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4.おどけた死神

 最後に映ったのは、息を荒げた骸骨馬の前脚。

 そして、黒い炎――。


(私……1回死んだ?)


 でも、痛みはない。

 むしろ暖かくて、嗅ぎ慣れた甘い香りに包まれていて――ここはどこなのか。


「『業を絶て……無焔!』」


 力のこもった詠唱が、胸越しに響いた。

 顔を覆う何かから離れると。立ち昇る炎に怯む、骸骨馬の姿が見える。


「おい、大丈夫か……!?」


 何があっても離さない――そんな気持ちが伝わってくるほどに強い腕が、私の身体を包んでいる。


「ウル……?」


 もう、ダメだと思ったのに。

 私を守ってくれたんだ――。


 今は、「それがウルの仕事だから」なんてことは、どうでもいい。

 ウルが来てくれた――それだけで、全身の力が抜けていった。あんなに触れることをためらっていた手が、今だけは、私の身体を強く抱いている。


「お馬さんたちは、燃やされてない?」

「馬より自分の心配をしろ……怯ませただけで、火傷はさせていない」


 さり気なく手を離され、観客席に座り込んだ。

 ウルは何事もなかったかのように、そっぽを向いている。


「……ありがと」

「ああ」


(大丈夫かな……?)


 死にかけた私より、ウルの方が顔色が悪い。

 額に手を添えて、「大丈夫?」と心配したいところだけれど――私がそんなことをしたら、きっと迷惑だろう。


 それにしても。一瞬のことで分からなかったが、いったい何が起こったのか――御者が馬をなだめる間にも、団長や劇団員たちが駆け寄ってきた。


「ああ姫様、ご無事でしたか!?」

「どうして馬車が暴走したのよ〜!」


 女優たちが若い御者を責めていると、彼はポツリと口にした。

 骸骨馬は光に敏感。周りの音や匂いだけでも物の位置を把握して動けるため、ふだんは目隠しをしているのだと。


「でも、このお馬さんたち……」


 ぽっかりと空いた空洞のような目には、何も巻かれていない。


「ひっ、姫様がお持ちの、その光の衣に興奮したんでしょう」


 怯える御者が指したのは、私の手元。

 私が届けようと思っていた銀色のヴェールだ。


「これ、劇団の誰かが落としたものみたいなんだけど」


 傍の団長に差し出したが、彼は受け取らずに首を傾げた。


「おや、おかしいですねぇ。そんな衣装、うちにはないはずなのですが」

「え……?」


 そんなはずはない――だって、このヴェールを纏っていた彼女はステージから降りて行ったのだから。


(じゃあ、これは誰のものなの……?)


 銀のヴェールを落とした、赤髪の小柄な女性。

 ウルを振り返り、見ていないか確かめようとした途端。


『はい、どいてどいて〜』


 どこからか、子どものような声がする。

 それが空の闇からだと気づく前に、声は近づいてきた。


「……全員退がれ!」


 ウルの声に弾かれ、全員が一歩下がった直後。

 ステージ前の通路に、何かが落ちてきた。


 地響きのような音に思わず目を閉じてしまったが、あれは――鉄の鍋。いや、100人分のシチューが作れそうな大釜だ。

 中で何か動いている。


「なんだ……?」

「おい、アレ、もしかして……」


 ざわめく劇団員たちと一緒に、釜の中で暴れる何かを見守っていると。


『ハッピー・ヴィリデス・ナイト〜!!』


 おもちゃ箱の仕掛けのように飛び出たのは――カボチャパイをたくさん抱えた、牡鹿(おじか)の骸骨頭だった。


「あなたは……」

 

 ヴィリデス国民なら誰もが知る、『冥府の夜』の風物詩。


 死神だ。


『んっんー? 馬車の事故で亡くなった人間を引き取りに来たつもりだったんですがねぇ』


 だれも死んでないじゃないか、と牡鹿の骨頭は首を傾げた。

 身体は男性に近いが、手足は女性のように細い。銀色の蛾が、明かりに群がるように彼の周りを飛んでいる。


『んー、このまま帰るのもなぁ。そこのあなた、今から死んでワタシと冥府へ参りません?』


 死神というより、挙動はまるで道化師だ。


(『冥府の夜』に空を飛んでる姿は見てたけど、こんなに近くでは初めて見たな……)


