side:番人だけが知っている
【婚約式1ヶ月前】
冥府に繋がる“漆黒の扉”。
その前で死人花を摘むたび、考える――俺の選択は正しかったのだろうかと。
透き通った花弁に滲む赤は、彼女の瞳と同じ色。毎夜届けるこの花を、彼女はどんな顔で眺めているのだろうか。
「……リリン」
儚く可憐な横顔を思い浮かべると、胸が痛くなる。痛みが募るだけ、触れたい想いが抑えきれない。
(俺には、彼女に触れる資格がないのに……)
抱えた花束から顔を上げると。巨大な扉の前で戯れる、子どもの影が見えた気がした――。
奔放で、好奇心旺盛。そんな彼女が、幼い頃は少し怖かった。
『ウル、カボチャがこわいの? なさけないわね』
目を閉じると、あの時の声がよみがえる。
あれは、彼女の母親が女王として即位した頃のことだったか――。
『あたしにさわらないで! あたしはつぎの“じょおうさま”なの。ウルとはちがうのよ』
「身分が違う」と言われた気がして、当時は傷ついた。
だが、女王の即位から1年が経った頃。
『ママ……どうして?』
気丈に振る舞っていた彼女が、人知れず泣いているところを見てしまった。
俺の気配に気づいた彼女は、慌てて涙を拭いたが――「さびしいの?」と尋ねると。
『ママはもう、あたしをだきしめてくれない……』
あのか細い声が、今も胸に残っている。
女王様はあんなにリリンを可愛がっているのに、どうして――。
子どもながらに、そう思ったことも。
『ダメなんだって。“じょおうさま”は、もうだれにもふれられないんだって』
初めて聞く素直な告白に、つられて泣きそうになったことを覚えている。それを悟られたくなくて、彼女の頭に手を伸ばすと――涙を拭いた彼女は、俺の手を拒んだ。
『これはれんしゅーなの。“だれにもふれられない”……だきしめてくれなくても、“じょおうさま”として、がんばるための』
あの時の強がった顔が、いつまでも忘れられない。
だからこそ。彼女と向き合うと、今でも触れることをためらってしまう。
それに彼女自身、触れられることには抵抗があるようだった。
俺が手を伸ばすと、いつも顔をこわばらせるのだ――。
「……まだ、練習が続いているのか?」
本人には決して訊けない問いが、無音の花畑に響いた。
あの告白を聞いた日以来、俺は“あること”だけを考え力を求めた。
2人の兄たちを凌ぐほどに修練を重ねたのは、当然のこと。その上で、生来強くない魔力を高めるための修行も積んだ。
そして、14の時――継承順を覆し、俺は“番人”の資格を手に入れた。
冥府の大剣と鎧、そして使い魔の“大鴉”。
「……行くぞ、ヴァルグ」
黒い火の粉を散らす羽ばたきが、花を揺らした。
『お帰りですかい? ご主人』
この大鴉に乗って、彼女とはじめて“冥府の扉”前へ向かったのが、6年前。
リリンは、あの時のことを忘れている――。
この場所で起きた、悲惨な出来事を。
「……彼女の元へ連れて行け」
『あいあい』
触れられることを怖がる彼女も、次期女王としての責務を見据える彼女も――すべて愛しい。
打ち明けられずに膨れ上がり、破裂しそうで、自分でも恐ろしい愛。
その一方で、涙が出そうなほどに罪悪感が募る。
「……これも全部、救うためだ」
大鴉の背に乗る間に、死人花の棘を折ることにした。
花を抱え、仕える城まで飛び帰ったものの。
いつものごとく、俺は彼女の部屋の窓辺下で動けずにいる。
(今夜も、直接は無理だ……)
もし俺が花を届けようものなら。
『ウルが私に花を? 明日の天気は「死者の灰」かな……』
そんなことを宣う彼女の姿が、容易に想像できる。
「いや……」
違う。本当は、そんなことを恐れているわけではない。
花を渡せば、「急にどうして?」と訊ねられるから――俺はまだ、婚約者へ贈る言葉を決められていない。
「……婚約式まで、あと1ヶ月」
王から婚約の話を聞かされたのは、もう半年以上前のこと。「他にも候補がいる」と言われ、すぐにこの縁談を承諾した。
が――肝心の本人には、俺の口から言うよう王命を受けている。
「……まだ1ヶ月ある」
仕方ない。
今夜も窓辺下の城壁へ、そっと花束を置いた。
ここへ置いておけば、毎朝必ず窓を開けて伸びをするリリンが、すぐに花に気づくのだ。
「……おやすみ、リリン」
花束に背を向け、宿舎へ戻ろうとしたところ。
「『風の悪戯』」
静かな詠唱と同時に、背後の花束が浮いた。
赤い花びらを散らしながら、彼女の窓辺まで飛んでいく。
「ほんっとうに臆病なところは変わりませんねぇ、ウルベルム・ナイト」
宮廷医師のジギタリア・ルタリア。
相変わらず、眼鏡の奥の瞳がかげっている――悪い意味で、生粋の“ヴィリデス人”らしい男だ。
「その調子じゃ、婚約者とまだ手も握っていないのでは?」
同じく代々王家に仕える家柄だが、年は俺より十も上。しょっちゅう声をかけてきては兄貴ヅラをする、面倒なやつ。
「……ルタリア先生は夜の散歩ですか?」
「ええ! 研究の合間に、少し外の空気を吸いたくなりまして」
先日も夜の街で見かけたと、従僕が噂していた。
こう見えて――いや、見た目通りというべきか。かなりの遊び人だと聞いている。
「私のことはさておき……姫へのアプローチがこれでは、彼女が『黄昏の玉座』に就けるまで何年かかるやら!」
「……何が言いたいんですか」
リリンが即位するためには、まず次期女王を産まなくてはならない。
即位すれば、完全なアンデッドとして触れられない身体になるから――。
言われなくてもわかっていること。そして、受け入れたくない事実を改めて口にされたことで、思わず黒炎をにじませてしまった。
(怒れば、こいつの思う壺だ……)
「お分かりですか? これは大事なことなのです」
女王の夫となる男は、覚悟しなければならない。
愛した女は、必ず“死”のものとなることを。
「女王はこの世界の“生と死の循環”を保つうえで欠かせない存在ですからね」
「生と死……」
彼女が即位すれば、冥府の扉を守る礎として、14年間働くことになる。
そして、役目を終えた後に待つのは「死」――つまり、一度即位すれば人として触れられなくなる。
あの呑気そうに見える王も、リリンの母親を“触れられない”まま生涯愛し抜くと覚悟していた。
そんなの、普通できることではない。
「もちろん、他の女性に代わりを求めるという手もありますが」
「……気持ちの悪い話をしないでください」
「いえ、これは至って真剣なお話です」
こいつは、わざわざこんな話をするためにここへ来たのか――?
