コロナ1
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四時間目の授業が終わって二本木が話しかけてきた。
「よーくみると、うちのクラスにもカップルが増えたな」
男女一組で教室から出て行く姿が目についた。
僕は、昨日からコロナのことで頭がいっぱいで、周りのことなど気にもとめていなかった。
「夏休み前に何とかカタをつけようとがっつきやがって」
「そうだな」
「くそお…俺もコロナちゃんにもう一度アタックしにいこうかなあ…」
「やめとけ。殴られるぞ」
「だからさ。手伝ってくれよ」
僕は、嫌気が差した。コロナの面倒を見なくてはならない上に、こいつの世話までさせられるのかよ…
「二本木、用事があるから」
彼女が、学校へ来ているか確かめなくてはならない。
「用って?」
「相談室だよ」
「あのでっかい姉ちゃんのところか。お前も好きだね。俺は全然タイプじゃねえからいいけど」
二本木は、僕の胸をつついて、卑猥な笑い方をした。エマさんは、今学校には居ないし、誤解を解くのも面倒だった。
コロナのクラスに立ち寄っみたが、案の定、彼女は登校していない。
僕は、女子寮へむかい、寮母さんにコロナを呼んで来てもらうように頼んだ。僕のことを覚えていてくれたみたいで、今度は親切にしてくれた。
「言っても聞かないのよ。昨日から学校に行かないし、わたしも困ってるの。昨日、同部屋の子が停学になってね。そのせいだとは思うんだけど、夕食時になっても出てこなくて。あの子なに食べてるのかしら?」
「部屋の前までいっていいですか?僕が、外に出てくるように言います」
「あなたは、あの子の恋人なのね」
「いや…あ…どうでしょうね…」
否定すると中に入れてもらえそうになかったてので、笑って言葉を濁した。
「女子寮は基本的に男子禁制だから。入ったこと、言いふらさないでね」
なんとか部屋まで案内してもらえた。昼休みなので、寮に住んでいる子達は、学校にいるから、女子寮の中はとても静かだった。
僕は、コロナの部屋の扉をノックした。
「コロナ、キスケだよ。話したいことがあるから、出てきてくれないか?」
応答はない。
寮母さんが、扉の鍵を開けてくれた。
部屋へ入っていくと、冷蔵庫の前に冷凍枝豆の袋がたくさん散らばっていた。寮母さんがそれを拾っていく。
コロナは、隅のベッドで布団を被って寝ていた。
「なあ、起きてくれよ」
「みんな心配してるのよ。立花さん」
「だれも心配なんかしてない!」
寮母さんは、困った顔で僕に助けを求めた。
「学校にこいよ。お前のことエマさんに頼まれた」
「うるさい!エマちゃんなんか嫌いだ!こんな学校嫌いだ!みんないなくなった!みんないなくなれ!」
「僕は、どうすればいいんだよ…」
寮母さんは、あきらめて、外に出た。
それからも僕は、コロナに声をかけ続けたが、返事はなかった。
「授業、終わったら、僕は、相談室にいるよ。ずっと待ってるからきてくれよ」
僕は、コロナに頼られてもいないし、それほど好かれてもいないようで、がっかりした。
相談室は、仲介所の倉庫になってしまったので、僕はドアの辺りに座り込んだ。そして、ポケットから、エマさんに預かったコロナの通帳を取り出して、時間をつぶすため、眺めた。
「立花刹那…」
都川刹那という子を父さんから始めて聞かされて、小さいときから思い描いていた女の子と立花コロナは、大きくかけ離れていた。
僕の中の都川刹那は、清楚で大人しかった。でも、実際は、意固地で、とてつもなく喧嘩っ早い、弾丸のような娘だった。
コロナと話したいとはいったけれど、考えれば考えるほど何を話せばいいのかわからなくなってきた。
―僕は、君とは結婚できない―
と、でもいうのか。馬鹿馬鹿しくて笑いがこみ上げてくる。どうしてこんなことになったんだろう…
通帳の残高は、大金が入っていた。しかも、毎月二十五万づつ振り込まれている。エマさんが僕にこんなものを渡したからこんなことになったんだ。こんなものさえなければ、コロナの本当の名前を知ることもなかったし、今までどおり、コロナと馬鹿をやりながら気楽に遊べたのに。
