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side:婚約式の夜、はじめての死。

 彼女は永遠に知らない。

 幾度も繰り返される婚約式――自分が毎夜、だれに(あい)されているのかを。




【婚約式の夜:1回目】

 

 自分の婚約式の日だろうが、関係ない。

“番人”が必要とされる仕事があれば、行くしかなかったのだから――。


「……遅れてすみません、大事な日に」


 先ほどまで、歌や音楽が漏れていた王宮広間の扉。それを開いた途端、ホールはしんと静まり返った。


「おお……『無焔の番人』がご帰還だ!」

「鎧についた、あの赤い血! なんと艶かしい……」


 魔獣退治を終え、直接飛んできたのが不味かったのだろうか。黒で着飾った貴族連中は、俺を妙な目で見ている。


「……ウル」


 玉座の間から、真っ直ぐに俺を見つめるあの瞳。

 魔獣の血とは比べ物にならないほど、鮮やかな赤が美しい。少し泣きそうに揺れているところを見ると、俺の安否を憂いてくれていたのだろう。


「……はぁ」


 俺の婚約者が愛おしすぎる――。


 白い肌を映させる黒のドレスも、似合いすぎている。直視できないほどに。


「おかえりウル〜! 国境の魔獣退治、大変だったでしょ」


 我が王は、いつ何時でもおおらかだ。

 呑気ともいえるが。


 王の隣でむくれている彼女の目は、今は俺から逸らされていた。

 婚約式の日に、こんな格好で現れたことを怒っているのだろうか。

 それとも――俺が返事を曖昧なままにしているからか。


『私との婚約を受けてくれたのは、どうして?』


 あの直後。援軍要請が来て、正直助かったと思った。

 俺の想いを言葉にするため、適切な言葉が見つからなかったのだ。


 “恋”ではぬるい。

 “愛”ではゆるい。


 彼女への感情は、より深く、重く、熱く、そして――罪に塗れている。


 言葉では、到底あらわせない。


「姫様」


 何の疑いもない純粋な瞳を向けられ、「すまない」という言葉は引っ込んだ。

 いつもこの言葉を言いかけては、必死に喉奥へ押し込めていた。


「……なに?」


 呼びかけに対し、彼女は我慢強く、俺の返事を待ってくれている。

 だが――。


「いや……」


「すまない」どころか、「綺麗だ」とも言えない。


 彼女のためなら何でもすると、6年前に誓ったはずなのに――俺は罪の意識に縛られ、彼女のために言葉をかけることができないままだ。




 結局、何も言えずに式は閉じた。

 時刻は午後10時半。


「……行こう」


 何度も部屋の前でそう呟いては、足を止めている。


 今夜の機会を失ってはならない――彼女を殺せるのは、『冥府の夜』の、この時だけだ。


「はぁ……」


 廊下の壁へ、頭をもたれていると。


「おや、そこで萎れているのは『無焔の番人』様ではありませんか!」


 ジギタリア――彼女の主治医が、なぜ今ここにいるのか。

 式に参加していたのだろう。いつもの白衣は着ていない。

 明らかに人を揶揄おうという顔で迫ってくる奴に向けて、「消えろ」と呟いたが。


「いーえ! 姫様のためにもお尋ねしますが。なぜ、部屋に入らないのです?」


 眼鏡の奥の瞳が、妖しく光った。

 こいつは人の揺れ動きを見て、楽しんでいるとしか思えない。


「部屋に入らないのは……入れないからだ」

「婚約者避けの魔防御でも張られていると? ああ、それとも勇気が出ないとか?」


 いちいち癪に障る喋り方だ。


 彼女の婚約者候補だったこいつが、いちいち俺に構う理由は分からないが――そうだ。


 もしかしたら、使えるかもしれない。


 肝心な時に意気地のない俺に代わって、こいつが彼女を――。


「……どんな顔をして訪ねれば良いのか、分からない」


 矜持を殺し、そう呟くと。

 ジギタリアは「ふむ」と笑みを消し、こちらに向き直った。


「こういう時は、アイテムの力を借りるのが定石でしょう。では、少々お待ちください」

