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よめかよ  作者: FT
8/11

水利ちゃんの結婚式3




3




 僕らは、講堂の裏側へ回りこんだ。非常口から忍び込み、一目を避けて、二階に上がった。


 二階は、使われていないようで、人がいないことをエマさんは、知っていた。ここの構造は、吹き抜けになっていて、一階ステージとフロアを眺望できるように座席が取り付けられている。そこから、僕たちは、姿勢を低くして披露宴の様子を窺った。フロアには、大きな丸いテーブルがいくつも置いてあり、来賓客が、座って食事をしていた。大きな講堂のフロアをすべて多い尽くすテーブルの数だから、かなりの人数だ。


 今は壇上でお年寄りが、マイクの前に立ち、何かを喋っている。祝辞というものだろうか。


「「昨今は、世間では晩婚化が進んでおりますけれど、本学校の学生同士の結婚を薦めるのは、人生における夫婦というものの役割を早期に教えるものであり、人生のあり方は、良き伴侶を得て全うされ、ひいては社会に貢献にもなると考えます。昔は、元服すれば結婚し、男としてのケジメを一手に担うことが通例でしたが、戦後以降、社会の退廃が進み…」」


 入学式にも学園長が、同じようなことを言っていたな…


「…あのジジイ、あれしかいえねえのか…」とエマさんが吐き捨てた。


 肝心の水利ちゃんは、舞台の上の真ん中の席で顔を伏せていた。純白のウエディングドレスを着ているというか、あまりにもドレスの飾りが多いのと、水利ちゃんの体の小ささでドレスに彼女が埋まっているという感じだった。隣には、白いタキシード姿の皆藤もある。


「こんなんで水利ちゃんを連れ出せますか…」


 エマさんは、考え込んだ。


「お色直しがあるはずだから、水利が、着替えをする部屋へいくまで待とう。着替えをする場所はだいたいわかる」


 学園長の長い長い祝辞が終わり、ウエディングケーキが切られ、乾杯の音頭がとられた。


 その間に僕たちはエマさんの考えた即席の作戦を準備した。


「ちょっとした騒ぎを起こして、水利を連れ出す。真冬さえ引き付けていれば、あとは雑魚ばかりだ」


 エマさんは、自分の携帯電話を僕のスニーカーの靴ヒモを使って猫の首輪へ結びつけた。


 下で、何人もの給仕が料理をテーブルに運び始め、フロア内が、さらに忙しなく人で満ちた。


 ほどなくして、水利ちゃんが、席を立ち、付き添いとフロアを出た。


 それと同時にエマさんとコロナは、一階に下りて、非常口からフロアへ猫を放った。僕は、一人二階に残り、経過を見守った。携帯電話を背にした猫がふらふらとフロアを歩いていく。下の人たちは、まだ誰にも猫の存在には気づいていない。僕は、頃合を見て、自分の携帯電話の発信ボタンを押した。


ペイ、ごめん」


 猫の背の携帯電話に電波が飛んだ。ペイは、背中の電話の音にびっくりして跳ね上がり、走り出した。フロアの来賓や給仕たちや仲介所のやつらが、怪訝な顔をして、自分の持ち物を探っている。



 いつまでたっても止まらないので、真冬さんが、壇上に上がってマイクを使った。


「携帯電話のお持ちの方は、電源をお切りください」


 電源は切れない。今鳴っている電話は、来賓客のものではなくて、猫のものだし、発信している僕もまだ切るつもりはない。留守番電話サービスに切り替わったから、再び発信する。


 電話の発信音に、イラついた来賓客の内の一人のおじさんが、怒鳴った。


「いったい誰なんだ!」


「皆様、携帯電話の電源をお切りください!」


「わたしじゃない!」


 会場は、ざわついて手がつけられなくなってきた。


「おい、猫がいるぞ」


 ようやく誰かが音の発信源を見つけた。


「はやく捕まえなさい!」


 真冬さんの指示で、仲介所の男たちと給仕が、集まって猫を追い掛け回した。


 猫は、数あるテーブルの下を隠れたり、駆け抜けていく。テーブルクロスを持ち上げ、その下に潜り込んだり、来賓客の怒号が飛び交った。


 僕は、電話の発信をやめて、真冬さんが、騒ぎの収拾に捕らわれていることをエマさんに伝えた。後は、コロナとエマさんが、水利ちゃんを連れ出すだけだ。


 僕は、一階の裏口の近くで彼女たちを隠れて待った。猫の背中の携帯電話への発信は、まだ続けている。フロアの騒音はここまでは聞こえてこなかった。


 はやくきてくれ…僕は、廊下をじっと眺めて祈った。


 反対側のほうから靴音がして、振り向いた。真冬さんがゆっくりと歩いてくる。僕は掃除用具のロッカーの隅にいて顔を引っ込めたが、はっきりと見られてしまった。向こうは鬼の形相だった。


