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よめかよ  作者: FT
3/11

結婚なんかしない3

この序章、作者が言うのもなんですが、内容はさておき、やたらノリはいいと思います。




3





 相談室に帰ってきたら、中で話し声がした。


 エマさんが「戸締りするの忘れてたわ」といった。


 みんなして扉に耳を当てて、中の様子を探った。


西シャーだけお出かけなんてエマさんはひどいニャずるいニャ」


「そうですねえ。エマさんは、どこへいったんでしょうね。いい天気だから、トンさんもナンさんもペイさんも外に行きたいですよねえ」


「そうだニャ、こんなかび臭いところにじっとしているのは、嫌だニャ。ノミがわくニャ」


トンさんは、きれい好きですものね。毛がつやつやです」


「そうでもいニャいにゃ。おだてても猫の手くらいしか貸せニャい」


「はーい。猫の手貸してください」


 女の子が、三匹の猫たちを使って一人芝居をしているみたいだった。


 僕たちは、顔を見合わせた。


 エマさんは、クスクス笑っていたので、誰だかわかったようだ。


「誰なんです?」


水利ミズリだ。しょっちゅう遊びに来る子だよ。いろいろ相談に乗ってる」


 部屋の中には、机に乗っている猫の前足を握っている小さな女の子がいた。百五十センチくらいだろうか、まるで小学生だと思ったけれど、一応、僕たちの学校の制服を着ている。


