第22話 アルビオン教
僕はすぐに両手を挙げ、敵意がないことを示した。
「す、すみません……」
「あの子を追って何するつもりだったんです?」
「いや……人里がありそうな気がして、そちらへ案内してもらおうかと、ほらあの....こちらに倒れてる人いるじゃないですか。その人を助けてもらえないかと思って....」
「そうですか……」
女性は疑い深そうに僕を見つめると、木の棒を喉元から外した。そして今度は、ゆっくりと僕の全身を観察し、その後倒れてるルナリアの様子も見始めた。女性の目が険しい光を帯びる。
「うーん....あなたが言うように、救いが必要そうに見えますね。分かりました!私たちの孤児院までお連れしましょう」
彼女は明るい口調でそう宣言すると、サッと身を翻し、少女の方へと駆け出した。あの子は岩の陰からコソコソこちらの様子を窺っていたようだ。二人で話し始める。その様子は姉妹のようにも見える。少女の方はいまいち腑に落ちないという様子で首を傾げているが、女性の方が何か説得しているようで、やがて少女も頷いた。
「では行きましょうか!」
「あ……ありがとうございます!」
僕は素直に礼を述べ、ルナリアを騎獣に乗せ、僕は歩く。女性は先導するように先を行き、少女はその後ろをちょこちょことついていく。なんかよくわからないけど、とりあえず人里が近いのは確かだ。これでルナリアも救われるだろう。そう思うと、僕の心も少し軽くなった。
歩を進めるにつれ、建物がちらほら見えてくる。簡素な造りの家屋が多く、町というより集落に近い雰囲気だ。人々の生活感溢れる情景が広がっていた。街を歩く人々は、皆奇妙にも同じ麻製の服を着用していた。素材の品質に違いがあるとはいえ、やはり共通点があるのは気になる。
「ここに住む人たちは、皆あの服を?」
「そうですよ。ここで過ごす人は皆そうやって統一しています」
「そうなんですね」
「……良ければあなたも着てみますか?多分似合うと思いますよ。大きさ合わせもできますし……」
「いやぁ遠慮しておきます」
綺麗な服は好きだ。いい加減今着ているようなぼろい服とおさらばしてこの光り輝くような白さの服は正直言って魅力的だった。しかし引っかかる。どの人もこの服を着てるのは何故なんだ?何かしらの意味合いを感じる。そんなことを考えているうちに、目的地である孤児院に到着した。建物は周囲の家々と比べてもやや大きめで、修道院のような荘厳さがある。女性に促され、僕は建物の中へと入っていった。
孤児院内部は、外観に劣らず清潔に保たれていた。中央に設置された暖炉からは温かな熱が室内全体を包み込んでいる。壁際に並ぶ棚には色とりどりの書籍や玩具が並び、子供たちが思い思いに遊んでいる姿が目に映る。皆、例の制服?を着ている。僕らの視線に気づいたのか、子供たちは一斉にこちらを見た。好奇の眼差し。中には警戒する者もいる。子供たちのリーダー格と思しき少年が一歩前に出てきた。
「シェナさん!おかえりなさい!」
「ただいまみんな。今日はお客さんを連れてきたの」
ミランダと呼ばれた女性は穏やかな笑みを浮かべて彼らに挨拶すると、僕の方を向き直り説明を始めた。
「皆さん、この人はここに救いを求めてきた旅人です。仲良くしてあげてくださいね」
子供たちは口々に挨拶をしてきた。中には遠慮がちに近づいてくる子もいる。僕は彼ら一人一人に会釈を返しながら、ルナリアの容態を早く確認したくて堪らなかった。
「彼女を寝かせられる部屋はありますか?」
「ええ、こちらへどうぞ」
シェナさんに案内され、僕らは二階へと移動した。部屋の一角にベッドがあり、そこにルナリアを横たえる。彼女の顔色は依然として悪い。
「シェナさん、MP回復するためのポーションか何かは……」
部屋の外が急に騒がしくなった。シェナさんが部屋の外をチラッと見た後、申し訳なさそうな表情で僕の方に振り返る。
「ごめんなさい、そろそろ行かないと……後で持ってきますから、この部屋でくつろいでいてくださいね」
そう言い残し、彼女は足早に去っていった。残念に思ったが、今は他に手立てもない。僕は言われた通り大人しく待つことにした。部屋の中を見渡すと、ここに入ったときから感じていた妙な違和感と向き合った。全てが白すぎるんだ。天井も床も壁も何もかもが真っ白で、この空間には彩度というものがない。まるで宗教画に描かれる天国のような場所だ。どうしてこんなにも白にこだわる必要があるのだろうか?