「そんなことだろうと思いましたわ!お見通しですのよ!」


 真冬さんの声が、廊下に反響して響いた。殺意を感じた。


 僕は、消火器に蹴つまずきそうになりながら、廊下を駆け出し、角を曲がった。すると、待ちわびていた子達とすれ違った。ドレス姿の水利ちゃんを抱いたエマさんとコロナは、足を止めない。


「キスケ!どこいく!ずらかるぞ!」


 エマさんに言われて、慌てて言葉をひねり出す。


「裏口、ま、真冬さんが!」


「なんだと!」


 僕たちの行く手を真冬さんが仁王立ちして阻んでいる。


「水利頼む」


 エマさんが、水利ちゃんを僕に投げてよこした。落っことしそうになりながら、抱きとめる。


「コロナ…けん制できるか?」


「あいつ、やっつけたかった」


 そして、エマさんは、コロナの耳元で何かを指示した。その声は、小さすぎて僕には、聞こえない。


「あなたたち、こんなことをしてどうなるか考えておいででしょうね?永夏さん」


「わかってる」


「おやめなさい。今なら、目をつぶって差し上げますわ」


「いってくれコロナ」


 コロナが先行して、真冬さんへ向かっていく。


 蹴りを繰り出したが、簡単にその脚を取られて、身体を壁へ突き飛ばされた。


 間髪いれずにエマさんが、走りこんで、真冬さんの襟を掴んだ。つかんだ勢いに押されて真冬さんの脚が後ろに運ばれる。その拍子になぜか体勢を崩した。エマさんは、その隙を逃さず、真冬さんの身体を背負い、きれいに床へ投げ落とされた。


