第12話 生理的憎悪
「喋れるのか、意外だな」
杖を構えながらルナリアが一歩前へ出る。その見た目から推測すると人語を喋る程の知能を有しているようには到底見えない……むしろ無意味な動作以外行わない機械的思考の持ち主だろうに。
だからこそ僕は驚愕を禁じ得ないし、頭がおかしくなりそうで堪らない。そんな混乱状態で言葉を発する余裕はなく口をぱくぱくさせることしかできない。一方ルナリアは比較的冷静で警戒しつつ相手の出方を伺う。
「ほう……我を前に拒絶しないとは……面白い。ただでさえ滅多におらぬ者がプライド高きエルフともなると殊更珍しい……」
「はあ?拒絶はしてるが?お前みたいな魔族以上に気持ち悪い生物を嫌がらないわけないだろう。コイツと違って自制心が働くからな。伯爵に茶を振舞われなくてよかったよホントに」
ルナリアは僕を指さしながら嘲笑する。だがでかいゴキブリ野郎は相も変わらずマイペースを崩さない。慣れているんだろうか。冷静さを取り戻せない僕は馬鹿にされたことすら気にする余裕など皆無だ。頭の中はパニック状態で体は凍り付いたかのように硬直していて手足の先の感覚すら無くなりかけている。もう駄目だ終わると呟く事しかできない。そんな僕をみて、奴は不思議そうに質問を投げかけた。
「……なぜ我を恐れる?何度も思うのだが人間としての常識に囚われすぎだ。見た目がこうも異なるだけで貴様等は容易に牙を剥く。なぜこの姿では許さぬ?そこにいるエルフや、ドワーフなどと我らに何の違いがある?我らが邪悪で醜いと?かつては人間たちと肩を並べ魔族を退けていたではないか」
「……お前は何を言っているんだ?さっきからずっと……何を言っているんだ??」
「……」
僕の問いにゴキブリ野郎は沈黙し続け、やがて溜息をついた後で「ああ……そうか」と呟きながら顔を上げる。
「やはり、今の人間たちには200年前の戦争における昆虫族の功績を記憶していないらしい……」
「……昔話には興味がないぞ。アース・レジク」
勝手に疑問を投げかけ、勝手に自己完結したこの虫野郎に対してルナリアは魔法陣から岩石を飛ばす。狙いは頭部……しかしそれは奴の俊敏な回避運動により全て避けられてしまった。巨体なのに通常のゴキブリとさほど変わらないというかさらに早いカサカサとして小刻みな動きによる予測不能な方向転換によって的を絞れない。当たれば致命傷だろうが当てられなければ意味はない。ルナリアが歯噛みするなか、僕はその場にへたり込んだまま呆然と眺めていることしかできずにいた。
「長き時を過ごすエルフだからこそ...ゆっくりと知識を蓄積しているとばかり思っていたが……失望だ」
「勝手に希望するな。僕は歴史書とか文献とか苦手だ。」
ルナリアは杖を構えつつも余裕そうな表情のまま応戦するが攻撃を当てることは出来ない。昆虫族を自称する目の前の存在に対し冷静に分析している様子だ。僕はただひたすらに慄くばかりで何も出来ない自分自身が情けなくて恥ずかしくて涙が出そうになるほど悔しい気持ちでいっぱいになっていた。だけどもあのゴキブリ相手に戦う気にはならない。
「我の名はグロス…….かつて魔族軍と戦う人族軍の尖兵でありその栄誉ある階級を授かりし存在。奴らとの戦闘で我は重傷を負うも最後まで生き残った唯一の昆虫族兵士であり、我は英雄として称えられ....」
「虫けらの死にぞこないにしては随分と長生きしてるじゃないか……土に帰るには良いころだと思うが」
「本来であればそうであろう……だが我は死なぬ。何故なら我は虫の範疇を超えた存在である”蟲”だからだ」
痺れを切らしたルナリアはアース・レジクを止め、地面や天井壁を隆起させるアース・ヴェスカルーンで壁を這うグロスをぶっ飛ばした。グロスは吹き飛ばされ、それを好機と捉えたルナリアはアース・レジクの弾幕をぶち込む……と思われたが。
