1:死に戻りの代償
1:死に戻りの代償
光は、痛みより先に来た。
目を開けた瞬間、まぶたの裏側まで白く焼けるようで、反射的に手で顔を覆った。指の隙間から見えたのは、高い天井――石造りの円形の広間。壁には紋章の旗が下がり、床の中央には、淡い青の魔法陣がまだ熱を持ってゆらゆらと揺れていた。
「……成功です。召喚、完了」
落ち着いた男の声。手を下ろすと、正面にローブ姿の老人がいた。細い銀縁眼鏡の奥、疲れた目がこちらを確かめるように動く。左右には武装した兵士。さらにその後ろに、王冠を戴く壮年の男と、白いドレスを纏った女性――王と王妃だと、なぜか直感で分かった。
直感。そう、直感。自分の頭の中に、説明のない前提が滑り込んでくる感覚があった。ここが王城で、今、何が起きたのかも。
召喚――。
現実感の薄い言葉が胸の内で弾ける。
「……ここ、どこですか」
声が乾いていた。喉が砂紙みたいだ。王が一歩前に出る。威厳はあるのに、どこか必死さがにじんでいる。
「異世界より来たりし勇者よ。突然の召喚、許されたい。だが我らには時間がない」
王は深く頭を下げた。王が頭を下げた瞬間、広間全体の空気が変わる。兵士たちが息を呑み、魔術師が顔をしかめ、王妃は唇を噛んだ。
「魔王の軍勢が北の結界を破り、各地に“迷宮”が出現した。迷宮は魔物を吐き出し、村を、街を、……国を食う。迷宮の核を破壊せねば、この国は滅びる」
王の言葉は、重かった。けれど同時に、どこか台本のように整っている。現実とは思えない。
――これは、夢だ。
そう思いかけたとき、頭の中に薄い板のようなものが浮かんだ。
《ステータス》
視界の端に、淡い文字が並ぶ。
名前:アサギリ・ユウ
職業:勇者
Lv:1
筋力:12
敏捷:14
魔力:10
耐久:11
幸運:8
スキル:
【剣術】Lv1
【直感】Lv1
【死に戻り】Lv1
「……は?」
声が漏れた。見間違いじゃない。確かに“死に戻り”と書かれている。
王が目を細める。「勇者よ、何か見えたか?」
「……ステータス、みたいな……いや、えっと」
説明しようとして言葉が詰まる。自分がゲームみたいな表示を見ているなんて、どう言えばいい? でもこの世界の人間は、それを当然のように受け入れるのかもしれない。
魔術師が一歩進み、眉間に皺を寄せた。「勇者殿。あなたには《天啓》が与えられています。自身の能力を把握できます。もし“固有能力”があるなら、それも――」
「固有能力……」
視界の文字をもう一度なぞる。死に戻り。冗談みたいな言葉。けれど同時に、背筋がぞくりと冷えた。
死に戻り。つまり――死んだらやり直せる?
王が言う。「勇者よ。どうか力を貸してほしい。迷宮の核を破壊し、この国を救ってくれ」
広間の全員の視線が突き刺さる。断れる雰囲気じゃない。そもそも、ここがどこかも分からない。帰る方法もない。
「……分かりました。……やります」
そう言った瞬間、胸の奥に小さな火が灯った気がした。怖い。けれど、やるしかない。自分の現実が、もうここにある。
魔術師が安堵したように息を吐いた。「良い決断です。ではまず、基本の訓練を――」
しかし王が手を上げて制した。「訓練は必要だ。だが最優先は迷宮の調査だ。北の関所近くに、最も新しい迷宮が現れた。規模は小さい。だが……」
王妃が言葉を継ぐ。「小さい迷宮ほど、核に辿り着くまでの道が“ねじれて”います。犠牲が増える前に、どうか……」
王妃の声が震えていた。必死なのは本物だ。作り物じゃない。夢じゃない。そう理解した瞬間、胃の奥がきゅっと縮む。
*
その日のうちに、俺は王城を出た。
護衛として付けられたのは三人。槍を持った兵士二人と、若い騎士一人。騎士は背が高く、表情が硬い。
「リュカ・ヴァルド。王命により、貴殿を迷宮まで案内する。……命を預かる立場だ。軽率な行動は避けてくれ」
言い方は冷たいのに、目は真剣だった。彼もまた、何かを背負っている。
馬車に揺られながら、俺は自分のステータスを何度も見た。スキルはたった三つ。剣術、直感、死に戻り。
剣術は分かる。直感も、なんとなく。問題は死に戻りだ。
――本当に死んだら戻るのか?
