる首飾りをつけていただいているので探すのに手間はかからず、待ち合い広場として利用されているだろう小さな噴水がある場所で殿下を見つけた。
その時に殿下の傍にいた少年──アレクを捕まえ、殿下に聞かれないように話したのだ。
『君にはルドが世話になってるようじゃないか』
『はあ……』
『先日助けてもらったようだな。褒美は何がいい』
『え、いや要らないです』
『なんだって?』
『だから別にそういうので助けた訳じゃないですし』
『じゃあどんな理由で助けたっていうんだ』
『困った人が居たら助けるのが普通だろ、それ以外どんな理由があるんだ……あるんですか』
『話しにくいなら普通に話してもらって構いません、私もそうします』
『あ、そう? 助かる』
『納得はできませんがわかりました。あと、どうしてジルと話せたのです?』
『は?』
『ジルの話だと“問題なく話せた”と聞いています。ここの言葉は早口で聞き取りにくい筈です。どうして普通に話せたのですか?』
『そりゃまあ、サリクタの話し方をしてないから通じたんだよ』
『え? ならどう……王宮語ですか?』
『だからそうだって』
そうボソボソとやりあってる内に時間切れになり、その場を後にしたのだ。あの時はまだ情報が上がってきていない状態だった為、あまり意味の無いやり取りだったように思う。