「死神様って、なんか面白いな」

「こんな方に連れてってもらえるなら、死んだ後も楽しそうだねぇ!」


 この国の人はみんな、「死」を「悲しむべきことではない」と考えている。


「死」は「再生」のための通過点。


「また、会える」――そう願って、この国の人たちは、死者を笑って送り出すのだ。


「でも……」


 私はママが役目を終えて死んだ時、それができなかった。

 それ以前に。女王として即位し、もう二度と触れられなくなった時から――私は、「死」が嫌いだった。


『んっんー! だれかと思えば、次期女王陛下ではございませんかっ』


 ついに死神がこちらを向いた。

 骸の奥の瞳が、空洞みたいに風を吸っている――見つめられると背筋が震える。


「……退がれ」


 ウルが私の前に腕を出した。

 凍てつく視線から、守るように。


 それでも死神は、私から目を離さない。


『いやぁ、“ランタン”といい“ヴェール”といい、死を引きつけるものに惑わされるなんて! さすがは死の国のお姫様ですねぇ』


 何も言っていないのに――。


 昼間のランタンのことも、さっき拾ったヴェールのことも――この死神は全部知っている。


「……どうしてご存知なのでしょうか?」

『そりゃボク、仕事柄、死の匂いには敏感でしてねぇ』


『たとえば』と、死神は私の左胸へ、長い指先を突きつけた。

 そこには、次期女王だけが授かる大事なものがある――。


『ふむ、すでに一度死んでおられますね! 大変おもしろい』


 おどけた調子。

 でも、真に迫る声色――胸にある花の痣が、疼いた気がした。

 

「え。でも、まだ……」


 一度も死んだ記憶はない。

 生き返れる回数を示した花びらは、まだ4枚のはずで――。


『んん? 何を勘違いしておられるのか分かりませんが、花びらは――』


 死神の鋭い爪先が、胸に食い込んだ瞬間。


「……触るな」


 ウルの苛立つような手が、死神の腕を払った。

 見つめ合う、氷のような碧眼と闇色の深淵――2人の間に、重苦しい沈黙が流れている。


「おい、姫様が1回死んでるってどういうことだ?」

「……!」


 まずい。

 国民は、女王に即位する前の姫が、“回数制限付きのアンデッド”だということを知らないのに。


「今のは死神様のボケでしょ? 姫様が死んでたら、国の一大事だわ」


 良い方向へと解釈してくれる劇団員たちの声に、胸をなでおろしたのも束の間。

 頭の上に、突き刺さるような視線を感じる。


「……ウル?」

 

 まるで心臓を射抜かれたような目で、私を見ている。

 いつも涼し気な表情の顔には、汗が流れていた。


「お前は……」


 かすかに震える指先が、頬に伸びる。

 でも――伸ばされた手に触れようとした途端、ウルは手を引っ込めてしまった。


「あ……」


 やっぱり、気のせいじゃない。

 ウルは私へ手を伸ばして、そして、やめてしまった。


(どうして……?)


 引っ込みのつかなくなった手を、宙へ浮かせたままでいると。


『では、ご一緒しましょうか!』

「なっ……!?」


 骨ばった冷たい手が、私の手を強く握った。

 そのまま、死神が移動に使っていた大釜の中へ放り込まれてしまう。


『これはワタクシめが預かっておきますね』


 抱えていたヴェールを、素早い手にひったくられた。

 ぽっかり開いた骸骨の目が、まるで光を呑むように布を吸い込んでしまう。


「姫様……!」


 熱と焦りのこもった声を振り返ると――。

 ウルの手が、今度こそ迷いなく、私へ伸ばされていた。

 でも――差し出した指先が、届く寸前。

 大釜が浮遊した。


「ウル……!」


 黒、紫、黄――星のない夜空を漂う魔法のランタンの隙間を、大釜が滑るように飛んでいく。


「ちょっと、降ろしてください! てか近い!」

『良いではありませんか! どうせ向かう場所は同じなのですから』

「同じ……?」


 私を抱えながら大釜でくつろぐ死神は、仕事の愚痴を語りはじめた。

 冥府から与えられた仕事はシフト制だというのに、『冥府の夜』に巡回する死神に選ばれてしまったと。


『そして「冥府の扉」の裏にある当直小屋が、ワタクシめの待機場所なのです!』


 どうせ私も、「そこへ前女王の魂を迎えにいくのだろう」と言い当てられてしまった。


 たしかに、同じ場所ではあるけれど――。

 

