私という人
小学校を出て、ホテルで一晩過ごした私の次の目的地はどこだろうか。私の地元旋回動画は本題へと入っていく。いったい私は何をしたいのだろうか?
次はどこへ行こうか、そう思いながらこの街に1つしかないホテルを出た。今日は朝からビデオを回している。朝日が出始めたころで、外を歩いている人は見当たらない。まあ、日中でも同じことだが。あたりを歩いていると保育園が見えた。私のいたj保育園である。「幼い頃の僕は常に好奇心旺盛だった。今ではほとんど記憶にないが、僕の友達はブランコから飛び降りて骨折した僕の話をたびたびする。保育園には小さいな水槽があった。主に園児が捕まえたザリガニを飼育する水槽だ。僕が保育園時代に覚えている記憶は1つだけ。水槽で死んでいた友達のザリガニを食べたことだ。もちろん先生に見つかって、その日は赤ちゃん達と同じ部屋で昼ご飯を食べさせられたのを覚えている。これにはちゃんと理由があるのを説明させてほしい。幼き日の僕は回転寿司で出てくるえびをザリガニだと思っていた。そのため、その日も死んだザリガニを見ながら、どんな味がするのか気になって食べてしまったのだ。どうだい?ちゃんとした理由があるだろう、そんな変な目で見ないでくれ(笑)。今思い出したが、保育園の時、僕は人生で一番モテていたと思う。一回縄跳びで着地に失敗して腕を折ったとき、昼ご飯で片手しか使えない僕のために周りの女子が食べさせてくれた。しかも、3人ぐらいの女子がずっと周りで世話をしてくれた。自慢話に聞こえるかもしれないが、頑張って聞いて欲しい、この話をするのは最後にするから(笑)。女子だけでなく、先生にも好かれていた。小学校のときも同じだったが、僕は先生に好かれる特徴があるらしい。先生にいつも期待されていた。それもまた歪んだ僕を作ったのだろう。
急にこんな話をしても何がなんだか分からないだろうから、もう少し自分のことを説明しようと思う。自分でいうのもおかしいが、私は歪んだ人間だと思う。昔の私は違った、小学校の頃はずっと笑顔で、誰にでも優しい良い子だったと思う。成績も学年で上位だった。そのおかげもあってか、先生からは大事な仕事をよく任されていた。自分に自信があって何でもできると思っていた。先生の期待に応えるように色々考えて、いつも期待に応えていた。小学2年生から始めた体操ではメキメキと成長し、5年の時には年に3回ある大会の全てで優勝した。小学5年生から始めたバスケでも足の速さを生かしてディフェンスで活躍した。最後の全県大会ではスタメンになることもできた。小学校の頃の自分はなんでもできたと思う。でもそれがダメだった。周りの期待に応えようとする気持ちは、いつしか失敗を許さない気持ちに変わり、完璧主義の自分を作っていった。一回の失敗を引きずり、失敗が怖いから念入りに行動するようになった。表面ではアホみたいなことをして、周りにはアホだと思われる中で、ずっと考えて生きている真面目な自分がいた。最初の説明はこれくらいでいいだろう。ここまでの話で今までの僕へのイメージと違っただろうか?多分気づいている人はいないだろう。もしいたとしたら、、、、。
次は中学校にでも行ってみようかな。皆に私の中学校時代を紹介しよう。
第2話もご覧いただきありがとうございます。話としては特に盛り上がるところはなく、相変わらず思い出を語るだけでしたね。作者の話になりますが、いやー大学生は暇なもんですね。高校生の頃は大学生になれば華やかな生活が待っていると思いましたが、実際は違うようです。いつか華やかになることを信じて今日も頑張って生きていきましょうか。let go




