【閑話】-001
二章の前に閑話を。本編前の話。
弟夫婦が亡くなったと聞いた時、私は目の前が真っ暗になったかと思った。
遠くから妻の心配する声が聞こえてやっと意識が戻ってきて、立ちくらみしつつも弟夫婦の元へと急いだ。いつもなら虫家を使って景色を楽しみつつ行くものを、緊急とあって魔行を使った。魔力を多く使うが、こればかりは出し惜しみはしていられない。
「おお、ラハト坊っちゃま……!」
「爺」
ガル・ヴィオク家に代々仕えるラグーン爺が、昔の呼び方で私を呼んだ。それに懐かしさを感じる暇もなく、くしゃりと爺の顔が歪む。
「……オストと、カルラは」
「此方に、此方にいらっしゃいます」
そう言って案内されるレン・ヴィオクの屋敷は、とても寒々しく感じた。まるで屋敷全体が家主の永久的な不在に気付いて泣いているようだ。
どこかひんやりする玄関ホールを抜け、ダンスホールを通り過ぎ、二階の東奥にある夫婦の部屋へと案内される。
「此方に……」
「……」
ギィ、と扉を押し開く。
明るく柔らかい黄色の壁紙は、上品な花の模様が描かれている。カルラの希望なのだと照れ、笑っていたオストの幸せそうな顔が──今の血色のない顔で、目を瞑っている物言わぬ彼に重なった。
黒に近く、まるで宝石のような輝きを纏っていた紫髪は見る影もない。伏せられた瞼に隠された、意思のある綺麗な瞳はもう見られないのだろう。
オストの隣に横たわる彼の妻は、まるで水の妖精のようだった艶やかな藍髪はオストと同じく見る影もなく、元々色白だった肌は薄らと青紫になっていた。
夫婦用の大きなベットの上で、まるで眠るように横たわっている彼らは──正しく、亡くなっていた。
「外傷は、なんとか完治出来たのですが……見つけた時には、もう、手遅れ、で……っ」
どうやら虫家での移動時に、斜面が崩れ谷底へと落ちたらしい。
「魔行での脱出を何故オストは行わなかった? あいつの力なら、自分だけでなくカルラと共に脱出できただろう」
「……それが、奥様のお腹の中に……お子が……」
「…………」
二人を亡くしたと思っていたら、三人だった。世に出ることなく散ってしまった、新しい命となるはずだった子を想い、ぐっと瞼を閉じる。
三人であれば、いくらオストでも魔行での移動は不可能だっただろう。もし強行すれば、妻とその子の命は助かっても永くなく、良くて寝たきり、悪くてどちらの命も助からないという最悪の結果になってしまったであろうことを思い、それならばオストはやらなかっただろうなと理解した。
理解はしたが──やはり、納得はできない。
どんな形でも、生き残ってほしかった。
「……爺、これまで一人で取り仕切ってくれてありがとう。オストについてもらってよかった」
「いいえ……いいえ。爺は……爺は、何も……何も力になれず……っ!」
本家であるガルから、左遷とも言える分家に移ってもらったのは私の我儘だ。出来すぎる弟のためにと爺にお願いした時は、苦笑しながら「わたくしはオスト坊っちゃまもですが、ラハト坊っちゃまも心配していますよ」と言ってくれたのは記憶に新しい。
この後やらなければいけない事を考え、悲しむのは後だと気持ちを切り替える。
切り替えたのがわかったのか、爺はぐっと両手を握り締めると真っ赤になった眼をこちらに向けた。
「悲しむのは後だ。先にやらなければいけないことをやろう」
「はい」
「諸々の書類はどこだ? 私が全て取り仕切ろう」
「畏まりました。此方に御座います」
恭しく頭を下げ、爺は廊下へと道を先導する。
明るく心地いいはずの屋敷は、悲しみの波に呑まれ重く沈んでいるようだった。何処からか労りの唄が聞こえる。水の適正を持つこの家の使用人の誰かが、この家の夫妻の死の嘆きを和らげようとしているのだろう。しかし、その唄にもどこか哀しみが篭っていて、歌い主も心の底から嘆いているのがわかった。そのくらい、ここの使用人たちから夫婦は愛されていたのだ。
ピタリと不意に爺が立ち止まった。
何事かと廊下の先に視線を向ければ。
「……レヴィーレ…………」
「あれ? おじさんだぁ!」
レン・ヴィオクの唯一の生き残りとなってしまった、レン・ヴィオク=レン……レヴィーレが、そこに居た。
レヴィーレはその顔に満面の笑みを浮かべながらこちらに走ってきて、数歩手前で立ち止まり「こんにちはっ!」とお辞儀をする。
「……うん、こんにちは、レヴィーレ」
「よーこそ! えっと、とーさんとかーさんなら、今日まだ帰ってきてないよー? どしたのー?」
「……」
無垢なこの子は、どうやら私が両親に用があると思ったらしい。間違ってはいないのだが、『まだ帰ってきていない』という言葉にちらりと爺を見た。彼は真っ赤な目を潤ませ、僅かに首を振る。
そんな爺の様子に気付かないレヴィーレは、キョロキョロと何かを探すように顔を動かした。
「あれ? ねえねえおじさん、ガヴァルとガヴィーは?」
「ああ……二人はちょっと、用事があってね。今日は伯父さん一人なんだ」
「なーんだ、そっかぁ。じゃあおじさん、おじさんのようじが終わったらぼくと遊んでくれる?」
「ああ、いいよ」
「やったあ! じゃあ早く終わらせてね!」
早くおとーさんとおかーさん帰ってくるといいね! と言って、レヴィーレは私が来た道を戻って行った。多分、外に出て遊ぶのだろう。今の本人の中での流行りは『庭を走り回って姿を消し、使用人たちを困らせる』ことだと聞いている。
ぶんぶんと元気よく振られる手に、ひらひらと手を振り返し。レヴィーレが見えなくなってから、手を下ろした。
「……爺」
「……はい」
「葬儀は、身内のみでひっそり行う。分家や他家に向けては私が説明しよう。だから、レヴィーレも参加させよう」
「……レヴィーレ様もですか? しかし……っ」
「ずっと黙ってはいられない。それに爺にもわかっているんだろう? このままだとレン・ヴィオクは消える」
ぐっと押し黙ったのを見て、そっと息を吐く。
確かに、3歳の幼子に両親の死を理解させることも、説明することも難しいだろう。だが、その最期の時に一緒に居られなかったことは後々響いてくる。
それに、レヴィーレはあのオストとカルラの子供だ。今は理解できなくとも、時間をかけてゆっくり理解し、己のことを考えられることができる筈だと信じている。
爺はくしゃりと顔を歪めつつも、それが最善であると理解できたのだろう。ゆっくりと頭を下げ、「ラハト様の仰る通りに」と言葉を紡いだ。
「ありがとう。……すまないな、迷惑ばかりかける」
「いいえ。ラハト様がレヴィーレ様のことを考えて下さっているのをわかっております。爺は、ラハト坊っちゃまの味方でございますよ」
「ありがとう」
まずはこの後やるべき事を終わらせることだと、改めて気持ちを切り替える。
ガルとして、兄として。二人が残した、レヴィーレに何ができるかを考えなければならない。
そうして私は、爺の案内で書類の元へと向かった。




