初対面なはずなのに、溺愛ムーブなお茶会が始まる
目の前でニコニコ微笑んでいるのはルイ・サーチェス侯爵令息。
この春、わたしが入学した学園をすれ違いで卒業した彼は、卒業してもなお学園で絶大な人気を誇っている。学業はもちろん、剣も馬術も秀でており、先生方の信頼厚く、男子生徒にも女生徒にも好かれていた、もはや伝説のようなパーフェクトな御仁。
噂でしか聞いたことのなかったサーチェス侯爵令息の実物は背が高く、立ち姿は美しかった。ダークブラウンの髪を上げて綺麗な額を出して、エメラルドのように輝く瞳が印象的だ。
「お茶のおかわりは? お菓子はどれが好き? ほかにも食べたい物があったら用意させるから教えて?」
「おかわり、ください。お菓子は、ご準備いただいた分で充分です」
控えていたメイドが音もなく寄ってきて、上品な仕草で紅茶のおかわりを注いでくれる。
「マリオット子爵令嬢、グレースって名前で呼んでもいい?」
「ふぁい!?」
侯爵家のメイドの手際の良さに見惚れていたわたしは、驚きの声を上げる。彼はそれを了承の返事ととったようだ。
「嬉しいな。グレース。俺のこともルイ、と名前で呼んでほしい」
「そんな、恐れ多い…!!」
侯爵家の中でも家格の高いサーチェス家のご令息の名を、下級貴族であるマリオット子爵家の娘であるわたしが呼び捨てるなど、恐れ多いにもほどがある。
というか、初対面の男性を呼び捨てになど、できるものか。
親し気にわたしの名を呼ぶ彼とわたしは、初対面なのだ。
一月ほど前、我が家にサーチェス侯爵家からお茶会の招待状が届いた。
今年学園に入学したばかりのわたしはまだ友人が少なく、お茶会の誘いも数回。それも、事前に口約束をしてから儀礼として招待状が届く、という形であった。
サーチェス侯爵家は男児のみで、自分と同じ年頃の令嬢はいなかったはずでは?と首を傾げる。子爵家である我が家より家格の遥かに高い侯爵家からの誘いのため、念のため両親に相談し、きっと人違いの誘いであろうと、先約があることを理由に断りの返事をした。
しかし、再度、日を改めてお茶会の招待状が送られてきた。二度立て続けに断ると角が立つということで、今回は招待を受けることにした。
きっと現れたわたしの顔を見て、人違いだろうことに気が付くだろう。それとも、たくさんのご令嬢を招待していて、わたしの存在自体に気が付かないかもしれない。
そんな気持ちで迎えた今日のお茶会。
出迎えてくれたのは社交界でも婚約者にしたい男性として上位五人には入るだろう人気のルイ・サーチェス侯爵令息。
わたしの顔を見ると、がっかりするどころか、嬉しそうに目を輝かせた。
絹の手袋に包まれたわたしの手を、宝物でも扱うかのように優しく腕に導いて、サロンまでエスコートしてくれる。
お茶会の席につくと、向かいにルイ・サーチェス侯爵令息が座った。テーブルには美味しそうなお菓子が並べられ、メイドが紅茶を淹れてくれる。
わたしはきょろきょろと辺りを見回した。
「どうしたの? 何か気になる物でもある?」
「いえ、あの、他のお客様はどちらに?」
「マリオット子爵令嬢しか招待してないよ?」
まさかの招待客一人だけ!?これでは、間違えて招待状を送った説は否定するほかない。
「そうでしたか。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
今更、招待のお礼を言うわたしに、彼はニコニコと微笑んだままだ。
「こちらこそ、来てくれてありがとう」
初対面の相手に気の利いた会話をすることも出来ず、ただただ格上の家の令息相手に緊張して、気が付くとお茶を飲みほして、話は冒頭に戻る。
「グレースと話をしてみたかったんだけれど、夜会にきみはほとんど出て来ないし、留年していればきみと学園で出会うことも可能だったかと考えると、真面目に送った学園生活を悔やんでいたよ。だから、お茶会の招待を受けてくれて、本当に嬉しいんだ」
「そ、そのように仰っていただけるなんて。サーチェス侯爵令息様はどうしてそんなにわたしと……」
「ルイと名前で呼んで?」
わたしの言葉を遮り、ルイ様は有無を言わさない笑顔を向けてきた。
「………………」
戸惑いのあまり無言のわたしに、ルイ様は笑顔を崩さない。
「……ルイ様?」
根負けして、つい口からその名前を零すと、光を発するかのような嬉しそうなお顔をされた。
「グレースが俺の名前を呼んでくれるなんて、今日はファーストネーム記念日になったよ。婚約記念日も結婚記念日も、きっときみとの記念日は全て忘れないんだろうな。これからの全ての記念日が楽しみで待ち遠しいよ」
未来を語るルイ様に、わたしの胸は早鐘を打った。
待って。待って待って待って。
ルイ様のことは、学園で外見も中身も家柄も素晴らしい方が昨年卒業してしまったと惜しむ声を聞いたことがある程度だったはず。お会いしてきちんとお話しするのは今日が初めて。
なのに、どうして彼の中では当たり前のようにわたしとの未来が描かれているの?