「インセクト・コネチェビス!」
命中する前にグロスが詠唱、彼の背中から蛾のような翅が生え飛行し回避。
「嘘だろ……」
唖然としてしまう。虫の範疇を超えた存在と名乗る意味がわかった。あれはゴキブリだけでなく、未知数だがスキルで様々な虫の要素を活用することが出来るんだ。僕は震えが止まらなくなる。恐ろしい。
「クソッ……!」
ルナリアが眉間に皺を寄せ嫌そうな顔をする。当然だ。手数は明らかに向こうの方が多く、不利である。
「今度はこちらからいくぞ」
蛾の羽で空間を飛び回り壁際まで飛んでいったかと思えば.....。
「インセクト・コネチェビス!」
後ろの二本足をバッタ?の足に変貌させてルナリアへ一直線に接近しその巨体をぶち込もうとするグロス。ルナリアは身を翻し躱すも壁に大きな穴が開く。そのまま空中に滞空し天井を蹴り、再び突進してくる。ルナリアは先読みし退避するが攻勢に移れない。
「か、勝てるのかルナリア......」
「見てないで戦えよラック」
「やだよ!」
「嫌とか言ってる場合じゃないだろ!」
「無理無理無理無理!!!」
こんなの戦う?冗談じゃない。恐怖で精神が摩耗し崩壊寸前だ。これ以上は耐えられない。相対したくない。視界に入れたくもない。見かけ倒しの僕がどう戦えば奴に勝てる?あんな奴と戦うとか自殺行為だ。
「なにを震えているのだ人間よ?戦うことも拒絶してどうする?仲間がこうして死力を尽くし.......」
「うるさい!!僕に話しかけるな!何を言ってもお前が気持ち悪いことに変わりないんだ!嫌いだ!見るのも嫌い!近寄るな!死ね!」
「ラックお前……」
怒りと無力感、感情が入り混じって叫びとなる。恐怖に怯えきっていた僕は転じて怒りで気圧しようとするが奴は困惑気味にこちらを眺めるだけ。それがまた不快で仕方がない。相手は僕に何を求めてるんだ?なんだこいつは……。
「……わめいても事態は変わらぬと思うが......そのエルフでは我に勝てぬぞ?協力しないとどちらも死ぬぞ」
「僕を舐めているのか?」
グロスの嘲弄にルナリアが憤慨。怒りのままにアース・レジクを連射し、命中させるが......。その一撃一撃はすべてはじかれ、ルナリアの顔が歪む。
「くっ……どうなっている....?」
「甲虫系の特性を模倣した鎧で防御力向上している。生半可な攻撃は通用せんぞ」
「虫如きが……」
ルナリアが杖を握り締め、激昂しながらも激しく岩石を浴びせるが、そのいずれもダメージを与えることが出来ていないようだ。悔しそうに唇を噛み締めているのがわかる。
「己の慢心を知り悔い改めよ!!」
素早くルナリアへ接近し口元にクワガタムシのような鋭利な形状の鋏が形成され、挟む形で彼女を狙う。
「くぅ……!」
ルナリアは自分の足場をあげることで宙を浮き攻撃を避けた。だが鋏のパワーはすさまじく盛り上げた足場は真っ二つに砕かれ落下するルナリアにグロスは羽ばたきながら鋏をカブトムシの角に変化させ一撃、脇腹辺りに入ってしまった。これまで彼女の戦闘は完璧であり隙など無く無敵であったがついに被弾してしまった。
「ぐふっ……」
血反吐を吐いて倒れるルナリア、多分僕なんかよりステータスが高いおかげか即死は免れた。それでも痛恨、なかなか立ち上がることはできない。
「ほぉ……生きてるとは」
「甘く……見るなよ虫けら……」
呼吸が乱れ焦点が合っていない、それでも敵を見据える姿からは強い意思を感じられる。
「そろそろ終わりにしよう」
グロスは前足をカマキリのそれに変え、ルナリアへ一歩一歩近づいていく。その刃先からは緑色の液体、毒液なのだろうか?確実にこの一撃で終わりにしようという意思を感じる。
