勉強する
「桃鉄やろうぜ!」
馬鹿の大声が部屋に満たされ、すこし耳鳴りがする。
「よっしゃ、99年の延長ありでやるか!」
そして、それに続けともう一人の馬鹿。
耳鳴りに加えて、頭痛に襲われる。
「やらねえよ!」
二人に釣られて、思わず私の声も大きくなる。
騒音の協演が、この場にキーンとサウンドエフェクトをかけたのか、
三人そろって耳をふさぐ姿が何とも愚かしい。
「まったく……あんたら、テスト勉強のために集まったんじゃないの?
やる気無いなら私、帰るから」
「ま、ま、愛様、落ち着いて。
今のは、ほんのちょっとしたジョークだから。そうだよな、ケン坊?」
そう、今日は一週間後に控えたテストに備えて、
勉強会を開こうという話で集まったのだ。
それもこの男、聡人がその発起人である。
この男までもがふざけだしたら、もはやこの世の終わりではないだろうか。
聡人は否定したが、私にはこの男が今
本気でやりそうな顔をしているように見えた。
冗談を言うときは、冗談を言う顔になってくれはしないのだろうか。
「えっと、僕は本気だけど?」
聡人にケン坊と呼ばれた男……健はのんきな顔をして言った。
この男はいい。健はそういう人間だと、小学校から9年と
ちょっとの付き合いで、嫌というほど分からされている。
「よし分かった。健はボコる。それから聡人もボコるから」
「愛ちゃんこわぁい」
「こわぁい」
この場をまとめるためならば、暴力による恐怖政治も
やむをえないだろう。本心ではないが。
2人ともそのことが分かっているのだかいないのだか、よくわからない
冗談めかした怯えの表情で、私の言葉を捕らえているように見えた。
私がやるべきことは、煮え切らない二人の態度に
火をつけるように、彼らの尻を叩く事。
「わかったらさっさとやる!」
健がしぶしぶといった顔で返事をした。
聡人も言うや否や、急いでテーブルにノートと教科書を広げていた。
これで私も勉強を始められる環境が整った。
鞄から、ノートを取り出し一声、よしと気を吐き勉強を始める。
「ふぅ……あんたたちも、捗ってるみたいね」
一段落ついたところで、周りを見れば、
二人ともしっかりと机に向かっていたようだった。
どんなものかと、まずは健の成果を確認するべく覗いてみる。
「どれどれ……って、健ッ?! あんたのそれ、
数式かと思ったら、格ゲーのコマンドじゃない、ばか!」
どうやらこの男、机には向かっていたが、それまで。
ノートいっぱいに、何のキャラかわからないコンボを書き連ねていたのだ。
本人はというと、にやにや笑みを浮かべ、まだ楽しげに書き続けていた。
私が睨みつけると、いたずらが見つかった子供のような、
無邪気な顔をしてこちらを見る。
「えへへ……脳内シミュレーションが捗っちゃって」
「はぁ、呆れた……聡人はあほな事やってないでしょうね」
一応、もう一人の様子も確認しておく。あまり期待はしていない、
おそらく馬鹿なことをやっているに違いない。
「おう、間違いねえ! 保健・体育は満点だ!」
自信満々に親指をぐっと立て言った。やはりか。
「はぁ……あんたらに少しでも期待した私が一番馬鹿だったかもしれないわ」
「やぁい、愛ちゃんのばか」
健があげ足を全力で取りに来る。気分とともに下がった顔を
ゆっくり上げて健を見ると、なんとも憎たらしい満面の笑み。
「……健、今すぐ黙らないと顔面崩壊させるわよ」
「ごごご、ごめんなさい!」
蛇ににらまれた蛙のように、びくびくと怯え、震えだす。
さきほどまでの威勢はもうどこへやら。
あきれかえる私の目に、ちょうど健の後ろにある掛け時計が映った。
一般的に夕方と呼ばれる時間をとうに過ぎている。おふざけの時間もこれまでか。
「もう、いいから! 教科書開きなさい、数Iの32ページ!」
「ひっ、開きました!」
「聡人は、返事ッ!」
「え、あ、ひ、開きました!」
二人の準備が出来上がったのを確認する。
真面目な顔をして、やっとやる気を出してくれたようだ。
私も復習がてら、今度はしっかりと二人の様子を確認するとしよう。
「よし、では改めて勉強会を始めましょう。まずは……」
ようやくやる気になった二人に、私はしっかりと向き合い、
勉強会はその体を初めて成していた。
時は止まったように進む。
とても同じ授業を聞いていたとは思えない、彼らの理解度に付き合い続け、
ようやくその成果が出るかというところまでこぎつけた。
窓を見ると外はすっかり暗くなって、夜の景色をその身に映し出している。
「終わったぁ……」
その声を合図に振り返る。聡人がもうこれっきりと、倒れこむようにして
今日一日のその疲れを体いっぱいで表現している。
聡人の成果を確認する、見たところちゃんと出来てはいるようだった。
「あら、終わりじゃないわよ?」
「え?! まだやるのかよ、もう勘弁してくれ」
わざと、意地の悪い言い方をしてやる。弱りきった聡人を見て、サディズムの衝動が
心の底から湧き出た上での行動だ。期待通りの反応にすこし笑みがこぼれてしまう。
「違う違う。そうじゃなくて、本番はまだでしょ?
テストで出来ないと意味がないんだから」
その笑みを隠すように、真面目な顔をして彼らを諭す。
準備は結果のためにあるのだから、準備だけで満足されてはだめだ。
私はその事を、心の隅にでも留めておいて欲しかった。
「はあ、やはり優等生様は言うことが違いますな」
「ちょっと、それどういうことよ」
なんだ、意地の悪い。聡人の嫌味ったらしい言葉に、少し心がざわつく。
私は別に優等生のつもりもないし、聡人や健には、
そんな風に遠ざける言い方をして欲しくない。
「いや……なぁ?」
健に同意を求め、重ねたその思わせぶりな言葉に、私の心は更に沸き立つ。
なんだかむかついてきた。
「わけわかんない」
聡人からはわざと顔をそらして言う。
健はというと、うなり込んでじっと考えていた。
私と目が合うと、途端に眉間によったしわが解ける。
「愛ちゃんはしっかり者だから、いいお嫁さんになれるって事じゃない?
だよね、アッキー」
「はぁ?! いや、ケン坊それは違うだろ……」
「はい今、健が良いこと言った、10ポイント! 今日は以上です、解散!」
「えへへ、愛ちゃんおつかれさま」
「え、おい、ちょっと! 待てよ愛ぃ!」
部屋を出ると、お邪魔しましたと一言残し、足早に健の家をあとにする。
私の後を、愛、愛と叫びながら聡人が追いかけてきていた。近所迷惑などお構いなし。
「あ、愛! ケン坊が言ったことは、その、全然違うからな!」
早々に追いつくと、第一声が先ほどの言い訳。この男は一体何を考えているのだろうか。
私は極めて笑顔で、感情をこめた重い右ストレートを顔面に放つ。
その一撃に、聡人はコンクリートで舗装されたマットへと叩き伏せられる。
「ばぁか」
その言葉の意味がうまく飲み込めない様子。
鼻から流れる血を気にも留めず、聡人は不思議そうに考え込んでいるようだった。
私の足は、重いかせでも取れたように軽くなった。
歩を緩め、急がずゆっくりと家路につくとしよう。