「猫の手を借りたいぞ。水利」


 エマさんが、意地悪く、その小さな子に言った。


「エマさん…聞いてたんですか?」


 彼女は、誤魔化して笑った。そして、僕の姿を見ると、こわばった表情になり、うつむいた。


「恥ずかしいです…」


トンも外に出たいニャニャー?」


 コロナが猫と顔を突き合わせて聞いた。


「かわいい猫だね」


 僕は、彼女が、かわいそうになったので、気楽に話しかけた。


「そ、そうなんですよー」


 僕と水利ちゃんは、お辞儀して自己紹介した。


 エマさんは、部屋の隅にある戸棚をあけて、ごそごそ物色している。


「なにかあったんですか?」


「仲介所へいく。そいつの友達が、仲介所の事務所で捕まっているらしくてさ」


 僕を親指で指差すエマさん。


「あった」


 そうしているうちにエマさんは、頑丈そうな棒を携えていた。水利ちゃんは、エマさんが棒を振っている姿にまばたきを繰り返す。


「その棒は?」


「一応の備えだ。何が起こるかわからない」


「だめですよ!そんなの持ってるだけで仲介所の人たちと喧嘩になります!」


「でもなあ。俺たち、ここ数ヶ月、活動という活動をしていないしなあ。相談にくる生徒もめっきりこないし、このままだと、相談室が仲介所に飲まれちまうよ」


「喧嘩をしにいくのは、いけません!ここは相談室なんです!」


 水利ちゃんの言うことは、もっともだ。反論の余地はない。


「やっぱり、だめだよね…二本木には、悪いけど…」


「半井さんのお友達、二本木さんというんですか?」


「うん、折原桜音っていうおばあさんからラブレターもらって、ほいほい出向いていった、あいつがいけないんだ」


 僕も同じことをしたけど、それは、言わない。


「そうなんですか…」


「ミズリ、今日なんかいいことしたか?」と、コロナ。


「してないです…うーん、穏便に話し合いにいくということなら」


 結局、全員で仲介所事務所へ急行した。


 事務所は、学校校舎とは独立して設けられていた。立派な二階建ての建物、これが、すべて結婚仲介所の活動に使われている。結婚相談室とは、扱いがまるで違うようだった。


 僕たち四人は、建物の前へ横並びになった。


 エマさんが、肩に下げていた拡声器のスイッチを入れた。


「いきなり、それですか!」


「いけないか?話すつもりで持ってきたんだがな」


「呼び鈴を鳴らしましょう…」


 僕は、焦って言った。


 エマさんは、喧嘩腰だった。水利ちゃんが心配するのもうなずける。


 エマさんがドアホンのボタンを押そうとしたところを水利ちゃんが割り込む。


「エマさん、ここはこの水利が、話し合いに応じますから、ボスはどーんと構えていてください」


「そうか。じゃ、頼む」


 水利ちゃんが、ボタンを押すと、ドアホンのスピーカーから女の人の声がした。


「はい、結婚仲介所、受付でございます。どういったご用件でしょうか?」


「あの、わたくしは、結婚相談室の水利と申します。えっと、今、二本木さんという方を探しておりまして、もしかすれば、そちらにいらっしゃらないかと思いまして…」


「はい、少々お待ちください」


 スピーカーから、聞き覚えのあるクラシックの曲が電子音で流れてきた。


 エマさんに眉間のしわが寄っていく。コロナが、退屈そうに上着のポケットの中のマキビシをジャラジャラいわせて、あくびをした。


 しばらくして、また、女の人の声が出た。


「そのような方は、いらっしゃりません。当所では、依頼者や所員の呼び出しは、行っておりませんので、今後そのようなお問い合わせは、応じかねますのであしからず」


 そう告げると、むこうが受話器を置く音がした。


 同時にエマさんの拡声器に電源が入れられた。


「待って!水利の言い方が悪かったんですー」


「「結婚仲介所に告ぐ!さきほど、この建物へ二本木という男子生徒を監禁しているという情報が入った!その情報は確かなものだ!昨今の仲介所の専横には目に余る!わたしたち、結婚相談室は、仲介所の悪逆を弾劾するものだ!すみやかに二本木を解放しなさい!」」


 水利ちゃんのいさめる声もエマさんの拡声器に掻き消えた。


「うわあ…エマちゃんかっこいい!あたしもやりたい!」


 エマさんは投げやりになって、コロナへ拡声器を渡した。


「「わかったか!悪いやつは、どいつもこいつも許さないんだからね!…キマった…はい、次はキスケ」」


「「二本木を返してください…悪いやつじゃないんです。スケベだけど…根はいいやつです」」


 みんなの猛烈な勢いについつい乗せられた。


「ミズリもなんか言え」


 コロナが、そういって拡声器を押し付ける。


 水利ちゃんも僕たちに流されて、それを取った。


「「あ、あ、あ、え、みなさん、落ち着いてなにごとも冷静に話し合いましょう。もう手遅れかもしれませんが、なにとぞ、なにとぞ、この水利に免じて」」


 数秒して、大きな両開きの扉が音を立てて開け放たれ、男子生徒が大勢出てきた。


「なにさらしとんじゃああ!」


「いてもうたるぞ!われえ!」


「きゃんきゃん騒ぎよって、ぶち殺されたいんか!!」


「われら全員二階から吊るしたらあああ!」


 屈強な男たちが、僕たちに次々と怒号を浴びせかける。僕は身がすくんだ。


 エマさんは、警棒を構えた。しかし、水利ちゃんが、エマさんの腕へ絡みつく。


「逃げましょう…」


「大丈夫。あんなやつら、格好だけだ。大したことない」


「そういう問題ではなくてですね…」


 拡声器のおかげで、わらわらとギャラリーが建物の周りに集まってきた。こんなに大ごとになろうとは、予想もつかなかった。


 コロナが、意気揚々と両手拳を握り締める。


「悪そうなやつでてきた。やっちゃっていいの?」


「すこし我慢しろ」


 拡声器へ口をつけるエマさん。水利ちゃんは、その場に座り込んで頭を抱えた。


「「下っ端じゃ話にならん!所長を出せ!」」


 仲介所の連中が、拡声器の大音量に顔をしかめて、耳をふさいだ。


「所長がお前なんぞの相手するかい!わしらが黙らせたる!」


 あえぎながらも、男子生徒の一人が答え、エマさんの拡声器を奪い取りにきた。


 エマさんは、水利ちゃんに拡声器を預けて、向かってくる男との間合いをつめ、突き出した手をかわしつつ、わき腹へ警棒を叩き込んだ。男が地面に膝を突いたところを背中に棒を振り下ろす。


