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第五話 古代のからくり箱

「からくりパズルボックス……ですって?」

リリアは、アキの口から放たれた言葉を、オウムのように繰り返した。彼女の翠色の瞳が、驚きと興奮で見開かれている。

「ええ。この箱は、力ずくでこじ開けようとすればするほど、内部のロックがより強固になる仕組みになっています。おそらく、無理に破壊しようとすれば、中身ごと自爆する仕掛けまで施されているでしょう」

アキは淡々と、しかし確信を持って告げた。彼の指先が箱の表面をなぞるたびに、内部構造から伝わる微細な魔力の反響が、その設計思想を雄弁に物語っていた。これは、正当な資格を持つ者以外には、決して中身を渡さないという、古代人の強い意志の表れだ。


「すごい……。王都の魔術師たちは、ただ頑丈なだけだと結論付けたのに……。あなたには、その構造まで見えるというのね」

リリアはゴクリと喉を鳴らし、アキに真剣な眼差しを向けた。

「お願い、アキさん! その謎を解き明かしてほしいの。もちろん、これは正式な依頼よ。成功報酬は、あなたが望むだけ支払うわ!」

「報酬は……」アキは少し考えた。「とりあえず、当面の生活費と、工房で使う素材がいくつか手に入れば十分です」

「そんなものでいいの!?」

金銭に頓着しないアキの返答に、リリアは目を丸くした。目の前で世紀の発見が成されようとしているのに、この男の関心は、あくまで「修復」あるいは「解明」という行為そのものにあるらしい。その職人気質な姿に、リリアはますます強く惹きつけられていった。


こうして、辺境の小さな工房で、数千年の時を超えた壮大な謎解きが始まった。

護衛の騎士たちは、リリアの命令で工房の外で見張りに立ち、中にはアキ、リリア、そして宙に浮かぶ魔剣グラムだけが残った。


「さて、どこから手をつけるか……」

アキは作業台に広げた大きな羊皮紙に、箱の表面に刻まれた幾何学文様を正確に写し取り始めた。無数にあるように見える文様も、注意深く観察すれば、いくつかの系統に分類できる。太陽や月を模したような円形の文様、稲妻や波のような流線形の文様、そして規則正しく並んだ点と線の組み合わせ。


「この点と線の組み合わせ……どこかで見たことがあるわ」

リリアはアキが描いたスケッチを覗き込み、顎に手を当てて考え込んだ。

「私が読んだ古代文献の一つに、第一文明で使われていたという『星読みの数式』についての記述があったの。もしかしたら、これは彼らの数字なのかもしれない」

「数字……」

「ええ。そして、こちらの円形の文様は、おそらく四大元素エレメント……火、水、風、土を表しているんじゃないかしら」


リリアの知識が、混沌としていたパズルに最初の光を灯した。彼女は工房の書棚から古びた本を何冊か取り出すと、驚異的な速さでページをめくり、次々と該当する記述を見つけ出していく。その姿は、貴族の令嬢というより、大学の碩学そのものだった。


「ふん、小娘、なかなか博識ではないか。だが、それだけでは足りんぞ」

黙って様子を見ていたグラムが、茶々を入れるように言った。

「第一文明の連中は、物事をストレートに表現するのを嫌う、ひねくれた性格の持ち主が多かった。数字と元素を当てはめるだけでは、この箱は沈黙したままだろう」


「じゃあ、どうすれば……?」

アキが尋ねると、グラムは少しだけ黙り込んだ後、仕方なさそうに続けた。

「……知らん。だが、奴らは魔力の『流れ』というものを非常に重視していた。入口と出口、そしてその道筋だ。ただ注ぎ込むだけでは意味がない」


流れ、道筋。その言葉が、アキの思考を加速させた。

彼は再び箱に向き直ると、今度は自らの魔力を、極めて微量、しかし属性ごとに明確に色分けして、リリアが示した「数字」と「元素」の文様に流し込み始めた。

「火」の文様に、陽炎のように揺らめく火の魔力を。「水」の文様に、清らかな水の魔力を。

すると、箱が初めて明確な反応を示した。正しい属性の魔力が正しい文様に注がれた瞬間、その文様が、対応する色の光を一瞬だけ放って、沈黙するのだ。


「光ったわ!」「いけるぞ、アキ!」

リリアとグラムが興奮した声を上げる。

一つ、また一つと、文様のロックを解除していく。それはまるで、時限爆弾を解除するような、緊張感に満ちた作業だった。手順を一つでも間違えれば、すべてが振り出しに戻るか、あるいは最悪の事態を招くかもしれない。