「……待て」


 平服の隙間にねじ込んでいた、小さな包みを取り出した。


「もし会う機会があれば、渡そうと思っていたものだ……昨日、集めていただろ」


 包みを差し出すと、奴は最初、首を傾げたが――包みから漂う匂いに気づいた途端、かすかに口角を上げた。


「これは助かります! 貴重なものなので、何かお礼でも」

「礼は今回の件で良い。早くしまえ」

「それにしても、どうやってこれを……ああ」


 ひと月前の夜を思い出したのだろう。

 彼女の部屋の窓辺で、花を直接渡すかどうか悩んでいた俺の姿を。


「あの時の花……まさか、こんなにたくさん集めておいでとは」


 ジギは「少しお待ちを」と踵を返し、四半刻のうちに戻ってきた。

 手には、銀色の粉が舞う透明なグラスがある。


「こちらは『永遠の口づけ』……そういえば、あなたはもうご存知でしたね」


 落としたい相手にプレゼントする――奴が昨日のバーで、彼女に出したカクテルだ。


「式の終わりで余った分を、給仕のものから貰い受けました! どうぞ」

「……ああ」


 銀粉の中に紛れて舞う、紅の粒。バーで見たカクテルにはなかった色。

 それから、奴の肩に留まった月繭蛾――。


(これで支度は整った……)


「……世話になった」

「良いのです! 姫様には幸せになっていただきたいですからね」


 ご武運を――そう呟き、階段を降りていく奴に背を向け、深く息を吐いた。


 これから彼女を殺すのは、俺ではない。

 ()が混ぜた毒に気づかないまま、俺は彼女にカクテルを渡すのだ――。

 それに。


(これは彼女を、()から救うために必要なことだ)


 足を踏み出すための言い訳を唱え、彼女の寝室の扉を叩いた。


 が、返事はない。


「……姫?」


 部屋の鍵は開いている。

 音を立てないようそっと入ると。薄い夜着から伸びる足をバタつかせながら、彼女はベッドで悶えていた。


 また、疑似恋愛を楽しむ本か――。


「……おい」


 背後から本を取り上げれば、彼女の瞳が大きく見開いた。


「なっ……!」

「やっとこっちを見たな」


 いつの間に入ってきたのかと、声を震わせてはいるが――無防備な格好を恥じらう様子は特にない。


 やはり彼女の中で、俺はそういう対象ではないらしい。

 ベッドサイドの明かりに揺らぐ赤い瞳、白い背中に流れる金の髪――そのすべてに目を奪われているというのに。


「え……ちょっと返して!」

 

 空想の中にしかいない男に縋ろうと、必死に本を取り返そうとする姿を見ていると、余計に返したくなくなる。


「今せっかくアーサー様と結ばれるところだったのに」

「アーサー……?」


 リリンが空想に囚われているのは、今にはじまった事ではない。それに、物語の世界について生き生きと話す彼女を愛しいとさえ思うこともある。


 ただ――今夜は違った。


(目の前に存在する俺は、その「アーサー様」以下なのか……?)


 彼女の無邪気さに、苛立ちが募る。

 それを紛らわせようと、震える拳を握ったつもりだったが――。


「え……!」


 気がつけば、手の中の本を真っ二つに折ってしまっていた。


 リリンの唖然とした表情に向き合った途端。

 謝罪の言葉より早く、口先から飛び出したのは――。


「お前は俺の婚約者だろう……誰だ、その男は」


 情けない。

 そう思いながらも、とぼけたふりをしてしまった。


 本の中の男に妬いた自分にも驚くばかりだが――あまりにも真っ直ぐな瞳に、額から汗が滲む。


 俺がこれからすることを、見透かされやしないか――胸を騒がせるような目だ。


「……本、直す。これ」


 飲んで待っていろとグラスを渡せば、彼女はさらに目を見開いた。


「このカクテル、『永遠の口づけ』……だっけ」


 本を修理しながら、横目で彼女を見遣れば。

 小さな薄紅色の唇に、透明な液体が触れていた。


 銀粉の中に舞う、赤い粒には気づいていない――。


(これは救うためだ……)

 