「真冬を呼んでこい」


「このアマやったらああああ!」


 男たちが、エマさんになだれ込んでいく。


「お待ちなさい!」


 女性の凛とした声が響くと男たちの動きがぴたりと止まった。


「守備班長、横隊整列」


「はッ!」


 エマさんに叩きのめされた男が、入り口へぼとぼと歩いていく。


「全員!右へならえ!気をつけ!」


 男が号令をかけると、建物に沿って、仲介所の集団が、綺麗に横並びになった。


 女の人が、入り口の左上の窓枠に腰掛けて僕たちを見下ろしていた。遠目から見ても、かなりの美人だ。


「あら、永夏さん、お久しぶりね。ご用件は、何かしら?」


「白々しいやつだな。ここに二本木というやつを監禁しているだろうが」


「そんな方は、いませんわ。どんな権利があって、そんなことをおっしゃるの。根も葉もない言いがかりよしてもらえませんこと」


「この半井気助が、仲介所と二本木が一緒にいるところを見ているんだ。なあ?」


 エマさんが、そう言うと仲介所の集団が、僕を睨みつけた。怖くて頷くことしかできない。


「なかを見せろよ」


「所内見学は、アポを取っていただいてはやくて三日後ですわ」


「今だ。今。今すぐにだ!この衆人環視の中で結婚仲介所の悪事を暴いてやる!」


「あなたが、ここを結婚できない女子の嫉妬と苛立ちのはけ口にしたいことはよくわかっていますわ。かわいそうな人。けれど、あなたを歓迎しますわ。あたくしたち結婚仲介所は、永夏さんのような、結婚できない方のために誠意を尽くす場所なのですから!」


 整列していた仲介所の兵隊たちが、一斉に拍手をした。


 な、なんなんだ…これは…


「つまり、あたくしが、あなたにぴったりの殿方を見つけてきて差し上げるということよ」


 エマさんの肩がわなわなと震えた。


「これで結婚できますわ。そんな不幸せそうにカリカリしなくてすみましてよ」


「俺は、結婚できないんじゃない!しないの!」


「強がりはよしなさい。三年にもなって…そんな屁理屈は相手を見つけてから申すものですわ」


「結婚相手くらいいるわー!!」


「初耳ですわね。親友のあたくしに黙っているなんて」


「わざわざ言うか!親友じゃねえし!」


「あたくしの時は、真っ先に紹介しましたのに」


 エマさんが、苦虫を噛み潰した顔になる。この古谷真冬とエマさんの間には、深い因縁があるようだ。


「では、ご結婚の際は、是非、仲介所に取りしきらせてもらいますわ。けど、永夏さんの巨体に合うドレスはあるかしら。ま、どんな巨人でも華やかにしてみせるのが、あたくしたちの腕の見せ所では、あるけれど」


「おまえんとこでなんて頼まれてもお断りだ!当人が望んでない縁談を作り上げて無理やりくっつけるようなところ!」


「心外ですわ。結婚は誰しも望む幸せではなくって?」


「前々から、言っているだろうが!それが思い上がりの傲慢なんだよ!カルト教団が!」


 真冬さんは、芝居がかった素振りで髪をかき上げ、晴れ渡った空を見上げた。


「ふう、疲れましたわ…でくの坊にまっとうな女子の幸せの定義を説いても無駄ですわね」


「何が幸せだ。お前ら、金でしか動かないだろ!吊り目悪魔!」


「大人の幸福に金銭が絡むのは社会のルールでしてよ。本当にお子様なんだから、あなたまだくまパンツ、はいてますの?」


「ちょ、おま、うああああああああ!真冬!くっそ、中学んときの話だろ!」


「わたくしの中では、あなたはずっとあの頃のままですわ。身体ばかり大きくなって、精神的な成長が見受けられませんもの」


「人のこと言えるか!お前なんか著しく成長してないぞ!貧乳、貧々乳」


「な、ななななんですって!デカパイしか取り得がないくせに!」


 真冬さんが、窓から落ちそうになるくらい身を乗り出して怒鳴った。


 周囲から笑い声がする。


「エマちゃんくまパンツ?」


 にらみ合う二人のことなどお構いなしのコロナ。


「うるせえよ!!」


 エマさんが、そう言って、腕を振り上げると、手にしていた警棒がすっぽ抜けて、仲介所兵隊の方へと飛んでいった。気をつけを保ったままの一人の兵の頭へ命中して、兵は、ばたりと倒れた。