それとも、本当に偶然なのか。
胡散臭さ抜群の笑顔からは、逆に何も読み取れない。
「さて、では行きましょうか」
「は……どこへ行くのですか!」
強引に腕を引かれ――いや、風魔法で身体の自由を半分奪われ、連れてこられたところは。
「……繁華街の裏路地?」
露出の多い女たちが客引きをする、薄暗い路地だった。ジギタリアが慣れた足取りで向かうのは、薄紅色のランタンがかかった3階建ての楼閣。
「なんですか、この怪しい店は」
「ちょっと! 怪しいなんて言い方、彼女たちに失礼ですよ」
この店の女たちは、昼は国立劇場で劇団員をやっているという。そして、ジギタリアの慈善活動診察を受けているとも。
「先生はお医者様でもあるけど、お客さんでもあるのよ〜」
「客……?」
下着のようなドレスを纏った女が、ジギタリアの腕に身を寄せた。女たちが動くたび、甘ったるい煙草の匂いが漂う。
(何故、アイツは平然としていられるんだ……?)
やはり遊び人という噂は本当だったのか――。
「まだ坊やみたいだけれど、先生のご紹介ならサービスしちゃうわぁ」
「は……?」
腕に触れようとした女を、さり気なく避けると。
相変わらず年上ヅラをした医師から、「ここで女性について勉強しろ」と言い渡された。
「なぜ俺が……!」
「ではお聞きしますが、女性との交際経験は?」
ジギタリアの妖しい笑顔が、急に深くなった。
こいつ――分かって訊いている。
「……なんで貴方にそんなことを教えなければならないのですか」
「ふむ、つまり“無い”と」
屈辱だ。
こんな男に、こんなことで見下されるとは――。
ただ俺は、心に決めたひとり以外に触れるつもりはない。
誰でもいいこいつとは違う。
「ですが、姫様をちゃんとアプローチできるのですか?」
ああ、もう耐えられない――。
「ものすごく余計なお世話だ……!」
抑えていた黒炎が、周囲に漏れ出てしまった――が、もう構うものか。
どうせ、俺を揺さぶって楽しんでいるだけだろう。
「おや、それは心外ですね」
別に俺のためではない――意外な言葉に、思わず目を開いてしまった。
「姫様は、貴殿だけの大切な方ではないのですよ」
「……っ」
それは国民にとってなのか、それともジギタリア本人の感想だったのか――。
ただ、やつが本当にリリンを案じていることだけは伝わってきた。
「彼女は……誰のものでもない」
そう呟いておきながら、胸の中には、褒められたものではない感情が渦巻いていた。
彼女の中に根付いているであろう「情けない印象」を払拭したい。さらに欲を言えば、初めて彼女に深く触れる時、余裕がなくなることだけは避けたい。
これからは、“婚約者”という大義名分のもと触れることができるのだから――きっと正気ではいられなくなる。
「だが……」
百歩譲って、ジギタリアの言うことを受け入れるとしても。あくまで学ぶだけだ。
「……決して参加はしない」
睨みつけるように言い返したところ。
ヤツの口元が緩んだ。
「堅いところまで子どもの頃と変わりませんねぇ……まぁ、良いでしょう」
これはリリンのため――そう己に言い聞かせつつ、ジギタリアの後に続いた。
しつこく俺の腕を引こうとする女たちの手を、そっと払いながら。
(俺が触れるのは、彼女だけ……)
もし、いつかすべてを打ち明けた時。
リリンに「そんなことは望んでいない」と言わせないように――。
彼女を身体の芯まで愛し抜いて、心を捕らえて、俺の中へ堕とさなければならない。
ついに、ウルの思惑の一角が明らかに……!
ここでプロローグの問いをもう一度。
あなたも、ウルが犯人だと思いますか?




