コロナ2
2
夏休み前の試験が近かった。僕は、誰に言われるでもなく勉強に打ち込んだ。けど、忘れたかったことは、二本木のせいでぶち壊しにされた。
二本木は、試験期間中もコロナのクラスへ根気よく顔を出し続けて、ようやくまともにコロナと話してもらえるようになったと、わざわざ報告してくる。僕には関係のないことだし、どうでもいいことだった。
ただ学校に通う単調な日が続いた。雨の日が多くて、もやもやとして気分も晴れなく、一日が長く感じた。携帯電話にまた知らない着信があったが、無視した。エマさんかもしれないと思うと怖くて取れなかった。
ようやく終業式が終わった。学食で昼を済ませてから、帰ろうと思った。
一階の渡り廊下を歩いていると猫が、目の前を横切った。あの茶色いシマシマは、東だった。皆藤にいじめられて逃げ去って以来だったので、懐かしく感じて、そのまま、ふらっと中庭に出た。
コロナに見せれば喜ぶかもしれない…そんなことを片隅で思いついてしまって、自分が嫌になった。全部、投げ出したくせに今更、何を思うんだ。
そんな考えに捕らわれている間、東を見失った。
きょろきょろしていると、花壇の前に女の子の背中があることに気づく。あの背中には思い当たる節があった。女の子というには、厳しいものがあるよな。
「やあ、おばあさん」
「お前は!邪魔しにきよったか!」
桜音ばあちゃんは、僕を見て、たじろいだ。
「あ、いや、別に…声をかけただけですけど…いけませんか」
「わしゃ今から愛の告白タイムじゃ。ここにいたきゃ、見物料払え」
僕は、物陰から視線を感じた。注意して見れば、仲介所の連中が張っていた。
「はは、まだやってたんですか。それ。水利ちゃんに言われてやめたかと思ってました」
僕は、妙に落ち着いて話せた。
「こればっかりはやめられんかったんじゃよ…」
「そうですか。元気でなによりです。それじゃ」
このおばあさんが、仲介所と何をしようが、今となっては、どうでもよかった。
「これ、ちょっとまて。聞きたいことがあったんじゃよ。水利ちゃんの結婚式での騒動、ありゃ、おぬしらの仕業か?わしは、呼ばれて式場におったんじゃぞ」
「そうなんですか。気づかなかったな」
「やはりか」
「ええ、まあ」
「無茶しよる」
桜音ばあちゃんは、あたりをぐるりと見渡して、言った。
「今日は撤収ぞ!もう獲物は、こん!帰れ!」
男たちが、不満そうに表に姿をあらわして消え去った。
「いいんですか」
「式の話をきかせい。飯をおごるぞい」
食堂へいって、定食をつきながら水利ちゃんの結婚式のときの話を桜音ばあちゃんに聞かせた。
「それで、おぬしは、水利ちゃんとは相思相愛なんじゃな?」
「ど、どうして、そういうことになるんですか!」
「違うのか?」
「違いますよ。なんというか、僕は、友達ですし、あの結婚は、間違っていますし…」
「そうじゃなあ…あの花婿は、どうつくろても、ろくでなしにしかならん」
といっても、花嫁は、それを認めないのだけれど。
「あんときな、水利ちゃんがいないと聞いて、わしゃ心が躍ったぞ」
「でも、結局どうしようもなかったわけですけどね」
「おぬし、すこし見ないうちに寂びれたな。失恋でもしたのかと慰めてやろうと思ったんじゃが…本当に水利ちゃんじゃないのかえ?」
「いやだな。恋なんてしてませんって…」
「どうも何か隠しておるようじゃな。気になる相手もおらんのかい」
「いませんね。残念ながら」