「なにすんじゃー!」


 仲間がやられたはずみで、堰を切って兵隊たちが、僕たちを取り押さえようと向かってくる。


 エマさんは、警棒を拾いにいこうとして迎え撃ち、コロナが、それを助けるように二人目を足払いで転げさせ、止めに突きを放つ。


 それにしても人数が多すぎる。このままでは、二本木を助けるどころか、みんな捕まってしまう。だけど、僕は、あたふたしてその場を見守るばかり。


「なんじゃい、騒がしい…若いもんが、乳が、小さい大きいなどと…わしのこの萎んだ乳をみせてやりたいわ……」


「あーーーーーーーーーーーー!」


 爺むさい口調の野次馬がいると思えば、女子の制服を着たあの老人、折原桜音が僕の隣にいた。


「お主は、半井気助!」


 僕は、すかさず捕まえた。桜音ばあちゃんが、紙切れを握り締めていたので、取り上げてみると、二本木の名前と判が記された婚姻届だった。


「わしの秘蔵コレクションかえせー!」


「水利ちゃん!張本人のばあさん、捕まえた!」


 僕が、大声で言っても、まだ呆然としている水利ちゃん。その一瞬の間にエマさんと、コロナが、迫りくる仲介所の人間の何人かをのしてしまっていた。


「桜音ばあちゃん見つけた、逃げよう!拡声器使って伝えて!」


 水利ちゃんは慌てて、拡声器を持ち直した。


「「エマさん!コロちゃん!桜音さんを見つけました!逃げましょう!」」


 エマさんは、すぐさま反応して、コロナを呼んだ。僕は、桜音ばあちゃんを抱き上げて、みんなで逃げ出した。


「大胆じゃのおー何十年ぶりのお姫様抱っこじゃろー」


 気味が悪いが、今はそんなこと言っていられない。後ろを振り向くと、兵隊が四、五人人追ってきていた。


「コロナ!マキビシ手に持っとけ!」とエマさん。


「ほい!」


 校舎の角を曲がった。


「よっしゃ!ぶちまけろ!」


「いくぞ!忍法ストーカー潰し!」


 放り投げられた尖った金属が、からからと地面に落ちる。ほどなくして、追跡者の悲痛な叫び声がこだました。


 僕たちは、立ち止まらずに走り続け、体育館の裏の物置小屋までたどり着くと、その中で休むことにした。


「まいたようだな…はあ」


「…水利は、あんなこと…もうごめんです…」


「あたしの忍法見た人!手あげてー!」


 みんな息が上がってしまっているというのに、汗一つ流さずにコロナが能天気に言う。しかし、この現代にあんなものが役に立つとは、思わなかった。


「むやみに…人を傷つけてはいけません…コロちゃん」


「うーミズリーいじわる」


「でも、コロナのあれのおかげで助かったよ」


「MVP」


 コロナが誇らしげに胸を張る。


「ああ、なるようになったな。へへ、へへへ」


 桜音ばあちゃんへ視線をやって、エマさんは、不敵に笑った。


「わしになにをするつもりじゃ」


「エマさん、これ」


 僕は、ばあちゃんから奪い取った二本木の名前の入った婚姻届を見せた。


「折原桜音さんですね。これは、どういう経緯で入手したものなのでしょうか?」


 変にかしこまってエマさんが、桜音ばあちゃんへ詰め寄る。


「知るかい!そりゃわしのもんじゃ!」


「このばあちゃんの依頼で仲介所の連中が、二本木を脅して名前を書かせたんですよ!」


 判子まで用意して、なんてやつらだ。


 一瞬だが、桜音のしわくちゃの顔が引きつった。


「けつの青いガキどもが、おまわりさんごっこかい。つきあっとれんわ。わしゃ帰らせてもらう」


 エマが、桜音にふさがって通せんぼする。


「ばあさん、自分のしたことを仲介所に戻って、しゃべるんだ。拡声器を使って」


「ええー!戻るんですか?」


「真冬に恥をかかせられるぞ」


「充分、恥はかいてると思うけどな…僕は…」


 またあの人と口喧嘩になったら、エマさんもかなり恥をかくことになるような気がする…僕はエマさんのお尻を無意識に見てしまった。くまパンツかはともかく、いい形ではある。


