3:模倣体は死に戻りを嘲笑う
3:模倣体は死に戻りを嘲笑う
暗闇の部屋で、光の線だけが細く伸びていた。
その線の上に立つ模倣体は、俺と同じ角度で首を傾け、俺と同じ声で言った。
「死ぬたびに、弱くなるんだろ?」
喉の奥が冷えた。胸の中に、氷の針が一斉に刺さる。
――知っている。
迷宮が知っているのは当然だ。学習する。観測する。俺たちの行動だけでなく、俺の縛りそのものを把握している。だが、言葉として突きつけられると、別の痛みになる。弱点を物語にされる痛みだ。
リュカが半歩前へ出た。剣先が暗闇に白く浮く。
「黙れ。ユウのことを語るな」
模倣体は笑った。顔がないのに、笑いが分かる。空気が歪む。
「語る? 違う。これは最適化だ。勇者ユウ。お前の勝ちは、全部、次の死の前借りだ」
俺の視界の端に、淡い文字が浮かぶ。
《最適化:恐怖誘導》
《目的:自発的死亡》
……目的が最悪だ。
迷宮は俺を殺すだけじゃない。俺に自分から死を選ばせるよう誘導する。死ねば弱体化する。弱体化すれば、次はもっと死にやすい。負の連鎖を、こちらの意思で回させる。
フィーネが、いつもの静けさで息を整えた。
「勇者様。耳を貸さないで。言葉は刃です」
セラが工具袋を握り直し、低く言う。
「こいつは、ユウを折るための道具だ。戦いじゃなく、説得を仕掛けてくる」
ミリアが暗闇を凝視した。目が必死に光の線を追っている。
「……模倣体、線から降りません。降りられないのかも」
光の線は床に刻まれた一本の道だ。そこだけが淡く光り、他の床は光を吸い込んで真っ黒だ。踏み外したらどうなるか分からない。潮の迷宮の落とし穴の記憶が、背中を冷やす。
模倣体はゆっくり歩き出す。俺の歩幅。俺の癖。俺の間合いで距離を詰める。
だが、剣も槍も持っていない。持っているのは――棒。
俺が持っているのと同じ、木の棒。
模倣体が棒を構える角度まで、俺と同じだった。
リュカが歯を食いしばる。「……ユウ、後ろへ」
俺は頷き、半歩下がろうとして、足を止めた。
この部屋は、罠がある。反復迷宮。さっきの層で周期を見せてきた。ここも何かある。焦って動けば、迷宮の思う壺だ。
俺は息を吸って吐いた。
「揺れる……ここでも」
セラが小さく笑う。「もちろん。固定したら負ける」
模倣体が言う。
「揺れる? 無駄だ。お前たちは結局、勇者ユウに頼る。頼れば頼るほど、お前は死ぬ。死ねば弱くなる。弱くなれば、仲間を守れない。なら――」
模倣体が棒を床に叩いた。乾いた音が、暗闇に吸い込まれる。
「今、死ね」
その瞬間、光の線が脈打った。線の上の空気が、ぐにゃりと曲がる。模倣体の棒が、俺へ向かって伸びた。
棒なのに、距離が伸びる。腕が伸びたみたいに見える。空間が引き伸ばされている。
――空間干渉。
俺は反射で棒を上げかけ、止めた。棒を振れば、迷宮はそれを学習する。模倣体は俺の動きを最適化して返す。
代わりに、リュカが前へ出た。剣の腹で棒を受ける。金属が木を受ける鈍い音。
だが、リュカの足が滑った。暗闇の床は、摩擦が少ない。軽い層の後だから、バランスがずれる。
「リュカ!」
フィーネが即座に膜を張り、リュカの体勢を支える。光の薄い膜が、空気を押して支点を作る。リュカが踏ん張り直す。
模倣体は笑う。
「ほら。勇者が動かないと、仲間が崩れる。仲間が崩れたら、勇者は死ぬ。死ねば――」
「黙れ!」
リュカが怒鳴りかけ、歯を食いしばって声を飲み込んだ。声は迷宮が拾う。拾わせない。
セラが低く言う。「煽ってる。怒らせて、焦らせて、踏み外させる気だ」
ミリアが光の線を見て、小さく指を立てた。
「線……線がレールです。模倣体は線の上でしか、空間を伸ばせない」
俺は理解した。だから線の外は真っ暗なのに、線だけが光っている。ここは一本道。線の上に乗ったものだけが、戦いの主役になる。
つまり、迷宮が用意した舞台は――「勇者ユウ対模倣体」という一対一を成立させるための檻だ。俺を線に乗せ、俺を死なせる。