「うむ…エケコ人形の効き目はどうじゃ?お前の友達にやったろう」
「ええ、抜群です」
呪いとしては上出来だと思う。
「そうか、そうか、お前にもやろうか?まだあるんじゃよ」
「ま、間に合ってます…」
おばあさんとあれこれ他愛もないことを話して続けていると、二本木が慌しく走り込んできた。
「あしたから夏休みだからって浮かれすぎだろ」
「コロナちゃんが、仲介所の美人の所長に連れて行かれた」
コロナの名前が出てきて、僕は動揺したが、すぐに気を引き締めた。
「あの所長、結婚がどうとか言って…コロナちゃん、大人しくついていったんだ…」
二本木は、息がかかるくらい顔を近づけてくる。
「だから、なんだよ」
定食のおかずを口に運んだ。
「なんとも思わないのか?仲介所にいこうぜ」
「知らないよ」
二本木は僕の腕を引っ張って立たせようとした。僕は、二本木の胸を突き飛ばした。
「お前が助けりゃいいだろうが」
「俺は、関係ないからくるなって言われてんだよ!」
制服の襟をつかんでくるので、振り払った。
僕たちは、次第にもみ合いになって、二人して床へ転がった。頭にきて、二本木の顔を一度、殴りつけてやろうとした。
「やめんか!」
そこを桜音ばあちゃんに水を引っ掛けられて手が止まった。
そして、二本木が言った。
「俺とコロナちゃんはな…お前のことしか話さないんだぞ…この野郎、くそ。なんなんだよ…」
二本木の体から離れた。
身体は、自然と仲介所へ向いていた。
インターホンの前に立ったが、正直にコロナを返せと怒鳴り込んでどうなるものでもない気がする。
けど、僕は、考えなしにスイッチを押した。
「はい、結婚仲介所、受付でございます。ご用件をどうぞ?」
「僕は、半井気助といいます。所長さんに会いにきました。エマさんの友達といってもらえれば、わかるとおもいます」
「少々お待ちください」
電子音のクラシック曲がインターホンから流れてくる。イライラする音だ。はやくしてくれ。
「所長は、ミーティング中です。後日改めてお越しください」
受話器を置かれた。コロナが出てくるまで待つしかないのか、僕は玄関先から離れて扉を見張ることにした。
「お困りのようじゃの~」
僕が隠れていると、そこに桜音ばあさんと二本木が、あらわれた。
「コロナのところへ行きたくても入れない…」
「そんなことじゃと思ったわ。わしにまかせい。勝手口へいくぞい」
桜音ばあちゃんは、二本木に僕を背負わせ、僕には気絶したふりをしろと指示した。
「こんなんで騙せますか?」
「わしは、ここのお得意さんじゃぞ。信じるにきまっとるわ」
「なんでもいいから、はやくしてくれ…重い…キスケ」
「すまん…」
桜音ばあちゃんが、裏口のインターホンを押した。
「わしじゃ。獲物をつれてきた。開けい。強く殴りすぎたわい。まったく」
ドアが開いた。
「二本木、一言もしゃべるな。キスケは顔を伏せて見えんようにせいよ」
桜音ばあさんに言われると二本木は生唾を飲み込んだ。
守備班の男が、一人やってきて、ぐったりした僕を担いだ二本木とばあちゃんは、奥の部屋に通された。
椅子におろされると、守備班の男がばあちゃんに言った。
「今日は中止と聞きましたが」
「うるさいわい!あんなばればれの隠れ方しよって!獲物がよってこんわ!」
「こいつは?」
「わしのマネ~ジャ~じゃ!人数ばかり、増やしおって、お前らは、頼りにならん!これ以上、間抜けなまねを続けると、今後の取引も考えさせてもらうぞ!はよ、水か何かもってこんかい!」