「でも、ウルが!」

『ウル? んんっ、42代目の門番ですか』


 ウルは私の護衛だ。

 でも、『ワタクシめがいれば問題ないでしょう!』と、死神はのんきに笑う。


(死神が側にいる方が、ヤバいと思うけど……)


『そんなことよりあなたは、ご自分に迫る“死の気配”へ、常に意識を向けるべきでは?』


 それはどういう意味なのか。


 ふと思い出したのは、死神が最初に言ったこと。


『“ランタン”といい“ヴェール”といい、死を引きつけるものに惑わされるなんて!』


 ゾンビ避けのランタンのかけ忘れ。それに骸骨馬を暴走させるヴェールを私に拾わせたのは――。


「誰かが私を殺そうとしている……?」


 そんな、まさか――。


 目の前の死神以上に冷たい気配が、背筋を這いのぼる。


「止まれ死神……!」


 背後からの痛切な声に、震える背筋が弾かれた。

 羽ばたきが聞こえる――。

 振り返った先には、夜闇に紛れる大鴉が見えた。


 ウルだ。

 使い魔の背に乗って、ものすごい勢いで迫っている。


『チッ。意外と早かったですねぇ!』


 死神は、『もっと速く飛びなさい!』と、大釜に指示しているが。ウルの使い魔、ヴァルグの方がずっと速い。


 背中に立ち乗りしたウルが、私に向けて手を伸ばす。

 でも――死神が、私の伸ばしかけた手を掴んでしまった。


 大鴉と大釜が並ぶ。

 瞳に青い焔を燃やしたウルは、死神を睨みつけている。


「余計なことをするな……」

『彼女の“死”は、すべてご自分のものだと?』

「……黙れ!」


(私の……死?)


 ふたりは、まるで知り合いのように言葉を交わした気がしたが――。


「姫……!」


 ウルの手が、私に向かって伸びる。

 ヴァルグの羽を掴んでいた手まで離して、「こっちへ来い」と。


 すると死神まで、『こちらへ』と手を差し出してきた。

 今度は私に選ばせるように、私の腕を一度離して。


「お願いだ……手を!」


 ウルは私を、仕事で助けてくれている。

 あの冷たい態度、それに一切触れてくれないのを見れば、本当は嫌われているかもしれないとも思う。

 でも――。


『さぁ、ワタクシめと参りましょう! このまま……』


 死神の手も、目の前に伸びる。

 死の冷気を纏った手――嫌なはず、なのに。なぜか目を離すことができない。


 迷いなく、ウルの手を取れば良いはずなのに。


(どうして、私は迷っているの……?)


「姫……!」

『姫様っ!』


 私は――。


 たとえウルが私を嫌っていようと、私が大嫌いな「死」の手を取ることはできない。


 震える指を、“彼”の前へと差し出した。


「ウル……!」


 熱を帯びた手が、私の手をしっかりと握った。

 瞬間、硬い胸の中へ引き寄せられる。


『あらら。今回は()()()の手を取るんですねぇ』


(「今回は」……?)


 私は前にも、誰かの手を選び取ったというのか――。


 ヴァルグが、もの凄い勢いで大釜を置き去りにする中。死神の言葉が頭を巡る。

 どうして、あんなことを言ったのだろう。


(ただの気まぐれ? それとも……)


 ううん、だめ――。

 今は何も考えたくない。


「姫……」


 私の存在を確かめるように、抱きしめてくれている――ウルの身体、熱い。

 それにいつもとは違って、すぐに離れていかない。


(やっぱり、勘違いしそうになる……)


 全身の力が抜けるほどに安心する熱を感じながら、私たちを乗せた大鴉は『冥府の扉』を目指し飛んでいく。


 前女王、ママの待つ玉座まで、もうすぐだ――。

『すでに一度死んでおられますね!』

死神の言葉はでたらめか、それとも……?

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