 床には、赤い消火器が横たえてあった。


「…秘技…地震かみなり火事消火器…」


 エマさんが一本背負いする前、コロナが真冬さんの足元へうまく転がしたのだ。


 真冬さんは、目を開いていたけれど、放心状態のようで身動き一つしない。ドレスの胸の部分が破けていた。


「大丈夫ですか…」


「そんなヤワなやつじゃない」


 腕の中の水利ちゃんが、真冬さんへ呼びかけたが、エマさんに言われて、僕は、非常口から出た。


 僕たちは、学校に居られなくなった。相談室にも帰れないので、僕は彼女たちを自分の家へ呼ぶことにした。


「急ぎましょうよ」


 僕は、真冬さんが、人を集めて追ってくると思い、彼女たちをはやしたてた。


「真冬は、一人であそこにいた。俺たちに逃げられたことを自分からは言い出さない」


「なんでです?」


「面子ってもんがあるだろう。部下の前で、俺たちにやられて逃げられたなんて話さない。

恥をかきたくないばかりのやつだしな。それに…」


「それに?」


「いやな…あんなにきれいに投げれるとは思ってなかったよ。ははは」


 エマさんは、笑ってコロナと水利ちゃんの肩へ覆いかぶさった。


 水利ちゃんは、泣いていた。


「泣かないでミズリ、キスケの家でお別れ会できるよ。あたし、芸、考えた」


 歩道の真ん中でブリッジをするから、エマさんが、コロナを起こした。


「こらこら、お楽しみは、あとにしろよ。もったいないだろ」


「何回でもできます」


「しつこいと冷めるぞ」


「そんなこというエマちゃんには一回も見せてやんない」


「一回は見せろよ…お別れ会の主催者、俺」


 水利ちゃんは、涙を拭って笑った。


 ウエディングドレス姿の水利ちゃんを通行人にじろじろ見られたが、僕たちは気にしなかった。


 駅まで歩いている途中、僕は、ヒールで歩きづらそうにしている水利ちゃんに自分の靴を貸した。


「…キスケさん…靴ヒモが」


「ちょっと、失くしちゃってね。ごめんごめん」


 笑って誤魔化す。結婚式で騒ぎを起こすために使ったとは、知らせないことにした。


 電車から降りて、五分ほど歩き、僕らは、自分の家に到着した。


 父さんは、幸い仕事でいなかった。車がないので、母さんもどこかへ出かけているらしい。


 僕は、彼女を家に入れて、居間のソファーでふんぞり返ってテレビを見ていた妹にただいまと言った。


 普段、そんな挨拶は無視されることがたびたびなのだけれど、今日は違った。


「お…かえりなさい?」


 気世は、僕の後ろの人たちに釘付けになった。


 彼女たちにそこいらへ座ってもらって、気世を台所へ連れていった。


「絶対に言うなよ」


「なにを?」


「とにかく、何も聞くな。誰にも言うな」


「いいけど…」


「それと着るもの貸してくれ。なんでもいい。下も」


 妹の表情が、意地の悪く変わった。


「き、る、も、の?えへ、えへへ、兄ちゃんってさ…すごいんだねえ」


 当分、この件をだしにして茶化されることを覚悟しなければならないかもしれない…


 水利ちゃんに着替えてもらって、一時間ほどするとエンジェルさんから連絡があった。僕は、エンジェルさんに自分の家の住所を伝えた。


 先に母が買い物から帰ってきて、僕たちに驚き、台所でがさごそと彼女たちをもてなすための料理を作った。エマさんと水利ちゃんが、母さんを手伝って、コロナと気世はナンと遊んだ。


 チャイムが鳴った。母さんが、気世に出るように言った。気世は、血相変えて戻ってきた。


「兄ちゃん!化け物きた!」


「お前なにいってんだよ…」


「えーっと、フランケンみたいな!」


「そういや、エンジェルの頭の傷、抜糸してなかった」


 皿を持ってきたエマさんが、気世の言葉を察して、言った。


 僕は、エンジェルさんを迎え入れ、みんなで料理を食べた。


 コロナの芸は、ブリッジしながら、そのままの姿勢で四方八方移動するというものだった。


「これだけじゃない」


 コロナは、その状態で、家の階段まで上った。母さんでさえすごいとほめた。


 エンジェルさんは、僕たちが作ったお別れ会の看板を写真に収めてきてくれていた。予想通り、水利ちゃんは、喜んだ。エンジェルさんは、デジカメを持ってみんなの写真を撮った。


 夕方になって、水利ちゃんがそわそわ落ち着かなくなった。エマさんが、お別れ会の終わりを告げ、僕は現実に引き戻された。僕たちがしたことは、水利ちゃんにとって悪いことだったのかもしれないと思わずにはいられなかった。


 エンジェルさんが、近くのコンビニから撮った写真をプリントして帰ってくると、みんなは、エンジェルさんの車に乗った。僕も車に乗り込もうとしたが、エマさんが頭を振った。


「なんでですか。僕もいきます」


「あとは、俺がやるから」


「嫌ですよ…ぼくだってあそこにいたんです」


「楽しかったです。いままでで一番楽しかったです。キスケさん、水利は、もう充分です」


 これからどうなるともわからないのに水利ちゃんは、僕に笑顔を振りまいた。


「またきていいか?」とコロナが、差し挟んだ。


「うん…みんなできてよ」


「ありがとう。またきますね」


 水利ちゃんは、看板の写真とエマさんとコロナとエンジェルさんと気世と母さんと僕の写った写真を大事に胸に抱えていた。


「キスケ、ほんとうにすまなかった」


 車が進みだして、エマさんが、深く頭を下げて謝った。僕は、そんなエマさんに違和感を覚えた。そのときは、その意味がわからなかった。







 翌日、僕は、エンジェルさんへメールした。水利ちゃんがどうなったか聞いてみたかったのだけれど、返信は、エマさんから事情を聞いてくれというそっけないものでしかなかった。でも、エマさんの携帯は、ずっと繋がらないし、メールの返信もない。エマさんの携帯電話は、ペイの首輪にくくりつけられているままなのかもしれない。あの時は、水利ちゃんを連れ出すことに必死でペイのことは知る由もなかった。休みを家で悶々として過ごし、はやく学校へ行きたくてたまらなかった。


 朝早く学校へ行った。相談室には、ペイが、僕に擦り寄ってきて、甘えるように鳴いた。


「なんでお前…」


 電話は背負ってない。自力で帰ってきたようでもない気がする。


 水利ちゃんのお別れ会の看板もそのままだった。


 僕は、猫に水と餌を用意して、トイレを掃除してやった。授業が始まるまで、そこにいたが、誰も来なかった。


「土曜日に講堂ですげー結婚式があったんだってな」


 教室で二本木が僕へ陽気に話してくる。


「水利って子のだよ。ウケる小学生」


「ああ…」


「興味ないのかよ?あの子さ、すげーお嬢様だったんだぜ。講堂で派手に披露宴やるくらい」


 興味はあるが、僕にとっては切実なことなので、噂話にしたくなかった。


「けどよ。披露宴の途中で勝手に抜け出したんだって。やっぱ、ウケるよな~はは」


 僕は、淡々と授業の準備をした。


「んだよ。病気か?しけた面して」


 二本木の相手にする気分にはなれなかった。


 僕は、エマさんのクラスを知らなかったので、コロナのクラスへいってみた。姿が見えないから教室の扉の近くの席のところで話している女生徒たちに、彼女の居場所を聞いてみた。


