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転移陣から戻ってきた殿下は、初めての市井でとても興奮しているようだった。
それに嬉しく感じつつも、許可を出したのは少し軽率だったかもしれないと心の中で舌打ちをする。
『お忍び』──殿下は本当に城をこっそり抜け出しているとお考えになられているようだが、本当は陛下にご報告を差し上げた上での『公認のお忍び』だ。市井の服の着替えを手伝う際に服の下につけた首飾りは、もしもの時に即座に転移できるように魔法陣を施してある。勿論、殿下は知るよしもないので『こういうもの』だと着ていたが。
興奮している殿下の着替えを、バレないようにと素早く手伝い──城の者は全員殿下が何処に行ったのか知っているが、殿下はそれを知らない──市井用の私の服から、いつものお召し物へと変わられる間に、初めての市井で何をしたのか語ってくださった。
彼は──ジェラルド殿下は、私の一つ下の従兄弟であり、いずれこの国を継ぐお方である。
今年8歳になられる殿下は、その年齢にそぐわぬ素晴らしいお方だった。
御髪はワガリアのような煌めきを持ち、同じ色を宿す瞳も、まるでそのまま陛下が小さくなられたような色の強さだ。お顔は妃殿下にそっくりでいらっしゃって、色と性別が違えば妃殿下の妹君と言ってもバレないことだろう。
性格は真面目で、幼少期から日々勉強に励み、講師として呼び付けた者たちを驚愕させた。私も日々勉強と鍛錬に励んでいて今はまだ殿下に勝ちを譲ってはいないが、それも時間の問題だろう。
そんな聡明であせられる殿下を臣下として支えるべく、私は昔から──殿下が私を知る前から、私は殿下の為にと動いている。
殿下のお姿を見たのは、私が4つになった時のことだ。
元々一つ下に王の子が生まれたと聞いていた私は、臣下となり支えるべく3つの頃から勉強に励んでいた。……いや、言い過ぎたな。あの頃の私はただ勉強をしていれば褒められるからしていただけに過ぎない。
それが変わったのは、4つになって王の前に出しても粗相をしないと判断されたのだろう、初めて登城した時に殿下を偶然お見かけしてからだ。
その時殿下は、特に何もしておらず──身丈に合わない、足の高い椅子に静かに座って、ぼんやりと窓の外を眺めておられた。
当時はまだ誕生日もきておらず2才であった殿下は、思わず立ち止まってしまった私に気付いてこちらを振り向き、その瞳で私をお見据えになられた。
その瞬間、私は一生このお方を支えていくことを誓ったのだ。
当時の私はまだ幼く、その気持ちがどういうものか理解しきれずに、その後の王との謁見で必死に殿下の傍に居たいことを主張したように思う。その後は勉強や剣術に対する意識も変わり、休日にもずっと勉強を続けていた。
あれから5年。
殿下は健やかに育ち、基本臣下として、時には一つ上の従兄弟として接する私を慕ってくださっている。
そんな折に現れた──この場合は殿下の方が彼の前に現れたの方が正しいのかもしれないが──目の前を歩いているアレクと名乗る子供を、アシュレイは睨み付ける。
一度目の『お忍び』の際に聞いた報告直後から、影を使って『アレク』という子供が本当に安全か、殿下に毒にはならないかを調べてもらったのだが。
「何も出なかった……?」
「はい。逆に怪しいほどに“怪しくない”、どこにでもいる“普通の”子供ですよ」
上げてもらった報告書には、確かに『アレク』の情報が載っていた。
アレク。
ニル・サリクタが治める町の大通りから外れた、住宅街のとある一軒家で過ごしている。幼い頃に両親が盗賊に襲われ、一人で辿り着いたニル・サリクタの町で兵が保護。ショックで記憶を無くしているが、本人の明るく人懐っこい性格のおかげで町での暮らしに困っている様子はない。冒険所に出入りしており、子供でも受けられる簡単な依頼を受け日々の金銭を稼いでいる。
「盗賊に襲われ……ここの部分、もう少し詳しく調べられませんか?」
「当時の記録もあるにはあるのですが……特に問題のない、極々普通の記録でしたよ。命からがら逃げてきたっていう“設定”らしく、見目のいい歳若い男女の死体と、ボロボロの虫家が一つ。虫家の大きさは中ほどで、ちょっとばかり余裕のある庶民って感じですかね」
「“設定”と言うということは……あなたは疑っているのですね?」
「まあ、そうですね」
頷いた影に、もう一度資料を見下ろす。
あまりにも自然で不自然な、その経歴。
サリクタでの話し方しか知らない筈の子供が、殿下にも理解できる王宮語を話した。
この子供には何かが必ず潜んでいる。影にも調べられなかったとなれば──もしかしたら──……。
アシュレイは当時の資料を思い出しながら、黙って歩いていくアレクの身のこなしを観察した。やはり、ここの子供のものではない。
無言で観察されているとはつゆ知らず、アレクは呑気に森に向かって歩を進めていた。何度も通っているため、目を瞑っても辿り着けるほどだ。
後ろのお貴族様が何の用かわからないけど、多分僕に用事があるんだろうなぁ、ルドのことかなぁと漠然と考えながら、アレクは森の入り口に到着した。
ちょっとアシュレイの殿下への感情が気持ち悪くなってしまった(こんなつもりではなかった)




