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今となって思い返してみれば、近い将来義父となる男兼年上の友人との出逢いは、今に繋がる大切な運命の歯車の一欠片だったのかも知れない。
当時、ジョエルはディナ男爵家の鼻つまみ者的存在で、いてもいなくても困らない子供だった。
というのも、彼は当時のディナ家当主が悪戯に仕えていた使用人である女に手をつけた末で生まれた余計な副産物だったからだ。
そんな彼を誰が必要としようか、いや、後の大公となるこの国の女神とも天使とも称される幼い王子が見出すまでは、無価値な存在だったに違いない。
それだけ当時の現ドロテア家当主は、不真面目で利用価値のないダメダメ子息だったのだ。
だが…。
「おい、そこのクソガキ。いつまで俺のケツ追い回してるつもりだ。」
ガキはガキらしく大人しくお人形ごっこでもしてろ。
振り返りもせずに自分の存在を言い当てた異母兄の側近に、シルヴィートは興奮した。そして嬉しくて心の底から喜べた。
彼なら自分を見てくれだけで決めつけないでくれるかもしれない。
彼なら自分を受け入れてくれるかもしれない。
しかし、その考えは次に彼の口から齎された言葉により呆気なく霧散してしまったのだが。
「チッ、テメェの諦めの悪さはドロテアのクソ爺譲りだな。メルリエンス。」
――俺は乳臭いガキは趣味じゃねーンだよ。
と言い切った少年に、シルヴィートが唖然としていると、突然それまで気配すら感じさせていなかった、庭師によって丁寧に整えられてあった茂みがガサガサ音を奏でたかとおもいきや、太陽の下で赤銅色に輝く艶やかな髪を持つ如何にも生意気そうな少女が姿を表し、ビシッとジョエルを指し示した。
「気付くのが遅いわよ!!それでも次期ドロテア家当主となる私の婚約者なの?私の婚約者ならばもう少し早く気付きなさい、ジョエル・ニーヴ!!」
「うるせーな。好きでお前の婚約者に誰がなるかってんだ。お前と俺が結婚するのも政治上の都合だっての。」
少女の名乗った家名に、シルヴィートは覚えが無かった。
自慢ではないが、シルヴィートは記憶力にはかなりの自信があった。一度目を通したモノは忘れないし、一度逢ったことのある人は忘れない。それなのに、憶えがない。
それもそうだろう。
何しろ当代のドロテア家を支配していた頭がガチガチに堅い狸爺は、孫娘の婿にジョエルを迎え入れるが為に、自然に見えるようにそれまで栄えていた自らの家を8年の歳月だけで没落させていったのだから。
その手腕は、国王にさえ見抜けない完全なる罪無き犯罪だった。
例え、メルリエンスの両親が意図的に起きた不慮の事故に遭遇して、他界していたとしても、証拠もなくただの事故に見えるのであれば、罪には問われないのだ。
「ったく、しようがねぇな。おら、家まで送ってやっから、さっさと来い。」
その言葉と共に手を差し出されて嬉しそうに微笑む少女と、そんな少女を仕方無く子守りしている少年に何も言えず、成り行きを見送っていた幼き次期大公は知らなかった。
少年らがあえて第二王子を無視していたことを。
立ち尽くしたまま動けなくなってしまっている王子を嘲笑い、ジョエルは唇の端を歪めて嗤った。
「甘いんだよ、クソガキが。」
「…相変わらずアナタは腹黒い鬼畜なのね。アナタの見かけだけに騙されてる方々が不憫でたまらないわ。私は。」
「ふん、俺の真実の姿はお前だけが知っていればいい。なぁ、俺だけのお姫様?」
その毒にも良く似た甘い囁きは、ジョエルの歪んだ人格、尋常ではない精神が如実に表れた、狂いきった者の言葉だった。
けれど、それ以上に狂っていたのはー
「えぇ。私だけが知っていれば良いのよ。だって、アナタは私だけの為に生きているんだものね…?」
幸か不幸か、後の大公は二人の狂いきった性格に気付くことなく、当たり障りのない友人関係を構築していくこととなる。