試す勇気はない。けれど、もしそれが本当なら……少しだけ、救いになる。失敗してもやり直せる。迷宮の攻略には、情報が必要だ。死に戻りがあれば、情報を集めながら進める。
そう考えた瞬間、胸の奥が軽くなる。
でも、同時に、背中に冷たい手が触れたみたいに不安が増した。
死に戻りなんて、都合が良すぎる。
何か代償があるはずだ。
関所の町に着いたのは夕方だった。木の柵に囲まれた小さな町。人々の顔は疲れ、目は暗い。遠くには、黒い霧の柱が立っている。森の奥――あそこが迷宮なのだろう。
「見えるだろう。あれが“口”だ」
リュカが言った。霧は一定のリズムで脈打っているように見えた。呼吸している。生き物みたいだ。
町の宿に泊まり、簡単な説明を受けた。
迷宮は突然現れる。中は現実と違う構造をしていて、入った者は空間の“ねじれ”に飲み込まれる。核に辿り着けば破壊できるが、そこまでが難しい。出てこれない者が多い。何より、迷宮は時間とともに成長し、吐き出す魔物が増える。
――つまり、早く潰さないと詰む。
その夜、俺は眠れなかった。布団の中で何度も天井を見上げ、心臓の音を数えた。
死ぬかもしれない。
明日、迷宮に入ったら。
剣術Lv1の素人が、魔物相手に?
そんな俺に、死に戻り。まるで救済みたいな能力。だがその“救済”があるからこそ、余計に怖い。最悪、何度でも死ねる。――いや、違う。
何度でも死ぬ可能性がある。
*
迷宮の入口は、森の中にぽっかりと口を開けていた。
黒い石でできたアーチ。内側は闇で、覗き込むと視界が引きずり込まれそうだった。空気が冷たい。周囲の木々は枯れていて、鳥の声がしない。虫すらいない。
「ここから先は俺が先導する。……勇者、後ろに下がれ」
リュカが剣を抜いた。兵士たちも槍を構える。
「いや、俺も――」
「死んだら元も子もない」
リュカの言葉は正しい。正しいけれど、腹の底がざわつく。勇者と呼ばれたのに、後ろにいるだけでいいのか?
