夢見
シロは気がつくと真白い空間にいた。
そこにはなにもなく自分以外には誰も居ないのだろうと思わせた。
(俺…どうなったんだ?)
自分がどこにいるか分からないシロは、意識を失う直前までなにをしていたのかを思い返していく。
(えっと…竜種を仕留めて、その後に吹き飛ばされたから……)
そこまで思い返してようやく現在の自分の状況に思い至る。
「あれ…もしかして俺……死んだ?」
答えなど返ってくるはずもないのに、そんな事を呟くシロだったが意外な事にその問いに答える者がいた。
『あなたは死んではいませんよ、シロさん』
突如シロが居た白い空間に、幼いが澄んだ少女のような声が響く、一体どこから?…と思ったが気付けば声の主と思われる少女がシロのすぐ目の前に佇んでいた。
見れば十二、三歳くらいにしか思えない少女はこの白い空間の中であっても映える美しい銀髪をしており、シロを見つめるその赤い瞳は強い意思を秘めているのが窺える。そんな浮世離れした容姿の少女は微動だにせずにシロを見据える。
「いつの間に……」
その少女から発せられる空気に少し物怖じしながらシロが言葉を漏らすと少女がニコリと笑みを浮かべた。
『先程から此処には居ましたがシロさんが私の声を聞いて、私の存在を認識したのでこうして姿を現しました』
説明を受けてシロは目の前の少女が任意でその姿を消したり現したりできるという事実に驚く。
「凄いな……まるで魔法みたいだ」
『まるで、じゃなくてこれも魔法ですよ……そもそもシロさんも使えるじゃないですか、魔法』
若干呆れながら少女がそう言うとシロは「あ…」と今更のように気付く。
しかしシロが言いたかったのはそういう事ではなく、今までシロが見てきた魔法はどれもが攻撃的なものだったので少女が使ったような"姿を消す"といった魔法を見たことがなかったから出てきてしまった言葉であって決してとぼけていた訳ではない。
そして少女もそれは理解しているようで悪戯じみた笑みを浮かべて、
『冗談です』
と付け加えた。
そしてシロは未だに自分が置かれている状況が飲み込めていないので、事情を知っていると思われる少女に訊ねる。
「君はさっき俺は死んでいないって言ってたけど、それなら此処は一体どこなのさ?」
まずは最初の疑問をぶつけてみる事にするシロに少女は頷いて口を開く。
『その前に自己紹介させてくださいね。私はメルフィ……この世界イルティネシアの神です』
「…………」
目の前の少女メルフィはピンと背筋を伸ばし神と名乗ったが、シロはそれで力が抜けてしまい、その様子にメルフィが首を傾げシロの顔を覗き込む。
『なんですか、その顔は? もしかして信じていませんね?』
「え、だって……ねぇ」
残念ながら神と言われたところで驚きはしない。何故なら以前に神と名乗る馬鹿を殴った経験があるから…………だから、シロの反応は仕方がないものだった。
メルフィはそんなシロの反応を見て溜息をつきながら喋りだす。
『最近は神を信じない者もいるから仕方ないのかもしれませんが一応私は本物ですよ。その肩書きは私が望んだ訳ではありませんが、とりあえずこの世界においての私の位置付けが神というだけの事ですし』
「一応ってどういうことさ?」
神様だという事を信じた訳ではないが、メルフィの言い方に少し引っかかってシロがそう返す。
『私の行いを後の人達が崇めた、というだけですよ。――私はそんな事、望んでなんていなかったんですがね』
懐かしむように、そして悲しそうにメルフィが答えると、シロはそれ以上聞くことが出来ない空気になってしまう。なのでとりあえずメルフィが神だという事を前提に話しを聞くことにするシロ。
「それで此処はどこなのさ? 君が神様で俺が此処に居ることになにか関係があるの?」
『此処はどこでもない……イルティネシアにあってイルティネシアにない空間。言わば神様の庭です』
メルフィの説明はいまいち理解できなかったが、神様の庭となると天国か死後の世界かそういった類の場所なのだとシロは解釈することにする。
「それで、なんで俺はその神様の庭にお邪魔してるの?」
