港町 潮崎
深い海。光も届かない水の底で歌が聞こえた。
誰かが泣いていた気がした。
透明な歌声が、海中を震わせていた。
青い瞳が僕を包む
気が付いたら僕は防波堤で目を覚ました。
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四月、春の朝。
後者の廊下を吹き抜ける風には、まだ潮の匂いが混ざっている。
チャイムの前、教室の中はざわざわと賑やかだった。
教卓の前に立った担任が手を叩くと、生徒たちはしぶしぶ席に着く。
「今日から転校生が来る。昔この町に住んでいた天城照人君だ。」
その名前を聞いても、反応はまばらだった。
新学期の始まり、誰もが自分の新しい位置になれることで精一杯だ。
「天城です。お願いします。」
短くそう言った照人は、クラスのざわめきを軽く受け流しながら、担任から指定された先へ向かう。
歩きながら、照人の視線がふと止まる。
ロングの明るい茶髪の少女とウルフカットの黒髪の少女。
一瞬、黒髪の少女と目が合った。
何かが胸に引っかかるような。不思議な既視感。小さいころ町で会ったことがあるのだろうか。
そんな感覚が、潮の匂いとともに心に残った。
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休み時間。教室の空気は柔らかく、窓からは淡い光が差し込んでいる。
「隣の席だね。私、水城りらよろしく!」
声をかけてきたのは、茶髪の少女。明るく笑うその顔に、照人は少しだけ安心した。
「よろしく。」
そう答えると、りらは「何かわからないことがあれば聞いて。放課後は私達と海斗君が校舎の案内と化するから!」と言ってくれた。
「君は?」
「私は海野澪。よろしくね」
黒髪の少女は表情一つ変えず自己紹介をした。
この賑やかなクラスで彼女だけが目立たない位置にいながら、誰よりも目に付く存在だった。
この感覚は照人自身必要ないものだと、昔に捨てたものかもしれない。
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(こんな時間か…)
昼休み、照人は屋上への階段に座り薬を取り出す。
白い錠剤をのどに流し込み、深く息を吐く。
心臓が時折、予告もなく跳ねる。
それを抑えるために、ずっと服用している。
(僕はこの薬に生かされている。だから欲しがってはいけない。何も望んではいけない。)
あの一瞬。目が合っただけでこんな気持ちになる自分はどうかしてしまったと不安になった照人は呪いのように心で言葉を何度も唱えていた。
周りには気づかれないように、担任には配慮してもらっている。運動もできない。坂道を上るだけでも息切れをしてしまうほどのこの爆弾は、確実に僕の日々を終わりへと導いている。
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放課後。3人にざっくり校舎を案内してもらい下駄箱の近くにいくと、りらと海斗が笑いあっていた。
りらが何かを手渡し、海斗が「任せとけ!」と笑い何かを受けとった。
ふたりの空気は、特別な言葉がなくても”何か”があるとわかるものだった。
隣居た澪に対し、照人は「仲いいんだな。」とぽつりという。
「そう見える?」
「うん、たぶん。」
会話はそれだけだったが、照人は澪の目に映るふたりは、他の誰とも違うように感じた。
校舎を出ると風が吹き、また潮の匂いを連れてきた。記憶の底に眠っている何かが、照人を呼んでいる。