眠い。昨夜はあまり眠れなかったので、うとうとしてきた。
…
足音がして、顔を上げると、コロナが、廊下を歩いてこちらへ向かってきていた。しっかり制服を着ている。僕は、なんだか緊張して、声が出なかった。
コロナは、無言で僕を通り過ぎ、扉の前に立ち、仲介所の張り紙を睨んだ。
「これ、なに?」
「相談室は使えないよ。エマさんから聞いてないのか?」
コロナは、張り紙を剥がして、ドアノブを揺さぶった。鍵がされているからガタガタ、音が鳴るだけだ。そして、彼女は、扉を蹴りはじめた。
「やめろよ」
「北は?あたしの神様は?ミズリの看板は?エマちゃんの棒は?」
「人形と猫は僕の家にあるけど…あとは、全部焼却炉に捨てられてる」
「あいつら、許さない!」
コロナは、張り紙をくしゃくしゃに握りつぶして手のひらの中へ収めた。
「待てよ!どこへいく?」
「ですわますわ女、やっつけて、ミズリもエマちゃんもとりもどすんだ!」
「そんなことできるわけないだろ!」
「キスケも戦え!」
「お前は、どうしてそうなんだ…僕はエマさんじゃないんだぞ…」
「もういい。一人でいく」
僕は、コロナの二の腕をぎゅっとつかんだ。
「エマさんは、水利ちゃんの結婚式でのこと、全部被ってくれたんだぞ!お前が、あそこで問題をおこしたら、仲介所になにされるかわかったもんじゃない!エマさんのしたことが無駄になるだろ!その気持ち、わかれよ!僕だって、お前がいなくなったりしたら…」
「はなせ!」
コロナのパンチが飛んでくるが、僕は、後ろに退いてかわした。間髪おかずに蹴りがくる。
腕でガードできた。続けざまにパンチがきたので、手のひらで受け止めた。僕は、コロナの拳を握りしめる。この攻撃パターンは、コロナが練習しているのを何度も見ていたのだ。
「いつもやられているばかりじゃいられないんだよ」
僕は、かっこつけて不敵に笑ってみせた。
彼女も僕を真似てふふふっと笑う。
「頭、冷えたか?」
と思ったが、コロナは、僕の足を踏みつけた。スカートをはためかせて駆けていく。
「ちっくしょ…いってえ」
足の痛みを我慢して、追いかけた。けれど、あいつときたら、ものすごい駿足で三段飛ばしに階段を駆け下りていって、すぐに見えなくなった。
行き先はわかっている。
全速力で仲介所までたどり着いた。騒ぎらしい騒ぎは、おきていないみたいだ。
仲介所の両開きの扉を真っ直ぐ見据えると、そこには、張り紙が張られていた。『結婚仲介所・第三倉庫・部外者立ち入り禁止』と書かれている。
あたりには、コロナも仲介所の連中も見当たらなかった。
あいつ、僕の言ったことをわかってくれたのかな。
僕は、まだ心配だったので、コロナがまた現れないかと隠れて見張った。
しばらくすると、仲介所の男たちが、帰ってきて、張り紙を剥がした。
「だれじゃあい!こんに舐めたことしくさったんわ!」
男たちが、怒声をあげて、犯人を捜し出した。僕は、そこを去り、他にコロナが行きそうなところを回ることにした。
女子寮の寮母さんを再び訪ねた。
「帰ってきてないわよ。あの子、急に飛び出していったけど、なにかあったの?」
「なんでもないです」
「何はともあれ、外に出ることはいいことよ。恋人くんの台詞が効いたのね」
そんなことを冗談めかしていう寮母さんに僕は、腹が立った。
焼却炉や相談室を何度も往復したけれど、コロナの姿はどこにもなく、それでも僕は、学校中をさまよい歩いた。この学校は、高校区画だけでもとても広い。いくらなんでも大学区画や夫婦区画まで足を伸ばせなかった。
最終下校時刻が近くなり、とうとうあきらめて校門を出た。
歩き詰めでのどが渇いた。自動販売機で飲み物を買った。
その場に腰を下ろして、休んでいると、誰かに見られている気がした。車道を隔てた反対側の歩道の電柱にコロナが身を潜めていた。ばればれだった。
まさか、今まで僕をつけていたのだろうか。僕は気づかないふりをして、歩き出す。
と、見せかけて、突然、振り向いてみる。彼女は、僕に見られまいと反対側の歩道を逆方向に走った。
