第六話 初めての遺跡探索
リリアからのパートナーシップの提案は、アキにとって抗いがたい魅力を持っていた。
古代文明の謎や、世界の運命といった壮大な話には、正直なところあまり興味が湧かない。だが、「工房の全面的な改築」「最高級の素材の提供」という言葉は、彼の修復家としての魂を根こそぎ鷲掴みにした。手に入りにくい純粋なミスリルのインゴットや、魔力を帯びた千年樹の心材。それらを使えば、一体どんなものが作れるのだろうか。どんな修復が可能になるのだろうか。
「……わかりました。その提案、お受けします」
アキが頷くと、リリアは満面の笑みを浮かべた。
「本当!? やったわ! これで私たちの古代文明研究は、飛躍的に進歩するわね!」
彼女の行動は早かった。その日のうちに辺境伯である父親を説得し、遺跡探索の正式な許可を取り付けた。驚くべきことに、辺境伯はリリアの古代文明への情熱をよく理解しており、二つ返事で了承したらしい。さらに、アキが工房の改築と素材のリストを遠慮がちに提出すると、リリアはその倍以上の予算と規模を約束してくれた。
二日後。遺跡探索の準備は万端に整った。
リリアがアキのために用意してくれたのは、軽くて丈夫な革鎧と、動きやすい冒険者用の服だった。最初は固辞したアキだったが、「遺跡の中では何があるかわからないから」というリリアの真剣な説得に折れるしかなかった。グラムは、アキの腰にある鞘に大人しく収まっている。もっとも、その意識は「我の鞘はもっと豪奢であるべきだ」と文句を垂れていたが。
探索パーティは、アキとリリア、そして彼女が最も信頼するという二人の護衛騎士を加えた計四人(と一剣)。一人は、実直で生真面目そうな壮年の騎士、バルガス。もう一人は、物静かだが鋭い観察眼を持つ若い騎士、レオン。彼らは、リリアが「喋る魔剣」や「得体の知れない修復師」を連れていくことに、あからさまな警戒心を示していたが、リリアの命令には忠実に従っていた。
「さあ、出発よ! 目指すは『賢者の書斎』よ!」
リリアの元気な号令と共に、一行はアルテアの街を出発し、地図に示された北東の森へと足を踏み入れた。
森の中は、ひんやりとした空気に満ちていた。幾重にも重なった木々の葉が強い日差しを遮り、地面には苔の絨毯が広がっている。時折、遠くで聞こえる獣の声や、鳥のさえずりが、森が生きていることを感じさせた。
道中は、ほとんどリリアの独壇場だった。
「第一文明が栄えたのは、神話の時代と現代のちょうど中間にあたる、およそ三千年前。彼らは、現代の魔術体系とは全く異なる『理の魔術』を操っていたと言われているの。それは、世界の法則そのものに干渉する、神にも等しい力だったとか」
彼女は、まるで見てきたかのように熱っぽく語る。その知識量は凄まじく、アキも時折、感心させられた。
「理の魔術……。だから、あの箱も単純な魔力だけでは開かなかったんですね」
「その通りよ! 彼らは、魔力と物理法則、そして天体の運行といった、森羅万象すべてを計算し尽くして、アーティファクトを創り上げていたのよ」
アキが相槌を打つと、リリアは嬉しそうにさらに饒舌になる。そんな二人を、グラムがアキの腰で鼻を鳴らした。
『ふん、小娘。解釈が浅いぞ。理の魔術の根幹は、法則への『干渉』ではない。『調和』だ。世界の理と一体になることで、奇跡を現出させていたのだ』
「なっ……なんですって! あなた、何か知っているの!?」
リリアがグラムに食って掛かる。
『我は英雄と共に、奴らの文明の黄昏を見てきた。貴様のような若輩が、書物から得た知識で我に意見するとは、片腹痛いわ』
「なんですってー!」
アキと護衛騎士たちを置き去りにして、リリアとグラムの口論が始まる。だが、そのやり取りはどこか微笑ましく、当初はアキを警戒していた騎士たちの表情も、少しずつ和らいでいくのがわかった。彼らは、こんなにも生き生きとしたリリアの姿を、久しぶりに見たのかもしれない。
半日ほど歩き続けた頃、一行は森の奥深く、ひときわ巨大な木々が生い茂る一角にたどり着いた。地図が示しているのは、このあたりのはずだ。
「あった……!」
リリアが声を上げた。木々の根やツタに半ば飲み込まれるようにして、苔むした石造りの建造物が姿を現した。神殿というには小さいが、個人の書斎や工房だったと考えれば、しっくりくる規模だ。壁面には、あの箱に刻まれていたものと同じ、幾何学的な文様が彫られている。
しかし、一行の期待はすぐにため息に変わった。
