第13話 恐怖よりも怒りが勝る
奥に見える小さな光点の数々は徐々に大きくなりながら不規則な動きで接近している。数え切れないほどのその光は次第に強まりだし……遂に照らし出された正体は……。
「うわっ……うわああああああ!!」
何匹いるか数えきれないほどの大きさバスケットボールぐらいのハエども。羽の摩擦音が耳障りで堪らん。ブーン、ブーン、ブーンとかじゃなくてブンブンブンブンブン!!って感じでとにかく五月蠅い。しかも黒い体躯に複眼がぎょろついてるその姿は気持ち悪くてしょうがない。虫特有のフォルムなのに人の顔並みのサイズなせいで余計鮮明に見えて生理的に受け付けないのだ。
「やっぱり……こうなったか」
僕が怯えてうずくまる姿をルナリアは冷静に観察しつつ、僕の隣にしゃがみ込み囁く。それはまるで叱責の如く厳しい響きを持っていた。
「怯えるな。今度はお前が戦う番だ」
「なんで?なんで僕が!?」
僕らの背中に10匹ぐらいの巨大なハエ達がのしかかり、まとわりつく。もう気が狂いかけた。気持ち悪い。早く逃げたい。この地獄から解放されたい。さっき以上に苦しい。震えが止まらない。過呼吸になりかけている。というかもうなってる。冷や汗が止まらない。あとうるさい、本当に羽音がうるさい。でも手をうごかすことはできない。僕らはすっかり取り込まれてしまった。
「虫が怖いのか?お前にとってそれほどまでに恐ろしい存在なのか?」
「ああ、恐ろしい!小さいころはなんとも思わなかったけど今はもう全然違う!嫌いだし見るだけで嫌な気分になる!トラウマなんだよ!」
僕は必死に抵抗しながらも泣き叫ぶように答える。だがそれでもルナリアは冷静を保ったままさらに言葉を続ける。
「嫌いだからといって何も行動を起こさないのか?生きるためにはなんとしても戦わなければならない場面があるんじゃないのか?」
「無理無理無理!怖い怖い怖い!こんな思いをするならこのまま死んだ方がいい!!」
僕は半狂乱になって喚き散らした。その声も羽音によってかき消されていく。虫の足で這われる感触。全身に虫唾が走る。ここは天井が低い。だから重みで死ぬことはないはず……だけども.....なんだか熱く感じてきた。
「……死んだ方がいいなんて僕も今までに何度考えたことか。だが実際死にそうになると気が変わってしまうものさ。まだ生きたい。死にたくない。まぁ僕は逆転の手を持ってないから冷静でいられるけど....」
温度があがり、苦しくなってくるにつれて僕は段々このしんどい状況に嫌気が差してきた。虫に襲われる恐怖よりも単純に鬱陶しいという気持ちが先行してきた。段々とコイツらに対する憎悪が、拒否感が増してきた。
「……そろそろ……マジで苦しい……」
「嫌になってきたか?このまま死ぬのが」
「……」
「返事をしろラック」
僕は黙って頷く。
「....僕の攻撃の原動力は何から来てるか覚えてるか?今のお前が思う気持ちと同じだ。奴らに対する……拒絶」
ルナリアはほぼハエに埋もれた状態でも冷静に語りかける。僕は黙って聞いていた。その言葉が僕の心の琴線に触れかけている。ハエどもは無防備に僕らを嬲り続ける。それを良いことにルナリアは畳み掛けてくる。
「どうだ?このままコイツらに殺されるのがお望みか?」
「イヤだ.......!!」
声に出して拒否をする。この不快な羽音は現世にいた時から一人暮らしにおけるストレス源の一つだった。どこからともなく沸いてきていきなり現れ不吉な羽音を立てて部屋の中を飛ばず僕の周辺をウロウロするアイツらには殺意を抱いていた。虫嫌いの僕も恐怖より怒りが勝るほどに。なぜ僕の周りを飛びやがるんだ。僕を不潔だといいたいのか?毎日シャワーは浴びてるんだ。不愉快なんだよこの野郎。
「……拒絶……か。あいつらに対する」
「そうだ!力はそうやって使うんだ!恐怖に打ち勝て!」
「……」
「もっと具体的に思え!あいつらの存在を否定しろ!拒絶しろ!」
サウナほど熱くなってきたところで、全身に張り巡らされていた血管に血液が流れ始めるような感覚と共に力を練り上げていくイメージを作り出す。目を閉じたまま意識を集中させる。静寂に包まれている空間で耳を澄ませていると微かに何かが光り輝いている。数多く見てきた魔法陣の黄色い輝き、何が出るか、起こるかわからない恐怖なんてもうない。呼び起こせ。
「"ボックス・ポーカス"!」
