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死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第2章:学習する迷宮

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2:潮の匂いと、監察官の影

2:潮の匂いと、監察官の影


 港町レイナへ向かう道は、途中から空気が変わった。

 草の匂いが薄れ、湿った風が混じりはじめる。遠くから海鳥の声が聞こえ、塩気が舌に触れる。関所の森とは違う。視界が開けているぶん、危険が見えにくい気がした。

 馬車の中は静かだった。

 沈黙を破ったのは、車輪の軋む音でも、馬の鼻息でもない。黒衣の監察官グレンの声だった。

「港町の迷宮は、入口が複数あります。確認されているだけで三つ。いずれも潮の霧を噴き上げる柱が目印です」

 言い方が、報告書そのものだ。人を安心させる温度がない。

 セラが義足を鳴らしながら、工具箱の留め具をいじって言った。

「入口が複数、ってのは嫌だね。出口が消える確率が三倍になる」

「確率ではなく、構造の問題です」グレンは淡々と返す。「迷宮は収束し始めています。入口が複数あるのは、侵入者の行動データを多く集めるためでしょう」

 ミリアが炭筆を走らせながら小声で言う。「……観測装置みたい」

 フィーネが窓の外を見て、ゆっくり息を吐いた。「潮の霧……人の不安を増幅させそうですね」

 リュカは黙って剣の柄を撫でている。怒りとも緊張ともつかない沈黙。俺も似たようなものだった。

 迷宮は学習する。

 しかも、勝利がトリガーになる。

 つまり、俺たちは勝っても負けても地獄だ。勝てば学習され、負ければ死ぬ。だから必要なのは、勝ち方の変化だ。固定された勝ち方は、次に殺される。

「合図の確認」俺は短く言った。

 フィーネが頷く。「危険な命令が来たとき、私が『深呼吸』と言います。皆さんは一度止まって呼吸を整える。そこで状況を再確認しましょう」

 セラが付け足す。「それでも押し切られそうなら、私が『釘』って言う。これは強制停止。足を止めて、全員がその場で防御に回る。理由は後」

 ミリアが頷く。「私は『記録』と言います。何かが見えた、あるいは表示が出たと判断したら、勇者様に確認します」

 リュカが短く言った。「俺は『盾』だ。誰かが狙われたら、前に出る」

 俺は息を整えた。「よし」

 そして視線が、無意識にグレンへ向かう。

 グレンは何も言わず、ただ俺たちのやり取りを見ていた。目が冷たい。合図の存在すら、彼の中では「データ」なんだろう。

 馬車が揺れる。潮の匂いが強くなる。

 ――港町レイナが見えた。


 *


 レイナは、賑やかな町だった。白い壁の家が並び、網を干す木の枠が道路沿いに立っている。魚の匂い、潮の匂い、人の汗。市場の呼び声が響き、誰もが忙しそうに動いていた。

 だが、その活気の上に、薄い膜みたいな不安が乗っている。

 人々は笑っているのに、空の方を何度も見上げる。海の方を確かめる。店の奥に水桶を置き、扉の前に板を立てかけている家もある。

 迷宮の霧は森に立つ柱じゃない。

 海の上だ。

 港の沖合に、黒い霧の柱が三本、ゆっくりと脈打っている。潮の霧が混ざり、遠目には嵐の前触れみたいに見える。だが雲はない。空は晴れている。

 不自然すぎる。

 港の詰所で、現地の守備隊長が俺たちを迎えた。日に焼けた顔、塩で荒れた手。声は大きいが、その目が疲れている。

「勇者殿! 来てくれたか……助かる。だが、状況はあまり良くない」

 隊長は地図を広げた。海岸線、桟橋、倉庫街、灯台、そして沖合の三本の霧柱。

「一つ目の入口は、灯台の地下。二つ目は、古い船渠せんきょの奥。三つ目は……海の上だ。霧が濃い場所に、石のアーチが現れたり消えたりしている」

 セラが眉を吊り上げる。「海の上に入口? ふざけてるね」

「ふざけてない」隊長は苦い顔で言う。「昨日、漁師が近づいて……帰ってこなかった」

 ミリアの筆が止まった。フィーネが目を閉じ、短く祈るように息を吸う。

 リュカが隊長に問う。「迷宮の魔物は」

「魚の化け物だ。いや、魚だけじゃない。人の声を真似る。助けを呼ぶ声を出す。夜になると特に……」

 その言葉に、背筋が粟立った。

 声を真似る。助けを呼ぶ。

 つまり、恐怖を煽って隊列を崩す。

 ――俺たちのやり方を、もう狙ってきてる。

 隊長はさらに言った。