「あの…コロナ、知りませんか?」


「は?」


「じゃなくて、すみません。立花さん、どこにいるか知りません?」


「あー、あの変なの」


 コロナのクラスメイトたちは友達同士、あざ笑った。


「さあ、今日は来てないんじゃない?」


「いても知ったことじゃないけど」


 コロナは、自分のクラスでは好かれてはいないようだ。


 僕は、黙って、その場を後にした。


 水利ちゃんのクラスへいってもみた。クラスメイトの人は、親切に教えてくれた。


「水利さんは、結婚したのよ。今はハネムーンかしらね」


「そうですか…」


「あまり噂しないようにね。水利さんは、とてもいいコよ」


 物見遊山にきたと思われたみたいだ。


「はい、わかってます」


 言われるまでもなかった。だからこそ、僕たちは、お別れ会をしたかったのだ。彼女もそれを望んでいると思って。


 放課後は、一時間ほど相談室で待った後、学校内の女子寮へ向かった。男の僕がそこへいくことは抵抗があるけれど、僕だけのけ者にされるのは、もっと嫌だ。


 女子寮の玄関が見えると、そこを女の子の集団が、きゃっきゃとおしゃべりしながら入っていった。僕は、目線を真っ直ぐにし、建物を素通りして、校舎へ戻ってしまった。


 だめだ。こんなところへエマさんとコロナを一人で尋ねていくなんて、できやしない。


 再び、相談室に帰ったが、最終下校時刻いっぱいになっても、誰一人くるものはいなかった。







 翌日、僕は、仲介所に乗り込んで事情を聞きだす決心をして、家を出た。彼女たちが音沙汰がないのは、学校、もしくは、仲介所が、みんなへ何かしたに違いない。でも、真冬さんが、僕だけ取り残している理由は、見当もつかなかった。


 学校に着いて、不意を突かれた。下駄箱を開けたら、手紙が入っていた。トラウマがよみがえって僕はのけぞった。


 なんだってこんなときにラブレターなんだよ!


 手紙を開けずに握り潰そうとした。でも思いとどまった。封筒に『花嫁泥棒より』と書かれていたからだ。その場で読んだ。文面は短かった。


『もし、話を聞きたければ、外に出てくれ。


 十一時に俺たちのひいきのケーキ屋の近くの喫茶店で待っている』


 最後にかわいい天使の絵が描いてあって、追伸の部分がフキダシになっていた。


『P.S.ラブレターじゃないぞ。勘違いすんなよHAHAHAHAHA』


 どういう神経してるんだ!この人は!


 腹が立つ半面嬉しかった。僕は、上履きに履き替えずに校外へ出た。


 十一時まで駅前を歩いて時間を潰した。学校を抜け出して、外をうろついたころなんてなかったからどうしていいのかわからなかった。すれ違う人たちに見られている気がして、駅のコインロッカーの隙間で時間が過ぎるのを待った。しかし、エマさんはどうして学校の外で会おうなんて考えたのだろう。いろいろ思い悩んでいると不安なった。


 時間になって、ドキドキして喫茶店に入ると、すぐエマさんに奥のテーブルへ呼ばれた。エマさんは、私服だった。男っぽいシックなシャツとパンツ姿できれいな長い髪は縛られている。とても高校生には見えない。いつもと違うエマさんに僕は、面食らった。


