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後編

 ドロテア家が治めるセアッシュ領ヒューズから王都のダイスまではどんなに急いだとしても十日は掛ると言われている。

 それを見越してドロテア家に送られてきた招待状によれば、ケリンが愛馬のジャリスに飛び乗って王都に向かった時点で間に合う筈がなかった。

 だがそこはまたしても貴族の観点と激しい思い込みであって、荒廃していたヒューズの野山で威風堂々と駆けていた生粋のジャリスは、王都育ちの貧弱な馬と違い、脚力や持久力が桁違いに優れていた。


 彼女にかかれば、十日の道程もほぼ半分にまで短縮されるのだが、そこはケリンも野心逞しき令嬢であって、夜会の二日前に到着と言う荒業を繰り出し、そのまま、王都の一角にある歓楽街へと向かい、周囲の目も気にせず【アダム】という男娼館へ足を踏み入れ、その店の主である麗しい女性に微笑みかけた。


「すまない、部屋を一部屋五日ほど借り受けたいのだが?」


 ケリンは自分がどう必死に足掻き、努力しても男性にしか見えない事を理解していたので、率先してケリンは外では男性の様に振る舞っていた。


 これくらいで傷付き、悲嘆にくれる普通のご令嬢であれば、ケリンはケリンではない。ケリンは使えるモノは全て使い尽くし、欲しいものを完璧に手に入れる主義者で、実際に今までにもそうしてきた。


 粗野なズボンから金貨を二枚取り出し、店の主に思惑有り気な微笑みを向けたまま、ケリンは先手を打った。


「言っておくが私はコレでも貴族の端くれだ。無用な荒事は好まない主義でね。――なに、部屋さえ貸してくれたら大人しくしていると約束するよ。」


 店の主はケリンのその言葉で漸く警戒心を解いたのか、コクリと頷き、一つの鍵を差し出し、指で階段を指示し、白く美しく滑らかな指を3本立てた。


 どうやら3階の部屋を貸してくれるらしい。



 だが。



(あぁ、なんて綺麗な指っっ!!それにそれに、無表情なのに儚げで朧気な雰囲気と言うか色気が!!もう食べちゃいたい!!)


 ケリンは一応は男性の方が好きなのだが、女性もイケる珍しい人種で、男性経験は少ないが、女性経験はそれなりにある方だと自負していた。

 だから何も考えず、無事に夜会前に王都に辿り着けたという安堵感と興奮に突き動かされ、店の主に夜伽を冗談半分で頼んでみたところ・・・。


「――よろしいですよ。私でよければお相手致しますから、先に湯浴みをなさっておいて下さい。」


 静かで、でも確かに甘さを含む美しい声音に、ケリンの下腹部をきゅっと、甘く疼かせた。


 女にだって性欲はある。

 けれどそれを表立って表す人はいない。そんな中でも、ケリンはやはりケリンで。


 (良いよね?相手してくれるって言うんだからさ。)



 そうしてケリンは美しい男娼の店の主と甘くも官能的な二晩を過ごしたのだが、絶世の美女だと思っていた店の主は、実は男性だった。


「どうしても名前は教えて下さらないのですか?」


 縋りつくような麗しい眼差しに、ケリンは後ろ髪を引かれた様な心持のまま、持参した夜会用の衣装を身に着け、夜会へと出かけた。


 目指すはルシフェル大公。

 何が何でも我が家の存続の為にも王都から引き離し、領地へと掻っ攫ってやる!!



 そこでまさかの事態に見舞われるとも知らずに、ケリンは意気揚々と王家主催のパーティーに出陣した。


 



 そこはまさに魔窟と言う言葉が相応しい、色々と禍々しい雰囲気と陰謀が渦巻いている場所だった。そんな中でも一際目立つ集団があり、ケリンも自然とそちらの方へと金色に輝く瞳を向け、驚きのあまり、愕然としてしまった。


 ケリンの視線の先、たくさんの貴族や令嬢やご婦人に囲まれ、その中心に立っていたのは、なんと、つい先程まで睦みあっていた男娼館【アダム】の主だったのだ。


 彼は先程までとは異なり、ドレスではなく、誰がどう見ても男性と見える最高級の布をふんだんに使用し、また装飾品が施された衣装を身に纏い、朗らかに有力貴族達と語り合っていた。


 それに引き換え自分は・・・。



 ひそひそと自分に対し聞こえるようにわざと交される嘲笑や侮辱の言葉。

 王都に知り合いなどいないに等しいケリンに、救いの手が伸ばされる訳もなく・・・。


 クスクス、ケラケラ。


 ――なんて恥じらいの無い。


 ――まぁ、何処の田舎貴族かと思えば・・・


 ――陛下も意地がお悪いこと





 無遠慮に交わされ、囁かれる言葉は、ここに来て初めてケリンの心に傷をつけた。


 どうしようもなく惨めで、悲しくて、辛く、心が暗く澱みかけた時、そんなケリンに更なる追い打ちをかけようと着飾った貴族が口を開けかけた時、その言葉は不思議なほどケリンの心に怒りと屈辱の炎を滾らせた。




「大公はかの男娼を営んでいるとか。――確か【アダム】でしたかな?」


「――それが何か?」


「おお、そんなにお顔を顰められなくても良いではありませんか。私も殿下と同輩なのですよ。」




 ――如何ですか?今晩一夜お相手願いませんでしょうかな?





