魔物
王都から山を一つ越えた森の中に、人目を避けるように立てられた館があった。
そこへ身の丈が二mを超える男が扉を開けて中へと入っていく。
館に入ると男はため息を漏らしながら言葉を発した。
「所在が分からぬようにする為とはいえ、この距離は些か面倒ではあるな……」
その独り言のような呟きに返事が返ってくる。
「不便を掛けてすまない……しかし君も僕も一応はお尋ね者だからね用心するに越したことはないよ」
二階から手すりに手を掛け階段を降りながら黒髪の男は言葉を続ける。
「それで駒の使い勝手の方はどうだい?」
「あらかじめ指示を与えておけば動くが、やはりその場で対応するには誰かが付いていなければいかんな……それに自分は誰かを動かすのは性に合わん」
「マグラスさんらしい……そうなると維持に手間が掛かるから、やはり量産は難しいか……まぁ今回は廃品処理を兼ねての様子見だったし気にする必要もないか……」
マグラスと呼ばれた大男が黒髪の男の言葉を待っていると、二階から物音が聞こえるがマグラスは気に留める様子もなく立っている。
「マグラスさんとりあえずお疲れ様、まずはその傷を治さないといけないね……チチェ、そこに居るんだろ? マグラスさんの傷を治してもらえるかい?」
黒髪の男がそう言うとチチェと呼ばれた十歳くらいの女の子が顔を出す。
チチェは身軽な動きで二階から飛び降りると赤い髪を靡かせて着地し、黒髪の男に詰め寄る。
「あたし、マグラスさんみたいにおっきい人苦手って言ったじゃないですかー! レクト様ひどいですよー!」
チチェは抗議するが黒髪の男レクトは、チチェの頭に手を乗せて撫でながら諭す。
「チチェいいかい? マグラスさんは僕達の同志なんだ、一つの事に僕達全員が力を合わせなければいけない。彼がいなければ僕達が目指すものは実現できなくなってしまうんだ……わかるね?」
「う~、レクト様がそこまで言うならやるよ~!」
「うん、チチェは偉いな……やっぱり君が一番頼りになるよ」
レクトが褒めるとチチェはパァと顔を明るくして、腰まで伸びた赤い髪を掴みながらピョンピョン跳ね回るとマグラスの方へと近づく。
「ほらマグラスさん行くよ! しょうがないから、あたしが治してあげるよっ!」
「それは助かる、腹と背中をやられ、ここまで来るのも苦労した」
「油断してるからでしょー? 慢心ってやつ?」
「チチェ殿は手厳しいな……」
チチェに連れられてマグラスは奥の部屋へと向かっていった。
レクトが一人玄関に残っていると一階の部屋から眼鏡を掛けた女がでてくる。
女はレクトに気が付くと眼鏡の位置を直しながら話しかけて来る。
「今、この辺騒がしかったけど誰か来たのかい?」
「ああ、マグラスさんが帰ってきたんだ」
「あのでっかいおっさんか……」
「彼は同志だよ、不和が生じるような発言は控えてほしいものだね」
レクトが冷たい視線で女を見ると、女は一歩、後ずさりながらレクトに聞く。
「あたしもあんたの同志ってやつじゃないのかい?」
「確かに君も同志であることには変わりないが、あの屋敷で君の命を拾った僕に対して恩義くらいは感じてほしいものだね、カルラさん」
「わかってるよ! それより頼まれた魔導具はどうするんだい?」
「もうできたのかい? やはり君を連れてきてよかったよ」
そんな言葉を聞いてカルラは茶色い髪を掻きながらレクトに聞きなおす。
「世辞はいいから、アレをどうするか教えてくんないか?」
「アレはね僕の協力者にプレゼントするんだよ」
「協力者? あたし達みたいな奴がまだ他にもいるのかい?」
「まあね……僕にできることは、その彼らに塩を送る事しかできないが、あそこにはそれで十分だよ」
「まあ、なんだって構わないさ、それじゃあたしは休ませてもらうよ」
カルラも部屋へ戻るとレクトは、悪戯を考える子供のような笑みを浮かべて思案する。
「さて、今度はなにをしようかな」
数日が経ち、シロ達はカインズが用意してくれた荷物の中身を確認した後、客間を後にする。
シロは直剣、南坂は槍をそれぞれ食料や地図の入った荷物と一緒に持ち城を出ようと門へ向かうと、ルシアとカインズが見送りに城門まで来ていた。
「シロ君、カオリさん、お気を付けて」
「はいっ! カインズさんお世話になりました」
シロが頭を下げるとルシアが残念そうな顔をしていた。
「私も行きたかったよー……」
「ルシア様は前科があるので、やはり許可が出ませんでしたね」
「カインズのいじわる~」
「決めたのは私ではなく王妃殿下ですよ、文句がおありでしたら直接そちらの方にお願いします」
ルシアは母親に頭が上がらないらしく、カインズにそこまで言われると後は口を尖らせて呻るだけだった。
そんなルシアを見て南坂が声を掛ける。
「私達も一つか二つ町を回ったらまた帰ってくるから、ルシアはそれまでに外出許可を貰っておいてね」
「ほんと!? なら私、頑張っちゃうよ!」
嬉しそうにはしゃぐルシアを見て、カインズが困ったような顔をして南坂を見る。
「困りますよカオリさん……そんな事を言ったらまた騒がしくなるじゃないですか」
「だって私はルシアの味方ですもん」
やれやれと呟いてからカインズはシロの方を見ると、申し訳なさそうな顔をする。
