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死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第3章:最適化の檻

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2:観測の舞台、反復する迷宮

2:観測の舞台、反復する迷宮


 翌朝、王都の空はやけに澄んでいた。

 晴れているのに、胸の奥が重い。潮の迷宮で感じた「身体の重さ」とは違う。「見られる重さ」だ。視線が皮膚の上に乗ってくる感覚。歩くだけで、誰かの期待と欲が足首に絡む。

 宿舎を出ると、護衛の兵がすでに並んでいた。数が多い。丁寧な護衛というより、逃がさないための配置に見える。

 グレンが前に立っていた。相変わらず顔色ひとつ変えない。

「試験迷宮の地点へ移動します。到着後、観測装置の説明、規定の確認、開始合図。以上です」

 セラが鼻で笑った。「まるで劇の段取りだね」

「公開試験ですから」グレンは淡々と返す。「観測の信頼性を担保する必要があります」

 リュカが吐き捨てるように言った。「信頼性のために命を削るのか」

「命は削るものではありません。消費するものです」グレンはさらりと言った。

 空気が凍った。

 フィーネが一歩前に出る。目は静かだが、声に刃がある。

「監察官。あなたの言葉は、人を物に変えます。私はそれを許しません」

 グレンは眉一つ動かさない。「理念の話は不要です」

 セラが小さく手を挙げた。俺たちの合図で、釘。危険停止。言葉をここで増やしてはいけない。怒りを燃やせば、国はそれを反抗と記録する。

 俺は息を吸い、吐く。呼吸だけは俺のものだ。

「行こう」

 俺が言うと、リュカも唇を噛んで頷いた。ミリアは胸の前で炭筆を握りしめ、フィーネは目を閉じて一瞬祈るように息を整えた。


 *


 王都近郊、城壁の外。

 そこには、仮設の巨大な観覧台が組まれていた。木と鉄の組み合わせ。軍の工兵が作ったのだろう。円形の闘技場のように見える。中央に、青白い光の柱――試験迷宮の入口が立っていた。