本棚には似たような背表紙、色味の本ばかりが並んでいる。どれも聖書のような雰囲気を感じる。本棚というのは色んな本が並ぶのだからカラフルなものだが、ここでは同じ色のものが規則正しく並んでいるため、目がチカチカするような感覚に陥る。また壁には絵画が飾られているのだが、そこに描かれているのはどうも僕がこの世界に来るきっかけとなった女神、アルテミシア様のようだ。この孤児院は彼女を信仰しているのだろうか?
「はぁ……」
正直、ここまで徹底して白を基調とした空間というのは息が詰まる。いくら綺麗でも限度というものがある。それでも今僕にできることは待つことだけなので、椅子に座りルナリアの容態を再び確認した。顔色は悪化していないが、依然として彼女は目を覚まさない。ポーションを持って来てくれると言っていたが、MP切れによる体へのダメージがどの程度なのかは僕にも分からない。早く回復してくれないと……
その時、部屋のドアが軽くノックされた。返事をすると、先程の少女が入ってきた。彼女は手に小瓶を抱えている。
「あれ……?君はさっきの」
「うん。私、フェリアっていうの。よろしく」
「僕はラック。よろしくね、フェリアちゃん」
「……ちゃん付けキモい」
「そ、そうか……」
彼女は持っていた小瓶をテーブルの上に置いた。中には黄金色の液体が入っている。これは……もしかしてMP回復薬か?
「それは……」
「MP回復のポーション。シェナさんの代わりに持ってきた。忙しそうだったから……」
「ありがとう……」
彼女は蓋を開けると、僕に渡してきた。僕は躊躇することなく、それをルナリアの口元へ運んだ。一滴、二滴……ポーションが彼女の喉を通っていく度に、少しずつではあるが顔色が良くなっていくのが分かる。これは希望が見えてきた。
「うん……多分これで大丈夫だと思うよ。まだしばらくは目を覚まさないかもしれないけど」
「そっか……ありがとうフェリア」
「……いいの。人と人は助け合うことで幸福が実現されるって教祖様が仰ってたから」
「それはそれは……うん?なんだいその教祖様というのは?ここは....もしかしてこの孤児院って神父とかがやってるやつかい?」
「そうだよ。知らなかったの?」
「いや、なんとなくそんな気はしてたんだけど……」
「というかこの町....いや領全体がアルビオン教によって治められてるんだよ」
「アルビオン教……」
なるほど、どうやら僕らはいつの間にかグラスバードを北上し、避けていたはずのアルビオン教徒の住む土地へ踏み込んでしまったらしい。僕もここで迂闊にこの事実を知ってしまうとは。
「教祖様はすごくお優しい方で、どんな人たちのことも受け入れてくださるの。私もそうやって救われたうちの一人で……もちろんあなたみたいな人攫いっぽい人でも……」
「……大丈夫かなぁ、宗教って聞いただけで嫌な気持ちになっちゃうんだ。あんまり関わらない方がいい気がして」
「なんで?」
「え?」
「なんでそう思うの?あなたが今救われようとしてる場所なのに」
フェリアは真剣な眼差しで僕を見つめる。彼女の瞳は純粋無垢な光を湛えており、僕を非難するようなニュアンスは微塵も感じられない。ただひたすら疑問を投げかけているのだ。
「あ……いや、ちょっとこう....なんというかいるかどうかもわからない神様を信仰するのがよくわからなくて……」
「いるかどうかわからない神様のことを信仰したらダメなの?」
「それは……」
「ねぇ教えてよ、何が問題なの?アルビオン教が生まれ、教義のハーモニーに則り私はこうして救われた。体が弱くて、病気にかかりやすい子供だった私の命は、この宗教とライゲル先生のによって救われたの。あなただってほら、私とシェナ姉さんに救われたじゃない」
僕は押し黙るしかなかった。確かに彼女の言うことは一理ある。けれどやはり宗教という存在に対する嫌悪感は拭えない。僕が現世にいたころ、僕の母はある宗教の信徒だった。狂信的というわけではなかったが、かなり深く入り込んでおり、家庭内の価値観にその宗教的価値観が小さく影響していた。年明けに神社へ初詣に行くと言えば、怒って止めるような人だった。クリスマスなんて以ての外。母親が信仰していた宗教は他の宗教を否定することで自分たちの宗教を高めている節があり、だから僕も他の宗教に因んだ文化に触れるなんて許されなかった。それが学校等で存在が浮く原因にもなったのでたまったもんじゃない。
