序章
「 頼んでいた搔取り《かいどり》は、仕上がっておるか? 」
「 これは咲嶋様、わざわざのお運び、痛み入ります。
ご注文の品なれば、これにございます。
今、ここでお当てになられますか? 」
「 いや・・・いつもそなたたちの仕事には満足しておるし、果報は寝て待てなどと申すではないか。
後ほど、私の局まで届けてたもれ 」
「 お千佳ちゃん、そこ、ヘラつけ間違ってる 」
「 え???? どこどこ??? ほんとだ 」
「 誰か・・・この帯を、お紗枝の方様のお部屋に届けてくれぬか 」
ここは、江戸城大奥
『 呉服の間 』
御台所様をはじめとする、大奥で暮らす者 全ての、衣装を調える場所が、ここだ。
私の名前は おしま。
もっとも、この名前は、大奥内での呼び名で、本当の名前は おけい と言う。
ここ呉服の間に奉公する十人のお針子の一人。
つまり、こう見えても私は
奥女中
なんですよ。
私は、江戸・日本橋にお店を構える呉服商 『 伊勢や 』 の、三女として生まれた。
上には当然の事ながら、姉が二人いる・・・いや、いた。
いた と言うのは、すぐ上の姉は、私が生まれる少し前に、疱瘡に罹って亡くなってしまっと聞いているからだ。
あ、ちなみに兄も一人いる。
しかし、兄は現在、実家にはいない。
商いの修行の為、上方の商人のところで奉公しているからだ。
先日届いた おとっつぁんからの手紙によると、兄は今年の春から手代に昇格したらしかった。
私よりも五つ上の姉は、一昨年の夏、お店の手代の一人を婿にとって所帯を持った。
将来はその義兄がお店を継ぐことになるのだろう。
私も二年か三年以内には おとっつぁんが見込んだ手代か番頭の一人と所帯を持って、うちのお店を盛り立てていくはずだった。
しかし・・・去年の夏ごろ。
うちのお店のお得意様である、お旗本の内藤様が、
私を大奥で奉公させる気はないか
と、仰って下さった。
何でも内藤様の妹君に、大奥のご祐筆 をなされていらっしゃる初音様と仰る方がおいでなのだけど、その初音様から内藤様の元に、
呉服の間に奉公するお針子を一人、探して欲しい
との依頼があったらしい。
そこで白羽の矢か立ったのが、私と言うわけだ。
呉服の間詰め女中。
大奥の女中は、例え身分が お目見え以下 の軽輩者でも、上様のお目に留まり、一度でも夜のお相手を務めることが叶ったら、たちまち お目見え以上の
お中﨟《ちゅうろう》様
だ。
ましてや、上様のお子を懐妊し、無事、出産の運びとなれば、生まれた子供が男の子ならば
お部屋様
女の子であっても
お腹様
と、呼ばれて。
大奥の中に豪華な個室を与えられ、正式な
側室様
と、なる。
( 夜のお相手をつとめただけでは、正式な側室ではないんだって )
でも、大奥の女中とは言え、呉服の間詰めの女中・・・つまりお針子は、巷で言う職人みたいなもので。
上様が食指を伸ばすことなど、まずありえない
と言う事だったから・・・
おとっつぁんも、おっかさんも、
「 これ以上の奉公先は先ずない 」
と、大乗り気で。
私自身も、縫い物は得意なほうだし、刺繍も好きだったから、とんとん拍子に話は進み、
去年の秋の終わりごろ、千代田のお城に上がって、大奥の呉服の間に奉公することとなった。
勿論、大奥に奉公するのは、
武家の娘
に、限られているんだけど、そこはそれ。
『 養子縁組 』
と、言う、抜け道があるんですよ。
これが。
身分の低い、農民や町人でも、武家の養子・養女 になれば、身分は武家の子、武家の娘になるんですよ。
その制度のおかげで、花嫁修業の意味もあって大奥や大名・旗本などの武家屋敷に奉公している裕福な町人の娘たちは、ほとんど全員が武家の養女という建前でお屋敷に入っている。
かく言う私も、私に大奥への奉公を勧めて下さった内藤様が、私をご自身の養女にして下さったので、私は建前上
内藤様の娘
と、言う事になっていて、大奥奉公をすることが出来たのだ。
ずっとあこがれていた
大奥。
金襴のうちかけ
伽羅の香
美味しい食べ物
どんなところだろうと思っていたけれど・・・
どうしてどうして。
現実は、憧れなんかつむじ風で吹き飛んでしまうみたいな、
とても一筋縄じゃいかない、
女の苑
なんですよね。
これが。