 入口の周囲には、透明な結晶柱がいくつも立っている。大きさは人の背丈ほど。内部に淡い光が流れている。観測装置だ。これが俺たちの動きを記録し、外の観覧台へ映す。

 ……見世物だ。

 観覧台はすでに人で埋まっていた。貴族、学者、神官、商人、兵士、そして一般市民。歓声とざわめきが混ざり、まるで祭りのような熱気が渦を巻く。

 その熱気が、俺の皮膚に貼りつく。

 最前列には昨日の将がいる。その隣に、若い王族らしい人物。目が鋭い。さらに後ろに、高官たち。笑っている者もいる。興味の目。期待の目。試す目。

 そして、壇上に立つのはグレンだった。

「これより、試験迷宮の公開試験を開始します」

 淡々とした声が結晶柱に反響し、闘技場全体に響いた。声が増幅される仕組みだ。迷宮が声を拾う世界で、わざわざ声を増やす。皮肉がすぎる。

「目的は二点。迷宮の学習速度測定、及び攻略手順の標準化」

 観覧台から拍手が起きた。

 拍手が、俺の鼓膜を叩く。

 それだけで気持ち悪い。

 グレンがこちらを振り向く。

「勇者ユウ一行。前へ」

 俺たちは入口の前へ進み出た。視線が集中する。人が多いほど、空気が硬くなる。息が詰まる。

 フィーネが小さく言った。「深呼吸」

 俺たちは一瞬だけ呼吸を揃える。観覧台のざわめきが遠くなる。身体の内側に線が戻る。

 将が立ち上がり、儀式みたいに言った。

「勇者ユウ。貴殿の意思は理解した。標準化を拒否し、複数化すると言ったな」

「言った」俺は短く答えた。

「ならば見せよ」将は言う。「観測の前で、貴殿の揺れがどれほど有効か。――ただし条件がある」

 嫌な予感がする。

 将が続けた。

「試験迷宮は、昨日提出された手順記録を基に設計した。貴殿らの特徴を抽出し、最適化した」

 観覧台がどよめく。

 学者が身を乗り出す。

 貴族が興奮した顔で笑う。

 市民の中には、よく分からないまま歓声を上げる者もいる。

 ――作った。

 セラが小さく呟いた。「やっぱり作った」

 リュカが歯を食いしばる。「ふざけるな……」

 フィーネが静かに言う。「命を実験にする」

 将は淡々と告げた。

「これにより、観測の価値が上がる。貴殿らが学習を上回れるかが測れる」

 グレンが補足するように言った。

「試験迷宮の名称は《反復迷宮》。貴殿らの手順――塩、蝋、非言語合図、役割固定の回避、深呼吸――それらに対する対策が組み込まれている」

 名まで付けたのか。

 反復。

 俺のループを、迷宮の名前にしやがった。

 将が言った。

「開始せよ。勝てば、貴殿の提案――複数化――も検討する。負ければ、標準化を命じる」

 負ければ標準化。

 勝てば検討。

 ……条件が不公平すぎる。だが、今ここで抗議しても、歓声の中に消える。正しさは、数に負ける。

 俺は入口の青白い光を見た。

 迷宮は学習する。

 国も学習する。

 だったら――俺たちも学習するしかない。

 俺は仲間を見た。目だけで合図する。

 揺れる。

 でもバラバラにならない。

 心の手順を共有する。

 セラが小さく頷く。リュカも頷く。ミリアが唇を結び、フィーネが目を閉じて一度呼吸を整える。

 そして俺は、入口へ一歩踏み出した。


 *


 青白い光が視界を満たし、次の瞬間――空気が変わった。

 湿気がない。潮の匂いもない。乾いているのに、金属の匂いがする。鉄の粉を吸い込むみたいな感覚。

 そこは、広い白い部屋だった。天井も壁も床も、真っ白。ただし白は塗られた白ではない。骨の白。陶器の白。冷たく、硬い。

 床には、細い黒線が格子状に走っている。まるで盤面。

 壁のあちこちに、透明な鏡が埋め込まれている。鏡は俺たちを映すが、少し遅れて映す。動くと、影が追いついてくるみたいにズレる。

 ミリアが小さく呟いた。

「……反復」

 フィーネが囁く。「動きを覚える部屋」

 リュカが剣を構えようとして、眉をひそめた。「……軽い」

 軽い? 潮の迷宮では重かった。ここは逆だ。剣が軽い。身体が軽い。軽すぎて、足が浮くような感覚。踏み込みが空振りする。

 セラが義足を軽く踏み鳴らした。「軽いってことは、転ぶってことだね」

 そうだ。軽いとバランスが崩れる。点で踏む歩き方は、軽いと逆に危ない。足が滑る。跳ねる。空転する。

 ――俺たちの点対策。

 床の黒線が、ふっと光った。


《観測開始》

《反復対象:勇者一行》

《模倣遅延:三拍》


 文字が見えた。

 俺だけに。

 模倣遅延、三拍。

 この部屋は、俺たちの動きを三拍遅れで再現する。つまり、俺たちがした行動が、少し遅れて罠として返ってくる。

 リュカが前へ出ようとした瞬間、鏡の中のリュカが三拍遅れて同じ動きをする。それが敵になるかもしれない。床が反応するかもしれない。

 俺は短く言った。

「三拍」

 それだけで、セラが理解する。フィーネも、ミリアも。言葉を短く、意味を濃く。俺たちの間で共有した符丁だ。

「反復するんだね」セラが小さく言った。「じゃあ、同じ動きしなきゃいい」

「同じ動きをわざとさせるのもあり」ミリアが言う。「反復が罠なら、罠を先に出させる」

 フィーネが頷く。「先に出させて、空振りさせる」

 リュカが口角を上げた。「いい」

 俺は息を吸って吐いた。

「揺れる。……でも、揺れを作る順番は決める」

 セラが眉を上げた。「順番?」

「先頭交代」俺は言った。「部屋ごとに先頭を変える。今日は――セラ、最初」

 セラが一瞬目を見開き、それから笑った。

「まさかの私かい」

 リュカが即座に頷く。「いい。動きが読めない」

 フィーネも言う。「私も賛成です」

 ミリアが少しだけ安心した顔をした。役割が固定されない。だからこそ、国も迷宮も予測しにくい。

 セラが一歩前に出た。義足を鳴らさないよう、あえて足を引きずるように動く。普通なら悪手。でもここは反復。変な動きほど、反復が歪む。

 すると、床の黒線が一部だけ光った。

 ――反応がズレた。

 鏡の中のセラが三拍遅れて同じ動きをする。だが鏡のセラは、義足を正常に動かそうとしているように見える。引きずりが再現されていない。反復が理想形に補正されている。

 セラが舌打ちした。「補正してる。最適化だ」

 迷宮は変な動きを変として再現しない。正しい動きに直して反復する。つまり、癖で揺れても、迷宮が正規化する。

 ――国の標準化と同じだ。

 フィーネが小さく言った。「なら、癖ではなく、選択で揺れます」

 セラが頷いた。「補正できない揺れを作る。……道具だ」

 セラは工具袋から、短いワイヤーと釘を取り出した。床の格子線の交点に、釘を軽く刺す。音を立てない程度に。次にワイヤーを床に沿って張る。格子線に沿って、ほんの少しだけ斜めに。

