第八話 忘れられた工房
再起動したゴーレムが、主と認めたアキに恭しく跪く。その光景は、騎士であるバルガスとレオンにとって、自らの常識が根底から覆されるような体験だった。腕力でも魔術でもなく、未知の技術――あるいは魔法によって、この古代の怪物を沈黙させ、さらには服従させた。この辺境の若き修復師は、一体どれほどの力を隠し持っているというのか。
「さあ、行きましょう。この子が、道を示してくれているわ」
リリアの好奇心に満ちた声が、呆然としていた騎士たちを現実に引き戻した。
ゴーレムは、主であるアキの安全を確保するように先導し、その巨大な手からランプのような柔らかい光を放って、地下へと続く暗い階段を照らし始めた。一行は、数千年の封印を解かれた未知の領域へと、慎重に足を踏み入れていく。
階段を降りきった先は、広間というには狭く、しかし天井がやけに高い、ドーム状の部屋だった。そして、その中央には、壊れた石の祭壇のような機械が鎮座していた。表面にはびっしりと古代文字が刻まれ、中央に埋め込まれていたであろう巨大な魔晶石は、粉々に砕け散っている。魔力を供給するケーブルのようなものも、各所で寸断されていた。
「これは……! まさか!」
リリアが壁に刻まれた文様を食い入るように見つめ、声を上げた。
「空間転移装置よ! やっぱり、この地上の遺跡はカモフラージュだったんだわ! この装置を使えば、本来の『賢者の書斎』――この遺跡の本体がある場所へと行けるはずよ!」
彼女の推測に、一行の顔に期待の色が浮かぶ。だが、その期待はすぐに絶望へと変わった。装置の状態は、誰が見ても壊滅的だった。
「でも……動力源の魔晶石は砕け、魔力回路もズタズタ……。これを直すなんて、第一文明の職人を連れてこない限り、絶対に不可能だわ……」
リリアは、夢への扉が目の前で永遠に閉ざされたかのように、がっくりと肩を落とした。
だが、アキだけは違っていた。彼は静かに装置に近づき、その構造を冷静に分析していた。
「いえ、直せます」
その落ち着いた一言に、リリアと騎士たちが顔を上げる。
「本当なの、アキさん!?」
「はい。時間はかかりますが、構造は理解できました。動力源の魔晶石も、破片がすべて揃っています。核となる結晶構造さえ生きていれば、元に戻せます」
アキは、まるで少し壊れた時計を修理するような気軽さで言った。
こうして、再び前代未聞の修復作業が開始された。
「バルガスさん、レオンさん。そこの瓦礫を撤去してください。ゴーレム、君はこの一番大きな部品を、ゆっくりと一ミリ右にずらしてくれ」
アキの的確な指示が飛ぶ。騎士たちは、もはや何の疑問も挟まず、その指示に忠実に従った。先ほどの崩落現場の一件で、アキの分析能力が信頼に値することを、彼らは骨身に染みて理解していた。
そして、アキの新たな「主」となったゴーレムは、最高の助手だった。その怪力で、数トンはあろうかという部品を、まるで羽毛を扱うかのように、ミリ単位の精度で動かしていく。
アキ、リリア、騎士たち、そしてゴーレム。即席のパーティが、一つの目標に向かって、完璧なチームワークを発揮し始めていた。
作業の中心はもちろんアキだ。彼はまず、床に散らばった無数の魔晶石の破片を、パズルのピースを合わせるように、元の形へと組み上げていく。そして、すべての破片を並べ終えると、その上にそっと両手をかざした。
「――【修復】」
アキの掌から放たれた優しい光が、破片の集合体を包み込む。すると、砕けていた結晶が、まるで時間を逆行するかのように、滑らかに融合し始めた。数分後、そこには、ひび一つない完璧な魔晶石が、本来の輝きを取り戻して鎮座していた。
「うそ……砕けた魔晶石を再生させるなんて、神の領域よ……」
