桜の木の下で
「私、あなたのこと嫌いじゃなかったわ。」
桜の下で彼女はそういった。弧を描く唇とは対称的に目はそっと伏せられている。嫌いじゃなかった。かみしめるように、ほとんど吐息のように彼女はそう言った。
「でも今は嫌い。」
はっきりと吐き出されたその言葉に彼女自身は傷ついたようにきつく目をつむる。その白いほほに一筋、涙が伝った。月明かりに照らされてきらりと光るそれが、きつくかみしめられたその赤い唇が、固く閉じられた目が息をのむほどに美しく見えて。だけどもなんでか見ていられなくて、隠すように僕は彼女を抱きしめた。温かさがじわりじわりと服越しに伝わってくる。僕は小さく笑って春の訪れみたいだなんて呟いた。
「バカ、あなたってほんとにバカ。」
湿った声がそう毒づく。
「こんな手紙最後に渡すんじゃないわよ。」
あぁ、やっぱり怒られちゃうのか。思わず苦笑いしてしまう。
「あなたは遠くに行っちゃうけど、私はこれからもこの町にいるのよ?春に桜を見たあの公園も、涼みに行ってたあの図書館も、いつも焼き芋を食べるあのベンチも、冬の朝に寒いねって笑いあいながら歩いたあの道も。私は見るたびにきっとあなたを思い出しちゃうの。あなたがいない町で、あなたとの思い出があふれる場所で私はずっとあなたを探すのよ。」
彼女の涙が地面にシミを作る。ごめんね、と僕は心の中で謝った。
「もう行かなきゃ。」
腕の中から彼女を開放する。
「もう行くのね。」
赤い目でまっすぐに見つめられて思わずドキリとする。名残惜しさはあるものの、もう行かなければいけない時間だ。
「・・・またね。」
寂しげに彼女は笑った。
最後であろう彼女の学生服を目に焼き付ける。
うん、またね。
だいぶ遠ざかった中で僕ははっきりとそう言った。彼女の目が大きく見開かれる。聞こえてたらいいな、なんて思いながら僕は
慣れ親しんだこの町を後にした。
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