突如、周囲の空間が黄緑色に染まる。なんだかグミのような見た目の膜が僕らの周囲一帯を覆い尽くしてハエどもを防いでいる。奴らはなんとか突破しようとガンガン突進してくるが弾力性があるのかぐにーっと伸びるだけで突き破ることはできない。
「なんだこれは....スライム?」
プルプル震える弾力性のあるゲル状の物体がハエどもを絡めとっていく。奇妙なことに僕らのいる空間だけぽっかりと空いている。生物ではない?わからないがハエどもがこっちに来れないことは確かだ。まぁ、僕らがどうやってここから出れるのかもわからないが。
「あいつら死んでないぞー?」
ルナリアはスライムのプルプルした膜の中から外の様子を見ながらそう言った。確かに言われてみればそうだ。張り付いてしまった奴らはともかく残りは未だに周囲を飛び交い続けており一切衰弱している様子はない。
「どうする?もう一回発動する?」
「あいつらを殲滅できるものが来ると思うか?」
「さぁ……」
よくよく考えたらコイツらを一斉に殲滅するようなスキルが出るなんて期待できないだろう。前発動した中で一番派手だったのは周囲一帯を爆発するというヤツだが……アレが今起きたら逃場がなくて死ぬ……だが躊躇してる暇はあまりなさそうだ。視界の黒い点は非情に多い。一体どれだけいるんだコイツら……。
「.....やるわとりあえず」
「ならさっさとやれ!」
「"ボックス・ポーカス"!」
詠唱。すると先ほどと同じ黄色の光が放たれ……一枚の金貨が出現した。
「……」
「……」
僕もルナリアも何も言えない。この状況でこんなのがでても役には立たない。だが....拾い上げて見るとなんだかテオフィロからもらった金貨とデザインが違う....ただの金貨じゃないのかこれ?表面裏面にそれぞれ○、×描かれているが意味が分からない。
「これは……金貨じゃないな」
「うん...だとしたらなんだ?」
「しるか、とりあえず外れだな」
ルナリアは僕からコインを奪うと手持ち無沙汰なのかコイントスのように宙に投げてキャッチする。×が上に見える形だ。その瞬間、周囲に見覚えのある赤い魔法陣が展開された。
「なにこの魔法陣は……」
「やばい!!!爆発する!」
これは大変なことになった。あの魔法陣は明らかにあのときと同じ爆発を引き起こすタイプの魔法陣だ。
「まて、僕には……アース・ウェルデ.....」
カッと光り輝いたかと思えば、僕は意識を失った。滅茶苦茶激しい痛みを感じなくてラッキーだと思いつつも、人生の最後がこれってのはちょっといやだなと思った。
びちゃびちゃと顔面に液体が降り注ぐ感覚で目が覚めた。その水は温かく……なんだか苦い味がする。目覚めるとそこには無数のハエの死骸が散乱していた。どうやらあの爆破に巻き込まれて粉々になったようだ。そばにはそこそこ薄汚れた格好のルナリアがいて僕をみて苦笑いしていた。
「どんだけ火力高いんだ……あの爆発」
僕らの周りにはスライムのようなゼリーが散乱している。これのおかげで爆破からある程度は守られたのだろう。まぁルナリアからポーションをぶっかけられてる当たり、結構怪我をしてたらしい。
「僕の体どうなってた?」
「まぁまぁ酷かったな。全身焼けてて足無くなってたぞ。ポーション二本無ければ死んでたな」
「うへぇ……」
自分の体を見てみると若干左太腿あたりの皮膚の色が違う。それ以外にも所々継ぎ接ぎの跡があるが痛みは全く無いので問題なし。
「これでポーションは残り一本か……」
ルナリアはため息をつきながら残り一本のポーションをしまい込んだ。ポーションの数が減る度に不安感が募っていく。まともな補給ができていないせいだ。食料も十分とはいえず体力の消耗が激しい。
「次はもっと安全なの頼む」
「はぁ……まぁ一応頑張るわ.....」
ルナリアは奴らが出てきたであろう方向を見据えながらつぶやく。あの奥には何が待ち受けているのだろうか。休憩する時間はない。何が襲ってくるか分からないダンジョンでは常に神経を使う必要がある。ルナリアは一瞬僕の方をチラリと見た後、すぐに前を向いて歩き出す。僕もそれに続いた。
ランプが落下の衝撃とかでぶっ壊れてしまったので、手持ちの火打ち石などで代用……歩いていくと途中から上り坂になっていることが判明。落とし穴で下に下げられた分、少しだけ戻れたようだ。ただ道が若干分かれており、どちらに行くべきか迷ってしまう。