「来てくれてよかったよ。あてにしてた」


「…はい…」


 エマさんはオレンジジュースを飲んでいたので、僕は何も考えずに同じものを注文した。ウエイターが行くのを待って、エマさんが、口を開いた。


「そのな…猫を引き取ってくれないか。相談室がなくなるから…そのほうが、コロナが喜ぶ」


「なくなるってどういうことですか?昨日は、なんで相談室に来なかったんですか?連絡もないし」


「昨日は、仲介所でいろいろ聞かれてた。俺は無期停学になった。相談室の活動も許されない」


「僕たちが、結婚式から水利ちゃんを連れ出したからですか?」


 エマさんは、窓の外へ向いて目を細めた。


「水利ちゃんはどうしたんです?」


「新婚旅行へいった」


 僕たちのしたことが彼女の結婚を取りやめにさせると、期待していた。


「エマさんが、停学なんて…」


「たいしたことじゃない。水利があんなやつと夫婦区画へいくことに比べれば」


「エマさんは、こうなるってわかってたんですね!」


 彼女は、黙って机の上を見ている。


「なにも変わらないって…あの時、どうして言ってくれなかったんですか?なぜ」


「お前の家でお別れ会ができたじゃないか」


 僕たちは、そんなことのために結婚式場から水利ちゃんを連れ出したのか…


「これなら…何もしない方がよかったですよ…」


「そう言うなよ。もうやっちまった。退学になると思ったけど、停学ですんでる。めっけもんだよ」


「ちょっと待ってください。エマさんだけですか?僕にはなにか…」


「俺が言い出したことだしな」


「僕は、エマさんに全部押し付けるつもりはありません!僕だって、仲介所に言って正直に何もかも話しますよ!退学なんて怖くないですよ!こんな学校こっちから願い下げです!」


「よせ!絶対にそんなことするな!」


 エマさんは、僕の肩をつかんで引っ張った。


「真冬とは話はついているんだ。お前が、うかつに仲介所へ近づけば、また問題が増えるぞ…」


「どういう話なんです?」


「真冬と取引した。だから無期停学で済んだ」


「取引?」


 のどが渇いてしかたなくなった。オレンジジュースが来たので、口に含んだ。


「変わりに真冬の選んだ相手と結婚することになった」


 僕は、オレンジジュースを鼻から吹いた。むせて息が苦しい。エマさんが、ハンカチを渡してくれる。


「そ…そんな馬鹿なこと受け入れたんですか!どうかしてますよ!あの人もエマさんも!」


「まあ、聞け。表向きはだよ。真冬の選んだ相手となんて結婚なんかするもんか」


「停学を解かれたら、俺はエンジェルと結婚するから」


 また、むせた。オレンジジュースで鼻がつんとする。


「エ、エンジェルさんは、知ってるんですか?」


「一応…」


「水利とも会えるし…そうするのがいいと思って」


「そこまでしなくちゃならないんですか!」


 彼女は、恥ずかしそうに僕から目を背けた。


「決めたんだよ」


「コロナは?昨日、学校にいなかった」


「ふてくされて寮で寝てると思う」


「当然ですよ…」


 エマさんが恐縮しているところを始めてみた。それに話はまだあるようだ。


「そこでなんだが…お前にコロナを頼みたい」


「コロナを僕に?」


「俺が、結婚するなんて言ったもんで、喧嘩になってな…話にならなくて…あいつ、放っておくと、なにをしでかすかわからないし…それにあいつの家、家庭環境が複雑なものだから…いきなり、つれて帰るのも…」


 エマさんは、僕に頭を下げた。


「なんでも一人で決めてエマさんは、勝手ですよ。そりゃコロナだって怒りますよ…」


「返す言葉もない」


 すまなそうに目を伏せた。


「僕が、断ったら、どうするつもりなんですか」 


「真冬に…」


 僕しかいないということか。


「…わかりました」


 エマさんは、通帳とキャッシュカードと保険証と印鑑をテーブルへ置いた。


「これ、コロナの貴重品」


「こんなものまで?」


「コロナに金を持たせると、とんでもないことになる」


 かなり信用されているみたいだったけど、責任を感じて、気が重くなった。


 頼むといわれても、なにをすればいいのだろうか。


 通帳を眺めていると、表紙に書かれてあった名前が、妙なことに気づく。


 『立花刹那様』


 タチバナセツナ?


「あの、この刹那って誰です?」


「コロナのことだよ」


 僕は、わけがわからなくなって、呆然とした。


「今まで知らなかったのか?コロナっていうのは、あだ名だよ。昔、俺がつけた。刹という字が、殺すという字に似てたから。ガキっぽい発想だろ?けど、あいつ、気に入って、自分で、コロナと名乗るようになったんだ。俺も本名忘れそうになるくらいさ」


 エマさんは、懐かしんで微笑んでいるが、僕は気が動転していた。


 都川刹那のことを思い出さずにはいられなかった。僕は、父さんが命を救った友人の娘と出会い、結婚するという期待を抱かれてこの学校に入った。刹那なんて、ざらにある名前ではない。