構わずに僕は、歩いていった。後ろをちょくちょく確認したら、コロナは、あきらめて隠れるのをやめたようだった。僕の歩いている道に渡ってきて、少しずつ近づいてくる。僕は、黙っていられなくなった。
「寮に帰れよ!僕は家へ帰るんだ!」
「か、買い物にいくの!同じ道、歩いてるだけ!」
十メートルくらいの間隔を保ち、それ以上は寄ってこない。僕は、歩いて、そばへいこうとしたが、コロナは、逃げた。
彼女が、何かブツブツ、言っている。車が行き過ぎる音で聞こえなかった。
僕たちは、結局、駅に着くまでこれを繰り返した。
「いいかげんにしろよ」
「あ、あたしの神様と北、返して」
「神様は、明日、もってきてやるよ。けど、猫はだめだ。飼えないだろ?」
駅構内に入ろうとしても、コロナは、立ち去らなかった。
ずっと距離を開けて見つめあった。
「じゃあな。寮でしっかりご飯食べろよ」
「キスケの弱虫いいいいい!」
ようやくコロナは、帰っていった。さすがに、この時間になると仲介所には誰もいないだろうと思う…僕は、へとへとだった。電車の中で眠りこんでしまい、降りる駅から三駅も寝過ごした。家へついたら、何も手につかず、ベッドに崩れ落ちた。
携帯電話の着信で目が覚めた。時計を見ると、午前四時だった。こんな時間にかけてくるなんて非常識だし、まったく知らない番号だったが、エマさんかもしれないので、取った。
「はい、半井です」
「キスケさんですか…?水利です…」
「水利ちゃん!?」
「朝早くにごめんなさい」
「そんなのいいよ。どうしたの?新婚旅行は?楽しめた?」
結婚式で水利ちゃんを連れ出したことで彼女を苦しめたかもしれないというのに、僕は、何を間抜けなことを言っているんだ。
「はい、おととい、帰ってきて、今は、夫婦区画にいます」
「…ごめん」
「どうして、あやまるんです?」
「なにもできなくて」
「キスケさんのおうちにお邪魔できてよかったです。この水利にとって、なににも変えがたいことです」
「皆藤や真冬さんなんかに責められたのかと思って…」
「キスケさん、そんなこと考えないでください。水利は元気です」
水利ちゃんはそういうが、彼女は夫婦区画で好きでもない相手と当分、一緒に暮らしていかなくてはな
らない。僕なら、我慢できない。
「あまり長く話してはいられないんです…寮の公衆電話からかけていて」
「そうなの?一度切って、かけ直そうか?」
「いえ…大丈夫です。あの…昨日の夜、寮にコロちゃんがきたことを話したくて」
「寮って…夫婦区画の?」
「はい…皆藤さんがすぐ寮長さんに知らせにいったので、水利は、コロちゃんを追い出してしまったんです」
駅で別れた後、あいつは、夫婦区画までいったのか!
「あの馬鹿…」
「キスケさんとエマさんもきていると思ったんですが…」
「え?いや…僕は…」
水利ちゃんは、エマさんが停学になったことを知らないようだった。そうだな。彼女が知れば、変に気をもむだけだろう。
「コロちゃんは、ちゃんと逃げられたみたいですけど…エマさんの電話にはつながらなくて…お願いです。無断で夫婦区画に入って寮に忍び込んだりしないでください…水利は、たくさん、みなさんに助けられましたから…コロちゃんに…やめてと伝えてくださいね…」
「本当にごめん。二度とさせない」
「ちょっとだけの辛抱です。水利は相談室に必ず帰ってきますよ」
受話器の向こうで水利ちゃんが、控えめに笑っていた。
「そうだね…ちょっとだけ」
そして、水利ちゃんは、お礼を言って電話を切った。相談室が無くなったことを僕は言い出せなかった。
学校にいくのは、憂鬱だった。僕は、コロナにものを言い聞かせる自信がなかった。コロナと顔をあわせる気が起きなくて、その日は、ほとんど教室にいた。
放課後になって、寮母さんにコロナの居場所を聞きにいこうと思ったが、その前に相談室へよった。
部屋のドアノブが壊されて半開きになっていた。注意して静かに中へ入ると、仲介所が運び込んだと思われる古いソファの上でコロナが丸くなって眠っていた。
頬をつついても起きない。熟睡しているようだった。
僕は、エマさんのデスクにコロナの人形を置いて、彼女を揺さぶった。
「なあ、起きろよ」
