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第十話 スローライフと新たな依頼

古代工房での日々は、アキにとって、まさに夢のような時間だった。

呪詛の首飾りを浄化した後、一行はしばらくこの知識の宝庫に留まることにした。リリアは父である辺境伯に「世紀の大発見あり、長期調査の許可を請う」という手紙を送り、アキもそれに同意した。


工房での生活は、穏やかで、そしてこの上なく刺激的だった。

アキは、まるで乾いたスポンジが水を吸うように、工房に残された膨大な知識を吸収していった。壁一面の書棚に並ぶのは、第一文明の冶金学、魔術工学、付与魔術に関する専門書だ。文字はリリアに教わりながら、彼は寝る間も惜しんで読みふけった。そして、そこに記された理論を、工房に残された最高級の素材と、完璧な状態の道具を使って実践していく。

魔力の流れを可視化できる特殊なレンズを自作し、破損した小さなゴーレムの腕を修復して、コーヒーを淹れる手伝いをさせたりもした。それは、王都の宮廷では決してできなかった、純粋な探求心と創造欲を満たす、至福の時間だった。


リリアもまた、水を得た魚のようだった。彼女は、王国の歴史から抹消された第一文明の年代記や、神話の裏側を記した文献を発見し、毎日目を輝かせながらその解読に没頭していた。

「聞いて、アキさん! 第一文明は、竜族と盟約を結んでいたらしいわ! この記述が正しければ、現代の召喚魔術のルーツは、彼らの竜とのコミュニケーション術にあるのかもしれない!」

「なるほど。だから、竜の鱗を使った合金は、魔力伝導率が極端に高いんですね」

時折、二人は互いの発見について、夜が更けるのも忘れて語り合った。専門的で、他の誰にも理解できないような会話だったが、二人にとっては、何よりも楽しい時間だった。彼らの間には、単なる領主の娘と修復師という関係を超えた、研究パートナーとしての強い信頼と絆が芽生えつつあった。


そんな二人を、魔剣グラムとゴーレムが、それぞれのやり方で見守っていた。

『ふん、竜との盟約なぞ、我からすれば些細なことよ。その昔、我の主であった英雄は、竜王の顎を叩き割ったこともあるわ』

グラムは作業台の上でふんぞり返り、偉そうに解説(あるいは自慢話)をしたり、リリアの解釈に茶々を入れたりして、工房の賑やかなマスコット兼ご意見番となっていた。

一方、アキが「タロス」と名付けたゴーレムは、口数は少ないながらも、忠実な助手として完璧に機能していた。アキが炉を使えば最適な温度を管理し、重い金床を動かしたければ寸分の狂いもなく運び、そしてリリアが古文書の山に埋もれていれば、そっと温かい飲み物を差し出す。その献身的な働きぶりは、当初彼を警戒していた騎士たちをも感心させていた。


そんな理想的なスローライフが数週間続いたある日、転移装置が再び青い光を放った。アルテアの街へ報告に戻っていた、騎士のレオンが帰還したのだ。

彼の背負う荷物には、大量の保存食や生活物資が詰め込まれていた。

「姫様、アキ殿、ご無事で何よりです。辺境伯様からの伝言と、物資をお持ちしました」

レオンのアキに対する態度は、以前の警戒心が嘘のように消え去り、深い尊敬の念に満ちていた。無理もない。彼は、あの瓦礫の山の一件や、ゴーレムを服従させた奇跡を、辺境伯にありのまま報告したのだ。

「辺境伯様は、お二人の発見を全面的に支援するとおっしゃっています。アルテアの街にあるアキ殿の工房も、現在、最高の職人を集めて改築を進めております」

「それは……ありがとうございます」

自分の知らないところで話が大きくなっていることに、アキは少し戸惑った。


レオンは一息つくと、本題を切り出した。その表情は、先ほどまでの穏やかさとは一転し、緊張を帯びている。

「そして、もう一つ。アキ殿に、緊急の依頼が持ち込まれています」


レオンの口から語られたのは、深刻な内容だった。

依頼主は、隣国である「セレネ公国」からやってきた隊商キャラバン。彼らは、セレネ公国の王家に代々伝わる国の至宝、『静寂のハープ』を、こちらの王国との友好の証として運ぶ使節団だった。

そのハープは、ただの楽器ではない。その音色が人の心を癒し、争いを鎮め、時には病すら快癒させると言われる、伝説級のアーティファクトだった。


「ですが、彼らは道中の山中で、正体不明の魔術師の一団に襲われたそうです。護衛の騎士たちの活躍でなんとか撃退したものの、その際に、ハープに強力な呪いをかけられてしまったと」

「呪い……ですって?」リリアが眉をひそめる。

「はい。癒しの楽器は、今や、その音色を聞いた生物を狂わせ、凶暴化させる『呪いの楽器』へと変貌してしまいました。彼らはハープを鉛の箱に厳重に封印していますが、それでも呪いの力が微かに漏れ出し、周囲の森の動物が凶暴化し、隊商の馬すら手に負えなくなっているそうです」

隊商は、呪われた至宝を抱えたまま、アルテアの街で立ち往生していた。王都に助けを求めるにも、この呪物を移動させること自体が危険すぎる。まさに八方ふさがりの状況で、途方に暮れていた時、彼らは街で広まりつつあった噂を耳にしたのだ。

――この街には、どんなものでも直してしまう、神業の修復師がいる、と。


「彼らは、藁にもすがる思いで、アキ殿に依頼に来たのです。これは、下手をすれば隣国との国際問題にも発展しかねない、一刻を争う事態です」

レオンはそう言って、深く頭を下げた。


話を聞き終えたアキは、迷わなかった。呪われたアーティファクト。それを放置すれば、いずれ大きな災厄を招く。そして何より、それで困っている人々がいる。

「……行きます。俺で力になれることがあるのなら」

修復家としての使命感が、彼を動かした。


「ええ、もちろん私も行くわ!」

リリアも即座に同意した。隣国との関係もさることながら、彼女の知的好奇心が、呪われた癒しのハープという、矛盾した存在を放っておかなかった。

『ふむ。癒しの楽器に呪いをかけるとは、また悪趣味なヤツがいたものだ。良いだろう、我らの出番のようだな』

グラムも、新たな事件の匂いを嗅ぎつけ、乗り気な様子で魔力を揺らめかせた。


方針は決まった。一行は、この理想的な研究環境である工房を、忠実な助手タロスに任せ、アルテアの街へ一時的に帰還することを決定した。

準備を始める一行に、レオンが厳しい表情で付け加えた。

「急いだ方がいいでしょう。隊商の護衛の一人が、昨夜から、封印された箱の中からハープの幻聴が聞こえると……そう、訴え始めたそうです」


呪いは、すでに人の精神にまで侵食を始めている。

事態は、彼らが想像する以上に、一刻を争う状況へと陥っていた。

アキたちの辺境での穏やかなスローライフは、終わりを告げた。新たな依頼は、彼らを国際的な事件の渦中へと、否応なく引きずり込んでいくのだった。

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