『それはシロさん、あなたが私のペットを殺したからですよ』
と、メルフィがさらりと答える。
「ぺっと?」
はて? とシロが頭を捻る。そもそもシロはペットと呼べるようなものと出会った記憶すらない、ましてや殺すなんてあるはずがない。
そこまでシロが考えるとメルフィが言葉を繋げる。
『わかりませんか? あなた達が竜種と呼んでいたものです』
「………っ!」
その言葉を聞きシロはメルフィの胸倉に掴みかかる。
「なんで俺達を襲わせた! 俺達だけじゃない、クロネの仲間だってやられたんだぞっ!」
『落ち着いて下さい』
「答えろ!」
メルフィの言葉は聞こえていたが命を狙われたとなれば落ち着けるはずもなく、シロはメルフィを掴んだまま睨み続ける。
メルフィはそれでも表情を変えることもせずにシロの目を見つめていたが、目を瞑り小さく溜息をつく。
『すみません、今の表現は適切ではなかったですね。あれはペットではなく守護獣です』
「呼び方なんてどうだっていい、なんで俺達を狙った!?」
メルフィが呼び方を訂正した事にシロはさらに苛立つが、メルフィは首を横に振るう。
『それは誤解です。あれはただ私の守護をしていただけで特定の誰かを狙うようなことはしていません』
「なら、なんでドラゴンは俺達を襲ったんだ」
『……その前に、手を離してくれませんか? これでも私は女なので……――照れます』
などと本来なら頬を赤くしながら言うような言葉を無表情に言ってくれるので、シロは呆れてしまい降参したように掴んでいた手の力を抜く。
「悪かったよ。――それで?」
シロが手を離すとメルフィが乱れた服を直しながら説明を始める。
『あの子には魔力を集めて貰っていたので、襲うのは魔力があれば誰でもよかったんです』
「誰でもって……お前、神様だろ? 他に方法はなかったのかよ?」
『私だって人を襲うのは不本意ですが、あの地域一帯の魔物が少なくなっていたので仕方がなかったんです』
「魔物が少ないって、それって……」
『二百年程前から人が魔物を狩りつくすようになってしまい、魔力の供給源である魔物がいなくなってしまったのであの周辺にいた人を襲わせてもらっていました』
つまりは人々の安全に良かれとやっていた過去の積み重ねが、運悪く偶然シロやクロネに降りかかったのだと言う事になる。
「なんだよそれ……たまたま通りがかったから死んでくれなんて誰が納得するんだよ…!」
『死ぬ事に納得できる人はいないと思います。だからこそ抜き打ちで襲っているんです』
「ふざけんな! お前は人の命をなんだと思ってんだよ!!」
人の命を物かなにかと勘違いしているような物言いに、シロは再度怒りが込み上げてくる。
そこでメルフィが初めて辛そうな表情をする。
『さっきも言ったはずです、人を襲うのは不本意だと』
「ならなんで…!」
『なら、あなたは数十人の犠牲で世界の崩壊を防げるにも関わらず、それを黙って見過ごすと?』
「え…? 崩壊ってなんだよ……」
『ようやく落ち着いてくれましたか……。少しは私の話しを聞いてください』
メルフィの突然の宣告と忠告でようやく落ち着きを取り戻したシロは、深く深呼吸をしてその場に座り込む。
「話の腰を折って悪かった、話してくれ」
『いきなり落ち着きすぎです……まぁ、いいでしょう。――今、こちらの世界イルティネシアとあなたがいた世界は危機に瀕しています。それは二つの世界の境界にある互いを不可侵とする壁が消えかかっているからです』
「それは知ってる」
『え、知ってるんですか、ならなんで人々はあんなに落ち着いてるんです? もしかして生存を諦めて開き直ってしまったんですかね……?』
メルフィが真面目な顔で悩みだしたのでシロが答える。
「俺は特殊な情報筋から聞いただけで確信を持ってたわけじゃないし、他の人達は知らないはずだよ。だから諦めたとかそんなんじゃないって」
『そうですか……しかし崩壊と言ってもすぐにと言うわけではありません。今みたいに定期的に魔力を集めていれば後百年程は持つはずです』
「それは人を襲うって事だよね」
シロの問いにメルフィが頷く。