 床が反応した。黒線の一部が強く光る。迷宮は線に敏感だ。足ではなく、接地の形に反応する。

「ここは盤面だ」ミリアが言う。「足ではなく、線を読む」

 リュカが低く言った。「点の歩き方は死ぬ」

 俺は頷く。「面で踏む」

 点を捨てる。潮の迷宮の勝ち方を捨てる。揺れる。

 セラが足裏全体で床を踏んだ。

 同時に、鏡のセラが三拍遅れて同じように踏む。

 その瞬間、鏡のセラの足元の黒線が赤く光った。鏡の中だけ、床が罠になっている。

 そして三拍後――現実の床が赤く光った。

 赤く光った場所が、沈んだ。

 沈むというより、床が抜けた。

 穴が開く。真っ白の床が口を開ける。下は闇。落ちたら終わりだ。

「来た!」リュカが叫びそうになり、口を閉じた。声は不要。動きで伝える。

 セラはすでに分かっている。彼女は自分の踏んだ場所が三拍後に抜けると読んで、先に次の格子へ移動していた。面で踏み、面で移動する。跳ばない。滑らない。重心を低く。

 俺たちも続く。

 面で踏む。

 三拍後に抜ける場所を避ける。

 つまり、今踏んだ場所は三拍後に危険になる。

 なら、踏む場所を記録しながら進む必要がある。

 ミリアが炭筆を床に軽く当て、格子線に小さな印を付け始めた。印は点じゃない。短い線。線なら迷宮の補正が働きにくい。

 彼女は印で「踏んだ場所」を記録し、三拍後に危険になる場所を可視化する。

 フィーネが息を整えながら、光の膜を薄く張った。罠が抜ける瞬間の風圧でバランスが崩れないようにする。膜は盾ではない。姿勢制御の補助だ。

 リュカは前ではなく、横に立った。前衛の位置を変える。敵がいないなら盾役は不要。落下から守る役が必要だ。リュカは俺の左に立ち、腕を伸ばして支点になる。

 セラが先頭で進みながら、短く言った。

「出口、見える?」

 白い部屋の奥に、黒い扉が一つ見える。だがその前に、鏡が三枚並んでいる。鏡はまるで門番だ。鏡の中の俺たちが、三拍遅れて動く。それが罠の引き金になる。

 俺は短く答えた。

「見える。……でも鏡が鍵」

 その瞬間、鏡の中で別の俺が笑った気がした。

 錯覚じゃない。鏡の俺の口角が、俺より少し早く上がった。

 ミリアが息を呑む。「……鏡が、勝手に」

 鏡の中の俺たちが、勝手に動き始めた。三拍遅れのはずなのに、遅れが縮む。模倣が自走する。観測から、介入へ。

 鏡の中のリュカが剣を振り上げ、鏡の中のフィーネが手を伸ばす。鏡の中のセラが釘を投げ、鏡の中のミリアが炭筆を折る。

 ――嫌な映像だ。

 俺たちの役割を壊す動き。

 国が言った《次回対策:役割崩壊》。

 それが、もう来ている。

 フィーネが小さく言った。「見せたいんです。私たちが壊れるところを」

 セラが低く笑った。「観測って言葉は便利だね。悪意を隠すのに」

 鏡の中の俺が、口を開いた。声は聞こえない。だが唇の形が読める。

 ――「死ね」。

 俺の背筋が冷えた。

 リュカが一歩前に出る。鏡に向かって剣を構える。だが、剣を振れば、三拍後に床が抜ける。反復が返ってくる。

 どうする。

 鏡を壊したい。

 でも壊す動きが罠になる。

 俺は息を吸って吐き、短く言った。

「逆手。……空振りさせる」

 セラが即座に理解する。「鏡の動きに答えを返さない」

 フィーネが頷く。「私たちが動かなければ、反復は――」

「止まらない」ミリアが言った。「自走してる。なら、鏡はもう敵です」

 敵なら、倒す。

 でも倒し方を固定しない。

 揺れる。

 俺は棒を握り直した。

 棒は剣より軽い。

 軽いなら、振りが大きくなる。

 振りが大きいほど、反復が大きく返る。危険だ。

 だから、振らない。

 俺は棒を床に置いた。

 武器を捨てた。

 リュカが目を見開いた。「おい!」

 俺は短く言う。

「武器で壊すな。……鏡の観測を壊す」

 セラが笑った。「なるほど。物理じゃない」

 ミリアがすぐ理解した。「鏡は反射する。反射するために光が必要。――光を乱せば、映像が崩れる」

 フィーネが静かに言う。「私の膜を、鏡に」

