023
ああでも平民になるのはいいかもしれない。“私”の常識がここの平民にどれだけ差異がないかは不明だが、別に平民として生きていくことにマイナスな感情は持っていない。祖母みたいな『完全な貴族』であれば、平民落ちは死ぬよりもなりたくない屈辱的な行為だろうが。
別に平民になることはいいのだが……伯父や伯母は止めるだろうなぁ……、ガヴァルやガヴィーも止めてくるだろうし、そうなると養子になることになるだろう。
それで男に成れば、跡継ぎ云々の問題についてもわからなくもないが、長男を差し置いて跡継ぎになる意味も、養子である私にそういう話が来る意味もわからない。
つまり、私が知らない『跡継ぎに担ぎ上げられる要因』がまだ存在するのだ。長男を差し置き、いずれ男になるだろうガヴァルも差し置き、養子になるだろう私にある『立場をも顧みない強み』が。
「──あら、もうこんな時間? 長居しすぎたわね」
「えっ?」
徐にそう言うと、その巨体を揺らし立ち上がる祖母を止める術を持たない私は戸惑うばかりだ。
「まだもう少し──」
「わたくしも暇じゃないのよ。またの機会にしましょう」
──暇じゃないならそもそもここに来なければいいのに。
そう思ってしまったのは仕方のないことだろう。だってきっと、祖母が来なければこんな悩みもなかった。しかし、話を聞くとどちらにせよ時間の問題なところがあるから逆によかったのだろうか? 感謝はしないけど。
祖母はそのまま扉へと向かい、使用人が開けるとそのまま部屋の外へと出る。そのまま玄関ホールへと続くため、帰るのは容易だろう。──家主に挨拶なくこのまま帰るつもりだろうか。
玄関の扉が開き、外へ出ていく前にその歩を止めた祖母は私を振り返った。日の高さに昼近く、もしくは昼過ぎくらいになっていたことに気付いた。朝の唐突な訪問から考えると、思ったより時間が経っている。
図々しい祖母のことだから、昼食も取ろうとするのではと思っていたがそうではないらしい。……まあ、そうなるとついてきた使用人たちの飯が大変なことになるか。そこらへんはちゃんと考えられてんのかな。
「じゃあ、また来るわ」
「……どうぞお元気で」
「ふふ、あなたはいずれ自らわたくしに会いたいと望むわ」
「……」
ああ、そうなんだろうなと漠然と思う。
本当に──心底癪だが、私を利用しようとする祖母の方が、私にとって有益な情報を与えてくれるだろう。伯父や伯母には感謝してもし足りないが、きっと私を守ろうと動いてくれて、私が知らない間に全てが終わっている気がする。私を守るために動いてくれるのはありがたいが──迷惑を、かけたくはないのだ。
……そうだ、どうして忘れていたのだろう。あの時伯父は、ヒントを出してくれていた。もしかしたらつい零れてしまっただけかもしれないけど。
「それでは御機嫌よう」
祖母はそう言うと、そのまま出て行った。閉じられた扉越しに、大量に何かがすり歩くような音が聞こえる。この世界の移動手段を見たことが未だないが、何か乗り物があるのだろうか。魔法があるし空飛ぶ絨毯とか箒とかで移動してたら夢が広がるんだけど。
と、不意に肩を叩かれた。振り向くと、タリアさんが心配そうな顔でこちらを伺っている。
「大丈夫ですか?」
「え?」
「え? あ、いえ……何度呼び掛けても何の反応もなかったので」
ありゃ、どうやらぼーっとしてしまっていたらしい。
なんだかんだで祖母の相手をするのは疲れてしまったようだ。自覚はなかったが、そう思うとちょっと身体が怠く感じた。
「ああ、うん……大丈夫。でも今日はもう休もうかな。タリアさんもこれからお昼でしょ? 部屋には一人で戻れるから、食べに行っていいよ」
「しかし……」
「お願い。ちゃんと戻るから」
一人になりたいという私の願いに気付いたのか、タリアさんはそれ以上何も言うことはなくそっと礼をして下がっていった。
なんだかいろんな情報で頭がパンクしそうだ。
祖母が私を女にして王子と結婚させようと企んでいたのは想定内だ。しかし、男になればガル・ヴィオク家に迷惑がかかってしまう? レン・ヴィオク家はもう、潰えるしかない……?
ああ、駄目だ。頭が痛い。
私はそっと頭に手をやり、俯いた。
ここに引き取られる時、伯父は言っていたはずだ。レン・ヴィオクのままで、大きくなったらこの家に戻ってもいいと。伯父の優しい嘘だったのだろうか? それとも没落した家名の保護が一年間というほうが嘘? 伯父に聞かなければいけない。話してくれるかどうかはわからないが、聞いて──聞いて、どうしよう?
頭を押さえていた手を眼下に持ってくる。とても小さくて細い、頼りない白い手。剣術はしているが、それでもまだ子供の細い手だ。
私は改めて、己の無力さに拳を握りしめた。