「そして、奇妙な現象がある。霧柱の近くで戦うと、武器が重くなる。剣が、槍が、腕に沈む。魔術師は『潮の魔力が絡みつく』と言っていたが……」

 重くなる。

 強いほど不利になる俺に、別の縛りが重なる。笑えない。

 グレンが口を開いた。

「入口はどこから入るべきか。現地の判断ではなく、我々が選ぶ」

 隊長が睨む。「ここは俺の町だ。現地の判断を無視するな」

 グレンは表情を変えない。「町を守るために、判断の一貫性が必要です。勇者の行動は迷宮に記録される。ならば、分散は悪手」

 セラが低く笑った。「分散が悪手? あんたは迷宮の味方かい」

 空気が一瞬凍った。

 隊長が息を吸う。リュカが一歩前へ出る。ミリアが不安そうに俺を見る。フィーネが小さく「深呼吸」と言いかけて、口を閉じた。

 俺が言うべきだ。

 短く。だが、折れずに。

「入口は一つに絞る」俺は言った。「でも選ぶのは現場だ。……灯台から入る」

 隊長が驚いた顔をする。「灯台? そこは最も古い入口だ。危険も多い」

「古いから、観測が多い」俺は言った。「迷宮が学習するなら、古い入口ほど対策も進んでいるはず。でも――」

 俺は一拍置いた。

「対策が進んでいるなら、逆に癖も出る。学習した迷宮は、効率を求めて偏る。そこを突く」

 セラがニヤッと笑う。「いいね、勇者さん。やっと頭の勝ち方になってきた」

 グレンが俺を見た。「根拠は」

「根拠は、森の迷宮がそうだったから」俺は言った。「誘導核、守りの騎士、出口の移動。……全部、効率の偏りだ」

 ミリアが小さく頷いた。「学習=最適化。最適化=偏りが生まれる。理屈として通ります」

 グレンは少し黙ったあと、頷いた。「許可します。ただし、記録はすべて提出」

「当然」

 フィーネが静かに付け足す。「提出はします。ですが現場の呼吸は、提出できません。私が守ります」

 隊長は歯を噛み、やがて言った。「……分かった。灯台へ案内する。だが一つ忠告だ。灯台の地下は、水がある。膝まで浸かる場所がある。足元を取られるぞ」

 セラが即答する。「縄がいるね」

「縄は逆手に取られる」俺が言った。「迷宮は、縄で引くのを学んだ。なら――」

 セラが目を細める。「じゃあ、縄は切る前提にする?」

「うん」俺は短く頷いた。「引かれたら切る。結び目は弱く。ナイフ常備。……それと」

 俺はフィーネを見る。「声を真似る魔物がいるなら、合言葉を増やす」

 フィーネが頷く。「はい。私たちだけが言える短い言葉。例えば、今日の朝食の名前でも良いですが……」

 セラが言った。「朝食なんて忘れる。もっと確実なのがいい。勇者さん、最初に迷宮で死んだ場所――」

 彼女は言いかけて止めた。言葉の端が鋭すぎた。ミリアの目が揺れた。フィーネが一瞬だけ視線を落とす。

 俺の胸が、どくんと跳ねる。

 言うな。

 そこは言うな。

 セラは舌打ちして言い直した。「……関所の罠。濡れ床落とし穴。あれを合言葉にしろ。『濡れ床』って言えたら本物だ」

「いい」俺は頷いた。「誰かが助けを呼ぶ声を真似ても、『濡れ床』が言えなければ無視する」

 隊長が顔をしかめた。「助けの声を無視するのか」

「無視しない」フィーネが静かに言った。「確認します。合言葉。呼吸。距離。安全が取れたら救う。順番を変えない」

 隊長は苦い顔のまま頷いた。「……分かった」


 *


 灯台は岬の先に立っていた。白い壁の塔。海風を受けて、古い金属が鳴る。階段を下り、地下へ向かう扉の前で、俺たちは装備を確認した。

 棒は二本。

 ナイフは全員。

 短い縄は切る前提。

 合言葉は「濡れ床」。

 危険停止の合図は「釘」。

 呼吸を整える合図は「深呼吸」。

 表示確認は「記録」。

 グレンは最後に言った。

「勇者。あなたは生き残る必要がある。国の資産として」

 その言葉を聞いた瞬間、セラの義足がギギ、と鳴った。リュカの目が鋭くなる。ミリアが顔を歪める。フィーネだけが、表情を変えずに息を整えた。

 俺は短く返した。

「資産じゃない。……俺は、俺だ」

 グレンは無表情のまま頷いた。「記録しておきます」

 ――嫌だ。

 こいつは、俺の人を削る。

 俺は扉に手をかけた。冷たい金属。潮の匂い。海の音が遠ざかる。

 扉を開けると、湿った空気が流れ出した。

 暗い階段。壁に黒い筋が走っている。森の迷宮と同じ血管。だがここは、筋の間に白い塩の結晶がこびりついている。

 潮の迷宮。

 俺たちは降りた。

 石段の途中で、足元に水が広がった。膝までとはいかないが、足首が沈む。水は冷たいのに、どこかぬるい。嫌な温度だ。