遺跡の入口と思われる場所は、巨大な岩や、崩れ落ちたアーチ型の天井の残骸で、完全に塞がっていたのだ。長い年月の間に起きた地震か、あるいは単なる経年劣化か。人が通れるような隙間は、どこにも見当たらない。
「姫様、お任せください!」
実直な騎士バルガスが前に進み出て、瓦礫の一つに手をかけた。彼は騎士団の中でも指折りの腕力を誇る。
「我々の力で、この瓦礫を撤去いたします!」
「待て、バルガス!」
しかし、それを制したのは、冷静な騎士レオンだった。彼は崩落現場を鋭い目つきで観察している。
「よく見ろ。あの上の天井、大きな亀裂が入っている。下手に一つの岩を動かせば、衝撃で天井全体が崩れ落ちるかもしれん。我々ごと生き埋めになるぞ」
レオンの指摘通り、瓦礫の山は、まるで奇跡的なバランスで成り立っているように見えた。一つが崩れれば、将棋倒しにすべてが崩壊しかねない。かといって、このままでは中に入ることもできない。一転、手詰まりの状況に陥ってしまった。
騎士たちが「どうしたものか」「迂回路を探すべきでは」と議論を始める。リリアも、悔しそうに瓦礫の山を睨みつけていた。
その時、アキが誰に言うでもなく、静かに崩落現場へと歩み寄った。
彼は、目の前の瓦礫の山を、ただの「岩の塊」として見てはいなかった。彼の目には、それが一つの「壊れかけた構造物」として映っていた。それぞれの岩にかかる圧力、重心の位置、内部に走る亀裂の方向。それらが、魔力を通した彼の意識の中に、青白い設計図のように浮かび上がってくる。
スキル【修復】の本質は、対象の「本来あるべき姿」と「現在の状態」を完璧に理解することにある。それは、壊れたものを直すだけでなく、壊れかけのものが、なぜ今その形で存在できているのかを、寸分の狂いもなく解析する力でもあった。
アキは目を閉じ、意識を集中させる。無数の岩が、互いにどのように力を及ぼし合い、支え合っているのか。その複雑なパワーバランスの中心点、たった一つの結節点を探し出す。
……あった。
アキはゆっくりと目を開けると、無数の瓦礫の中から、何の変哲もない、中くらいの大きさの石を一本の指で指し示した。
「……ここだ」
その静かな声に、議論していた騎士たちが訝しげに彼を見た。
「アキさん?」リリアが尋ねる。
「この石さえ取り除けば、全体の均衡が計画的に崩れて、あとは最小限の力で安全に瓦礫を撤去できます。これは、アーチ建築における『要石』と、同じ役割を果たしています」
「要石だと? 馬鹿なことを」バルガスが眉をひそめた。「こんな瓦礫の山に、そんなものが存在するはずがない。適当なことを言うな、修復師」
騎士たちが信じないのも無理はなかった。アキが指し示したのは、どう見てもただの石ころの一つに過ぎない。しかし、リリアだけは違った。彼女は、あのパズルボックスを解き明かしたアキの異常な分析眼を、すでに信頼していた。
「バルガス、レオン。彼の言う通りにやってみて」
「しかし、姫様!」
「いいから。責任は私が取るわ」
リリアの強い口調に、騎士たちは不満げな顔をしながらも、逆らうことはできなかった。
バルガスが、半信半疑といった様子で、アキが指し示した石に手をかける。彼は、これが崩落の引き金になるのではないかと、全身に力を込めて身構えていた。
そして、ゆっくりと、その石を引き抜こうと力を込めた。
次の瞬間、バルガスは驚きに目を見開いた。
石が、何の抵抗もなく、スッと引き抜かれたのだ。
そして、その石が抜かれたまさにその瞬間、それまで絶妙なバランスで支え合っていた瓦礫の山が、一斉に動き出した。
ドドドドドッ!
地響きと共に、岩々が崩れ落ちていく。だが、その崩れ方は、騎士たちが危惧したような無秩序なものではなかった。まるで計算されていたかのように、瓦礫は遺跡の入口を避けるようにして両脇へと流れ、数秒後には、目の前に人が一人通れるくらいの安全な道筋が出来上がっていた。
目の前で起きた光景に、バルガスとレオンは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「あ……ありえない……」
「なぜだ……。なぜ、あの石が要になっていると分かったんだ……?」
彼らの視線が、アキへと注がれる。
アキは、そんな彼らの驚愕をよそに、まるで当然のことのように、開かれた道筋の先、遺跡の奥の暗闇を静かに見つめていた。
この辺境の修復師が、ただの職人ではないこと。その瞳が、世界の物理法則すら見通す、人知を超えた何かを宿していることを、一行は今、初めてまざまざと見せつけられたのだった。