「こちらの体制が整わないので調査にあまり人員が割けないので、シロ君が町を回ってくれるのは助かりますが、くれぐれも無茶はしないようにしてくださいね」
「分かってますって、ヒルトンにも毎日言われましたよ」
今日までずっとヒルトンに鍛錬を付き合ってもらっていたが、毎回同じ事を言われ続けていたので、それについては十分に分かっているつもりである。
カインズとの挨拶が終わるとルシアが急に声を上げてきた。
「シロ、カオリ」
二人が声のする方に向くと、ルシアが二人に抱きついてきた。
「二人とも、いってらっしゃい!」
「「いってきます!」」
二人が答えるとルシアは離れて、手を振りながら見送る。
シロと南坂は城の人達に感謝しながら王都を後にした。
「疲れた……」
南坂がそう言い出したのは、王都が見えなくなり日も沈みきり真っ暗になった頃だった。
確かに一日中歩くのはシロでもしんどいが、こちらに来てからずっと城に滞在していた南坂には堪えるだろう。
「それじゃ、この辺で野宿しよっか」
「あ、やっぱり野宿だよね……」
「まあね、今向かってる町シトラトには四日掛かるから、それまではずっと野宿かな~」
「旅って大変だね」
そう言って足を揉みながら南坂は体を休めると、荷物から食料を取り出す。
「多く持たせてくれたからって、食べ過ぎるなよ?」
「わかってますよー……むぐ!」
「ほんとに分かってるのかな……」
シロがぼやきながら水を取り出し喉を詰まらせた南坂に渡すと、南坂は一気に水を飲み干した。
「ぷはっ! 助かった~」
「どこに行っても食い意地は張ってるんだな南坂さんは……」
「失礼ね! そんな事ないわよっ」
「はいはい、そうですねー」
普段の南坂に戻ってよかったと思いつつ、シロは話を続ける。
「あんまり騒ぐと魔物が出てくるかもしんないよ?」
「うぅ……この辺って魔物いるのかな? 成瀬君は見たことあるんだっけ?」
「うん、ホルガーって言って小動物みたいな奴だったけど……」
「やっぱり怖かった?」
「う~ん、怖いというより痛かった……」
「痛い?」
説明を求める南坂にシロは、初めての魔物退治の話を始めた。
シロが魔物の頭を殴って穴を埋めた、と説明を終えると南坂はがっかりしたような顔でシロを見る。
「それって魔物退治なの? なんかこう……ドラゴンとかゴーレムみたいなファンタジーみたいな展開はないの?」
「それやってたら、たぶん俺死んでると思うなー」
あんな小動物の一撃で膝を付くのだから、ファンタジー的なものと戦ったらまず助からないだろうとシロは考えるが、南坂はまだ見ぬ魔物に期待している様子だった。
初めての旅という事もあってか、南坂はすぐに眠気に負けて眠り込んでしまう。
シロも久々に歩いて疲れていたが、見張りも兼ねて起きていなければいけないので焚き火を眺めていた。
「そういえば旅にはいつも誰かが一緒にいるな……」
こちらに来てから一人で過ごしたのは初日だけで、それからはいつも側に誰かが居てくれていた、そんな自分はきっと恵まれていたんだろうなと、シロは出会った人達に感謝する。
その日は無事に夜を過ごし、その後の旅路も平和なものだったが、もう少しで町に着くという所で道から逸れた森の中から女の子が飛び出してきた。
女の子は助けを求めながら南坂に抱きつくと、そのまま後ろに回って森を指差すとシロ達は女の子が指差したほうに目をやる、すると森の中でなにかの影が動く。
「はぁはぁ……あれティグルだよ……」
「「ティグル?」」
二人は聞きなれない単語に首を傾げながら、警戒すると森の中から一匹の獣が飛び出してきた。
獣はトラのような姿をしているが普通のトラと違い、模様はそのままだが色は白く前足が異常に太い、前足は人の胴程の太さがあり、引掻かれたら無事では済みそうもない。
「南坂さん? 初の魔物ですけど、ご感想は?」
「ファンタジーっぽくないから不合格……」
「そいつは手厳しいね~」
身構えながらも、そんな意味のないやり取りをする二人だが、目の前に猛獣が居てはさすがに冷静ではいられない。
女の子も今にも泣き出しそうな顔をして南坂にしがみついている。
このままでは先にこちらの心が折れてしまいそうなので、シロは直剣を抜いて前に進み出る。
「成瀬君?」
心配そうに訊ねてくる南坂に、シロは女の子を頼むと言って走りだす。
するとティグルも向かってくるシロを敵と判断したらしく、身を低くして前足に力を入れると飛び掛ってくる。
「はやっ!」
咄嗟に右に避けてすぐにティグルへと向きなおすが、シロは左腕が痛む事に気付いてティグルから視線を逸らさないように腕を見ると、すれ違いざまに爪に引掻かれたのか腕から血が流れていた。
とりあえず腕は動くので問題ないとしても、相手の速さに付いていけないのはマズイと、シロは追い込まれる前に次の手を打つ為に前へと出る。
ティグルはまた同じように身を低くして飛びかかる、シロはすぐに痛む左手を前に出すと障壁を展開した。
ティグルが勢いをそのままに障壁へとぶつかると、シロはその横を抜けて切りかかるが片手で剣を振るった為、力が足らず少し剣が突き刺さった程度だった。
(やばいっ……これなら足を狙うべきだった!)