でも、現実は現実だ。俺は剣を握ったことすらほとんどない。背中の剣がやけに重い。
黒いアーチをくぐると、世界が一瞬で変わった。
湿った石の匂い。狭い通路。壁には苔。足元には水たまり。天井からぽたぽたと水滴が落ちる音だけが響く。
「迷宮内は声が反響する。無駄口は控えろ」
リュカが小声で言う。俺は頷いた。
通路を曲がった先で、最初の魔物に出会った。
犬ほどの大きさの、黒い毛皮。目が赤い。口からは涎が垂れていて、牙が光っている。狼――いや、狼に似た何か。足音を立てずに近づき、こちらを見た瞬間、低く唸った。
兵士が槍を突き出す。「来るぞ!」
魔物は跳んだ。
速い。俺が反応する前に、兵士の肩に噛みつき、肉を裂いた。悲鳴。血の匂いが一気に広がる。
「退け!」
リュカが斬りつけ、魔物の腹を裂いた。黒い血が飛ぶ。魔物はひっくり返って暴れ、兵士が槍で突き刺し、ようやく動かなくなった。
俺は、動けなかった。
喉が詰まり、息が浅くなる。足が震える。目の前の血。呻き声。これが現実だという事実が、脳の奥を殴ってくる。
「勇者!」
リュカの声で我に返った。別の影が、奥から現れる。二匹目。三匹目。
「多い……!」
兵士が呻く。傷を負った兵士は片腕が動かず、槍を持てない。
リュカが前に出る。「勇者、後退しろ! 壁沿いに――」
その瞬間、足元の水たまりが、ぐにゃりと歪んだ。
違和感。直感スキルが、喉元で鳴る。
――罠だ。
そう思ったときには遅かった。床が沈み、足が取られ、体が前に倒れ込む。重力が一瞬で向きを変えたように、身体が“落ちた”。
「うわっ――!」
暗い穴。底が見えない。手を伸ばしても、壁はぬるぬるして掴めない。
落下。
冷たい風が耳を裂く。
そして――
衝撃。
全身が一つの塊になって砕ける感覚。肺の空気が一気に吐き出され、視界が白くなる。
痛みが、遅れてやってきた。
叫び声が出ない。口を開けても、息が吸えない。骨が折れている。いや、骨というより、身体の構造そのものが壊れた。
暗闇の中で、心臓の鼓動だけが大きく響く。
――死ぬ。
その瞬間、視界の端に、淡い文字が浮かんだ。
《死に戻り:発動》
白い光が、闇を塗りつぶす。
そして。
*
眩しい。
広間。魔法陣。旗。王冠。ローブの老人。
さっきと同じ光景。
俺は膝から崩れ落ち、床に手をついた。冷たい石の感触。胃の中がひっくり返り、吐き気が込み上げる。
「……成功です。召喚、完了」
同じ台詞。
違うのは、俺の呼吸が乱れ、汗で背中がびしょびしょだということだけ。
「う、うそだろ……」
夢じゃない。あの落下の痛みは本物だった。死んだ。確実に死んだ。
――そして戻った。
喉を鳴らし、必死にステータスを開く。
《ステータス》
名前:アサギリ・ユウ
職業:勇者
Lv:1
筋力:12
敏捷:14
魔力:10
耐久:11
幸運:8
スキル:
【剣術】Lv1
【直感】Lv1
【死に戻り】Lv1
……変わっていない?
肩で息をしながら、俺は文字を凝視する。どこも減っていない。代償はないのか。じゃあ本当に救済――
そう思いかけたとき、スキル欄の下に、見落としていた小さな文字が浮かび上がった。
《補足:死に戻りの対価》
《死亡回数に応じて、スキル効果が減衰します》
《減衰対象:ランダム》
ランダム――?
心臓が嫌な音を立てた。次の瞬間、スキルの表示が、一つだけ変化する。
【直感】Lv1 → Lv0
「……は?」
声が震えた。直感が、ゼロ。ゼロって何だ。消えたのか。弱体化って、こういう――
広間の空気が変わる。王が口を開こうとしている。魔術師が説明を始めようとしている。すべてが“最初のループ”と同じように進んでいく。
でも俺はもう知っている。
迷宮の入口。水たまりの罠。落下。死。
そして、死に戻りは――回数を重ねるほど、俺から何かを奪う。
最初がピーク。
やり直しは救いじゃない。回数制限つきの地獄だ。
俺はゆっくりと息を吸い、唾を飲み込んだ。
――次は、死ねない。
王が頭を下げる。「勇者よ。どうか力を貸してほしい」
俺は顔を上げる。
震えを押し殺し、笑う練習すら忘れたまま、答えた。
「……分かりました。やります」
ただし、今度は“戦って強くなる”つもりはない。
生き残るために、勝つために、最初からやり方を変える。
まずは情報だ。迷宮に入る前に、罠の存在を証明し、仲間の動きを変える。できるだけ死なずに、最短で核へ辿り着く道を作る。
俺はステータスを閉じ、心の中で自分に言い聞かせた。
――これは一周目じゃない。
――そして、二周目はもう、始まっている。




