7. “候補だった”男たち
無知なままに入ってしまった、連れ込み宿。
朝日が照らす門前でばったり会ったのは――。
「ジギ先生……!?」
私たちを交互に眺める主治医は、にっこりと微笑んだ。
「これはおめでたいですねぇ! 幼い頃から見知ったおふたりが、ついに結ばれ――」
「違います!」
彼は前任の主治医の息子で、私が生まれる前から王宮に出入りしている。もちろん、ウルとも顔見知りだ。
「貴方のことですから、式の前に何かするはずはないと思っていましたが」
「……本当に何もありません」
ジギ先生に拍手を贈られたウルは、刺すような殺気を放っている。
(まぁ、何もなかったのは本当だけど……)
ウルの口からその言葉が出ると、胸の奥が小さく疼いた。
結局、休まなければならないウルに気を使わせてしまったし――。
「ところで、先生はなぜこちらに?」
「気晴らしに遊んでいただけですよ」
先生が「遊び相手」と称した男女4人は、どう見ても一般人ではない肉体美を誇っている。
前から薄々気づいてはいたが――王宮いちの美形と噂される先生の、いけない遊び相手なのだろう。
「ジギ先生がまた夜の街で……」とも、メイドたちがよく噂しているけれど。
「それでは、また気が向いた時にでも!」
お連れの男女を帰した先生は、上機嫌でこちらに向き直った。
そんな先生の前に、ウルが一歩踏み出す。
「姫様の教育に悪いので、今すぐ消えてください」
「ふぅん? この私にずいぶんな言いようですねぇ」
(あれ……?)
先生に対して、ウルってこんなに辛辣だったっけ――。
私以外には基本礼儀正しいウルが、先生をまっすぐ睨みつけている。
「まぁまぁ、姫様も明日で成人されることですし。ここはひとつ、“成人記念”に遊びませんか?」
「は……?」
私を隠すように腕を出すウルを避けて、先生が差し出したのは――。
「仮面……ですか?」
ガーネットの散りばめられた、赤と黒の仮面。
立場や身分を気にせず遊ぶための、秘密会へのパスポートだという。
「ジギ先生、またそんなものに出入りしているんですか……?」
「でも、ちょっと惹かれるでしょう? 大人の世界」
分厚い手袋越しの手が、胸の前に伸びた。
先生は、診察の時もそれ以外も、この手袋を外さない。
遊びの時も外さないのだろうか――少し、先生の知らない顔を想像してしまった。
(大人の世界……)
先生から漂う甘い煙の匂いに、ちょっとだけ身体が傾いた。
でも――私に向けて伸ばされた手を、“番人”の彼が鋭くはたき落とす。
「おや、嫉妬する人はパートナーに煙たがられますよ」
「……黙れ」
嫉妬。
パートナー。
先生が何のことを言っているのか、分からない。
(ウルと私は、ただの護衛と護衛対象……)
少なくとも、ウルはそう思っているはず。
でも、私は――。
彼が弱っている姿を見て、気が気ではなかった。
吐息のかかる距離まで近づかれれば、心臓が飛び出そうになった。
「ふむ……それでは健全なバーで、一杯だけでもどうです?」
沈黙を破る声に、顔を上げると。
今度の先生は控えめに微笑んでいた。さっきまでの、「悪い遊びに誘う大人の顔」は消えている。
「バーで一杯……それくらいなら、良いよね?」
私の前を腕で遮ったままのウルを、まっすぐに見上げると。
「だが……女王様はどうするつもりだ」
「ママだって、ちょっと寄り道するくらい許してくれるよ。ね?」
ママの魂が入っているランタンを、ちらりと見れば。蛾が無言で羽を揺らした。
「……だが、朝から飲むなど」
「いいじゃん、ちょっとだけだよ!」
ため息を吐くウルをすり抜け、ジギ先生の後に続いた。
「えっ! 先生って、私の婚約者候補だったんですか?」
先生行きつけの、会員制バーに着いた後。
テーブルに一杯目の飲み物が届くより早く、衝撃の事実が飛び出した。
「ええ、それはもう面白い顔ぶれでして」
騎士、医師、商人、神父。
なんだか、最近覚えのある職業がちらほら混ざっているような――結局、最終的な婚約者が誰なのかは、先生も教えてくれないみたいだ。
「……騎士」
(まさか、ウルじゃないよね……)
もしそうなら、教えてくれるタイミングはいくらでもあったはず。それでも言わないのは、ウルじゃないから――。
そっぽを向くウルを、さり気なく盗み見たところで。先生おまかせのカクテルが運ばれてきた。
「わぁ……きれい」
透明なお酒の中を、銀粉が舞っている。下から差し込むテーブルライトの光を受けて、より煌めいて見えた。
「『永遠の口づけ』……これは私から姫様へのプレゼントです」
これは本命の女性に、「私の唇は永遠にあなたのもの」という意味を込めて贈るもの――そう言って、先生は眼鏡の奥の目を細めた。
「それはとてもロマンチックですね! カクテルに意味とかあるんだ」
「おや、“本命”という部分は流されましたね」
先生に本命なんているはずがない。
ましてや私みたいな子どもなんて、冗談に決まっている。
「……おい、何のつもりだ」
一連のやり取りを冗談だと思えない堅物ウルが、隣から先生を睨みつけていた。
「ほんと、余裕のない人ですねぇ。嫉妬する男は『地獄の釜で1000年茹でられる』って、昔から言うでしょう?」
また、嫉妬――。
「先生、ウルが私のことで嫉妬なんて……」