男は、ばあちゃんの剣幕に押されて、早々に部屋から出ていった。
「やったぜ!ばあさん!頭いい!」
「年の功じゃな」
「おばあさん、ありがとう。二本木も」
「つまんねえこと、いうなよ。いけって」
「所長室は、しっとるか?」
「はい、来たことがあるので」
「どうどうと出るんじゃぞ。そしたら、意外とばれん」
廊下には、ちょうど誰もいない。僕は階段に直行して駆け上がった。
そして、一気に所長室へ飛び込んだ。
真冬さんが、応接セットでコロナと向かい合って座っている。断りもなく、ここに入ってきた僕を彼女は、睨みつけた。
「コロナになにをするつもりです」
「あなたこそなんですの?」
コロナは、驚きの眼差しで僕を見つめていた。喧嘩したことを思い出して、押しつぶされそうになったが、それがなんだと奮起して口火を切った。
「僕は、エマさんにコロナを守るように頼まれているんです!勝手なことをされては、困るんですよ!」
真冬さんは、余裕の笑みで返してくる。
「その永夏さんが、また楽しく学校にこれるように相談をしていましたのよ。そうそう、あなたのことを忘れていましたわ。みんな仲良く学校生活を送りましょうね。そのためには、まず結婚よ。ね?刹那さん?」
「なんで黙ってついていったんだ?」
僕は、真冬さんを無視してコロナに話しかけた。
「だって…みんな迷惑するってキスケ言ったでしょ。水利も苦しむって、だから」
今頃、わかったのかよ…
「大人になりましたのよね?」
「だからって、こんな場所にくることないじゃないか。帰ろう」
コロナは、首を振った。
「この子は今日から、学校で合宿をするのよ。あたくしと、マンツーマンで最上級の花嫁修業をおこないますの」
「お前、そんなこと許したのか?」
「うん。そうしないと、エマちゃん、帰ってこない」
「永夏さんの無期停学を取り下げるのは、あたくしの裁量にかかっていますわ。生まれ変わった刹那さんを永夏さんに見せてあげましょうね」
この人、コロナを人質にするつもりか。
「あなたは、元はいいから、磨いて磨いて、これでもかというほど磨いてさしあげます。身も心も美しい女性になって、結婚相手も選り取り見取りにしましょうね」
「結婚相手?どういうこと?」
「花嫁修業もせっかくの相手がいなければ、意味はないでしょう?あたくしが、ふさわしい相手を与えますわ。それくらいの面倒は、みますわよ」
「それでいいのか?」
「わかんない…」
コロナは、僕から顔を背けてもじもじして言った。いつもと様子がおかしかった。僕の知るコロナではない。真冬さんが何かしたんだ。そうに違いない。
「何も心配しなくてもいいのよ。あたくしが考えてあげます。いい教育、いい服、いい結婚相手、いい生活、ばら色の未来、これにまさるものはありません」
「よくないだろ…人を着せ替え人形みたいにして、あんたおかしいよ!」
「部外者の分際で横からしゃしゃり出てきて、いったい何様のつもりなの?ミーティングの邪魔よ!」
真冬さんは、テーブルにある呼び鈴を鳴らした。
「僕は、コロナの婚約者だ!文句あっか!」
男たちが、僕を部屋から追い出そうと入ってきたが、真冬さんは、手を上げて、待つように示した。
「苦しまぎれの嘘にしては、頑張りましたわね。けれど、どう見たって、あなたたち、そんなふうには見えなくてよ」
「本当だ!コロナをつれて帰るまで一歩もひかないぞ!」
何とでもなれ!