「ぜんぜん足りない」


「乱暴はいやですよ…」


 水利ちゃんが泣きそうな声になって、桜音ばあちゃんへ向き直った。


「こんなところへ連れ込んでごめんなさい」


「頭にきとる。そこをどけ」


「桜音さん、化粧が少し乱れていますよ」


 桜音ばあちゃんは、どこからからコンパクトを出し、自分の顔を確認した。


「なんちゅう様じゃ。お前らのせいじゃ…ん~もー」


「口紅がはみ出ていますね。ハンカチ、どうぞ」


 水利ちゃんが、差し出す。


「すまんの」


「お安い御用です」


 化粧を懸命に直している桜音。コロナは、退屈なようでバレーボールとバスケットボールを脇に抱えて、倉庫を物色していた。


「水利ちゃん?」


「おい…水利…」


 僕とエマさんは、桜音と水利ちゃんのやりとりが待ちきれなくなった。


「桜音さんが化粧を直していますから、待っててください!この水利が思うに、女性はまず身だしなみを整えないといけません!」


「そうじゃ、そうじゃ、その通りじゃ。水利ちゃんと言ったかの。若いのになかなかしっかりした子じゃなあ」


「いえいえ。桜音さんがメイクに気を使っていることは、見ればすぐにわかりました。努力してきれいになる。美人には、必要不可欠なことですよねえ」


「うむ。これでどうじゃな?」


 桜音ばあちゃんは、コンパクトを閉じて、水利ちゃんに笑顔を作った。


「完璧です!…でも…」


「なにかな?どこかおかしいかえ?」


「いえ…桜音さんはきれいなんです…けど、こんなことを水利が言っていいものか…」


「遠慮せずにいうてみい。怒らんから」


「桜音さんは、すごくさびしそうな目をしています」


「なんじゃと!!」


 折原桜音の顔が怒りの表情に変わった。僕には、クマがくっきりと出て落ちくぼんだ、お年寄りの目にしか見えないが。


「わしが、わしがさびしいじゃとおお!!」


 ばあちゃんは、怒りに打ち震えて顔を真っ赤にした。


「この水利でよかったら、なんでもお話を聞きますよ」


「くう…さびしかったんじゃあ…」


 打って変わってしおらしくなった桜音ばあさんの枯れ木のような手を水利ちゃんがやさしく握った。


「十年前に爺さんが死んでのお…息子や娘には年寄りはうるさいと邪険にされるし、わしなんか死んだ方がましなんじゃ…」


「そんなことありませんよ。こんなに元気なのに」


「じゃが、たった一人で、爺さんの遺産を抱えて生きるには婆にはつらすぎるわ。よからぬことを考える輩が、次から次へとよってきよる」


「けどまだ生きているじゃないですか。楽しいことがあるからですよね?」


「そうじゃ…この学校は、どんな年増でも若いもんと、恋する気持ちを味わえるからの…」


「それで学校に入学したんですか…」


「若い頃のときめきを思い出したかったんじゃ。爺さんに求婚されたときの…あの入れ歯が飛び出るようなときめき!」


「桜音さんの若さの秘訣なんですね」


「そう思うかえ?ここでもわしを見る目は冷たいわい…どんなにきれいに繕っても…わしの恋は、まともに受け入れられてことはないんじゃよ…ミイラだの、燻製だの、好き勝手言いよってからに…十代の若造からすれば、所詮、わしは死にぞこないの婆なんじゃ…けども、わしは、まだ息のある人間じゃぞ。だから、あやつらに…思い知らせてやるぞい…わしにだって結婚する権利があるということ…」


