表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第1章:最初がピークの勇者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

2:次は死ねない

2:次は死ねない


 王が頭を下げたまま固まっている間、俺は必死に呼吸を整えていた。

 ――落下の感覚が、まだ骨の内側に残っている。

 あの暗闇。床がほどけるように歪み、体が吸い込まれていく瞬間。衝撃。砕ける痛み。息が吸えない恐怖。死んだという確信。

 それら全部が、いまこの王城の広間にも重なって見えた。足元の石床がふと沈む気がして、膝が笑いそうになる。

 それでも俺は、何とか立ち上がった。

「……勇者よ、顔色が悪い。何かあったのか?」

 王が顔を上げる。魔術師も兵士も、さっきと同じ位置にいる。さっきと同じ台詞を吐きかける口の形。だが俺だけが違う。

 俺は唾を飲み込み、言葉を選んだ。

「いえ……大丈夫です。ただ、すぐに迷宮に行く前に、確認したいことがあります」

 魔術師が眉を上げる。「確認?」

「迷宮の内部について。『水たまりのように見える床が罠になる』例はありますか?」

 広間が一瞬、静まり返った。王妃が目を見開き、兵士の一人が小さく息を呑む。

 魔術師は戸惑い、次いで目を細めた。「……なぜ、そのような具体例を?」

 当然だ。いきなり過ぎる。だが、遠回りはできない。死ぬたびに削られるなら、最初に削られた直感みたいなやつをこれ以上失うわけにはいかない。

 俺は、できるだけ自然な嘘で包んだ。

「さっき……能力を見たとき、迷宮の危険について、断片的な像が浮かびました。水たまり、落とし穴、反響する通路。……天啓って、そういうものなんですよね?」

 魔術師は、納得したように顎を撫でた。「天啓は……時に象徴的な形で危険を示します。だが、水たまりの床が罠……」

 王が低くうなった。「報告は聞いたことがない」

 俺はすかさず続ける。

「もし可能なら、迷宮経験者――罠の知識がある人を、護衛に一人追加してください。あと、地図。迷宮はねじれていると聞きましたが、入口近辺の構造でもいい。情報が欲しいです」

 リュカたちを連れていく話は、まだこれからだ。本来ならこのあと王が「北の関所に新迷宮が」と説明し、俺はその日のうちに出発する流れになる。なら、その流れの中に、俺が欲しいものを滑り込ませるしかない。

 王は少し考え、魔術師と視線を交わした。

「……勇者よ。お前の言う通り、情報は力だ。しかし時間がない。迷宮は成長する」

「分かっています。だからこそ、最初の一回で勝てる準備をしたい」

 最初の一回という言い方に、魔術師が小さく頷いた。彼は、俺の能力が何であれ、貴重であると判断しているのだろう。

「良いでしょう」魔術師が言った。「迷宮の調査記録、地形写し、目撃談……すべてまとめます。罠師については――」

 王妃が、そっと前に出た。「城下に、元・探索者の女性がいます。今は鍛冶工房で働いていますが……迷宮で片足を失ってから、戦いをやめたと聞きました。罠と仕掛けに詳しい方です」

 片足を失っても、生きて戻った人。

 俺はその言葉に、喉の奥が熱くなった。

 ――生還者。生き残る術を知っている。

「その方に会わせてください」

 王は短く頷いた。「よし。すぐに使者を出す」

 *

 謁見が終わり、俺は通された部屋で一人になった。窓の外には城下が見える。人が動き、馬車が走り、煙が上がる。ここだけ見れば平和そのものなのに、国は滅びかけているらしい。

 俺は椅子に座り、ステータスをもう一度開いた。

 スキル:

 【剣術】Lv1

 【直感】Lv0

 【死に戻り】Lv1

 直感がゼロになっている。便利なアラームが鳴らない状態だ。迷宮で罠に気づけない。さっきの水たまりも、今なら見抜ける保証がない。

 ――死ぬ回数を増やせば増やすほど、俺は気づけない人間になっていく。

 嫌な想像が頭をよぎる。剣術がゼロになったら? 腕が鈍るのか。体の動きが鈍くなるのか。あるいは、もっと致命的なもの――判断力や記憶に関わる何かが削られたら?