考えても答えは出そうにない気がする。とりあえず、今日はいったん帰ろう。帰宅しよう。
そうと決まれば、勢いよく立ち上がった。
「どうしたの? グレース」
驚くルイ様に、わたしはペコリと頭を下げる。
「ほ、ほ、本日はお招きありがとうございました。とても楽しい時間を過ごさせていただきましたわ。ということで、今日はこれでお暇させていただきます!!」
「待って」
挨拶もそこそこに席を離れようとするわたしの腕を、ルイ様が咄嗟に掴んだ。その拍子に、ルイ様の懐から何かが落ちて、私の足を直撃した。
「痛っ」
「大丈夫?グレース。見せて?」
「驚いて『痛い』と言ってしまいましたが、足先を掠っただけで全然痛くないです。もちろん怪我もしていません!!」
心配してわたしの足元に跪こうとするルイ様に、慌ててわたしもしゃがみ込む。そこには銀色に輝くシルバーチェーンのペンダントが落ちていた。トップには繊細な銀細工で作られた家紋。
「これは…!」
見覚えがあるそれに顔を上げると、思いのほか近い距離にあるルイ様のエメラルドグリーンの瞳と目が合った。
「父から譲り受けたペンダントのチェーンが切れてしまって、修理に出したんだ。それを受け取りに行った時に、きみを見かけた」
わたしは下級とはいえ貴族令嬢なのに、銀細工でアクセサリーを作ることを趣味としていた。父のツテで、高級ジュエリー店にいくつか作品を置かせてもらっている。そのジュエリー店で、ルイ様のペンダントを見たのだ。
正確には、その修理を請け負った。ルイ様が修理に持ち込んだ時期は店の繁忙期で、さらに運悪く職人の身内に不幸が重なり作業が遅れていた時に、腕を見込まれたわたしが修理を請け負うことになったのだ。
美しい意匠の家紋に、繊細な銀細工のそれを、憧れの目で見ながら作業した。元々の品位を損なわないよう、これから先も長く輝くよう、心と技術を込めて作業したからよく覚えている。
「家紋には詳しくなくて、気付かず申し訳ありません。サーチェス侯爵様の物だったのですね。丁寧に作られたとても良いお品でしたので、触れるだけでも幸せな気持ちになりました」
わたしはうっとりとペンダントを眺めた。どれだけ見ても飽きがこない、素晴らしい作品だ。
「俺の周囲に集まる人間は、父に紹介してほしいだとか、希少な観劇のチケットを融通してくれとか、求めてくるばかりで。あの日、店で見たきみは、俺が大切にしている物を、同じように大切そうに見てくれていた。あの日からグレースがずっと気になっていたんだ」
「それは、わたしが銀細工オタクだから」
言ってしまってから、ハッと口を両手で押さえる。ルイ様はおそらく、店舗で修理品の完成を確かめていたわたしを見かけたのだろう。わたしが修理したことは知らされていない可能性もある。職人は圧倒的に男性が多く、女性が専門職に就くことを嫌う男性も多い。わたしは家族が理解して協力もしてくれているが、女が職人の真似事をしてと、罵られたこともある。
「グレースが修理してくれた腕の良い職人だと、店の人が教えてくれたよ」
バレてる――――!!