「なるほど、そんないきさつがあって、ラブレターで数々の男を呼び出した上、仲介所に誘拐させ、名前入りの婚姻届を収集し、欲求を満たしていたと」


 エマさんが、腕を組んで威圧する。


「お前にわしの気持ちがわかってたまるかい!」


 桜音ばあちゃんが叫び、そして、水利ちゃんが、ささやくように言った。


「わかります。水利も、背が小さくて、小学生だとずっと言われてきました。今でも水利のあだ名は、算数と理科なんです…うぐ…」


「お~かわいそうに…」


 桜音ばあちゃんが水利ちゃんを抱いてあやす。


 僕は、水利ちゃんの様子にびっくりして、エマさんの反応を見た。


「水利は、こういうやつなんだよ」


 エマさんは、いたって真顔だった。


 僕は、水利ちゃんが泣き止むのを待って言った。


「あのーみなさん、そろそろ肝心なこと…桜音さん、婚姻届を書いた後、二本木は、どうしたのでしょうか?」


「そいつは、仲介所のやつが、元いた場所に捨てにいきよったぞ」


「捨てたって、あんた、曲がりなりにも結婚を申し込んだ男だろ?」


「婚姻届をもらえりゃわしにとっちゃ用済みじゃわい。学校には、まだ吐いて捨てるほど純真無垢な少年がいるからの」


「なんて恋だよ。ひどいばあさんだわ」とエマさんは、呆れ返った。


 僕らは、桜音ばあさんに二度とこんなことをしないようにと釘を刺してから帰してやった。


 水利ちゃんの感情移入が凄まじくてエマさんもこれ以上どうこうする気にはなれなかったみたいだ。


 中庭の辺りを手分けして捜索した。僕は、花壇のところでうつぶせになっている二本木を見つけた。


 抱き起こすと二本木の顔は、無残にも真っ赤なキスマークで埋め尽くされていた。気を失っている。僕は肩を揺さぶった。間違っても頬を叩きたくはなかった。顔に触れたくない。


「二本木!しっかりしろ!」


 これは、どう考えても、桜音ばあちゃんの真っ赤な口紅ひいた唇だろう。


「う…やめてくれえ…やめてください…」


「仲介所のやつらは、いないから怖がらなくていいぞ」


「…俺…俺…おしまいだ…」


 二本木が、涙目になって、顔を近づけてくる。


「ババアと結婚することになっちまったよお!!」


 うお…臭い…僕は、二本木の肩を押しやった。


「ファーストキスまで奪われた!俺は、誰もがうらやむ可愛い女の子と、夕暮れに学校の屋上でロマンティックファーストキスをかわす計画だったんだ!それをあのババア…」


「泣くなよ。結婚しなくていいんだ」


 エマさんが、二本木の婚姻届をひらひらと彼の顔で振った。


「お前の婚姻届は、無事、奪い返してきた」


「え!ほんとかよ!」


 紙を手にとって、二本木が、僕に抱きついた。


「気助ええええ!お前ってやつはあああああ!助かったあああ!」


 抵抗したけれど、制服が汚れた。


「僕だけの手柄じゃないんだよ…」


 それに、僕は、ラブレターの差出人が、ばあちゃんだということを黙っていたとは、いまさら言えない。


「そうだ。仲介所から君を助け出したのは、俺たち結婚相談室の尽力があってこそ。結婚相談室だぞ?結婚仲介所と間違えないでくれ」


 エマさんが、腰に手を当てて気取ってみせるが、二本木は、僕の視線を後ろへやる。


「あれ?コロナちゃん?」


 バスケットボールを指先で回していたコロナが、呼ばれたので二本木を覗き込む。


「コ、コロナちゃんが助けてくれたのか!」


「こいつ、臭いよ。汚いよ。悪いやつそう。やっつけなくていいの?エマちゃん」


「コロナちゃ~ん」


 無遠慮なコロナに二本木は傷ついて、僕の腕の中で、また涙目になった。はやく立ち上がってほしいと内心、思う。


「コロちゃん、この人は、被害者なんですよ。けど、桜音さんのこと、許してあげてくださいね。あの人にもすごくつらいことがあったんです。だから、これからも桜音さんと仲良くしてあげてください。よろしくお願いします」


 良かれと思って水利ちゃんは、言ったようだけど、二本木は、顔色が悪くなった。僕たちは、ボロボロの二本木を寮まで送り届けてやった。


 そのあと、エマさんとコロナにあれよあれよのうちに駅前のケーキ屋へ連れて行かれ、僕の財布の中身が空になってしまった。


「久しぶりの報酬はうまい」


「うん、キスケ、毎日、相談にきて」


「この水利もおこぼれに預かれてうれしいです」


「あ、エマちゃん、それ、あたしのショートケーキだよ」


「なんで、お前だけ三つ食えるんだよ。ボスの俺を立てろよ」


「あたし、今日五人倒したもん。一番はたらいた。エマちゃんは、三人。マキビシのいれたら、いっぱい」


「てめ、天然ちゃんの分際で、ちゃっかり数えてやがんのか」


「ほらほら、ハンブンコにしましょう」


「僕の分は、ないんすか。僕が払ったのに」


 と言いつつ、二本木にあとで払わせようと思った。




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