真冬さんが、コロナを観察している。コロナは、カチコチに固まっていた。僕を見もしない。
薄笑いをして何度もうなずく真冬さん。
「証明をしてくれますでしょうね?」
「証明?」
「あなたが、刹那さんの婚約者ならば、あたくしたちの前でキスの一つくらいしてみなさいな」
僕とコロナが、婚約者というのは、あながち嘘ではなかったが、しかし、人の見ている前でそんなことができる関係ではないのは、明らかだった。
けれど、やってみせないと、この場を切り抜けられない気がする。でも、コロナはどうだ?僕の気持ちを汲んでくれるだろうか。
コロナの顔を覗き込む。じっと見ていると、彼女は、僕のほうへ向いてくれた。その顔は、赤くなって、しかも涙ぐんでいる。
「なにを躊躇っているの?それでも婚約者なの?」
僕は、思い切ってコロナに自分の顔を近づけていった。
すると、腹に衝撃が走り、顔が揺れて頬に痛みが走った。
気づいたときには、コロナが、ソファーを飛び越えていた。
僕を追い出そうとドアで待機していた二人を瞬時に叩きのめし、ここから逃げる。僕は、キスの代わりに腹を殴られ、張り手を食らわされたのだ。
真冬さんが、コロナを追っていこうとしたので、痛みを押して僕は、彼女に立ちふさがった。
「とんだ茶番ですこと!」
僕は、抵抗する余地もなく、真冬さんに腕をひねられて、床に倒された。
「守備班!小娘をここから出すな!」
真冬さんが、喚きちらして廊下へ出た。
「一度ならず二度も三度もあたくしをコケにして!」
いいぞ。コロナ、それでいいんだ。けど…二発も殴るかね!真冬さんに倒された痛みより、叩かれた頬が、痛くてジンジンする。
コロナにやられた連中も起き上がって追っていく。僕も一階へ降りた。
一階がざわついていた。コロナは、建物から抜け出したあとのようだった。
僕はどさくさにまぎれて、そこから逃れられた。
コロナはどっちへいったんだろう…外であたふたしていると、桜音ばあさんが、駆け寄ってきた。
「ワンサカ、仲介所の連中が出てきよったぞ!なにがあったんじゃ?」
「コロナが…その…やっぱり、いつもどおりで」
僕は、苦笑いした。
「仲介所のやつより先にコロナを見つけないと。どっちにいったかわかります?」
「あっちじゃ。二本木に追わせた」
二本木に電話してみる。
「いま、どこだ?」
「校門の方だけど…仲介所のやつらがいすぎて、コロナちゃん探せねえよ」
「まだ捕まってないんだな?」
「ああ、やつら探している。なあ、キスケ。俺がコロナちゃん見つけたら…」
「なに?」
「デートに誘っていい?」
「真面目に探せ!」
「ちょっと言ってみただけだろ…そんな怒るなよ…見つけたら連絡するから」
電話を切ると、桜音ばあさんが、言った。
「手分けして探すかい」
ばあちゃんと別れて、僕は、女子寮へ向かった。ゴロゴロと空から雷の音がした。雲行きが怪しい。
女子寮の前は、仲介所が張っていた。つまり、ここには、コロナはいないということか。
雨が、ぽつぽつと降ってきた。
コロナが行く場所で、あと思いつくところは、相談室しかなかった。
特別教室棟に行くまで、雨足は、土砂降りになった。頭から、雨水が滴ってくる。
相談室の扉の鍵は壊れたままだった。
扉を開けると、いきなり大きなものが飛んできた。すんでのところでかわせた。鉄製のゴミ箱が廊下へ転がっていく。
「僕だ!僕!」
エマさんの机から顔を出した。僕をにらんで動かない。
「なにもしない」
僕は、手を広げて、部屋に入っていき、ソファーに腰を下ろした。やれやれ、制服がびしょぬれだ。雨が、窓をたたきつけていた。仲介所の連中もこの雨では、外を出歩くのをやめるだろう。
顔を拭けるものを探していると、コロナがすくっと立ち上がった。
「キスケは、あたしと結婚したいの?」
いきなり核心をつく質問で愕然とした。
僕は、口をつぐみ、深く悩んで、汗なのか、雨水なのかわからない水分を手の甲で拭った。
エマさんとの約束や父さんと都川のおじさんとの関係や、真冬さんがコロナの結婚相手を用意しようとしていることなどが、ぐるぐると頭の中に駆けめぐって混乱した。頭が破裂しそうだった。その中でも一番大きな悩みは、ずっとコロナを見捨てたことを後悔していたことだ。喧嘩したことなんかすっかり忘れた顔してコロナに会いにいきたかった。
「結婚とかそういうんじゃなくて…君のことが好きみたいだ」
僕がそういうと、彼女は再び机の陰へ隠れた。
「あたしは嫌い。キスケ、弱いもん」
「そうかよ…」
あまり落ち込みはしなかった。おかしいけれど、霧が晴れたような気分だった。
そのまま、どこへも行けずに雨音を聞き続けた。コロナは、ずっと出てこない。
「腹減らないか」
「うん」
「のど飴しかないけど」
「うん」
僕は机のところまでいって、コロナにのど飴をやった。コロナは、あのエケコ人形をかたわらに置いていた。
「なあ、お前の父さんからさ。僕のこと、聞いてたのか?」
「うん、聞いてた。お父さん、嫌いになった」
「どうして、こんな学校に入ったんだよ」
「エマちゃんが、学校の悪いやつは、やっつけていいって言った。ほんとは、あたし、最初キスケをやっつけにいこうとしたんだ」
僕もか!
