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お茶会にと用意された部屋は、いつも淑女の練習をしている薔薇園に面した部屋だ。大きくとられた窓からはサンサンと日光が降り注ぎ、薔薇園の美しさを部屋から堪能できる。バルコニーから出れば、そのまま薔薇園を散策できるとても明るい部屋だ。
昔、祖母が本家の夫人だった頃のお気に入りの部屋だそうで、先に部屋のソファに寛いでいた祖母は満足そうに庭を眺めていた。寒さが目立ってきた時期ではあるが、庭師の手入れがいいのか薔薇は綺麗に咲き誇っている。冬に咲く品種なのだろうか? あとで聞いてみてもいいかもしれない。
「お待たせいたしました、お祖母様。このお部屋はお祖母様もお気に入りと伺っております。どうぞごゆっくりお寛ぎなさってくだされば嬉しく存じます」
「ええ、そうねそうするわ。それにしても偉いのねぇ、ちゃんと立派なレディじゃない。この前会った時はどうなるかと思ったけれど、しっかり喋れるのね」
おほほと笑う祖母に、思わずひくりと笑みが引き攣る。
女性用の柔らかい言葉──ですわとかなのねとかそういう語尾だ──は、種類があって発音が意外と難しい。丁寧語とか尊敬語とか細かい種類があるのは日本語だけだ〜と思っていたが、勉強すればするほどこの世界の言葉にも似たようなものがあったのだ。
もちろん、「私」は一種類しかないが、その他の語尾や言い方で「俺」や「わたくし」になる。それに気づいた時の衝撃と言ったらなかった。──まあ、そう翻訳しているのは私だけで、本当は皆「私」と言っているだけかもしれないが。
要は勝手に『この人の一人称は“ぼく”っぽいな〜』と耳で拾って当てはめているだけなのだ。まあ、女言葉や男言葉があるのは確実だ。少なくとも、女の教養の時と男の教養の時とで喋り方は変えるように指導されている。ガヴァルやガヴィーも、前は同じ口調だったのに今では普段から少しずつ差異が出てきている。ガヴァルは男っぽく、ガヴィーは女っぽくだ。
この前会った時は男口調だったため、今の女口調に満足しているのだろう。どんな喋り方だろうが私は私だ。若干キレそうになりながらも、「まだまだ勉強中の身ですので」と言葉を濁す。
ていうか、私まだ4歳だよ? “私”を思い出してからは本当の精神年齢は20歳越えてるとは言え、普通本物の4歳児にそこまで言う? むしろ4歳としたら出来すぎてると思うんだけど……、……出来すぎてるよね?
若干自信がなくなってきたが、祖母は4歳児に求めるレベル以上のものを求めていると思う。これが嫌がらせからなのか、本気で言ってるのか判断しかねるが──恐らく本気、なのだろう。
私はまたしっかりと笑顔をつくると、祖母の向かいに腰掛けた。控えていた使用人がさっと紅茶とシフォンケーキを用意してくれる。私は食べられないが、勉強のために私の分も用意された。
さて、恙無くお喋りを──と言いたいところだが、苦手意識のある祖母と有意義な時間が過ごせるとは到底思っていない。当たり障りのない返答と質問を繰り返し、どうでもいい話題をさらりと流す。笑顔を貼り付けたまま話半分に適当に対応していた。(こんな4歳児私なら絶対ごめんだ)
「5歳の誕生日、女の子を選ぶのよね。そうしたらお祝いに素敵なドレスを作らせてあげるわ! お揃いの髪飾りと靴も買ってあげましょう。綺麗な髪だからなんでも似合うわねぇ、きっと美しくなるわ」
笑みを保ったまま私は固まる。
──きた。しかも断言してる。
私は一言も『女になりたい』とは言っていない。男になりたいわけでもないが、でも女には女の、男には男の利点があって迷っている段階だ。もし“私”がどちらの性別だったかを覚えていれば、どちらにするか決めることは容易だったのかもしれない。
しかし、こうして断言されると──女になる気が一気に萎えた。天邪鬼なのだろうか? ……いや、もし伯父さんに言われたら成ると決めるだろうし、言ってくる人間が問題だろう。
「……私はまだ、どちかにするか決めておりませんので」
「あら、何を悠長なことを言ってるの? そうやって決めかねて両方の教育を受けていたら、最初から片方の教育を集中して受けている子に負けるのよ?」
「…………」
祖母の言っていることはわかる。
ガヴァルは男の教養、ガヴィーは女の教養と、最初から完全に集中して受けていた。ひと月ほど早い誕生日のお陰でどちらの教養もまだ二人には勝っているが、それも時間の問題だろう。
座学はほぼ最初から二人とやっておらず比べることは出来ないが、教師や周りの反応からして大分差をつけているらしい。双子は机の前でじっとすることが苦手らしく、あまり進んでないようだ。精神が大人である私は特に苦じゃないので、暫くは座学は負けないだろう。
双子は“本当の4歳児”だ。私のような狡く歪な存在ではない。
『好きこそ物の上手なれ』という“私”のところにあった言葉からしても、二人は楽しんで、自ら進んで男女別の教養を受けている。
『二兎追うものは一兎も得ず』。──祖母はそう言っているのだろう。中途半端にやっていて、最後に得られるものは果たしてあるのだろうか?