だから僕にとって宗教とは、触れがたく離れたいものである。僕が突き放したものであり、僕の人生に悪影響を与えたものの一つでもある。でもここにいる彼女を見ていると、そんなネガティブなイメージは少し薄れる。ここでの宗教は僕が知っているものとは違うのかもしれない。
「フェリアは……その宗教の人たちは、人の考え方や生き方を束縛したりはしないのかい?」
「?そんなのは感じないけど....」
「そうなんだ。良かった……」
彼女はキョトンとした顔をしている。それが何を意味するのか分からないといった風情だ。彼女は本当に純粋な人なのだなと思った。
彼女とそう話していると、再びドアがノックされた。入ってきたのは先程の女性、シェナだった。彼女は僕に向かって微笑むと、続けて口を開いた。
「そろそろ晩御飯の時間です!よろしければご一緒にどうですか?もちろんお金は不要ですよ」
「いいのですか?!」
「ええ....その反応から察するに、大変お腹が空いているようですし……是非ご一緒してほしいです。今日の献立は自信作ですからね!」
「ええっと……じゃあ、いただきます」
僕は素直に返事をした。今まで野宿続きでまともな食事にありつけていなかったので、正直ありがたい提案だ。ルナリアが心配だが僕の腹の虫も限界のようだし、彼女には悪いがお言葉に甘えることにしよう。フェリアと共に部屋を出て食堂へ向かう。
廊下を歩きながら、周囲を観察する。やはり至る所が白で統一されている。しかしそれは清潔感だけでなく、どこか閉鎖的な印象を与えもする。窓も少なく、外の景色を楽しむという概念がないかのように思える。
食堂に到着すると、すでに多くの子供たちが席についていた。全員が同じ服装をしている。皆一様に口を閉ざし、静かに食事を待っているかと思えば、以外にも和気あいあいと談笑しながら待機していた。その光景は微笑ましく、安心感を与えてくれるものだった。彼らは僕らに気付くと、一斉にこちらを見てきた。好奇心旺盛な視線。警戒するような視線。人によって様々な感情が混じった視線を一身に浴びることになった。
「新参者としては結構辛いんだよね。こんなに見られるの」
「そりゃ仕方ないよ。だって見慣れない人がいたら、誰だって気になるじゃん」
「それはそうなんだけどさ……」
なんだか慣れない空気感で緊張する僕とは対照的に、彼らの活気は凄かった。
「シェナ姉ちゃん、フェリア!待ってたよ!一緒に食べよう!」
「みんなお待たせ。それじゃあ準備、はじめよっか」
僕が空いてる席に腰を下ろすと、他の子供たちはそれぞれ配膳を手伝い始めた。料理の香りが漂ってくる。野菜や肉などの食材を使った煮込み料理のようだ。食欲をそそる匂いに、思わず唾を飲み込んだ。
それにしても、シェナ以外にこの子供たちを管理する大人がいないのだろうか。先ほどライゲル先生という名前が出てきていたが、それらしき大人はここにいない。僕がぼんやりと考え事をしているうちに、料理の準備は整ったようだ。
「はいどうぞ!」
「ありがとうございます.....」
見ず知らずの僕に対して、彼女たちは快く接してくれる。ここにきて僕の脳裏によぎったのは、果たして自分がここにいてもいいのだろうかということ。そしてどうやってここから抜け出そうかということ。あまり宗教には関わりたくないのに、食事を頂くのも申し訳ないような気がしてきた。
「あ……あの、これいいんですか?こんな美味しいものをいただいても……」
「遠慮しなさんな若いの、どんどん食べてええからな」
「え?おじいちゃん……?」
喋り方に癖があり、気になって右側を見たがそこには男の子。何が若いのだ、お前の方こそ僕より若いだろ。この子が爺さんに見えるはずもなく、困惑してしまう。僕を若いというが、君も十分若いぞ?
