8.次期女王へ手向ける花/婚約式前夜
城下町のお祭り騒ぎが嘘みたいに静まり返った、王城の広間。
ウルがここまで守ってくれたランタンを受け取り、玉座で待っていた黒髭のおじさん――パパの前で首を垂れた。
「やぁ2人とも、よく戻ってきてくれたね! “魂迎え”お疲れ様!」
王の左隣の玉座は、1年中空席。
それでも今この時期だけ、ここには女王が帰ってくる。
「お帰りなさい……女王様」
ランタンを空席の玉座へ掲げ、蓋を開くと――ランタンの中を飛び回っていた銀粉の蛾が、ひらひらと這い出ていった。
不規則に飛ぶ虫が、ようやく玉座の手すりに留まる。
「ああ……お帰り、トルネア!」
パパの気が早い声と同時に、蛾を取り巻く銀色の光が増していく。
ママの魂を宿した虫――その光が女性を形造り、黒の冠を戴く女性の影が浮かび上がった。
「ああ……今年も帰ってきてくれて嬉しいよ!」
触れられない、半透明の影。
それでもパパは、1年ぶりに会うママを見て玉座から立ち上がっていた。
ニコニコとして寄り添うパパに、いつも凛とした表情のママが、まず何を言うのかと思えば――。
『……あなた、少し肥えましたね』
「えっ! カボチャパイ食べすぎたかなぁ」
相変わらず、パパには優しい笑顔を見せるママ。
でも。
娘であり、次期女王である私へ向ける顔は違う。
『我が娘よ。1年の間にまた成長したようですね。いよいよ明日、成人ですか』
「……はい、女王様」
いつもこんな話ばかり。
これが王家の使命を継ぐママの線引きなのだと、分かっている。
だから私は、「ママに触れたい」なんて言葉を、決して口にできない。
「……」
背後から刺すような視線を感じる。
たぶん、ウル――。
何か言いたげな空気を感じるけど、話しかけてはこない。
そんなウルを、ママは私と見比べている。
『ここまで様子を見た限り、ふたりならば安心です。きっと、役目を果たしてくれることでしょう』
『頼みましたよ』、と真顔のまま言うママに、思わず「え?」と訊き返した。
どうしてウルを見て、そんなことを言うのだろう。まるでウルと私が――いや、それはやっぱりあり得ない。
でも。町でウルが言っていた「話」とは、何のことだろうか――“魂迎え”の後に話すと言っていたが。
(やっぱりお説教……?)
カボチャ畑で迷惑かけたこととか、ウルを連れ込み宿に入れちゃったこととか――それに、6年前のことだって。
思い当たることは多々ある。
「……ウル、そろそろ」
「ああ……」
1年ぶりに再会した親夫婦を2人きりにするため、そっと玉座の間を出た。
「ねぇ、どこへ行くの?」
ウルは玉座の間を出て以来、黙々と階段を上っている。
この先は、城壁の上へ出るはず――町の高台よりもずっと広く、高く、都全体が見渡せる場所だ。
「あ……もう真っ暗だね」
無数のランタンの明かりが揺れる、城下町。
そのさらに向こうには、闇色の扉がそびえている気がした――流石にここからは、“冥府の扉”は見えないはずなのに。
「それで、話って何?」
町を見下ろすウルの隣、黒い煉瓦壁に手をついた。
そういえば、ここは私の部屋の真下だ――でも、今夜の花は見当たらない。
「……花か?」
まるで思考を見透かされたかのような問いかけに、思わずウルを振り返った。
「どうしてわかったの?」
彼は夜明かりを瞳に宿したまま、こちらを向いた。
久しぶりに視線が重なる――瞬きひとつしない瞳と見つめ合っているうちに、思い出した。
“冥府の扉”前で、花のことを話題に出した覚えがあることを。
「そっか、覚えててくれたんだね」
毎夜、だれかが窓辺に「死人花」を届けてくれること。私は、その人が婚約者だと思っていた――でも。
婚約式前夜、窓の下に花はない。
(誰だったんだろう、あの花……)
約束したわけではない。
それでも毎夜届いていた花が、ぱたりと途絶えた――言葉にできない寂しさが、胸に残った。
今はウルが横にいるのに、なんだか涙が出そうだ――。
震える唇を静かに噛み、必死に言葉を紡ごうとした、その時。
隣で黒い火の粉が弾けた。
「え……?」
無言のまま、ウルは手のひらに黒炎を宿している。それを、そっと握りつぶすと――再び開いた手に乗っていたのは、一輪の花。
血のように美しい色を帯びた、「死人花」だ。
「……その花、どうして」
震える息を抑え、ウルの顔を見上げると。
彼は少し視線を逸らしつつも、私の胸の前へ花を差し出してくれた。
「……これは俺が贈っていた」
「えっ……?」
一瞬、頭が真っ白になった。
(ウルが、私に……?)