 セラが棒で水面を叩く。パシャ、パシャ。

 音は普通。

 だが、次の一打で音が変わった。

 鈍い。

「止まれ」

 全員が止まる。俺の心臓が跳ねる。

 セラが水面に金具を落とす。金具は沈む。沈む。沈んで――途中で止まった。

「底がある」セラが言う。「でも、ここだけ深い。穴だ。……落とし穴じゃない。水の穴」

 水の穴。つまり、落ちたら溺れる。あるいは、下へ引かれる。

 俺は短く言った。「迂回」

「迂回路がない」セラが吐き捨てる。「最初から通らせる罠だ。つまり、通り方を見て学習する」

 ミリアが小さく呟く。「観測……」

 フィーネが静かに言った。「深呼吸」

 俺たちは一度息を整えた。焦って進めば、罠が恐怖の形になる。

 セラが俺を見る。「勇者さん、どう渡る」

 俺は棒を握り、頭の中で選択肢を並べた。

 縄で固定すれば安全だが、引かれたら危ない。

 飛び越えるのは、着地が不安定。水で滑る。

 板を渡す? 重いほど武器が沈む現象があるなら、板も沈むかもしれない。

 そして――迷宮は学習する。

 一度使った手は、次に殺される。

 なら、正解は一つじゃない。ここで揺らす。

「二人ずつ。支え合って渡る」俺は言った。「でも支え方を変える。最初は腕、次は棒、次は荷物。……同じ形で渡らない」

 セラが笑う。「学習を邪魔するってわけだ」

「そう」

 リュカが頷く。「俺が最初に行く。落ちても――」

「落ちるな」セラが切るように言った。「勇者さん、言ったろ。死んだら終わりだ」

 リュカは唇を噛み、頷いた。「了解」

 最初のペアはリュカと兵士。腕を組み、棒で底を確かめながらゆっくり進む。水の穴の縁は滑る。足が取られそうになるが、二人で重心を低くして渡り切った。

 次は俺とフィーネ。俺は棒を横にして支えにし、フィーネは俺の肩ではなく、棒を掴んだ。支え方を変える。

 水の穴の縁で、何かが足首に触れた気がした。

 ――引かれる。

 ぞわっとして、反射で足を引く。だが引かれない。水が揺れるだけ。

 俺の胸が嫌な音を立てる。

 いま触れたのは、水草か? それとも、何かの手か?

 背後から、声が聞こえた。

「助けて……」

 女の声。弱い。震えている。

 水の向こう、暗い通路の奥から。

 ミリアが息を呑む。「……人の声」

 隊列が揺れる。全員の視線がそちらへ向く。

 その瞬間、フィーネがはっきり言った。

「濡れ床」

 合言葉。

 全員が反射で息を吸う。

 声が本物なら、合言葉を返せるはずがない。

 暗がりから、もう一度声がした。

「助けて……お願い……」

 合言葉は返ってこない。

 セラが低く言った。「無視」

 兵士が震える声で言う。「でも、もし本当に……」

 フィーネが揺れない声で言った。

「本当に助けが必要な人は、私たちの恐怖を利用しません。恐怖を利用するのは、迷宮です」

 声が、急に低く変わった。

「……濡れ床」

 ぴたり、と空気が凍った。

 真似た。

 学習した。

 たった一回で、合言葉を覚える。

 セラが叫んだ。「釘!」

 全員がその場で足を止め、防御に回る。

 水面が、ぶくり、と膨らんだ。

 水の穴の中心から、黒い影が浮かび上がる。魚の頭、人の腕。ぬめった皮膚に塩の結晶が貼りついている。口が裂けるように開き、さっきの女の声を出した。

「助けて……」

 そして次の瞬間、別の声になる。

 低い男の声。

 聞き覚えのある冷たい声。

「勇者。あなたは生き残る必要がある。国の資産として」

 ――グレンの声だ。

 俺の背中が凍った。セラが歯をむき出す。リュカが踏み出しかけて止まる。ミリアが顔を真っ青にする。

 フィーネが、短く言った。

「耳を閉じて。目は足元」

 彼女は自分の耳を指で塞ぎ、見本を見せた。俺たちも真似る。声を遮断する。迷宮の武器を奪う。

 セラが水面へ釘の束を投げた。影が揺れ、浮上が止まる。

 リュカが剣の腹で叩き、兵士が槍で押し返す。

 だが、影は引かない。

 水の穴の縁が、ぐにゃり、と歪んだ。

 水そのものが手みたいに伸び、俺たちの足首を掴もうとする。

 俺は棒で水を叩き、叫んだ。

「交換! 後ろ!」

 隊列を崩さないために、後退する。だが水の穴が広がる。最初から通り方を見て学習し、次は通れない形に変える。

 迷宮は、俺たちの勝ち方を、もう前提にしている。

 そして、胸の奥で嫌な予感が膨らむ。

 この戦いは――関所より、ずっと厳しい。

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