 勝手に震えそうになる手を押さえ、今にも裂けそうな胸の痛みを誤魔化すように、問いかけた――「お前は俺でいいのか?」と。


 カクテルを半分ほど飲み干した彼女が、諦めたような目でこちらを向く。


「別に義務だし。本の中なら、いつでも恋の相手と出会えるから」

「……そうか」


 本当は知っている。


 次期女王であるリリンが空想に縋るのは、「触れられない練習」が続いているからなのだと。

 愛情に飢えている寂しがり屋のくせに。生身の人間に頼ろうとしないのは、きっとそういうことだ――。


「だからウルも、結婚した後だって恋人作ってもいいんだからね」

「……は?」


 その後はもう、どんな言葉も耳に入らなくなった。


 俺が、代わりを求めると思っているのか――?


 リリンはずっと誤解している。

 俺がどんな思いで婚約を受けたのか。


(俺が、なにも言えないから……!)


 カクテルを届ける以外、何もするつもりはなかったというのに。

 気がつけば、グラスを持つ彼女の手を握っていた。


「……!」


 いつも真っ直ぐに見つめてくる目が、恐怖に揺れている。


「リリン。俺の目を見ろ」


 名前――呼ばないようにしていたが。

 今は我慢がきかない。


「お前がどう思っていようと、俺は……もう、手を離さない」


 何があろうと――耳元で囁くと、かすかに耳が色づいた。


 どうせ()()()()()は無駄になるから、「触れない」と決めていたが――。


 無かったことになるのならば、何をしたって良いのか。


 ベッドから逃げようとする彼女の手を掴み直し、水のしたたる指先に指を絡めた。


「あ……」


 抵抗しようとする力が薄れていく。

 壁を向く顔を、こちらへ向けさせれば――知らない女の顔と出会った。


 期待と恐怖が入り混じった視線に、隠し続けていた欲が煽られる。


「……嫌なら、突き飛ばせ」


 免罪符のように囁いただけで、離すつもりは最初からない。

 都合の悪いことを本の話題で誤魔化そうとする、彼女の癖が出たとしても。


 もう、止められなかった。


「ウル……」


 何度も想像した口づけは、甘く痺れるようだった。


(リリンの方から、腕を回してくる……)


 罪と秘密に塗れた己が、彼女に求められていると錯覚しそうになる。


「……え?」


 酔ったように紅潮していた彼女の熱が、少し色を失った。


「ウル、泣いてるの……?」

「……っ」


 指摘されて、ようやく気づいた。

 これから起こることに対して、俺は――己の心を誤魔化すことが、完全にはできなかったようだ。


 だが。

 今、この瞬間だけは彼女の熱を感じていたい。


 気を逸らすように、何度も口づけ、身体に触れた。


 まだだ。

 彼女はまだ、「俺じゃなくてもいい」と思っている。

 女王として、何者も触れられなくなる自分を愛してくれるのが、「誰でもいい」から「俺がいい」に変わるまで――もっと奥、彼女の深いところまで入り込まなければ。


「……リリン」


 やがて。

 背に回っていた彼女の腕が、静かに降りていった。

 喘ぐように呼吸をしていた口が、閉じていく。


「……ああ、リリン……」


 喉を焦がすような涙をこらえながら、彼女の鼓動が絶えるのを見届けた。


「……おやすみ、リリン」


 懐に忍ばせていた瓶を取り、一気に飲み干した。


 俺は、仮初でもアンデッドの彼女とは違う。

『永遠の口づけ』で、そのまま死に至ってしまう――。


 彼女の頬を撫でながら横たわる間に、異常に速まっていた脈が落ち着いていった。

 解毒剤がきいたようだ。


「また、次の夜……」


 まだ苦しい息を必死に繋ぎ、温かい彼女に口づけた。

 今度は一度、唇に触れるだけ――。


 そして、名残惜しくも離れた後。

 細く小さな薬指に“金の指輪”をはめた。


 すると、彼女がほんの少し笑ったように見えたが――俺の願望が見せる幻だろう。


「俺もずっと、一緒に回る。だから……」


 あと2回。


 彼女が息絶えるこの瞬間を、見届けなくてはならない。


「許してくれ、リリン……」


 熱い視線を逸らした窓辺には、月繭蛾が、音もなく羽ばたいていた。

……。

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