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「師匠!」
「やあレヴィーレ、元気そうですね」
そう言って朗らかに笑うのは師匠──レオルドさんだ。雪の白さに負けないほどの艶やかな白髪と、イタズラが成功した子供のような煌めきを灯す赤茶色の瞳は、まるで野山を駆け回る白うさぎのようだ。……この世界にうさぎっぽい生き物がいるのは図鑑で見たが、果たして私の知るうさぎなのだろうか。
「もう、師匠! 一歩間違えたら私死ぬところでしたよ!」
「あはは、ごめんなさい。でも、レヴィーレなら避けれるって思ってましたから」
まあそれでも不意打ちを狙ったつもりだったんですけどねと零す彼の右手には、先ほど私に振った抜き身の剣が握られていた。
不意打ちを狙ったとはいえ、絶対に手加減をしているのがわかるくらいにはわかりやすい剣だった。私が転がって避けたことに驚いていたようだけど、アレ避けないと普通に私の首転がってましたからね? 手加減していたとはいえ容赦なさすぎでしょ?
師匠はするりと剣を鞘に仕舞うと、転がって汚れてしまった私に近付いてくる。そのまま両脇に手を差し入れ抱え上げられた。
師匠は確か、今年で15歳だった筈。前世で言うところの中学三年生だが、この世界では既に大人として扱われているらしい。正しくは14歳から大人扱いらしいので、“人間に成って”から9年で大人扱いってどうなんだ? いいのか? うーん、平和な日本で暮らしてきたからかちょっと理解しにくい。中学三年生は、私の中ではまだ子供なのだ。
しかし師匠は強い。『ガル』の剣の家庭教師にとされるくらいには実力があった。詳しい個人情報は知らないが、使用人の噂話によると王城の一番隊に属しているらしい。そんな人が家庭教師とかいいんですか? っていうかそんなに強いんですか師匠、若いのに凄いですねと言いたかったが、私はこの情報を知らない設定のため普通に凄い凄いと褒めるしかない。
10歳で軍隊学校みたいなところに入学し、実力でのし上がって一番隊に入団したそう。それでここに家庭教師として週に一度派遣されているので、まあ新人の業務の内なのだろうか。
「暫く顔を見なかったから心配しました。熱が出ていたようですが、もう大丈夫ですか?」
赤茶の瞳に心配の色を乗せ、困ったように眉を下げる。そういえば二週間顔をあわせなかった。いや、祖母の突撃で稽古が潰れていたから、丸四週間顔をあわせていなかったことになる。
「心配かけました、もうすっかり元気です!」
「そうですか、それは良かったです」
両手を握り締めふんすと宣言すると、師匠はにっこりと笑って──私を抱き上げた手に力を込めた。
あれ、なんかヤバいぞ? と思った時には既に遅く、師匠はぐっと私の身体を持ち下げたかと思うと──
──空に投げた。
「っみゃああああああ!!?」
そう、それは前世で言う『高い高い』だった。ただ、あまりにも対空時間の長い──ただの『高い高い』ではなく、もはや嫌がらせの──それは、彼の“お仕置き”だった。
危なげなく落ちてきた私をキャッチして、またリリース。飛ぶ。飛んでる。耳元を過ぎる風の音がやばい。
「病み上がりなのに、どうして早朝にジョギングしてるんでしょうねえ?」
「しょれっ、はっ! し、しょう、がっ! ま、まいあさ、や、れって……!」
「言いましたけど、常識的に考えて病み上がりで走っちゃ駄目でしょう? ああ、ごめんなさい。あなたにはまだ常識がどうなのか知りませんでしたっけ。僕はあなたのことを頭がいいと思っていたのですが、買いかぶりすぎでしたね。すみません。ああ……もしかして熱がある時にも走りました?」
「はひ、って、ないっれすぅ!!」
にこにこ笑いながら、師匠は何度も私を『高い高い』する。15歳の子供の何処にこんな力があるのか不明だが、問いかけながらもその行動が止まることはない。うっ……なんか気持ち悪くなってきた。
「流石にそれで走りはしなかったのですね。……おや、気分が悪そうですね、大丈夫ですか?」
やっと『高い高い』が止まったが、その手は未だ私の両脇を掴んだまま。
はひはひと息をしながら、師匠を見つめる。若干ぼやけて見えるのは、恐らく涙目になっているからだろう。別に高所恐怖症ではないが、三階にも届く距離を投げ飛ばされたら誰でも涙目になると思う。何度もバンジージャンプをやるようなものだ。
脇下を何度も掴まれたが、師匠は勢いを殺すのが上手いらしく全く痛みは感じない。ありがたい、ありがたいが──そんなありがたみ要らなかった!! すぐ解放して欲しかった!!
「しっ、師匠も……病み上がりの子供にこんな扱い、ひどくないですか?」
「“こんな扱い”をさせたのは誰ですか?」
「……私です」
「今騒ぎが起きているようですが、それは誰のせいですか?」
「…………私です」
「悪いのは誰ですか?」
「………………私、です」
「そうですね」
にっこり。
師匠はいい笑顔で頷いて、私を片手で抱えた。荷物のような扱いに文句を言う元気もない。というか、文句など言えない。
──師匠のドSめ。
言えばまたいい笑顔で投げられるであろう言葉を脳内で呟いて、私はがっくりと項垂れた。