リリアは、目の前で起きている奇跡に、ただ戦慄するしかなかった。
次に、アキは断線した魔力回路の修復に取り掛かる。自らの魔力を糸のように細くして、切れた回路を一本一本、丹念に繋ぎ合わせていく。それは、数時間にも及ぶ、凄まじい集中力を要する作業だった。
やがて、最後の回路が繋がれた瞬間、転移装置全体に青白い光が走り、低い駆動音と共に、その機能を取り戻した。
「……起動します」
アキが装置の中央にあるパネルに手を触れると、台座から天へと向かって、強力な光の柱が立ち上った。光はドームの天井に当たると拡散し、パーティ全員を優しく包み込む。
次の瞬間、ぐにゃり、と空間が歪むような浮遊感に襲われた。
誰もが思わず目を閉じる。そして、数秒後。浮遊感が消え、そっと目を開けた時、一行は完全に別の場所に立っていた。
そこは、まさに「賢者の書斎」と呼ぶにふさわしい空間だった。
広大な、ドーム型の天井を持つ部屋。壁一面が本棚になっており、革の装丁が施された無数の古文書が、背表紙をこちらに向けて整然と並んでいる。部屋のあちこちにはガラスケースが置かれ、中には見たこともない美しい鉱石や、希少な魔獣の素材などが、分類されて陳列されていた。
中央には、巨大な一枚板で作られた作業台がいくつも置かれ、その上には、作りかけのアーティファクトや、精緻な修復道具が、まるで持ち主が昨日まで使っていたかのように、手つかずのまま残されている。
空気は乾燥し、完全な無音の世界。だが、そこには不思議な安らぎと、知識と創造に対する畏敬の念を抱かせる、神聖な雰囲気が満ちていた。
「すごい……。夢にまで見た光景だわ……」
リリアは、その目にうっすらと涙を浮かべ、吸い寄せられるようにして書棚へと駆け寄った。騎士たちもまた、その荘厳な工房の雰囲気に、ただ息をのむばかりだった。
アキは、まるで故郷に帰ってきたかのような、不思議な安らぎと高揚感を覚えていた。彼は作業台に近づくと、そこに置かれた道具の一つを、愛おしげに指でなぞった。自分と同じ、「作る者」「直す者」の魂が、ここに宿っているのを感じた。
一行は、しばらくの間、思い思いに工房の探索を始めた。
リリアは古文書を読みふけり、騎士たちは警戒を怠らずに周囲を調べる。アキは、作業台に残された作りかけの遺物を手に取り、その構造の美しさに感嘆していた。
そんな時、アキは工房の片隅に、一つだけ異質な空気を放つ一角があることに気づいた。
そこには、黒いベルベットが敷かれた豪奢な台座が置かれ、その上に、ぽつんと一つの首飾りが安置されていた。
漆黒の宝石と、見るからに禍々しい、茨のようなデザインの銀細工でできた首飾り。それは、この工房にある他のどの遺物とも違い、冷たく、邪悪なオーラを放っていた。それは、生命に対する侮辱と、底なしの憎悪が渦巻く、呪いの塊だった。
アキが、その抗いがたい魅力と危険性に、吸い寄せられるように一歩踏み出した、その瞬間だった。
彼の腰で、グラムがこれまでになく激しく震え、直接脳内に警告を叩きつけてきた。
『待て、アキ! それに触るな!』
その声は、いつもの尊大なものではなく、焦りと、そして純粋な恐怖すら含んでいた。
『なんだ、このおぞましい怨念の塊は……! これは、我にかけられた呪いと同質、いや、それ以上に悪辣で凝縮された呪詛だぞ! これは、ただの呪われた道具ではない。魂を喰らうために作られた、呪いの生命体だ!』
グラムの深刻な声が、時の止まった工房に響き渡る。
数千年の封印から解き放たれた、知識と創造の聖域。その片隅に、とんでもなく危険な「悪意」が、新たな主を求めて、静かに眠っていた。
平穏な探索は、突如として不気味なサスペンスへと変貌し、一行の前に新たな脅威となって立ちはだかった。