やばい……!このままではルナリアが殺される……。僕は焦燥感を覚える。勇気を振り絞り立ち上がり近づこうとするも足が震え腰から力が抜けて立ち上がれない。ルナリアを救わねばならないのに僕の脚はいうことを聞かない。こんなむずがゆい恐怖は初めてだ。今までの人生で感じたことがないぐらいに大きな感情が波のように押し寄せ心を削っていく。
二つの相反する気持ちがせめぎ合う。動かなければ彼女が殺される……動いたら矛先がこちらに向き殺される。恐怖心が優位に立ち僕の思考を停止させる。一度は立ち向かえた恐怖心も相手が違うだけで為す術もなく崩壊してしまうものなのか。なんて弱い人間なんだろう。最低だな自分は。
「なっ....がっ……」
しかし、突如としてグロスの動きが止まった。ルナリアの近くまで歩くと、いきなりピクピクと体が痙攣し始めたのだ。ルナリアが何かしたのかと思ったが違う。だが明らかに苦痛で悶えている反応。しかも変形させた前足に亀裂が入り脆くなっている……一体何が起こっているのか理解が追いつかない。するとグロスは痙攣しながら呻き声をあげた後、前足を元に戻し自らの顔面を覆い隠すように腕で包み込む。
「ぐっ……どうしたんだ……我はどうしてしまった……?かつてはこんなことは……」
「何だ……?」
ルナリアも訳が分からないようだ。いや、僕も同じくというかこの場にいる3人とも意味不明なんだろう。だれもグロスに対し何らかのスキルを使用した様子はない。しかし確かに奴は苦しんでいる。一体どういうことなんだ?
「お前……どうしたんだ?さっきまで威勢よくやってたのに急に倒れ込んで」
「ぐあっ.....これではいかん...この場は一旦離脱させてもらう」
グロスは苦痛に顔を歪ませながら自らの羽で奥へと消えていった。
「ふぅ……助かった」
僕は胸に手を当て、また生き残れたことに安堵する。それにしても圧倒的優位であったにもかかわらず何故か撤退してしまったグロス……。僕が動くことを警戒したか、それとも……ともかく危機は去った。僕は倒れてるルナリアへ向かう。
「ルナリア……大丈夫か?」
「……ラックお前……ああいい、とりあえずお前が持ってる回復とMPのポーションをよこせ....!!」
「ああっ!ごめん!!」
僕は腰に下げていたポーションを二本取り出しルナリアへ渡そうとしたが、渡す直前手の震えが収まらず、誤って一本を落としてしまう。瓶が割れてしまい中の液体が床にこぼれ出す。だが割れたのは、瓶だけではない。ルナリアの琴線も共に砕け散ったかのようにキレた。瀕死であるにもかかわらず立ち上がり鬼の形相で睨みつけてくる。目を見開き殺意すら感じるほどの形相だ。
「クソが.....戦わない上にポーションすらまともに渡せないのか……お前何なら出来るんだ!!」
「ごめん!本当にごめん!!わざとじゃないんだよ」
「……わざとじゃないからなんだ!?今落としたポーションがMPじゃなくて回復だったら僕は死んでたんだ!お前のわざとじゃないミスで死ぬなんて最悪だ!お前が先に死ねってなるよ!」
怒りの表情とともに僕の胸ぐらを掴んでくるルナリア。その顔からは殺意が放たれていた。しかし同時にそれは熱さを伴っていた。僕のために本気で怒ってくれているのだ。そしてその想いに応えられない自分がとても不甲斐なく思える。申し訳なさが込み上げてきて涙が出てきそうだ。必死に堪えるために渋い表情をしていると、さらに彼女の怒りは高まっていく。
「よく聞け!お前みたいなのを僕のそばに置いてるのは、お前の持つ能力の希少性と有用性を考慮してのことだ。勘違いするなよ。情とかじゃないんだ!顔もかっこよくない。ファッションも終わってる。能力がなきゃお前なんて要らないんだよ!ただ、使えるかそうでないかで見てるんだ.....!」