彼女は身を起こして、僕の顔を寝ぼけ眼で見ていた。
「あたしの神様は?」
僕は、エマさんの机を指差した。
「昨日、僕と別れてから、どこへいった?」
コロナは、顔を強ばらせた。
「水利ちゃんから連絡があったぞ」
はっとして僕から目を背けるコロナ。
「昨日、僕が言ったこと、わかってくれたと思ってたよ」
「ミズリは助けられるんだ。カンタン。あそこすぐ入れる」
焦ったように早口で言うコロナ。
「助けてどうする?水利ちゃん、助けてって頼んだか?」
「ミズリは嫌がってる!あたしには、わかるんだ!結婚式のときも!」
「僕たちのしたことは、何にもならなかったろう?お前が、好き勝手、水利ちゃんのところにいけば、水利ちゃんが苦しむ。お前が、暴れたら、みんな迷惑するんだぞ!」
「キスケは、弱虫だからそう思うんだ!どうして、手伝ってくれないの!」
「僕の言うことは聞いてくれないんだな」
僕はきつい口調で言い放った。コロナは膨れて、自分の膝をトントン軽く叩き、落ち着かない素振りで言った。
「弱虫はあっちいけ。あたしだけで水利もエマちゃんも取り返すもん」
「そうか…」
心底、落胆した。涙が出そうになった。
「水利ちゃんは、一年すれば帰ってくる。エマさんもいつか。でも、僕は、付き合いきれない。面倒に巻き込まれたり、お前を探して走り回ったりするのは、もう嫌なんだよ」
僕は、エマさんから預かったコロナの貴重品を無理やり彼女の手に持たせた。コロナは、驚いていたが、構いやしなかった。
「…それじゃ、都川刹那さん」
その名を呼ぶと、先にコロナのほうが、部屋から消えた。
あの人形が残っていた。目障りだった。
「なにが神様だ」
人形を窓から落とした。建物の下の木の密集へ転がった。
エマさんとの約束を破ってしまった。けれど、僕にあいつを押し付けたエマさんが悪い。はじめから、僕の手に負えるやつではなかったとエマさんもわかっていたはずだ。そうだ。これで、立花刹那、いや、都川刹那との結婚のことで煩わされることもなくなった。これでよかったんだ。
気が楽になったと思ったが、熱いものがこみ上がってくる。目を拭うと扉が開いた。
「コロナ?」
「おーキスケくん。このドアどうしたがか?」
エンジェルさんが、ドアノブをがちゃがちゃ、いじくった。
「それは…たぶん、コロナが壊して…」
「うははは、コロさんは、元気じゃのお」
おおらかに笑ったエンジェルさんは、例のエケコ人形を手にしている。
「ほんで、コロさん、どこにおる?永夏さんに様子見てきてくれと頼まれたがじゃ、キスケくんもな。寮におらんから、ここじゃとおもて」
それを聞いて、僕は、申し訳ない気持ちになった。
「実は、さっきコロナと喧嘩してしまって…」
エンジェルさんは、僕の隣へ座った。
「なんで喧嘩したが?」
「昨日、夫婦区画の水利ちゃんに勝手に会いにいったようで…さっきそのことで怒ったんですけど、言っても聞かなくて、あいつ、僕の手に負えません…それに仲介所へ殴り込もうともしたんですよ」
「怪我はないようじゃ。物、投げあっちゅうかと心配したぜよ。これ」
「人形は、僕が捨てたんです…」
「人のもの、捨てちゃならん。コロさん、大事しとるじゃか?」
「もともと、それは、僕が捨てたものをコロナが拾ってきたものなんです。その人形は、疫病神ですよ。ろくなことが起きない。エンジェルさんとはじめて会ったときもここから捨てたんです。これ呪われてますよ。その度に何度も戻ってきて、ほら今だって」
「んな、あほなこと…」
エンジェルさんが、手の人形を見つめていた。重苦しい雰囲気が、部屋の中に充満していく。
彼は、額の傷口を指でなぞった。人形についたマキビシが刺さった傷の跡だ。僕は、思わず話してはいけないことを口走ってしまっていた。
エンジェルさんに胸倉をつかまれる。
「わしに人形ほったんわれかあああああああああああ!」
「すみません!ごめんなさい!」
「ずっと黙っちょったか!」
「事故なんです!事故!」
エンジェルさんは、僕を投げ出すように椅子へ座らせ、黙っていなくなった。
これで僕と相談室の関係は、終わりだと思った。