 ランダム。最悪だ。

 死に戻りは保険じゃない。最後の弾丸だ。

 俺は手を握り締めた。汗で掌が湿っている。

「……次は死ねない」

 口に出して言うと、少しだけ現実になった。

 そのとき、ノックが鳴った。

「勇者殿。失礼します」

 入ってきたのは、先ほどの魔術師とは別の若い女性だった。きっちりまとめた髪、書類を抱えた姿。文官だろう。小さく頭を下げる。

「王命により、迷宮に関する記録をお持ちしました。私は書記官のミリアと申します」

「ミリア……」

 彼女は机の上に、厚い束を置いた。紙の匂いがする。

「迷宮が現れた場所、出現時刻、初期の魔物の種類、探索者の生還談、そして――ねじれに関する仮説です」

 俺は目を見開いた。「仮説?」

「迷宮は外界の地形を写しますが、内部は折りたたまれた空間のように重なり合うと考えられています。つまり、同じ角を曲がっているのに別の階層に出る、ということが起こり得ます」

 彼女の説明は分かりやすかった。頭の回る人だ。こういう人が、いまの俺には必要だ。剣より先に。

「ありがとう。……この記録、全部読んでいい?」

「もちろんです。ただし一点」ミリアは少し言いにくそうに視線を落とした。「生還談の多くは、恐怖で言葉が曖昧です。矛盾もあります」

「それでもいい。矛盾の中に、ルールがあるかもしれないから」

 ミリアは一瞬驚いた顔をして、すぐに頷いた。

 俺は紙束をめくった。文字がびっしりだ。だが、読むしかない。読んで、現場で、当てる。

 迷宮は声が反響する炎に弱い魔物が多い水たまりの床は滑りやすい黒い霧の濃い場所ほど魔物が湧く。

 そして、生還談の一つに、目を奪われた。

 ――『入口付近、濡れた床を踏んだ瞬間、足が沈んだ。助かったのは、前を歩いていた者が槍で引っ掛けてくれたからだ』

 あった。

 水たまり罠。

 俺は息を止め、文字を指でなぞった。書いた人の手が震えているのが目に浮かぶ。つまり、俺が見たのは偶然じゃない。罠は存在する。

 なら対策はできる。今度は落ちない。

「ミリア。この証言、書いた人は?」

「関所の町の住民です。探索者ではありません。迷宮から逃げて戻った途中で……友人を失ったと」

「……そうか」

 俺は紙を閉じた。胃の奥が重い。迷宮は、英雄の舞台じゃない。普通の人が飲み込まれていく穴だ。

 だからこそ、最初の一回で核を壊さなければならない。


 *


 夕刻、城下の鍛冶工房に向かった。護衛は最低限。目立つと相手が構える。俺は勇者だと知られたくないわけじゃないが、余計な期待と噂は面倒だ。

 工房は熱気で満ちていた。槌の音。鉄の匂い。火の光。そこで、片足に金属の義足を付けた女性が、作業台に向かっていた。腕には筋が浮き、目は鋭い。

「……勇者さん?」

 彼女は俺を見るなり、口角をわずかに上げた。笑いではない。刃物のような表情だ。

「そうです。あなたが――」

「セラだ。元探索者。いまは鍛冶と罠の修理屋。……王妃から話は聞いた。『迷宮に入る前に、罠の話をした勇者』ってな」

 もう広まってるのか。情報は早い。

 俺は頭を下げた。「力を貸してほしい。迷宮で……水たまりの床が落とし穴になる罠がある」

 セラは目を細める。「見たのか」

「……見た。というか、やられた」

 嘘ではない。死んだだけだ。

 セラは義足を鳴らしながら近づき、俺の顔を覗き込んだ。「目が、探索者の目だ。怖いのに、逃げない目。……いいだろう。条件がある」

「条件?」

「私の仕事を、続けさせろ。迷宮が終わったら、工房に戻る。それと――私の判断に口を出すな。罠のことは、私が決める」

 俺は即答した。「分かった。頼む」

 セラは鼻で笑った。「即答できるのは悪くない。……じゃあ、準備だ。迷宮に入るなら、まず靴を変えろ。滑る。次に、槍か棒を持て。床を叩いて確かめる。あと、縄。落ちたときのためじゃない。落ちないための縄だ」

