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死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第2章:学習する迷宮

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1:勝利の味は、すぐに薄れる

1:勝利の味は、すぐに薄れる


勝利の味は、すぐに薄れる 関所の町に戻った瞬間、空気が変わった。

 ついさっきまで森の闇に張りついていた冷えが、焚き火の熱に溶けていく。泣き声と笑い声が混ざり、誰かが「勇者だ!」と叫び、次の瞬間には人が押し寄せた。

「本当に……戻ってきた……!」

「霧が消えてる! 迷宮が……!」

 俺たちは縄をほどく間もなく囲まれた。兵士が必死に押し返し、リュカが前に立って道を作る。

「下がれ! まだ安全確認が終わっていない!」

 その声に、人波が少しだけ引いた。だが、彼らの目は興奮で濡れている。失いかけた町が残った。死ぬはずだった人が生きている。それだけで、世界がひっくり返る。

 セラが義足を鳴らして俺の横に立つ。

「勇者さん。顔、作れ。今は戻ってきた顔だ」

「……できてる?」

「できてねえ。死体みたいだ」

 容赦がない。だが、それがありがたい。俺は唇の端を無理やり上げた。笑顔というより、歯を見せただけに近い。

 フィーネが人々に向けて一歩出る。

「皆さん、落ち着いてください。怪我人はいませんか? 動けない方は――」

 彼女の声は、混乱の中でもよく通った。人は、強い声より揺れない声に従う。俺はそれを、迷宮の中で何度も見た。

 ミリアは人波の隙間を縫って、門の近くの衛兵に紙束を渡していた。

「迷宮内の記録です。すぐ城へ。……急いで!」

 彼女の手はまだ少し震えている。でも、震えながら書いた記録が、次の命を救う。そういう顔をしている。

 勝った。戻った。生きている。

 それなのに。

 俺の背中はずっと冷たかった。

 森の出口で見た、あの小さな文字。


《条件達成:勇者の進行が上位迷宮に記録されました》


 記録。

 この世界の迷宮は、ただの自然災害じゃない。誰かが作ったシステムだ。そしてシステムは、俺たちの勝ち方を見ている。

 ――次は、対策される。

 勝利の味は、口に入れた瞬間から薄れていく。

 *

 王城に戻るまで、馬車は止まらなかった。

 町の人々は俺たちを英雄として扱ったが、俺はそれを受け止める余裕がなかった。英雄扱いされるほど、次の期待が重くなる。期待は作戦を縛る。縛られた瞬間、迷宮はそこを狙う。

 馬車の揺れの中、セラが工具箱を抱えたまま言った。

「勇者さん。さっきの、変な顔……」

「変な顔?」

「出口で、急に青くなっただろ。何見た」

 質問が鋭い。俺は一瞬言葉に詰まって、すぐに飲み込んだ。

「……迷宮の最後に、変な表示が出ただけだ。勝利条件の通知みたいな」

 嘘じゃない。全部言ってないだけ。

 ミリアが顔を上げる。「表示……? 勇者様だけに見えたのですか」

「たぶん」

 フィーネが小さく頷いた。「勇者様の能力が、迷宮の情報に触れているのかもしれませんね」

 リュカが腕を組む。「なら、それは有利だ。情報は力だ」

「……有利とは限らない」セラがぼそっと言う。「情報は、狙われる」

 その言葉に、俺の胃がきゅっと縮んだ。

 狙われる。

 俺はスキル画面を思い出す。【直感】Lv0。もし次に死んだら、何が削れる? 剣術? 死に戻り? それとも、もっと根っこ――判断力のようなもの?

 死に戻りは保険じゃない。最後の弾丸。

 そして、その弾丸を持っていること自体が、もし上位迷宮に記録されるなら――。

 背筋が凍る想像が浮かぶ。

 迷宮が、俺の死に戻りを学習したら?