「……わかってる」
僕は俯きながら答えた。わかっていたことだ。彼女が僕を傍においてるのはきっとそういう理由からだと思っていたし、実際僕自身もその点に関しては理解しているつもりだ。彼女は非情で打算的な人物である。でも改めて彼女から聞くと重くのしかかるものがあった。
「なら今すぐ突撃して戦え!……相討ちぐらいできればお前の評価は上がる」
「無理だ!怖いんだよ!あの虫野郎が!嫌いなんだよ!見るのも嫌なんだよ!」
「嫌いだ嫌いだと……何の工夫もなく発動するだけでいいスキルを持ってる癖によく臆病になれるものだ……」
「発動するだけでいいだと!?舐めたこと言うなよ!出たものが碌なもんじゃなかったらどうしてくれるんだ!最悪死ぬぞ!」
「死ね、その後僕も死ぬから。さっき戦った通り僕だけじゃあいつに勝てない。もうお前のスキルに託すしかないんだよ。わかったら行くぞ」
ルナリアは冷淡に突き放す。どうしても僕は戦わなければいけないのか?僕が行かなきゃ2人ともここで死ぬのか?……そう思うと途端に重い現実が襲いかかってきて全身が鉛のように重くなる。改めて過去のトラウマを思い出す。僕が一人で....おばあちゃんの風呂に.....。
「行くぞ!」
思い出に耽る前、ルナリアが強引に僕の手を掴みグロスの逃げた先へ向かおうとする。その顔には疲労の色が濃く出ていたが決意が滲み出ていた。ここまで追い詰められている彼女を見たことがないので少し驚く。僕のせいだと責任を痛感する。
「....うん」
とりあえず先に進まなきゃいけない。グロスは今、原因不明だが弱っている。チャンスである。ルナリアの背後にピタリとくっつきながら進む。道中は相変わらず暗く、歩くたびに不安を感じる。
「僕の後ろにくっつくな!気持ち悪い!」
「だって怖いんだよ....」
「下心とかじゃないだろうな」
「君の体に魅力ないしこんな場所でそんなの持てないよ...」
「モテないのはお前だ。ぶっ飛ばしてあいつの餌にするぞ」
そして暫く歩いていくと前方に広大な空間が現れた。明かりで照らしても奥まで灯りが届かないぐらいには広い。それになんだか湿っぽく冷たい空気が流れていた。
「なんなんだろう……ここ?」
「わからん」
僕たちは警戒しながら探索していく。至る所を調べてみると足元にサッカーボールぐらいの球状の物体がある。薄い黄色のそれは透き通った粘液状の物体の表面が揺らぎながら伸び縮みしており……なんか……まるで生物みたいだ。別のところにも同様の物体がある。奥にいけばいくほど、壁にも、地面にも、天井にも同じような物があり、なんだか鳥肌が立ってきた。
「……何だこれ?」
僕は屈んで謎の球体に触れようとすると……
「アース・レジク」
ルナリアは魔術で、その物体をぐしゃりと潰した。潰れた物体は体液を噴出して僕の方に飛び散る。その異様な液体は気味悪くそして不快感が、虫の飼育ケースを開けたときにするような独特な匂いが、鼻腔を刺激して僕は思わずむせてしまう。
「何すんだ.....!うわぁ!あああエエッ!!」
「やっぱり……卵だな。多分……あいつらの」
「……は?」
彼女が指さす先を見ると、この空間の奥、まだ照らしきれてない暗闇に無数の点が浮かび上がっていた。目?なんだろうか、その無数の光る点がこちらへ向かってきている。あれ全部目だとしたら……あの卵を産んだやつの群れなのだとしたら……。
「相当最悪だ……!?」
僕は怯える。しかし怯えてもしょうがない。戦うしかないんだけれども、どうせここから出てくる奴はそうさせる気にならないやつなんだろうね。