「神様なら魔力なんて余ってるもんじゃないの?」
『神と言っても私も人ですからね限度はありますし、元々壁の維持は私一人でできるものではありませんよ』
「一人じゃ維持できないって言うことは君以外にも神様がいたの?」
『シロさんがいた世界にいたはずですけど……?』
メルフィはシロのいた世界にメルフィのような神がいるはずだと言うがそのような存在は聞いたことがない。そもそも境界にある壁が魔力で維持されているのなら、それは魔法ということになる。しかしシロがいた世界には当然ながら魔法を扱える者はいない、だがそれがどういう意味を指しているのかはシロにはわかるはずもなかった。
「俺がいた所には魔法なんて存在していないし、メルフィみたいな神様も知らないな」
『そんなはずは……。もしかして世界の構築に失敗した? だとしたら彼は…』
メルフィがなにかを呟きながら一人自分の世界へと入り込んでしまい、シロは完全に蚊帳の外になってしまった。
(神様が俺達がいた世界にも存在してる? 話が突飛すぎて反応に困るなぁ…)
シロが目の前にいる神様の存在を棚に上げて、先程のメルフィの話を頭の片隅に入れておくことにした。
そしてシロはこのメルフィの庭に来てから時間がどれほど経ったのか分からないことに気付き少し焦る。
「ねぇ、俺そろそろ目を覚まさないとマズイかなぁと思うんだけど、どうすればいいの? というか目を覚ませばいいのかな、それとも帰る道でもあるの?」
そのシロの言葉にメルフィが思い出したかのようにシロの方へと向きなおす。
『すみません、まだシロさんのお相手の最中でしたね。――今あなたの意識は私が引き止めているので、私が開放すればすぐに戻れますよ』
「そうなの? なら戻してほしいんだけど」
『分かりました。名残惜しいですけど、そろそろお別れですね』
メルフィのその言葉にシロは少し意外に思う。
「名残惜しいとか思うんだ。てっきり今までの会話は事務的なもんなのかと思ってたよ」
『社交辞令に決まっているじゃないですか。私、一応は神なので品格も大事だと思いまして』
「品格気にしてるなら思ったことを口に出しちゃ駄目でしょ……」
シロが呆れた様に忠告するとメルフィは少し悩み、
『そうですね、今の言葉は撤回しておきます。――それに誰かと話すのは久しぶりだったので楽しかったです』
「そっか」
メルフィが微笑みながら嬉しそうな表情でそんなことを言ってくるので、シロも悪い気はせずに笑ってそう返すとメルフィは掌をシロへと向ける。
『それではシロさん、あなたの意識を帰します』
「ああ、頼むよ」
返事をするとシロの体を光が包み込む。
『それといい忘れていましたが、あなたが倒したドラゴンのような存在は世界各地にいます。そして私はそれらを御することができませんので、もし出会ってしまったら逃げる事をお勧めしますよ』
「あんなのが他にもいるのかい……」
メルフィの忠告にシロがげんなりしていると、メルフィはさらに付け加える。
『全ての人を見ていることもシロさんだけを見守ることも私にはできません。ですが今回はドラゴンを倒した事によってシロさんと私が一時的に繋がっただけの事ですが……』
メルフィはそこまで言うと、若干言い難そうな顔になる。
「どしたの?」
『いえ、もう会えるとは限らないですからね……。シロさん、あなたの旅が無事に終わるのを祈っていますよ』
言い終わると若干ではなく、かなり照れ臭そうにしているメルフィ。
そんな神様の様子が可笑しくてシロは笑ってしまう。
「ありがとうメルフィ。怒ってばっかだった俺に嫌そうな顔もしないでそんなこと言えるなんて、立派なんだな」
神様と言っても見た目が幼いメルフィを相手にしているとついつい子供扱いになってしまうシロ。
『いきなり呼び捨てとか慣れ慣れしいですね。シロさんに言われるまでもなく私は立派な神様ですよ』
と辛辣に返してくる神様。
「お前さっき品格がどうとか言ってなかったっけ?!」
シロが突っ込むとメルフィは最後にくすりと笑って、
『冗談ですよ』
その言葉が聞こえた瞬間、シロは意識が遠のいていくのが分かった。