 だが、苗字が違う。違うんだ。けれど、どうして今まで、気づかなかったんだろう。都川のおじさんは、離婚しているということを。


「コロナのこと、夏休みまでだから…頼むよ」


「エマさんってコロナの従姉なんですよね?」


「そうだが」


「聞きにくいことなんですけど…コロナの苗字って変わってますか?」


 エマさんは、僕が何を知りたがっているのか読めなくて困っている。


「はっきり言います。コロナの両親は離婚していませんか?」


「ああ…」


「コロナのお父さんの苗字はなんです?」


「都川だよ。それが?」


 嘘だろ…これは偶然なのか…


「エマさん!いかないでください!」


「どうしたんだよ。いったい」


「僕は、都川のおじさんをよく知っているんです」


 僕は、エマさんに、僕の父親が都川さんの命の恩人で、酔った勢いに任せ、都川さんの娘、つまり、コロナと結婚させる約束をしたことを話して聞かせた。


「俺も都川のおじさんのことは、知ってるよ。コロナのことを頼まれたし…なるほど、こういうことだったのか。はは、はは」


 エマさんは、僕の話を笑い飛ばした。


「他人事だと思って!」


「あいつ、そんなこと一言も言ってなかったからな。驚いた」


「コロナは、知っているんですか?僕がその…婚約者みたいなものだってこと」


「さすがにそれは聞かないとわからないが……だけど…考えてもみろよ。あいつ、自分から結婚がどうとか言い出すわけがない」


「そうですけど…」


「都川のおじさんは、話せばわかる人だよ。水利の結婚とは、違うさ」


 僕の肩へ手を置くエマさん。


「お前にコロナを頼めてよかった」


「一人にしないでくださいよ…」


「お前にその気がないなら、俺から都川のおじさんに話してやるから。な?いつも通り、コロナと接してやってくれ」


「無理ですよ…」


 けれど、エマさんに説得され、僕は彼女を駅まで見送った。改札口を通ってもエマさんはコロナのことを念を押した。


 キャリーバックを引きずる彼女の後姿を見ていると、寂しくてつらくなった。これからのことを考えるのも…


 億劫だけど、エマさんとの約束をおろそかにはできない。僕はコロナの様子を確かめに学校へ戻った。


 電話してもコロナは、出なかったので、女子寮まで迎えにいった。僕は、玄関で寮母さんを呼んだ。授業中だったから、きつく咎められ、自分のクラスへ戻るように注意された。あきらめるしかなかった。


 放課後、僕は無意識のうちに相談室にいた。


 水利ちゃんは、いない。エマさんは、実家へ帰った。コロナも学校へこない。


 なにもできずに座って、天井を見ていると、扉が開いた。コロナがきたのかと思ったけれど、

最悪な形で裏切られた。


 仲介所の連中が、なんの断りもなしに部屋の中へずけずけと入ってきたのだ。


「ゴミは、全部焼却炉だ。運び出せ」


「いきなりなんなんですか」


「ここは、仲介所の倉庫になった。部外者は出てけ」


 男が、机の上においてあったコロナのエケコ人形を乱暴に取り上げた。


「ゴミだな」


 僕は、そいつから人形を取り返した。


「貴様、邪魔をするな」


 肩を突き飛ばされ、僕は尻餅をついた。


「使えるのは、椅子と机だけだ。それ以外は、捨てろ」


 連中が、水利ちゃんのお別れ会の看板へ手をかける。


「なんだこりゃ」


「やめろ!」


「やめてほしいか?」


 そう言いながら、やつらは、看板を廊下に持っていってバラバラに破壊した。止めようとしたけれど、僕は、三人で壁に押さえつけられ、なにもできなかった。


 騒がしく入れかわり、立ちかわり、部屋を歩き回る連中に怯えて、ペイは、部屋から出ていった。僕は、後を追いかけた。


 あちこちをずいぶん探し回り、ようやくペイを捕まえて帰ってきてみれば、相談室は、施錠され、張り紙がされていた。


『結婚仲介所 第三倉庫 部外者立ち入り禁止』


 焼却炉へいってみると、相談室にあったものが、山積みにされてあった。


 ペイをおろして、自分のカバンをみつけた。破壊された看板の残骸の中からコロナのエケコ人形もみつける。


 くやしくて、やりきれなくて、僕は、エケコ人形を地面へたたきつけようとした。


 でも、できなかった。


 ―つよくなれますように―


 なぜかコロナがこの人形に願ったことを思い出した。







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