「おじいちゃんってなんだよ、おれはただの5歳なんだな」
「う……あ、ああ、はは、それは....なんというか、喋り方がだいぶ……しっかりしていらっしゃるね?」
今考えればしっかりというのとは若干違うようにも思えるが、とにかくこの子が年の割にしっかりしてることには間違いない。というか、こんな小さな子が働いてるのか……。感嘆の息を吐く他ない。
全員に食事が配膳されると、シェナがパンと手を叩き注目を集めた。
「みんな!今日もお疲れ様。今日はお客様がいらっしゃいましたね。みんなの幸せのお裾分け、たくさんしてあげてね。教義のハーモニーに則り、人と人とが助け合ってこそ、真の幸福が訪れると教祖様は仰っておられます。私たちもそれに習いましょう。では、いただきましょう!」
『いただきます』
食事は温かく、心温まるものだった。久しぶりのまともな食事に、僕は舌鼓を打った。何の料理なのかはよくわからないが、とにかく美味い。みんな楽しそうに食べている。宗教施設だからといって、そこまで厳格な決まりがあるわけではないようだ。
食事が一段落した頃、一人の子供が僕に話しかけてきた。彼は興味津々といった様子で、僕のことをジロジロと見ている。
「ねぇねぇ、お兄さんは冒険者....ってやつなの?」
「あぁ、えっと……まあね.....まだ依頼は一回しか達成したことないけど」
「へぇ、すごいや!どんな依頼を受けたの?」
「そ、それは……ゴブリン退治だよ」
人間と愛を育んでいたでかいゴキブリと戦ってましたなんて言えるわけないよ。しかも幼少期のトラウマを克服させられたりもしたし、思い出したくもない過去だ。
「すげぇ!俺もいつか冒険....じゃなくてこの地域を守る、聖光教団に入りたいんだ。みんなを守れる強い人になりたいから!」
彼は目をキラキラさせながら語る。その真っ直ぐな想いは、僕から見れば眩しすぎて直視できない。というかこの空間、壁も人も、光源も全部白色だから物理的に眩しい。僕は思わず目を細めた。
「そうか……羨ましいよ、目標があって」
「え!?ないの?うそぉ?!」
「いやぁ、夢こそが人生を楽しく、豊かにし日々を努力せしめる源なんだな。それがないなんて兄ちゃん、今つらくないんけ?」
「は、はは……そんな大層な.....じゃあ君たちは全員将来の夢が?」
「もちろんだよ!僕は偉い学者になりたいんだ!」
「私は、街を綺麗にして、みんなが安全に過ごせるようにしたいな」
「俺は作物の面倒をずっと見続けたいんだな」
彼らの夢は様々だ。皆が自分の可能性を信じ、未来に希望を持っているのがよく分かる。僕にはないものだ。僕には夢どころか、目標すら曖昧模糊とし始めた。ここから....どうすればいい?ルナリアは目を覚ますのか?ペーラン商会はここを嗅ぎつけてないか?頭痛が酷くなり、脳内に響く鐘の音が止まらない。煩悩というのか、こうやって悩んでいる余裕があるだけ僕は幸せな方だと言われそうだが、それでも辛いものは辛いのだ。
「お兄さん、なんか好きなものとかないの?」
「……」
好きなものか.....この異世界に来て、楽しいことはあったけど……好きなものなんてあったっけ。剣?……いや、対して握ってない。冒険?……前の依頼で死にかけたし、楽しくは感じなかった。結局、僕は何者にもなれず、何のために生きているのかもわからずにこの世界を彷徨っている。
「……」
「兄ちゃん?大丈夫け?」
僕は目を輝かせる子供たちの前で固まり、沈黙を貫いていた。何が好きかと問われれば、現世で好きだったことを羅列することは容易い。だがそれをここで語ったところで、彼らには理解できないだろう。だからといって、この世界での自分の「好き」を見つけられなかった。
僕は趣味人、と自分で思っていた。人との関係は希薄で、その分時間を趣味に費やすことができる人間だった。特にゲームやアニメなど、二次元に関わるものが大好きだった。空想の世界に飛び込めば、現実の悩みや不安から解放され、理想の自分になれた。友達や恋人がいなくても、二次元キャラクターとの交流は充実していた。現世の僕にとって、ゲームは人生そのものだった。時間を忘れて没頭し、新しいコンテンツが出るたびに歓喜した。アニメは現実逃避の手段であり、ストレス発散の方法だった。現世の嫌なことから目を背け、アニメの世界に浸ることができた。
これらはどれも、この世界にはない。今の僕にあるのは、運任せの変なスキルだけ。現世で培った知識や経験なんて、この世界ではあまり役にも立たない。だったらこの世界で「好き」と呼べるものを創り出すべきだろう。だがそれにはどうすればいいのか?