花が届くようになったのは、もう1ヶ月も前からだ。それも欠かさず毎晩、丁寧なラッピング紙に包まれて。
「本当に、ウルが?」
「……ああ」
自分に起こった出来事ではないかのように、頭と身体が浮いている感覚だ。
そんな中でも、「もしかして」という期待が芽生えてしまう。
婚約者というのは――。
でも、ウルはこれまで、はっきりと言わなかった。言える機会なんて、いくらでもあったはずなのに。
「あの、さ……」
ウルが私の婚約者なのか。
以前訊ねて勝手に傷ついた疑問を、震える声で繰り返すと。
ウルはゆっくり、ため息を吐きだした。
そして――碧眼の中で燻る炎が、弾けた瞬間。
「“婚約者”への贈り物……のつもりだ」
私をまっすぐ捉えるウルの目に、いつもの遠慮や迷いはなかった。
(本当に、ウルが……?)
喉が熱く締めつけられて、声が出ない。
控えめに、それでも確かに、私へ向けて花を差し出す姿を見ると、目が溶けそうなほど熱くなる。
「……あ、ありがとう」
花を枯らさないように、そっと胸に抱きしめた。
ウルが、私を見ている。
私が顔を逸らしているのをいいことに、じっと見られているのを感じる。
本当に、気持ちがあるように勘違いしてしまう――まだ、ウルがどうして婚約の話を受けたのか、聞いていないのに。
でも、それを聞くのが怖い――もし「家のため」と言われてしまったら、私は今度こそ涙を堪えきれなくなる。
「まさか、この花もジギ先生の入れ知恵?」
「お前は昔から変わらないな……」
掻き乱された胸の中を誤魔化すように、軽口を叩いてしまったが――ウルの諦めたような微笑みに、胸を鋭く刺された。
傷つけてしまったんだ――勇気を出して、本当のことを話してくれたのに。
「嘘よ……本当は嬉しかった」
花はここ最近、毎日の楽しみだった。
これはママとの思い出の花だったから――。
(もしかして……)
「ウル、どうしてこの花を選んでくれたの?」
期待と不安混じりの視線を、ウルに向けると。
こちらから視線を逸らした横顔が、遠くの明かりを見つめていた。
“冥府の扉”の方角だ。
「……その赤は、女王の色。昔、中庭で女王様とお前が育てていただろう」
俺は嫌いな花だ、とウルは顔を背けた。
それでも、ウルが昔のことを覚えていてくれたと思うだけで嬉しい。
冷たい態度を取るようになっても、ウルの中から私が消えていない――それだけで、また涙があふれそうになる。
「ねぇ、ウル」
ただの“リリン”ならば、花を届けてくれていた人物の正体を知るだけで十分だっただろう。
でも、次期女王として。
ちゃんと、この先を聞かないと――。
「私との婚約を受けてくれたのは、どうして?」
(答えがどんなものでも、受け入れよう)
6年前から、ウルが私を嫌っていたことは分かっている。でも、心の底から嫌われているわけではない――この花が、それを教えてくれた。
「出世のため」と言われたら、やっぱり落ち込みそうだけれど。
自分を無理やり納得させようとすればするほど、勝手に身体が震える。
それがウルにバレないように、言葉を繰り返した。
「……ねぇ、答えて。どうして?」
改めて問いかけると、ウルはようやく私を見た。
目の奥にある黒い炎が静かに燃えている。私の姿を、少しずつ蝕むように。
「俺は……」
ウルの手が、私に向かって伸びてきた。
少しだけ、表情が張り詰めている。
それに――。
迷う手が、私に“触れたい”と言っているような気がして、少し期待してしまう自分がいる。
もしかしたら、ウルはとても個人的な理由で、私を――そんな都合の良い期待を。
「……っ!?」
ウルの鎧から、黒炎があふれた。
『呼ばれたぜ、ご主人』
いったい、なにが起こっているのか――理解できないうちに、ウルの傍へ大鴉が現れた。
「他の騎士の使い魔が、ウルに援軍要請している」という。
「昨夜の魔獣の残党か……」
一度こちらを見て、ウルは踵を返した。
城壁に飛び乗った彼は、遠くの空を見据えている。
「ウル、行くの……?」
仕方ないとは分かっているけれど、明日は婚約式だ。
それにまだ、昨夜の戦闘の疲れが残っているはずなのに――。
ただ、今そんなことをウルに言うことはできない。“番人”はどんな状況だろうと、役目を果たしに行くのだから。
私と同じ、だから――。
「……姫」
「え……?」
黒炎の揺らぐ手が、私の前に差し出される――かと思ったけれど。
ウルは顔を背け、伸ばしかけた指を引っ込めてしまった。
「……あ」
やっぱりウルは、私に気持ちがあって婚約したわけではないのかもしれない。
花は、体面的に送ってくれていただけ――?
ずっと側にいてくれた彼が婚約者だってわかって、嬉しかったはずなのに。
最初は、義務だから誰でもいいと思っていたはずなのに。
思いが重なってほしいなんて、今さら虫が良すぎるだろうか――。
外壁から飛び降りたウルが、大鴉の背に乗り浮上する。
せめて「気をつけて」と、言葉を送ろうとした瞬間。
「……待っていろ」
いつものように冷たい声色。
でも――。
「うん……帰ってきてね」
すぐに小さくなる黒い影を見送りながら、手元に残る死人花を抱きしめた。
ウルの目は、私をまっすぐに見ていた――。
どれだけ時間がかかっても良い。
いつか、私が即位するまでに――彼の本当の気持ちが聞けたなら。
花を届けていたウルの、リリンへの愛――あなたは本物だと思いますか?