「店に置いてあるきみの作品も教えてくれた。どれも繊細で美しくて、すべて買い占めてしまいたかったけれど、俺には似合わない可愛いデザインも多くて。贈る先もないから、一つだけ、自分で使えそうな物を買った」
手首とジャケットの袖の隙間から、チラリと見えたバングル。それは、まぎれもなくわたしが作った物。
「それからも、定期的に店に行って、グレースの作品を眺めていた。素敵な作品を俺だけが独り占めするのはもったいなくて、買うのは一つだけと決めて」
ルイ様をよく見ると、長い指に嵌められた指輪も、袖を彩るカフスボタンも耳を飾るピアスも、見覚えがあった。
もともとは女性物をメインに制作していたのだが、最近は男性にも人気があるとジュエリー店の店員さんに教えてもらい、男性向けの作品も作るように心掛けて、それが、今、目の前で身に着けてくれている。
嬉しい!!恥ずかしい!!
熱くなる顔を両手で覆って、嬉しさのあまり足をバタバタとさせたい衝動を頑張って抑える。
「時々きみが店に出ていて、アクセサリーをキラキラした瞳で眺めていた。俺のことも、そんな風に見てくれないかなって思うようになったんだ」
ピタリと身体の動きを止め、固まる。まるで、ルイ様がわたしに好意を持ってくれているかのような発言だ。
家柄も見目も中身も良いルイ・サーチェス侯爵令息と、平凡地味な子爵令嬢であるわたし。しかも明るく社交的で人気者の彼に対して、内向的で友人も少ないわたしは何時間でも銀細工に没頭できるオタク気質。
角を立てずに彼の恋愛対象から外れる返答を考えているわたしの目の前にチケットが差し出された。
「古代遺跡展?」
「今回は古代遺跡の宝飾品を中心にした展示だそうだよ。国宝もあるから、このチケットは一般には出回らないらしいんだけど、行く?」
一も二もなく頷く。古代の宝飾品を見る機会など、滅多にない。なんて素敵な展覧会なのだ。
「じゃあ、次の休みに迎えに行くから」
微笑みながら、手袋越しにわたしの指を握る。職人染みた、固いわたしの指先は、きっと手袋越しにでもわかっただろうに、ルイ様は嬉しそうに微笑んでくれた。
そうして、気が付くと毎週のように彼と会うようになって、いつの間にか婚約者となり、結婚することになっていた。
彼は屋敷の離れにわたしの工房を作ってくれた。そこで制作した作品はジュエリー店に置かせてもらっている他に、彼が顧客を見つけては売りさばいてくれる。わたしが作った物を欲しいと言ってくれる人も増えて、販売に苦労はしていないのだけれど、わたしが作る作品に似合いそうな人や宝石を見つけると、彼は嬉しくなって売り込んでくれるのだ。
わたしが制作したジュエリーを身に着ける女性に最大限の賛辞を送り、飽きもせずに眺め続けるため、時々勘違いされてしまうようだが、彼はわたし以外の女性は恋愛対象にならないらしい。
ジュエリーを眺めながらひたすらその美しさと妻の素晴らしさを語り続けるから早く迎えに来て欲しいと、苦情が来ることもある。
わたしが使う道具を手入れしてくれている職人さんや宝石加工の職人さん、そういった人たちの家にもワイン片手に押しかけては、わたしが作る銀細工の魅力を朝まで語って帰って来ない日もある。職人さんが仕事で遅くなり、奥さんと子供しかいなくてもお構いなしでご馳走になっているようだ。
元来人好きする性格のおかげで、どこの家に行っても子供に懐かれて楽しいらしい。
彼はわたしを愛しているらしいのだが、わたし本人に割く時間はあまり多くない。わたしが作業に没頭する時間を作ってくれようとしている配慮も感じるが、むしろ、他者へわたしへの愛を語ることこそが、もはや彼の趣味というかライフワークのようなものなのだろう。
お茶会への招待状が届いた時は人違いかと思ったが、誘いに応じて良かったと心から思う。格上の侯爵家に嫁ぐことになったわたしのことを気にかけ、常に味方でいてくれようとする夫の愛は世間一般よりたぶんかなり重い気がするが、わたしは幸せだ。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
ブックマーク、評価、いいね、どれもとても嬉しいです。
短編【不幸なエリザベスの幸福な結婚】の両親のお話です。娘のエリザベスは、不在がちで母以外の女性のことも褒めまくる父を浮気性だと思っています。娘はいつか父が実際は妻激推家だと知り、衝撃を受けると思います。