「あの……?」
「……はっ!」
ハッとして顔を上げると、心配そうにこちらを見るシェナさんの姿があった。周囲の子供たちも固唾を飲んで僕の答えを待っているようだ。僕は咳払いをし、慌てて取り繕った。
「すみません。えっと……はは、お恥ずかしながら、趣味とかそういうのがなくてですね……」
「そうなの?」
「はい……」
「じゃあさ、一緒に考えよ?みんなで考えるのって、楽しいよ。きっとね、教祖様が教えてくださったように、一人よりも複数の人間と協力した方が、より良いものが生まれるんだよ」
無邪気な笑顔を向けてくる。その純真さが胸に刺さり、罪悪感を覚えてしまった。子供たちは目を輝かせ、「そうそう!」「そうだよな」「ワシも賛成じゃ!」などと口々に同意の声を上げる。
僕が困っていると、シェナさんが助け舟を出してくれた。
「まあまあ落ち着いて。急には難しいでしょうし、これから少しずつ見つけていけばいいんですよ。ここはそういう場所だから。さぁ、みんなはもう休む時間ですよ〜」
彼女の一言で子供たちはしぶしぶ席を立ち食器をかたずけ始めた。最後にもう一度だけ、僕に笑顔を向けてから部屋に戻っていく。一人残された僕は、ため息とともに椅子の背もたれに体を預けた。
「どうでしたか?」
「う〜ん……美味しい料理をご馳走様でした」
ゆったり座ってくつろぐ僕に対し、彼女はせわしなく動き食器を洗い始めた。子供たちの数は全員で15人ほど。この量の皿を一人で洗うのは重労働だろう。
「あの、よろしければ手伝いますが……」
「え?本当ですか?助かります。ではお願いしますね」
シェナさんは少し驚いた様子を見せたが、快く承諾してくれた。僕は袖を捲り、水の流れるシンクの前に立つ。うーん、どうやって流してるんだこの水は?蛇口もないし、水溜まりもないのに……。不思議に思いつつも、ひとまず皿洗いに専念する。最初の一枚を取り、スポンジを手に取ると、柔らかな感触に感心した。現世の合成スポンジとは違い天然素材のようだ。泡立ちはあまりよくないが、汚れはしっかり落とせる。
「料理は誰が?」
「私が指導しながらみんなで作っていますよ。と言ってもまぁ最近はみんな慣れてきたのか、作ってくれてるんですけどね」
「すごいですね。子供たちがこの量を……にしてもその後片付けをあなたが行っているのは大変でしょう.....」
「みんな朝早いですから。まぁ、それは私もなんですけどね」
「.....それは大変ですね。こんな小さい子たちが……」
「いいえ、このぐらいの歳では普通のことです。私たちの主である女神アルテミシア様は、人の営みを見て楽しんでおられます。それは私たちのような孤児に対しても同様です。アルテミシア様が見ておられる中、怠慢を働くなど言語道断。子供であろうと大人であろうと関係ありません。全力で励まなければ、夢想すら叶うことはあり得ませんからね」
「は、はぁ……」
少し話が飛躍したような気がしたが、彼女の語りには確固たる信念が感じられた。彼女の顔を少し見た後、僕はそそくさと皿洗いを続けた。一枚僕が洗い終える間に、シェナは8枚を終える。その手際の良さには驚かされるばかりだ。
「慣れているんですね」
「慣れましたよ。いつもこの時間ですし、毎日やっていることですから。それに....手早く行わないと時間が惜しいですから」
彼女はそう言うと、さらにペースを上げた。僕は必死についていくのがやっとだ。これが習慣になっている人がいるとは思わなかった。だが、手伝いを申し出ておいて足を引っ張るのはいかがなものか。