 フィーネは薄い光の膜を、鏡の表面に貼りつけた。鏡の表面が曇る。だが曇り方が均一ではない。膜が揺れる。呼吸と同期して揺れる。

 鏡の中の映像が歪んだ。

 鏡の中の俺が、顔を歪める。

 鏡の中のフィーネの手が、途中で止まる。

 鏡の中のリュカの剣が、曲がって見える。

 セラが釘を床に刺し、ワイヤーを鏡の前に張った。光がワイヤーで分散する。

 ミリアが炭筆で床に短い線をいくつも引く。線が光を散らす。盤面が乱れる。

 鏡の中の映像がさらに崩れる。

 だが、鏡が最後の抵抗をした。

 鏡の中のセラが、こちらに向かって釘を投げる仕草をした。

 鏡の中のリュカが、こちらに向かって剣を振る仕草をした。

 鏡の中のミリアが、こちらに向かって炭筆を突き刺す仕草をした。

 反復ではない。攻撃だ。

 次の瞬間、白い部屋の天井から、細い黒い糸が降ってきた。糸は光を吸う糸。糸が降ると、フィーネの膜が弱まる。光が削られる。

 ――光対策への対策。

 迷宮は学習している。数秒で上書きしてくる。早すぎる。

 リュカが低く言った。「時間がない。扉へ抜けるぞ」

 扉までの距離は短い。だが床は三拍後に抜ける。走れば転ぶ。転べば終わり。

 でも、鏡と糸が増えれば、ここに居続けるほうが危険だ。

 俺は息を吸って吐き、言った。

「走らない。……滑る」

「滑る?」ミリアが目を見開く。

「面で踏む。面で滑る」俺は言った。「床の抜ける周期は三拍。なら、三拍以内に扉前へ移動すればいい。走らず、滑れば反復が追いつく前に――」

 セラが笑った。「スケートみたいなもんだね」

 フィーネが薄く膜を張り、床を滑りやすくする。光の膜は潤滑ではないが、摩擦を少しだけ減らせる。

 リュカが俺の横で腕を伸ばし、支点になる。

 ミリアが床の線を見て、危険になる格子を避ける経路を指で示す。

 セラが先に滑った。義足が床を撫でる。滑る。

 俺も滑る。棒は使わない。手は空ける。転びそうになったらリュカの腕を掴む。

 フィーネは膜を維持しながら、最後尾で支える。

 ミリアは線を見て、タイミングを叫ばずに指で示す。

 一、二、三。

 床が抜ける。

 俺たちはすでに次の格子へ滑っている。

 一、二、三。

 また抜ける。

 抜ける音が背後で連鎖し、穴が増える。落ちたら終わり。

 扉が近づく。

 鏡の中の俺が、最後に口を動かした。

 ――「逃げるな」。

 俺は心の中で返す。

 逃げるんじゃない。通るんだ。

 扉の前まで滑り込み、セラが釘を扉の隙間に差し込んだ。てこ。

 リュカが剣の腹を当てて押す。

 俺が肩で扉を押す。

 フィーネが膜で摩擦を減らす。

 扉が開いた。

 次の部屋は――暗かった。

 白い部屋とは正反対。

 黒い部屋。

 床も壁も天井も、光を吸う黒。

 そして、床の中央に、一本の細い光の線だけが走っている。

 その線の上に、何かが立っていた。

 人の形。

 でも顔がない。

 鏡のような肌。

 こちらの動きを真似るために作られた、空っぽの人形。

 ミリアが震える声で言った。

「……模倣体」

 フィーネが息を整え、静かに言った。

「次は、鏡ではなく……人が来ます」

 リュカが剣を構え、セラが工具袋を握り、俺は棒を拾い直した。

 暗闇の中、光の線の上の模倣体が、ゆっくりとこちらへ歩き出す。

 その足取りは――俺の足取りだった。

 視界の端に、文字が浮かぶ。


《反復迷宮:第二層》

《対象:勇者ユウ》

《最適化:弱点抽出 開始》


 弱点抽出。

 ――来る。

 俺の弱点を、迷宮が形にして殴ってくる。

 俺は息を吸って吐き、仲間を見た。

 揺れる。

 でも、今度は揺れが俺自身を守れるかどうか。

 模倣体が、俺と同じ角度で首を傾けた。

 そして、俺と同じ声で――初めて音を出した。

「死ぬたびに、弱くなるんだろ?」

 その一言で、胸の奥の冷えが、刃になった。

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