038
人との触れ合いなんて、衣服の着脱と風呂、剣術の稽古くらいです。私はそっと、先程撫でられたばかりの頭に手を乗せます。
すると、アレクは恐る恐る「大丈夫ですか?」と問うてきました。その目には心配の色が宿ります。
「え、ええ……大丈夫です」
「そうですか? すみません。急に触って不快でしたよね。とんだ無礼を働いてしまいました」
「……それを言ってしまえば、あの場から逃げる時に問答無用で私を抱え上げたほうが無礼なのでは?」
「……あれは緊急事態ですので、いいんですよ」
「いいんですか?」
「いいんです」
心配そうな顔をしていた筈のアレクが、きりっとした顔で言い切るので思わず笑ってしまいました。
「あっ!? なんで笑うんですか!」
「ふ、ふふ……し、失礼。面白くって……ふふ」
「酷いですよー!」
止めようとしても、何故かなかなか止まりません。そんな笑いにまた面白くなって、笑ってしまいます。
そんな笑いの連鎖に一人陥っているのがわかったのか、アレクは不満そうな顔からじわじわと表情を和らげ、仕舞いには私よりも大声で笑い出していました。
「ははははは! もうっど×だけ笑って×××!」
「ふふ、な、何言ってるのかわかりませんよ……ふふふ」
「えー!? ×××!? もー、お貴族様はこれだからなぁ! あはははは!」
「ふふ、ふふふっ」
それから暫く二人で笑って、何が面白かったのかすっかり忘れた頃。
目元に滲んだ涙を拭いながら、「あー、笑った笑った」とアレクが言って、そしてにやりと不敵な笑みを見せます。
「途中でしたけど、まだあなたが貴族だとわかる理由がありますよ」
「えっまだあるんですか?」
「勿論。えーと、……あー、もう何個目とか数えるの面倒だな。まず所作の優雅さだろー、着ているものの小綺麗さに、汚れを知らない白い肌、艶やかなその髪! 服はまあ、もしかしたらちょっとした大きい商家のお坊ちゃんくらいで通るかもしれないけど、あまりにも言葉遣いとか歩き方とかが綺麗すぎるからね。そういうところ全部引っ括めて貴族にしか見えない! 正直それでこの街の子供だって擬態してるつもりだとしたら笑っちゃうね!」
びしりと私を指差し、高らかに宣言するアレクのその言葉を聞いて──私はがくりと肩を落としました。
「……本当に最初から駄目だったんですね……」
「うん。あ、あと気付いてなかったみたいだけど、あの時追ってきてた人たち、あなたを拐おうとしてたんだよ」
「えっ!?」
「市場で声をかけられたって言ってたよね? 多分元々目をつけられていたんだろうと思うよ。あなたのその服はどう見ても高価だ。まあ、誘拐して身代金……とか考えていたんじゃない? それか、まあ余り考えたくはないけど、奴隷として売られる……とかね」
肩を竦めながら言われた言葉に、血の気が引きます。
奴隷は禁止にされている筈ですが、未だこの街には蔓延っているらしい。それを聞くと、「え、禁止だったんだ? でもここでは普通にいるよ」と言われ絶句しました。
「そう……だったんですか……、この街の統治者はどなたでしたっけ……」
「うーん……誰だっけ? サリクタの……どこかだったと思うけど。忘れた」
──サリクタ……、ガルではないでしょう。ガルの管理が及びにくい分家とすれば、かなり外れているはず。ニルかミンのどちらかとして、それとなく調べるしかなさそうですね。
私が黙って考えていると、アレクは「で?」とベッドに腰掛ける私の隣に座りました。
「お貴族様そろそろ帰らなくていいの? それとも迎えがくる? 来るなら待ち合わせ場所まで送っていくけど」
「ええと、いえ。こっそり出てきたので、こっそり帰ります」
「はは、いけないんだ〜」
アレクはにやにやとアスがよくする笑顔を浮かべ、軽く私の肩を叩きました。このような気安い触れ合いも、5歳から側付きになったアスから受けたことはありません。
訓練の時も皆、私にだけ特別扱いをします。
そう、私にだけ。
「っと、じゃあどうする? あれから一時間くらいしか経ってないけど、完全に撒けてるからもう心配はないよ。しばらくはあの市場の近くに近寄らない方がいいと思うけどね」
「あ、そうですね」
また考えに浸っていると、アレクはこちらに気を使いつつもさり気なく話を続けてくれます。
考えに集中してしまうのは私の悪い癖です。考えなくとも反射的に最善案を言えるように訓練してはいますが、まだまだ力は及びません。
「こっそり家を抜け出して来たってことは街を見て回りたかったんだよね? 僕もそんなに詳しいってわけじゃないけど、よければ案内しようか? それか、大通りまで連れてってあげるけど」
「あ、じゃあ案内お願いできますか? ……あ、それと」
急に言葉を区切って立ち上がった私に驚いたのか、アレクはその大きな瞳が零れんばかりに見開きます。……少し、可愛いと思ってしまったのは内緒にしましょう。
「自己紹介が遅れました。私はガル・ワガンダ=ジェラルドと申します」
そう言って、右手拳を額に当て、続けて胸の中央に当てた後、左肩に手のひらを当てたまま深々と頭を下げます。心の中で二秒数え頭を上げると、ポカンと間の抜けた顔をしたアレクがいました。