――なら、線に乗らない。
俺は後ろへ下がるのではなく、横へずれた。光の線から、足を外す。
床は真っ黒で、深さも硬さも分からない。だが、ミリアがさっきから観察していた。彼女が頷く。
「大丈夫。ここは落ちません。……少なくとも、今は」
俺が線を外れた瞬間、模倣体の動きが一瞬止まった。
棒が伸びる空間干渉が、途切れた。線の外にいる俺へは、届かない。
模倣体が苛立ったように言う。
「逃げるのか」
俺は短く返す。
「誘導から降りるだけだ」
フィーネが息を整え、静かに言った。
「なら、線の上に立つのは……私です」
「フィーネ、危ない」リュカが言いかける。
フィーネは首を振った。「私なら、死を縛りにしない。迷宮の狙いは勇者様の死です。なら、狙いを外します」
セラが口角を上げた。「いい。役割交代。――国の標準化に真っ向から逆らう形だ」
フィーネが光の線の上に立った。
模倣体の視線が、フィーネへ移る。顔がないのに、確かに視線が動く。空気が、フィーネを中心にきしむ。
模倣体の棒が、フィーネへ向かって伸びた。空間が引き伸ばされる。線の上の者にだけ届く攻撃。
フィーネは避けない。膜を張る。薄い膜が、伸びてくる棒を受け止める。
だが膜は、棒の力を完全には止められない。膜がしなる。フィーネの腕が震える。
模倣体が言う。
「回復役が前に出れば、勇者は守れない。守れない勇者は――」
セラが線の外から釘を投げた。釘が線の上に落ち、カン、と乾いた音がする。
模倣体の動きがまた一瞬止まる。線の上に異物が入ると、空間干渉の形が乱れるのか。
ミリアがすぐ炭筆で床に短い線を引いた。線の外から、線の上へ向かって、斜めに導く線を作る。光がほんの少し、その線に沿って漏れる。
フィーネが膜を少しだけ揺らし、棒の軌道をずらした。棒が膜の端をかすめ、外へ逸れる。
模倣体が苛立つ。
「……小細工」
セラが笑った。「小細工じゃない。運用だよ」
リュカが線の外から、剣を構えた。剣先を線の上へは出さない。出せば狙われる。線の外から、届く範囲だけを守る。
俺は線の外で、棒を握り直した。
だが振らない。
俺が棒を振る動きは、模倣体に最適化されて返る。
代わりに、俺は観測を読む。
視界の端の文字が、また浮かんだ。
《最適化:対象再固定》
《対象:フィーネ》
《目的:回復封殺》
狙いが変わった。俺を殺せないなら、回復を潰す。回復が潰れれば、次に俺を殺しやすくなる。
――手順破壊。
迷宮が学習した次回対策が、ここで実行されている。俺たちの役割を崩し、連携を崩し、最後に勇者を殺す。
なら、逆だ。
回復役を守るのではなく、回復役に攻撃役をやらせる。
役割をさらに揺らす。
迷宮の固定を外す。
「フィーネ」俺は短く言った。「攻めろ」
フィーネが一瞬だけ目を見開いた。だがすぐ理解する。彼女は深呼吸し、膜を盾から刃へ変える。
膜は光の面だ。面は、刃にもなる。
フィーネが腕を払うと、薄い光の膜が扇のように広がり、模倣体の棒に絡みついた。絡んだ膜が、棒の軌道を固定する。
模倣体が棒を引こうとする。だが膜が粘る。光なのに粘る。フィーネの制御が上がっている。
セラがすかさずワイヤーを線の上に張った。ワイヤーが棒と膜の間に入り、光が散る。散った光が、模倣体の輪郭を一瞬だけ浮かび上がらせた。
模倣体の身体には、黒い筋が走っていた。潮の迷宮で見た血管のような筋とは違う。これは結び目だ。観測の結び目。外の結晶柱へ繋がるような筋。
ミリアが息を呑む。
「……あれ、結晶柱と同じ模様。外と繋がってます」
つまり、この模倣体は迷宮の中だけの敵じゃない。観測装置の延長だ。外が見ている。外に見せるために作られた敵だ。
なら――見せるものを、逆にする。
俺は線の外から、わざと大きく息を吸った。
フィーネも同じタイミングで息を吸う。
セラも、ミリアも、リュカも。
深呼吸――あえて揃える。
模倣体が一瞬、戸惑った。