数時間が経過し、箱の表面にあった文様の半分以上が光を失った。だが、そこから先が、どうしても進まない。どの文様に魔力を流しても、箱はうんともすんとも言わなくなってしまったのだ。


「くっ……何が足りないの……?」

リリアが悔しそうに唇を噛む。アキもまた、作業台の上で腕を組み、沈黙していた。

その時、またしてもグラムが、ぼそりと呟いた。

「そういえば、第一文明の連中は、やたらと天体を気にしていたな。日食や月食、星の並びで吉凶を占い、重要な儀式は必ず特定の星の下で行っていた」


「星……?」

その言葉に、リリアがはっと顔を上げた。彼女は勢いよく工房の窓を開け、夜空を見上げる。空には、三つの月が明るく輝き、無数の星がまたたいていた。

「見て、アキさん! あの三つの月と、ひときわ明るいあの星の配置……。古代文献にあった『賢者の刻』の星図と一致するわ!」

リリアは興奮気味に、空と、アキが描いた箱のスケッチを交互に見比べた。

「もしかして……この箱自体を、空の星図と同じ角度に傾ける必要があるんじゃないかしら!?」


それだ。アキは直感した。

最後のロックは、魔術的な操作と、物理的な操作の組み合わせ。

「リリア様、ご協力を」

「ええ、もちろんよ!」


アキは再び箱に向き合い、解除すべき最後のいくつかの文様に指を置いた。

「私が合図をしたら、魔力を流します。リリア様は、その瞬間に、箱を星図の示す方角へ、正確に三十三度の角度で傾けてください」

「わかったわ!」

リリアは箱の側面に両手を添え、集中力を高める。その横顔は真剣そのものだった。

工房の空気が、張り詰める。

アキは一度、深く息を吸った。そして――。

「……今です!」


アキの指先から、最後の魔力が放たれる。それと寸分たがわぬタイミングで、リリアが箱を、しなやかな動きで夜空へと傾けた。

次の瞬間、すべての音が消えた。

箱は、何の抵抗もなく、無音で滑るようにその姿を変え始めた。継ぎ目のなかったはずの表面が、まるで蓮の花が開くように、幾何学的なパターンを描きながらゆっくりと展開していく。内部から漏れ出す柔らかな光が、アキとリリアの驚愕に満ちた顔を照らし出した。


やがて、箱は完全にその姿を変え、中央に台座のような部分が現れた。台座の上には、二つのものが静かに置かれていた。

一つは、羊皮紙でもパピルスでもない、淡い光を放つ未知の素材でできた、一枚の地図。それは、アキも見慣れた、このアルテア周辺の地形図だった。だが、街の北東に広がる広大な森の中に、現代の地図にはない一つの印――小さな神殿のような建物の印が、はっきりと記されていた。


そしてもう一つは、薄い水晶のプレートだった。表面には、魔力回路図と思われるものがびっしりと刻まれている。

リリアが、吸い寄せられるようにそのプレートを手に取った。

「こ、これは……信じられない……。『霊脈同調式・永久魔力蓄積器』の設計図よ! 失われたオーパーツ技術……! これがあれば、魔力の乏しい土地でも、大地を流れる霊脈から直接エネルギーを半永久的に引き出すことができるわ! これ一つで、国のエネルギー問題を根本から解決できてしまう……!」


リリアは設計図を胸に抱きしめ、感動に打ち震えていた。そして、改めてアキの方を向き、その瞳を輝かせた。

「アキさん、あなた、やっぱりただ者じゃないわ。いいえ、そんなことはもうどうでもいい。私と、パートナーシップを組まない? あなたのその驚異的な技術と、私の知識があれば、どんな古代文明の謎だって解き明かせるはずよ! もちろん、報酬は弾むわ。あなたの工房の全面的な改築、最高級の素材の提供、なんでも約束する!」


破格の提案に、アキが返答に窮していると、それまで黙っていたグラムが、地図の方をじっと見つめながら、低い声で言った。


「ふむ。この場所……。懐かしい気配がするな」


その言葉に、アキとリリアははっと息をのむ。


「我を呪った忌まわしきヤツらとは別の……そうだ。これは、古い友人の匂いだ」


地図に記された、未知の遺跡。

グラムが語る、過去の友人。

そして、リリアからの、抗いがたい協力関係の提案。

辺境の地で手に入れたはずの静かな日常は、古代のからくり箱が開いたその瞬間、新たな冒M険と、巨大な運命への扉を、音もなく開いたのだった。

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