菊池くんと安藤さん2
リターンズ!
※ コロン 先生主催の【菊池祭り】参加作品です
菊池くんは安藤さんと交際をしている。
ふたりのデートでの食事は、もっぱら外食かテイクアウト。
つきあいはじめのころは、菊池くんのひとり暮らしの部屋に、安藤さんが手料理をつくりにきたりもしたし、彼女の料理の腕前はなかなかのものなのだが。
しかしながら、彼女の料理に対するコメントによって、過去に何度もトラブルを繰り返した経験から。それを避けるために、菊池くんは安藤さんの手料理を避けていたのだ。
それでもある日。
安藤さんは、自宅でつくったカレーのおすそわけに、ちいさな鍋をもってきてくれた。
実のところ。菊池くんが、自分の手料理でいっしょに食卓を囲んでくれないことを、少し——いや、かなり寂しく思っていた彼女である。
せめてあとで温めて食べてちょうだいと、鍋を冷蔵庫に残し。きょうは時間がないから、あしたの朝に鍋を取りにくるので、それまでにちゃんと食べておくように。菊池くんによく言い含めておいた。
避けていたとはいえ、菊池くんは菊池くんで、彼女の手料理は好きであった。以前よりスパイスやハーブに詳しくなった、安藤さんのカレー。
どれほどうまいのかと、楽しみにしながら。彼女が帰ってから、しばらくしての夕食の時間。冷蔵庫から出した鍋を焦がさないように慎重に火にかけて、温まり直したカレーをいただいたのだが。
——あれ? 甘い???
いや、たしかに美味いことは美味いのだけれど。これは、かなりの甘口である。
スパイスの辛みより、煮込んだ野菜と鶏肉の脂が織りなす、豊かな味わいを楽しむのをコンセプトとしたカレーなのだろう。
個人的には、ライス部分が進むとはいえない仕様ではあるが。これはこれで、とありがたくいただいた菊池くん。
しかし、あくまでこれは菊池くん個人の意見だけれど。
ここまで甘いカレーだと、やっぱりライスといまいち合わない気がして、ルゥばかり食べ進めてしまう。お皿に盛りつけられたライスは、まだ半分も減っていなかった。
安藤さんから、カレーを持ってきてくれると事前に聞いていたため、おかずになるものは冷蔵庫にはない。ひとり暮らしの男の冷蔵庫なんて、そんなもんであろう。
それでも、なにかしらお米のお伴くらいみつかるだろうと、考えた菊池くんだが。
問題はもうひとつあった。
安藤さんの持ってきてくれた、カレーの入った鍋はちいさめではあるものの。その中身は、お皿へと一度に盛りつけられるほど少なくもなかったのである。
菊池くんがカレーを好きなことを、もちろん承知の安藤さん。ちゃんとおかわりできる量を用意してくれたのだった。
たしかに、美味いのだけれど。
この甘いカレーを、あとおたま何杯かぶん食べるのは、ちょっとばかり骨が折れそうだ。
——よし、こうなったら!
菊池くんが選んだそれは、禁断の方法。間違っても、カレーをつくってくれた安藤さん本人のまえでは、執り行うことはできない。
だが、あしたの朝に彼女がやってくるまでに、鍋のカレーは完食しておきたいのだ。今ならばれることもないだろうと、菊池くんは漆黒の液体がゆれる瓶を手に取ったのだった。
翌朝のこと。
安藤さんの形相は、またもや筆舌では尽くしきれない恐ろしさを刻んだものとなっていた。
ばれるはずもないと、たかをくくっていた菊池くんだったのだが。
持って帰るために鍋を洗うついでに、ほかの洗いものも済ませて帰ろうとシンクに立った安藤さんは、きのう菊池くんがカレーを食べたお皿をみつけた。
お皿には、てかりとしたお米のあとと、乾いてこびりついたカレーのルゥ。——そして、その黄色に混ぜ残しのであろう、黒い液体がわずかに確認できた。
「ふぅ……ん。わたしがつくってきたカレーに、ソースかけたんだ?
そっかぁ、甘かったんだよね?