迷宮は深呼吸を安定化の合図として学習している。
なら、次の瞬間は――安定ではなく、逆を出す。
「今!」セラが短く言った。
セラが線の上に、釘を二本、打ち込んだ。交差するように。
ミリアがその交差点へ炭筆で短い線を重ねる。
フィーネが膜をそこへ集中させる。
光の線が一瞬、歪んだ。
模倣体の足元の光が揺れ、模倣体の身体がぶれた。線の上でしか成立しない空間干渉が、崩れる。棒が伸びる力が消える。
リュカが、線の外から剣を押し出すように突き出した。刺すのではない。押す。剣の腹で、模倣体を線の外へ押し出す。
模倣体が一歩、線から外れた。
その瞬間、模倣体の動きが止まった。
まるで糸が切れた人形のように。
フィーネが息を吐き、膜をさらに押し当てる。
セラがワイヤーで関節を絡め、固定する。
ミリアが黒い筋――結び目の位置を指差した。
「ここ! 胸の中心、結び目!」
俺は棒を握り、線の外から一歩だけ近づく。
近づいても、棒は振らない。
振ると模倣体の俺が戻る。
俺は棒の先を、結び目に当てた。
叩くのではなく、押す。
押し込むと、結び目の黒い筋が、ぷつんと切れた。
切れた瞬間、模倣体の身体がひび割れ、鏡のような表面に細い亀裂が走る。
模倣体が、最後に俺の声で言った。
「……死ねば、楽になるぞ」
俺は息を吸って吐き、答えた。
「楽になっても、弱くなるなら意味がない」
棒をもう一度押し込む。
亀裂が広がり、模倣体は静かに崩れ落ちた。粉ではない。薄いガラス片みたいに割れて、光の線に吸い込まれるように消えた。
暗闇が一瞬だけ軽くなる。
フィーネが膝をついた。汗が額に滲んでいる。無理をした。回復役が攻撃役をやるのは、負担が大きい。
「フィーネ!」ミリアが駆け寄りかけ、止まる。線の上は危ない。学習したばかりだ。迷宮は必ず次で変えてくる。
セラがフィーネの肩を支えながら言った。
「よくやった。……回復役にしては、だいぶ乱暴だったよ」
フィーネが小さく笑った。「勇者様に、教わりました。役割を固定しない、と」
リュカが俺を見た。目が鋭い。
「……死ななかったな」
「死なない」俺は短く返した。「死んだら負けだ」
だが、勝った感覚は薄い。
模倣体を倒しただけで、この迷宮の中心にはまだ届いていない。
それに――外が見ている。
結晶柱が映しているはずだ。観覧台の人間は今、俺たちの揺れを見ている。
それを国がどう解釈するか。
標準化できない危険な一行と見るか、
応用の効く優秀な駒と見るか。
どちらにせよ、また最適化される。
暗闇の奥で、次の扉が開く音がした。音は小さいのに、骨に響く。
扉の向こうから、冷たい風が流れてくる。
風は潮でも鉄でもない。
紙とインクの匂いがした。
――記録の匂い。
嫌な予感が背中を撫でる。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《反復迷宮:第三層》
《最適化:合図崩壊》
《外部干渉:開始》
外部干渉。
迷宮の中に、国が手を突っ込んでくる。
もしくは、観測装置を通じて何かを仕掛けてくる。
セラが暗闇を睨み、低く言った。
「……来るね。迷宮だけじゃない。人間の手が入ってる」
フィーネが息を整えながら、静かに言う。
「勇者様。次は、私たちの合図が通じない可能性があります」
ミリアが震える声で言った。
「じゃあ……どうやって……」
俺は仲間を見回し、短く言った。
「合図が通じないなら、合図に頼らない。――選ぶ基準を共有する」
リュカが頷く。「基準?」
「迷ったら、これだ」俺は言った。「死なない方。そして、仲間が生きる方。それだけでいい」
セラが笑った。「シンプルでいいね」
フィーネが小さく頷いた。「はい。心の手順」
俺たちは扉の前に立った。紙とインクの匂いが濃くなる。
扉の向こうで、何かが待っている。
外部干渉が形になって、俺たちの連携を壊しにくる。
俺は棒を握り、扉を押した。




