第七話 ゴーレムの再起動
アキが指し示した一点を取り除いただけで、まるで知性を持っているかのように崩落した瓦礫の山。その信じがたい光景を前に、護衛の騎士バルガスとレオンは言葉を失っていた。彼らがアキに向ける視線は、もはや単なる「得体の知れない修復師」に対するものではなく、人知を超えた何かに対する畏敬の色を帯び始めていた。
「さあ、行きましょう。道が開いているうちに」
リリアに促され、一行はアキが開けた道から、数千年の沈黙を破り、遺跡の内部へと足を踏み入れた。
中は、ひんやりと乾いた空気が満ちていた。外の森の喧騒が嘘のように遠ざかり、 静寂が支配している。床には長い年月をかけて積もったであろう、きめ細かい塵が薄く積もっており、一行の足跡が最初の訪問者であることを示していた。
壁には、入口と同じく幾何学的な文様がびっしりと刻まれている。ところどころに埋め込まれた青い水晶が、魔力に反応してぼんやりと光を放ち、長い通路を幻想的に照らし出していた。
「この壁画は……第一文明の創世神話ね。すごい、文献でしか見たことのない図像がこんなに鮮明に残っているなんて……」
リリアは興奮を隠せない様子で壁に触れ、古代文字を指でなぞっている。彼女の純粋な探求心が、この不気味なほどの静寂に包まれた空間の緊張を、少しだけ和らげてくれた。
通路を抜けると、一行は天井の高い、円形の広間に出た。そして、その中央に鎮座する「それ」を見て、誰もが息をのんだ。
一体のゴーレム。
高さは三メートルほど。石と、鈍い光沢を放つ未知の金属を組み合わせて作られた人型の巨体は、長い年月の間にところどころが破損し、表面には苔すら生えている。だが、その均整の取れたフォルムと、力強さを感じさせるたたずまいは、これが単なる石像ではないことを物語っていた。
「第一文明の自律式防衛ゴーレム……『タロス』シリーズね。動力源がとっくに尽きているはずなのに、なぜ原型を留めているのかしら……」
リリアが分析するように呟いた、その時だった。
一行が広間の中央へと足を踏み入れた瞬間、それまで沈黙していたゴーレムの眼窩に、不意に禍々しい赤い光が灯った。
ギギギ……と、錆びついた金属が擦れるような、けたたましい駆動音が広間に響き渡る。ゴーレムはゆっくりと立ち上がると、その巨大な頭部を一行に向け、侵入者を排除するための戦闘態勢に入った。
「姫様、お下がりください!」
レオンが叫ぶと同時に、バルガスが巨大な盾を構え、リリアの前に立ちはだかる。
ゴオォォッ!
ゴーレムは雄叫びと共に、その岩石のような右腕を横薙ぎに振るった。バルガスはそれを盾で受け止めるが、あまりの衝撃に、「ぐっ!」という苦悶の声と共に数メートルも吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「バルガス!」
「な、なんて馬鹿力だ……!」
レオンが即座に剣を抜き、ゴーレムの脚部めがけて斬りかかる。だが、カキン!という甲高い音と共に、彼の剣はあっさりと弾かれた。硬い装甲には、傷一つついていない。絶望的なまでの戦力差だった。
『ちっ、埒があかんわ! アキ、我を使え!』
アキの腰で痺れを切らしたグラムが叫んだ。アキは頷くと、鞘からグラムを抜き放つ。星空を宿した黒い刀身が、青い照明を反射して妖しくきらめいた。
「リリア様、騎士の人の手当てを!」
アキはリリアに叫ぶと、グラムを握りしめ、ゴーレムへと向かって駆けた。
ゴーレムの巨大な拳が、アキめがけて振り下ろされる。アキはそれを紙一重でかわし、懐へ潜り込むと、グラムで胴体を横一閃に薙いだ。
ズシャァァッ!