あり得ない。
声を落とし、カクテルに手を添えると。
「どこかの誰かが、さっさと名乗り出れば良いものを」
先生は「もどかしい」と呟きながら、カクテルグラスをウルへ差し出した。
さっきから、彼は何も口にしていない。
「……余計なことを言えば燃やす」
(うーん、やっぱり……)
基本、他人に礼儀正しいはずのウルが、こんな口調を使うなんて。
「もしかして、2人は仲良し……とか?」
2人を交互に眺めると、「仲良しとか言うな」とウルは苦い顔をした。
機嫌が悪そうなのはいつもだとして、先生には素を見せているような――そんな気がした。
「一緒に夜遊びに行った仲じゃあないですか」
「妙な言い回しをするな……!」
これは絶対に仲良しだ。
ウルが夜遊びなんて考えられないけれど――。
「あっ、劇場の女の人がウルと知り合いだったのって、もしかして!」
「……っ」
意味ありげな沈黙に、胸がずんと重くなる。
まさか、ウルが先生と夜遊びをする仲だったなんて――。
愉快そうに微笑んでいた先生は、「1回だけです」と、謎のフォローを入れてきた。
それでも、1回は遊びに行ったということか。劇団員のような、派手でキラキラした人たちが接待してくれるお店へ。
「……」
ウルは弁解しない。
いや、ウルが私にそんなことをする必要なんてないか――。
幼なじみ以上、護衛対象未満。
それだけ。
昨晩のアレは、たぶん私の無知に怒っていたがゆえの行動。
ウルが、私に近づきたいと思うはずがない――。
「姫様、聞いてください! 私は貴女の婚約者候補としてお話をお受けするつもりだったというのに、王様が1人に決めてしまわれたんですよ」
その1人に、よほど他を外すよう提言されたに違いない――そう言って、先生はなぜかウルに笑いかけている。
「でも、その婚約者候補ってどうやって決めたんだろう? 先生と私の接点、あるにはあるけど」
「……家柄だろ」
確かにウルの言う通り、先生の家は代々優秀な王宮魔術師。彼のお父様は5年前まで私の主治医だった。
皮肉めいたウルに対抗するように、「顔の良さですよ」と、先生はキメ顔をしている。
「でも、パパは私の好みなんか知らないと思いますよ」
「それ、案に“私の顔は好みではない”とおっしゃっています?」
しまった。
お酒が回って、口が滑らかになっている――気をつけないと。
「まあ私の場合、候補に選ばれた理由は“魔力”でしょうね」
次期女王を産む女王の相手として相応しいのは、「魔力の高い者」であることが第一条件になる。
実際、ジギ先生は顔面だけでなく、魔力も王宮で一、二位を争うほどだ。
「……そっか」
母もそうだったように、私も高い能力を持つ、“次期女王”を産む役目があるんだ――。
「おい」
澄んだ声に、胸の淀みが揺らいだ。
ウルが私を見ている――。
でも。
私の縋るような視線を感じたのか、ウルは眉根を寄せ、視線を逸らしてしまった。
「……いや」
(また、「何でもない」か……)
ウルの言葉の先が何なのか、期待するのはやめたいのに――いつも考えてしまう。
お酒も相まって、普段よりさらに饒舌な先生。
何も口にしないどころか、ひと言も話さなくなってしまったウル。
2人の間で、何度も意識が揺れた後。
「いやー、飲みましたね!」
城下町のバーを出ると、日が一番高いところに昇っていた。
ヴィリデスは昼が短い。間もなく、夕方になるだろう。
このまま一緒に城へ帰るかどうか、上機嫌のジギ先生に問いかけると。
「私はもう少し、街で用事がありますので」
「まさか……2軒目ですか?」
「いえまさか! 薬の材料の調達ですよ」
『死人花』の棘は猛毒だが、薬にもなる――そう言い残して、先生は市場の賑わいの中へ消えていった。
本当に、そんな危険なものを扱う薬を作っているのだろうか――。
「あれって絶対遊びの用事だよね! 『薬の材料調達』とか言ってたけど」
先生が婚約者じゃなくて良かった。
たとえ政略結婚だとしても、あんまり浮気者だと気が休まらない――ほっと胸を撫で下ろしたところで。背後にいたウルが、ぎこちなく私の前に回り込んできた。
「なに?」
「……いや」
また、この態度――。
「もう、“何でもない”はなしね」
行きどころのない苛立ちをにじませながら、そう言い放つと。
口を開きかけては閉じ、ウルは手元のランタンに視線を落とした。
「前女王様の魂を、王様の元へお送りしたら……」
お前に、話がある――。
ウルの声は、耳を澄まさなければ雑踏にかき消されそうだった。
「……え?」
(ウルが私に、話……?)
相変わらず、彼はこちらを見ないけれど。
かすかに耳が赤い気がした。
もしかして、連れ込み宿でのことを追加で説教されるのでは――。
ただ、怒っているのとは様子が違う。
ウルがどこか緊張しているように見えるのは、ランタンを持つ手が青白くなっているからか。
どんなことでも良い。
ウルが「何でもない」と言わず、私に向き合ってくれることが嬉しい――自分でもちょっと、驚くくらいに。
こっそり頬を緩ませ、足早に進むウルの背中に続いた。
騎士、医師、商人、神父――候補だった婚約者たちの存在が匂わされる一方。
ウルはリリンに、なにを話す覚悟を決めたのでしょうか……?