そんなに甘いの嫌いなら、わたしも甘い顔するの、金輪際やめてみようかなぁ」
そう言った安藤さんは、微笑んでいた。
目は笑っていない。唇も頬もだ。顔のパーツはどれひとつとして笑っていないのに、顔全体としては笑顔。
こんな恐い笑顔を、菊池くんは生まれてこのかた見たことはなかった。
カレーを食べたあと、コロッケをおなじ皿で食べたなんて嘘は通用しまい。きのう鍋をいれるときに、冷蔵庫の中身は確認されただろうし、買い足したことにしても、皿にコロッケの衣の痕跡がない説明はつかない。
そもそも、かけたのはソースではなくてお醤油なのだが。
それを彼女へとつっこむほど、さすがに菊池くんは愚かではなかった。
この日のことを、彼女に赦してもらうために。
菊池くんは5ヶ月を費やし、市内のケーキバイキングを安藤さんを連れて行脚することになった。
ようやく機嫌を直した安藤さんではあるけれど。こんな調子では、交際を続けていけるのかと危機感を抱いた菊池くん。
こんどは逆に、安藤さんに自分の料理を振る舞うのはどうかと考えたのだが。しばらくまえから、練習をはじめていたとはいえ、まだ自信をもって他人に食べさせられるというレベルではなくて。
それでも、一品だけ。
菊池くんには、安藤さんさえも唸らせることができるかもしれない得意料理があったのである。
彼女をまねいての、菊池くんの部屋。
おおきめのホットプレートが、じゅうじゅう音を立てている。
具とべつべつに炒めた麺を混ぜあわせると同時に、調合された特性ソースを絡めて、それを軽く焦がす。
細麺は、スーパーで買ってきただけのやつだが、大きくざく切りにされたキャベツと、黒光りするソースがなんとも美味そうな焼きそばが出来あがる。
大学のサークルで、文化祭のたびに屋台で奮った腕である。その評価は高く、合宿の夕食、先輩の追い出しコンパなど、ことあるごとに焼きそばをつくらされたことも、もはやいい想い出。さらなる高みを目指そうと、焼きかただけではなく、ソースの調合にも手を出し、自前で手に入れたこのおおきなホットプレート(火力強め)で、レポートそっちのけに研究をかさねたのも懐かしい。
そんな自慢の一品が、この焼きそばであったのだ。
あえて、割り箸を添えた紙皿で、自分と安藤さんのまえにもりつけると。彼女も、湯気の立つその麺が誘う生唾に、のどをごくりとやった。
麦茶を、これも雰囲気づくりのために紙コップに汲んで渡した菊池くんに、ちょっと待ってとキッチンにむかう安藤さん。
「悪いけど、カツオブシも青海苔もないよ。
いいから食べてみろって」
声をかける菊池くんだったけれども、安藤さんが持ってきたのは、透明な液体の入った瓶。
驚きに目を見ひらく菊池くんには気づかず、彼女は迷うこともなく、それを自分の焼きそばの皿に、注ぐようにかけたのだった。
「ちょ、ちょっと?!
なにしてんの!?」
若干、咎めるようはニュアンスを含ませてしまいつつも問いかける菊池くんに、安藤さんは悪びれるどころか。なにを不思議がられているのかわからないといった表情を浮かべながら、その瓶を菊池くんにも渡す。
そうなれば、菊池くんの戸惑いは増すばかりだ。
自分がカレーにお醤油をかけたときは、あんなに恐い笑顔を浮かべられたのに。彼女ときたら、焼きそばには「これ」をかけて、それがさも当然という顔をしているのだから。
無言のまま。彼女の顔と、透明な液体の入った瓶。そして、まだ湯気を立てている、紙皿のうえの焼きそばへと、何度も順番に目をやる。
「なにしてるの? さめちゃうから早く食べようよ」
せかす安藤さんへと、菊池くんはなんとかことばを搾り出す。
「いや、……えっと。
この瓶、酢……だよね?」
「ん、なに?
焼きそばは、酢をかけるものでしょ???」
もたもたしている菊池くんを、これ以上待ってもいられないと、いただきますをして食べはじめる安藤さんに。
菊池くんはつっこみも非難もできず、おとなしく自分の焼きそばにも、酢をかけるしかなかった。
酢をかけた焼きそばは、いっそう美味しくなったようだが、熱いうちはむせてしまうのが玉に瑕で。
菊池くんは、何度も咳き込みながら、麦茶を口にした。
ほんとは、ほかのふたりでやろうと思ってました(笑)