グラムの刃は、騎士の剣を弾いた硬い装甲を、まるでバターのように切り裂いた。だが、ゴーレムは怯まない。切り裂かれた傷口から魔力の火花を散らしながら、自己修復機能によって瞬時に傷を塞いでいく。
『こやつ、厄介だぞ! ただ硬いだけではない。内部の魔力炉が生きている!』
グラムとゴーレムの、人知を超えた攻防が始まった。グラムの一撃が装甲を裂き、ゴーレムの拳が床を砕く。広間は、二体の古代遺物が繰り広げる激しい戦闘の舞台と化した。
戦いの最中、アキは冷静にゴーレムを観察していた。
おかしい。動きが、あまりにも単調すぎる。
右腕の薙ぎ払い、左腕の突き、そして両足で地面を叩きつける衝撃波。攻撃パターンは、この三種類しかない。しかも、動きの節々がどこかぎこちなく、滑らかさを欠いている。それはまるで、プログラムにエラーを起こした機械人形が、苦しみながら無理に動いているかのようだった。
(これは、純粋な敵意じゃない……)
アキは確信した。
このゴーレムは、侵入者を殺そうとしているのではない。本来この遺跡を守るために与えられた『警備プログラム』が、数千年という長い年月の間にバグを起こし、正常な判断ができないまま、見境なく攻撃を繰り返しているだけなのだ。
その証拠に、ゴーレムの眼窩の赤い光は、怒りや憎しみといった感情の色ではなく、どこか助けを求めるような、悲痛なSOS信号のようにアキには見えた。
「――直せるかもしれない」
アキは呟いた。
そして、彼は作戦を叫んだ。
「グラム、リリア様、レオンさん! あのゴーレムを、ほんの数秒でいい、完全に動きを止めてください!」
「何を言っている、アキ殿! 無茶だ!」
壁際で痛みに耐えていたバルガスが叫ぶ。
「胸にある、あの青い石! あれが、このゴーレムの制御核のはずです。あれに直接触れることができれば、暴走を止められるかもしれません!」
「正気なの!?」リリアが目を見開く。だが、彼女はアキの瞳に宿る真剣な光を見て、一瞬のためらいの後、覚悟を決めた。
「……わかったわ! やりましょう! レオン、バルガスも聞こえたわね!」
騎士たちは戸惑いながらも、主君の命令に頷いた。
作戦は、一瞬の連携に賭けることになった。
「いくわよ!」
リリアが詠唱を始め、ゴーレムの足元に分厚い氷の床を生成する。ゴーレムは体勢を崩し、その動きがわずかに鈍った。
「今だ!」
その隙を突き、レオンと、怪我を押して立ち上がったバルガスが、左右からゴーレムの腕に盾ごと組み付き、その動きを封じにかかる。
「うおおおおっ!」
二人の騎士が、全体重をかけてゴーレムを抑え込む。ゴーレムは二人を振り払おうと暴れるが、動きは確実に封じられていた。
そして――。
『アキ、一瞬だけだぞ!』
グラムがアキの手から離れ、単独で飛翔すると、その切っ先をゴーレムの眉間に叩きつけた。ゴッ、という鈍い音と共に、ゴーレムの動きが完全に停止する。
「今だ、アキ!」
リリアの叫びが響く。
アキはその一瞬の隙を突き、猛然とダッシュした。そして、無防備に晒されたゴーレムの懐へと飛び込み、その胸で青く、そして不規則に明滅している制御核に、ためらうことなく右手を押し当てた。
「――【修復】!」
アキの掌から、暖かく、そして強力な魔力の光が奔流となって溢れ出し、ゴーレムの制御核へと注ぎ込まれていく。アキの脳内に、ゴーレムの悲鳴にも似た、膨大なノイズ情報が流れ込んできた。バグを起こした術式、断線した魔力回路、矛盾した命令コード。それらすべてを、アキのスキルが、あるべき正しい姿へと、凄まてつもない速度で「修復」していく。
やがて、ゴーレムの全身を駆け巡っていた禍々しい赤い魔力の光が、静かに引いていく。
アキが手を離すと、ゴーレムは完全に沈黙した。そして、その眼窩の光は、穏やかで澄んだ青色へと変わっていた。
再起動したゴーレムは、ゆっくりとアキの前に片膝をつくと、その巨大な頭を恭しく垂れた。
『ピポ……。主ヲ、再登録。……命令ヲ……ドウゾ』
合成音声のような、だがどこか安堵したような声が、広間に響いた。
そして、ゴーレムはゆっくりと立ち上がると、広間の奥にある、これまで一行が誰も気づかなかった壁の方を向いた。ゴゴゴゴ……という重い音を立てて、ゴーレムが壁を押すと、そこには隠し扉が現れ、地下へと続く石の階段が、暗い口を開けていた。
ゴーレムは、その階段を指し示し、再びアキに向かって跪く。
まるで、真の主の帰還を、永い間待ち続けていたかのように。
一行は、目の前で起きた奇跡のような光景を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。