自分のミスを反省しつつ障壁を消してから、自分の前に再度障壁を展開させると、ティグルが前足で容赦なく引掻いてくる。
「ぐっ!」
自身に返ってくる反動を耐えながらシロは足へと魔力を持っていく。
城を出る数日を魔法の鍛錬に費やしていたシロは、ヒルトンに頼んで身体強化の魔法を習っていた。
そのため展開術式は同時に一つの魔法しか使えないが、身体強化は体の内側に効果をもたらす魔法な為、併用が可能だという事が分かった。
まだ全身を一気に強化することはできないが、例えば右足に魔力を込めることで自分の障壁を飛び越えて、ティグルの頭上から剣を突き刺すという事も可能になるのだ。
壁を引掻く事に夢中になっていたティグルは、シロの体重を掛けた突きで首を貫かれ少し悶えたあと息絶えた。
「ふぅ……うまくいった~」
シロはへろへろとその場に座り込むと膝が笑っている、南坂が女の子を連れてシロのもとに来ると腕の出血を見てうろたえる。
すると女の子が慌てる南坂の前に出ると、自分の服の袖の部分を千切りシロの腕に巻きつけて止血してくれる。
「この道を真っ直ぐ行けばすぐにシトラトに着くので、そしたらキチンと手当てします」
「これで十分だよ、ありがとう」
シロがお礼を言うと女の子は良くありませんと怒り出す。
「ちゃんと手当てしないとあとで大変な事になりますよ! あとありがとうはこっちの台詞ですよっ」
女の子は怒りながら頭を下げてお礼を言ってくると、申し訳なさそうな顔をしてくる。
「本当にすみませんでした、私がティグルの縄張りに入ってしまったばっかりに……」
「この辺には魔物っているもんなの? 騎士団が全部倒してるんだとばっかり思ってたけど」
シロがそう聞くと女の子はキョトンとした顔でこちらを見てくる。
「全部倒したら困るじゃないですか」
「困るってどうして? あんな危ない魔物がいるなら倒しておいた方がいいに決まってるよ」
「ティグルは縄張りに入らなければ、襲ってはこないですからそのままにしてあるんですよ」
女の子はシロの手当てを済ませると、ティグルの尻尾を掴んで引きずろうとするが女の子一人で運べる大きさではないので、シロと南坂もそれぞれ後ろ足を持って引きずり始めた。
「重いね……」
「ですよね……本当は男の人が二、三人で運ぶものなんでちょっと大変ですけど、すぐ近くなんで頑張りましょう」
「まぁ、運ぶのいいけど、持ってってどうするの?」
「どうするって、食べるんですけど?」
「「食べるの!?」」
シロと南坂が声を上げると、女の子が驚いて二人を交互に見つめる。
「あの…なにを驚いているんです?」
「いやー、魔物食べるなんて町って意外と食料に困ってるのかなって」
そこまで言うと女の子は考えるように唸ってからシロ達に喋りかける。
「う~ん、私はシトラトからは出た事ないので分からないのですが、他も同じだと思いますよ?」
「そっかー、それじゃシトラトに着いたら魔物肉が出てくるんだねー」
「はいっ、ティグルは身が締まってて美味しいですよ!」
嬉しそうに喜んでいる女の子に聞こえないよう、シロは南坂に話しかける。
「魔物肉だってよ……どうする?」
「私に聞かないでよ……でも出てきたら食べるしかないよね……」
「やっぱ倒した手前、美味しく頂かないといけないよね……」
こうしてシロ達は女の子に案内してもらいながら、シトラトに到着した。