 俺は窓の外の景色を見るふりをして、息を整えた。

 考えるな。今は、報告と次の準備だ。


 *


 王の執務室は、前回より人が多かった。

 王、王妃、魔術師、近衛騎士団長、神殿の代表、そして見たことのない黒衣の男が一人。壁際に立ち、影のように目立たない。だが、その存在だけが妙に気になる。

 俺たちは順に報告した。入口付近の罠、黒い溜まり、隊列の入れ替え、縄の運用、核の偽装、床下の本体。

 ミリアが図を広げ、短い言葉でまとめる。

「核は柱ではなく床下。誘導の仕掛け。守りは高速の騎士。関節に黒い筋。足止めは有効だが時間稼ぎに過ぎません」

 魔術師は何度も頷いた。「見事だ。……特に核の偽装。迷宮が知性を持つ証拠になる」

 王は拳を握り、机を軽く叩いた。

「関所の町を救った。勇者よ、礼を言う。……そして」

 王の視線が、黒衣の男へ向いた。

「こちらは、王都直轄の監察官だ。迷宮に関する国の中枢の判断を伝えに来た」

 黒衣の男が一歩前に出た。顔は整っているが、表情が薄い。目だけがやけに静かで、こちらを値踏みするように見ている。

「監察官、グレンと申します」

 その名乗りと同時に、俺の胸の奥がざわついた。

 ――この人、危ない。

 根拠はない。直感はゼロだ。でも、観測で分かることはある。呼吸が浅い。瞬きが少ない。視線が人ではなく情報を見ている。

 グレンは淡々と言った。

「結論から申し上げます。迷宮は学習しています。今回の戦闘記録――特に罠回避、隊列入れ替え、床下核の特定――これらはすでに他地域の迷宮に反映され始めています」

 室内の空気が重く沈んだ。

 リュカが前に出る。「反映? まだ他の迷宮は――」

「昨夜、港町レイナの迷宮で、同種の誘導核が確認されました。探索隊が柱を破壊した直後、床が開き、隊列が崩壊。撤退。負傷者多数」

 ――早い。

 俺の喉が乾く。まるで、こちらの勝利がスイッチだったみたいに。

 王妃が眉をひそめる。「……それは、勇者様の責任ではありません」

「責任の話ではない」グレンは感情を挟まず言った。「事実として、迷宮は最適化を進めます。勇者が勝つほど、迷宮は強くなる。だから、国は方針を改めます」

 魔術師が険しい顔で聞く。「方針とは」

「迷宮を攻略するのではなく、解析する。勝ち続けるのではなく、学習の仕組みそのものを断つ。――そのために、勇者を中心に据える」

 中心。

 言い方が気に入らなかった。中心に据える、は丁寧だ。でも意味は一つだ。

 使う。

 俺は無意識に拳を握っていた。

 王が俺を見る。「勇者よ。港町レイナへ向かってほしい。迷宮の規模は関所のものより大きい。だが、放置すれば海路が断たれ、国が飢える」

 海路。物流。国が飢える。正しい理屈だ。断れない。

 セラが俺の横から短く言う。「行くなら条件がある」

 王が目を向ける。

「罠の判断は私。隊列運用も私が口を出す。現場の決定権がぶれると死ぬ」

 王は一瞬戸惑ったが、すぐ頷いた。「認めよう」

 フィーネも静かに言う。「神殿からは、私が同行します。港町の迷宮は恐怖が強いと聞きます。心の崩れは、作戦を壊します」

 ミリアがすかさず続ける。「記録は私が取ります。迷宮の学習速度を測るには、同条件の観測が必要です」

 リュカは剣の柄に手を置き、短く言った。

「俺も行く。……勇者殿を、死なせない」

 その言い方に、胸がちくりと痛んだ。

 死なせない。――本当は一度死んだ。言えない。言えないから、守られる言葉が重い。

 グレンが俺を見て言った。

「勇者アサギリ・ユウ。あなたにはもう一つ、任務があります」

「……何ですか」

「迷宮があなたを記録しているなら、あなたも迷宮を記録できるはずだ。戦闘中に見えた表示、感覚、違和感。すべて報告していただく」

 ――踏み込んできた。

 俺は表情を崩さないように、息だけを整えた。

「分かりました。できる限り」

 グレンは頷いた。その目が、ほんの一瞬だけ鋭くなった気がした。

 まるで、「できる限り」では足りない、と言いたげに。


 *


 会議が終わり、廊下へ出たときだった。

 ミリアが小走りで追いつき、声を落として言う。

「勇者様……あの監察官、危険です。言葉が、兵のためではなく仕組みのためにあります」

 俺は小さく頷いた。「俺もそう感じた」

 セラが鼻で笑う。「感じた? 感じたじゃなくて、当たりだ。ああいうのは現場を壊す」

 リュカが眉をひそめる。「だが国の監察官だ。逆らえば――」

「逆らうんじゃない」セラは即答した。「使われないように使う」

 フィーネが静かに付け足す。「そのためには、私たちの間で合図を決めましょう。外の命令が危険なとき、止めるための合図です」

 俺は頷く。「決めよう。短い合図」

 ――短いルールで、生き残る。

 それが俺たちのやり方だ。

 その瞬間、視界の端に小さな文字が浮かんだ。


《上位迷宮:解析フェーズ開始》

《対象:勇者ユウ/同行者:記録済》


 心臓が跳ねた。

 同行者まで、記録済。

 俺は反射で視線を逸らし、何も見ていないふりをした。だが背中に汗が浮く。

 フィーネが、俺の表情の変化に気づいて、そっと近づいた。

「勇者様。……いま、何か見えましたね」

 彼女の声は責めていない。ただ、揺れていない。

 俺は一瞬だけ迷った。言うべきか。言えば、守ってくれる。だが、言えば――次から死んでも大丈夫が生まれるかもしれない。

 俺は、言える範囲だけを選んだ。

「迷宮が……俺たちを見てる。観察してる」

 フィーネは静かに頷いた。「なら、私たちは呼吸を守りましょう。呼吸は、誰にも奪えません」

 セラが義足を鳴らし、工具箱を担ぎ直す。

「港町だ。潮の匂いの迷宮。……たぶん、次は落とし穴じゃ済まない」

 リュカが剣を握り、短く言った。

「準備する。勝てる一回を作る」

 俺は頷いた。

 でも心の中では、別の言葉が響いていた。

 勝てる一回を作る。

 その一回で、死なない。

 死なないまま、学習する迷宮に勝つ。

 ――難易度が上がりすぎだろ。

 笑えない冗談が喉に引っかかったまま、俺たちは港町レイナへの出発準備を始めた。

 勝利の余韻は、もう消えていた。

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