 彼女の言葉には、経験が詰まっていた。俺が欲しかったのは、こういう現場の知恵だ。

「護衛は誰が?」

「若い騎士が一人。リュカ・ヴァルド」

 セラは眉を動かした。「真面目な男だ。悪くない。だが、真面目すぎると死ぬ。迷宮は『正しさ』を狙ってくる」

 その言い方が引っかかった。「どういう意味?」

「真っ直ぐ進む。強い奴が前に出る。弱い奴を守る。……全部、正しい。だから罠は、そこにある」

 セラは工具箱を閉め、肩に担いだ。「前に出た奴が落ちる。守ろうとした奴が巻き込まれる。迷宮は、そういう形で隊列を壊す。だから――最初から隊列を崩す」

「崩す?」

「役割を固定するな。前衛、後衛って決めた瞬間、罠はそこに来る。状況で入れ替えろ。……勇者さん、剣は振れるのか?」

「正直、素人だ」

「なら、振るな。振らないで勝て」

 俺は、胸の奥で何かがカチッと噛み合うのを感じた。

 そうだ。俺は強くなれない。なら勝ち方を変える。戦って強くなるんじゃない。勝てる形を作る。

 セラは工房の奥から細いロープ、金具、釘のようなものを取り出し始めた。「あと、もう一人いるといい。回復役」

「王城に頼む」

「回復役は心も治せる奴がいい。迷宮で一番壊れるのは、骨じゃない。気持ちだ」

 俺は黙って頷いた。

 そのとき、工房の外が少し騒がしくなった。誰かが走り込んでくる足音。

「セラ! 関所の町の方が……!」

 若い職人が息を切らして叫ぶ。

「迷宮から、また魔物が出た! 町の柵が――!」

 空気が凍った。

 セラは舌打ちし、義足を鳴らして立ち上がった。「成長が早い。……勇者さん、時間がない」

 俺も立った。心臓が跳ねる。焦りが喉元まで上がる。でも焦りは、死を呼ぶ。

 俺は深く息を吸い、吐いた。

 今度は死ねない。

 そのために、やることは決まっている。

「セラ。装備は任せる。俺は王城に戻って、回復役と追加の情報を確保する。それが終わり次第、関所へ向かう」

「いい。動きが早いのは好きだ」

 セラは工具箱を肩にかけ、こちらを見た。「ただし、ひとつだけ」

「何?」

「迷宮に入ったら、迷ったら、撤退しろ。勇者でも死ぬ。……死なない勇者なんていない」

 俺は、ほんの一瞬だけ目を逸らした。

 死に戻りのことは言えない。言えば、利用される。期待される。最悪、死ぬ前提の作戦を組まれる。そんなのは絶対に嫌だ。

「……分かった。撤退の判断も、ちゃんとする」

 嘘じゃない。撤退できるなら、そうする。

 でも、撤退した先にあるのは、迷宮の成長と、町の崩壊だ。

 俺の一回が失敗すれば、誰かが死ぬ。

 俺の一回が成功すれば、誰かが生きる。

 ――だから、勝てる一回を作る。

 工房を出ると、空が赤く染まっていた。夕焼けの色が、どこか血の色に似て見えて、胸が痛む。

 それでも俺は歩き出した。

 もう二度目はない。

 二周目は、準備の周回だ。

 次に迷宮の入口をくぐるとき、俺は落ちない。噛まれない。死なない。

 そのために、俺は――勇者らしくないやり方で、勇者の仕事をする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