「……どっち行く?」
「右」
ルナリアの意見に従って右側へ行くことに決めた。相変わらず暗くて狭い通路だ。だがしばらく進むと少し広くなった箇所に出た。火打石の火では届かぬ箇所があるので暗くてよく見えないが……何かが動いている。
「なにかいる」
ルナリアの言葉を受け僕は杖を握りしめる。足音を消しつつ慎重に前進する。
「おおい……誰かいるか……..?」
謎の声が響く。男性の声でどこか苦しそうだった。幻聴か?あるいは罠?判断材料が少なすぎて答えが出せない。もう少し前に進まないといけないようだ。ルナリアに目配せしこの声にこたえるべきかを確認する。
とりあえず聞いてみろって顔してたんで答えてみた。
「もしもーし!そこにいるんですか!?」
「こっちだ……!助けてくれ」
明らかに敵意のある声質ではなさそうなので恐る恐る近づいて光を向けるとその姿は……。
「うぉっ!!」
そこにいたのは糸でぐるぐる巻きにされ蜘蛛の巣に囚われた男……いやおっさんと言ったほうがいいかもしれない。とにかくその人は蜘蛛の糸らしきもので巻かれて身動きが取れなくなっていた。
「どうか助けてくれ」
「お前...どうしてここにいるんだ?さっきのハエどもがいるとこをどうやって切り抜けたんだ?」
ルナリアは杖を構えつつ尋ねる。確かによくよく考えれば彼がここにいるのは変だ。ここに来るにはあのハエどもがいた場所を通る必要がある。
「それは……俺は町であのゴキブリに襲われたんだ。そこで逃げ切れずに捕まり……気づけばここにいた」
「町で?」
となると、彼はここを調べてやられた冒険者というよりかは、一般市民なのか?だとしたら……特に疑うことは何もないな、ちょっと疑い過ぎだと思うがルナリアはまだ警戒心を解いていない様子。
「とりあえず俺を助けてくれないか....俺をぐるぐる巻きにしたでかい蜘蛛は今どこかにいってしまってる。頼むこれを解いてくれ」
「……わかった」
「う~ん」
僕はすぐに彼に近づこうとしたが、後ろのルナリアはなぜかうなっていた。警戒心を解いていないようだまったく近づこうとしない。本当に人間不信を極めて過ぎている。彼の何を疑っているんだろうか。純粋な被害者である彼の、どこに疑う必要があるんだろう。
「すぐにとるから、ジッとしててくださいね...」
何十にも巻かれた蜘蛛の糸の束、ゴブリンが持ってたナイフを取っておいて本当に良かった。これなら裁断可能だ。柔らかい手触りだが刃を入れてみる。うまく切れそうだ。
「助かる」
そうおっさんが呟いた瞬間、僕の腕に何かが絡みついた。
「……え?」
何が起こったかわからないまま呆然としているとそこから体が宙へと引っ張られ、高く吊り上げられてしまった。
「うあっ!!」
「やっぱりか」
ルナリアが鼻で笑う。何がなんだかさっぱりわからないが、とにかくこの腕に絡みついた糸を振りほどかないとまずい……幸いナイフを持っていない方の手で良かった。これを今すぐ切れば、僕は落ちるが自由になれる……そう思った瞬間、上から声が聞こえた。
「パワー・アンター」
さっきまで切っていたはずなのに、逆にナイフの刃をボロボロにするの強度に。いったい何が起きているんだ……。
「ハハハ!引っかかったな間抜けめ!!」
ニヤけた顔で僕を見上げるおっさんは拘束されていたのとは違った、狡猾な悪党の笑みを浮かべている。一体どういうことなんだ……騙されたのか?なぜ僕をだましたんだ?僕をこうすることが目的だったのか……。
「なぜ.....」
「ひょひょひょひょ!迂闊だな!おーい!言われた通りに誘えましたよ!どうですか!?」
おっさんは僕から視線を外し上空にいる何かに向けて叫んだ。一体何がいるんだ……。徐々に僕へと近づいてくるのは……。
「おーやったわね〜!あーでも、2人いたのね....」
大きな蜘蛛だ。僕の体と比べると三倍近く大きく、全身を白い毛に覆われている。滅茶苦茶ビビった。さっきのハエとは違って喋るし、おっさんの態度的にグルだったわけだ。つまりこれは最初から仕組まれた罠だったということか。蜘蛛の頭頂部には鋭く尖った牙が左右にあり、人間の胴体ぐらい簡単に貫くことができそうな凶器だ。
僕は多数ある蜘蛛の巣のうちの一つに引き上げられ貼り付けの状態にされてしまった。このままでは不味い、どうにかしなくては……!