「でも…キスケが襲われてて…助けちゃった」
もしかすれば、コロナとはじめてあったとき、仲介所の人間の代わりに、この僕がぶちのめされていたのか…
僕たちは、夕方になるまで、その部屋に隠れていた。その間、二本木から、また連絡があって、僕は、コロナを見つけたことを知らせた。
「あーあー、俺の彼女ありの夏休みが音を立てて崩れさったよ!お前だけいい思いして!」
二本木は嫉妬で狂っていたが、僕は何度もお礼を言った。実際のところ、いい思いなどしてなかった。
雨が小降りになり、用心して、大学区画の方から、学校の外へ出た。寮に戻ると仲介所が、まだ張っているかもしれないので、コロナを僕の家へ連れて帰ることにした。
父さんは、コロナが小さいときに会ったことがあるらしく、彼女の顔を見ると喜んで、歓迎した。僕は、照れくさくなって、その場から消えたくなった。
気世と母さんは、お別れ会のときにコロナと顔を合わせているので、どうして僕がコロナを都川刹那と言わなかったのかと責めた。僕だってコロナが、都川刹那だったとわからなかったのだからしかたがない。
この日、コロナは僕の家に泊まった。
一夜明けて、コロナを寮へ帰すかどうか悩み続けているといつの間にか昼になっていた。昨日の夜、父さんが、都川のおじさんに連絡してくれたが、留守番電話になっていたらしい。
コロナと気世が、猫たちと戯れながら、テレビを見ていた。
「兄ちゃん、どこかつれてって」
「静かにしてくれ。考えことしてるんだよ」
「コロさんも退屈ですよね?」
「んー、あたしは、ずっとここにいていいよー」
まあ、それでもいいかと思って僕は考えるのをやめた。どうせ、いつかは都川のおじさんと連絡はつくんだ。
外に出ても暑いだけだし、両親も仕事でいないので、気恥ずかしさもないから、家でゴロゴロしていると僕の電話が鳴った。前にもかかってきた知らない番号からだった。今度は、真っ先に出た。
「はい。半井です」
「キスケか?エマだよ。エマエイカ。今、学校にいるんだ。コロナ迎えにきてさ。でも、寮にいなくて、あいつの電話にも何度も電話したけど、つながらないから、また携帯なくしやがったんだよ、きっと。というか、お前、エンジェルと喧嘩しただろ?あの野郎、キスケに電話番号変わったこと―前の電話は、水利の結婚式のとき、猫の背中につけたまま、だったし、真冬に没収されたからな―そんで番号、伝えるように頼んだんだけど、お前のところにいきたがらねえんだ。俺も、ぶち切れて、喧嘩しちまった。肝心なときに役に立たないやつだよ。あいつとの結婚考え直すわ。はは!」
エマさんは、僕とコロナも喧嘩したことを知らないようだった。いやに機嫌のいい彼女にほっとして、僕は切り出した。
「コロナなら、僕の家にいますよ。真冬さんがコロナを捕まえようとして、寮に帰れなかったんです」
「そうなのか。いまからそっちいっていいか?」
「はい、いいですよ」
二時間して、家のチャイムが鳴った。
僕とコロナが迎えると、エマさんの後ろに真冬さんがいた。それと見覚えのある大人もいる。
「よ!キスケ」
エマさんの挨拶が終わらないうちに真冬さんが躍り出てくる。
「あなた!寮に連絡くらいしなさい!寮生を行方不明にしたとあれば、大ごとですわ!警察に電話するところでしたのよ!」
あんたたちが、コロナを捕まえてどこかへ閉じ込めようとしたんだろうが…