 下卑びた厭らしい粘つく声音は、まるで全てを侵略しそうなほど不愉快極まりないもので、ケリンは自分が貶められている事すら忘れ、気がつけば、美しくも誰よりも男性らしいその人の名誉を守る為、彼に言い寄っていたそこそこ偉そうな男の背中を長い足で蹴りまわし、その反動で転んだ男の腹を踏んでやった。


 ケリンに無様に踏みつけられた脂じみたでっぷりとした男は、踏みつけられた蛙のようにグウェっとの奇妙な声を洩らし、失禁し、意識を手放した。


「なんだ、王都の貴族は面白みもなければ、体力、武術も無く、教養も無ければ、人の好みも知らないのだね?」



 パンパン。



 両手を打ち鳴らす様に払い、気絶した男を見下ろしていたケリンは気付かなかった。

 と言うか、気付かない様に全力を尽くしていた。



 ――何故、彼が此処にいて、しかもその彼が自分を見て愉悦とねっとりとした艶と淫靡さを含めた、ドロドロとした虫歯になりそうなほど甘い熱を宿して自分を見ているのかを。



 きっと、気のせいに決まっている。

 いや、絶対にそんな事はあり得欲しくないのだが、現実は何処までもほろ苦かった。


「――危ない処を助けて頂きありがとうございます。」


「い、いえ、御無事で何よりです」


「名前を伺っても?」


  にっこりとしたその微笑みが今は怖い。

  ケリンはありとあらゆる顔の筋力を駆使し、自然に見える様な笑みを浮かべ、断ろうとしたが。


「ケリン、お前ケリンじゃないか!?」


 どうやら騒ぎを聞きつけてきたのか警備担当の見覚えのある騎士がケリンの姿を認めるなり、数年ぶりの再開の抱擁を求め、両腕を広げた所でピタリとその動きを止め、コホンっと、見事なまでの実にわざとらしいから咳を一つし、ケリンに相対していた彼に跪いた。


「ご無事で何よりです、ルシフェル大公殿下」


「はい。そこにいるケリン嬢のおかげで何事も無く済みました。――礼と言っては何ですが、何か願い事はありませんか?」


 最早、名前がばれてしまったのは仕方ない。

 しかし、当の目的はばれてはならない。様な気がした。

 だから自分の望みは無いと、多くの貴族や王族たちの前で宣言しようと思ったのに、彼はやはりこの国の大公らしく、自分の最大限の発言力と影響力をを悪用しにかかった。


「そう言えば、ケリン嬢。貴女とは一夜ではなく、二夜もの誤りで共に夜を過ごした際に、《ルシフェル大公》を婿にと望んでいましたね?」


 大公のその言葉に静まり返っていた夜会の空気が、俄かに息を吹き返し、ざわめき始めた。


 そんな様子をこともあろうに国王を始め、王太后、王妃、王子殿下、姫殿下は瞳をキラキラ、爛々と輝かせ、先王陛下や彼の生母である先王陛下の側妃達までもが、興味深げに見守っていた。


「そ、その件に関しましては、」


 だらだらと背中を伝う冷汗はもう止まりそうにもない。

 でもここで屈してしまうのは・・・


 そんなケリンの葛藤を吹き飛ばす様な発言で、彼はその絶世なまでの麗しい瞳と顔でケリンに問い質した。


「私の事は、遊びだったのですか?」


 ハラハラと真珠のような美しく清らかな涙を大公が流した瞬間、ケリンは咄嗟に《フェルテシオンの女神》と、国内外で称されている大公の細腰を抱き寄せ、口付けていた。


 徐々に深くなっていく口づけが止まったのは、先王陛下の喜ばしそうな祝福の言葉だった。



「シルヴィート。これでお前もようやく一人前だな」


「はい。ケリンが妻になってくれるのなら、私は今以上に国に尽くす事を今、ここで誓いましょう。――宜しくお願いしますね?」



 ちょこりと、首を傾げる大公に、ケリンは最早笑うしかなかった。


 それでも後悔や罪悪感が無いのは、それなりに彼に愛情があるからかもしれない。

 深い溜息を一つ。


 ケリンはケリンらしく、大凡普通のご令嬢っぽくない男性らしい仕草で大公の前に跪くと、ニヒルな笑みを浮かべ、彼の手の甲に口付けた。


「こちらこそ私の婿になって頂きありがとうございます。せいぜい私をアナタの力で孕ませて見て下さい。」


「えぇ、勿論です。私の《愛しい人》」



 大公の蕩けんばかりの美しい微笑みと、ケリンの男性らしい求婚はこうして幕を閉じた。



 それで、どうして大公が堕天大公って呼ばれてるかって?


 それはね、私が彼女を落し入れる為、父を始め甥や姪、義母や貴族を操り、唆し、彼女に求婚せざるをえなくなる様な状況下に持っていったからだよ?


 もし、本当の天使だったらそんな事はしないだろう?

 うん?

 彼女は今何処にいるかって?

 彼女、つまり今は私の妻となった愛しい人は、昨夜の行為からの疲れで、まだ夢の中にいるよ。



 




 まだ幼いと言っても良い自分達の子供の頭を愛しげに撫で、堕天大公と名高い、実はお腹真っ黒な大公様は、再び妻を愛でる為、子供達を侍女や執事に預けると、寝室へと消えていったのでした。


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