洗い物が終わり、ひと段落ついた頃。シェナさんがお茶を淹れてきてくれた。白磁のカップに注がれたお茶からは湯気が立ち昇り、優しい香りが鼻腔をくすぐる。
「どうぞ。最近ここで摘まれた新作なんです」
「ありがとうございます」
一口飲んでみる。爽やかでどこか懐かしい味わいに思わず驚いた。これはまるで緑茶ではないか。異世界に来て日本茶らしきものが飲めるとは思わなかった。
「これ、おいしいですね.....」
「よかったぁ、それも実は私達で作ってるんですよ。ここら辺の気候だと、栽培するのはなかなか厳しいみたいなんで...周りと比べたら全然小規模なんですけど……」
彼女はカップを両手で持ち、少し俯いて答えた。ここに馬を繋ぐ際建物の裏手にあったのが畑だったようだ。まさか飲食物も自分で作っていたとは驚きだ。というか普通にすごいぞこの人たち……
「畑も子供たちが?」
「一部の子はそうですね。昼間は外に働くのが基本なので、ほかにもいろいろやりますね。ちなみにこの食器類の制作にもかかわってたりしますよ」
子供の頃からそんな作業に従事し、ここまで精巧なモノを生産していくことに僕はなんだか可哀想に思えた。小さい頃からそんなに働いていては遊びに行く暇などなく、勉強の時間さえもないのではないか?そう思った僕は率直に聞いた。
「それじゃあ、君たちが自由な時間というのはあまり無いのではないですか?」
「うーん……どうでしょうか……」
彼女は少し考えてから答えた。
「私たちはここで育ちましたので、これが当たり前となっていますから、あまり苦にはなりませんね。それに、アルテミシア様への信仰と奉仕こそが喜びであり、生き甲斐です。このような活動を通して、私たちはアルテミシア様からの愛を受け取っているのです。まぁ……ここに住む全ての人が生きていくためには、必要なことですし……」
彼女の発言から推測するに、どうやらここでは信者たちが各々に与えられた仕事を行って生きているようだ。アルテミシアってそんな思想の神だったっけ?僕の想像とは全く異なる形で信仰されているみたいだ。信仰が歪んでいないか?……という疑問は僕だけが持っているものなのだろうか。
「それは……なんだか、すごいですね。僕にはとてもできません」
「ラックさん....でいいんですか?きっとできますよ。興味を持って、夢を持って、諦めずに歩み続ければ、きっと報われます。アルテミシア様はすべてをお見通しですから」
シェナさんの瞳は、純粋さを映す鏡のようであった。彼女はアルテミシアという女神を盲目的に信仰している。この子が夢を語るときの顔つきは今の僕には眩しすぎるように思えた。とても僕にはできない。早くここから去りたいが、まだルナリアは目を覚ましていない。
「手伝って下さってありがとうございました。今日はもう遅いですから、休んでくださいね。こちらの部屋を使ってください。先生の部屋、今開いてますから」
「えっと……はい、失礼します」
「おやすみなさい」
シェナさんに促され、僕は指定された部屋に入った。そこにはシンプルながらも居心地の良さそうなベッドがあり、布団がきれいに折り畳まれていた。僕はゆっくりとベッドに腰掛け、深い息をつく。窓から外を眺めると、月明かりが白い建造物群を淡く照らしているのが見えた。
「さて……明日はどうするかな」
独り言のように呟き、僕は布団の中に潜り込んだ。この空間はあまりに清潔すぎて、僕にとっては不自然極まりない。でもルナリアが起きるまではここに居るしかないのだろう。そんなことを考えながら、僕は眠りについた。