「こうして無事だったんだし…そんなに大声で怒鳴ることはない」
都川のおじさんは、にこやかに言った。
「いいえ。こういうことは、きっちりしないと示しがつきませんわ」
「これでいいだろ?今日のところは、コロナは、つれて帰るから…」
エマさんが言うと、真冬さんは、腕を組んでそっぽむいた。どうやら、自分のしようとしたことは、都川のおじさんに話していないみたいだ。コロナの結婚相手を用意しようとしていたなんて、父親に面とむかって言えないか。
「キスケくん、大きくなったね。いや、男になったというべきかな」
「はあ…おじさん、僕はですね…コロナとは、別に」
「わかっているとも。わかってるとも。言わずもがなの関係さ」
おじさんは、僕の肩を親しげに叩いた。
「そのー母親に似てちょっとばかし、血の気が多いのが心配だったんだが…刹那は、キスケくんのことを気に入ったんだな?」
「知らない」
コロナは、エマさんの背へ隠れた。
「そうか、そうか。わが娘は平常運転。万事オーケー」
おじさんは、何もわかっていないと思われた。
「ということで、このまま、私も君の家でお泊りと行きたいところだが、刹那を一度、母親のところに帰さなないと私の立場が、困ったことになるのでね。いやーバツイチはつらい」
「キスケ、ありがとな」
エマさんが、僕の肩を優しくたたく。
「こちらこそ…」
都川さんが、車のトランクから箱を持ってきて、僕に渡してきた。
「これ、お詫び。お父さんの好きなお酒」
おじさんは、僕と堅く握手をかわした。おじさんの目がきらりと光った。
「では、都川がよろしく言っていたと」
「はい…」
おじさんは、普段は、軽薄な調子だが、命の恩人の父さんを崇めているふしがある。父さんは、崇められるような肩肘を張った人でもないのだけれど、おじさんのそんなところだけは、不気味だった。
「都川様、申し訳ないですけれど、学校へ送ってもらえません?」
「電車で帰れよ」
「この暑さですのよ?干からびてしまいますわ」
「干からびてみろ。笑えるから」
気づくと、真冬さんとエマさんが、小競り合いをはじめていた。
「そうかしら?結婚していないあなたのほうが、ふさわしくなくて?干物女ですもの」
「んだと!俺には、ちゃんとしたエンジェ…」
「エン?なんですって?」
「定員オーバーだよ!エンジンの調子が悪いんだよ!」
二人の間に都川のおじさんが割り込んだ。
「そこまで、そこまで。二人とも、よろこんで送らせてもらうよ。永夏ちゃん、古谷さん、どっちもとびきりきれいなお嬢さんだし、おじさん、エンジン全開ではりきるなー」
プーーーーーーーーーーー!
コロナが、仏頂面でおじさんの車の窓へ手を差し入れてクラクションをならし続けている。
「はいはい、わかりましたよ…キスケくん、今度、娘のあつかい方について、くわしく意見を交換しよう…たーのしみだ」
と、おじさんは僕に耳打ちしてから、いそいそと車へ乗り込み、発進させた。僕は、コロナと別れの挨拶もしなかった。
「兄ちゃんもいよいよ結婚かあ」
気世が、僕の背後でつぶやいた。
「僕は、フラれたんだよ」
「え?うそ」
大きなあくびがでる。疲れた。昼寝でもしよう。
「じゃあ、今までのなに?コロさん、うちに泊まったじゃん」
妹にそれを詳しく説明する気にはなれなかった。




