4 自己評価を制するものは、アレを制する
一体、自分は誰なんだろう。
一瞬、哲学的な迷宮に入りかけたが、ひとまず直近の課題が山積なので置いておくことにする。ザックリとした体感では自分は俊介だが、身体と嗜好はマリアだ。もし、俊介に戻れないとしたら、この世界でマリアとして生きていくしかないので、これから一人称は私、自分のことはマリアと呼称することにする。
まず、記憶や身の回りの物から、"マリア"の情報を確認することにした。
マリア・バグウェル。父は田舎の会計士で厳格な性格、母は専業主婦で父の言いなり、3人姉弟の長子で4歳下の弟と5歳下の妹がいる。学生時代はいじめられっ子で容姿と体型に自信がなく、注意力が散漫で仕事はミスが多い。ブズ、デブ、ドジ、グズ、暗い。それがマリアの自己評価だった。
……なるほどな。これは生きているのが辛いだろうな。
心理学では、自己評価というのは極めて大事で、問題の根幹はほとんどこれに尽きると言ってよいくらいだ。批判を恐れずに言えば、他人からの評価より100倍大事だ。なぜなら、人は自己評価を基に世界を見て、考え、行動するのだから。
例えば、ここに全く同じ容姿、同じ能力の双子の女性ABがいたとする。全く同じなのだから、容姿と能力に対する他者評価は当然同じはずだ。そしてAは自分をグズでブズだと思い、Bは自分を有能で美人だと思っていたとしよう。この自己評価が正反対の二人、さて、同じ仕事を与えた時に楽しめるのはどちらだろうか?合コンなど異性と関わる時、どちらが楽しめるだろうか?
……答えは考えるまでもない、Bだ。本来はもっと細かく見ていくところだが、超ザックリと簡略化すると、自分が有能(実際には全てにおいて万能な人間はいないのでもっと細分化するのだがここでは簡略化)だと思えば能力を発揮できる仕事は楽しい。自分は美人(別に容姿だけが異性に評価されるポイントではないが、ここでは簡略化)だと思うと異性と関わるのも楽しい。どちらも、自分は評価される、自分は人の役に立つ、自分の力を発揮できる、と感じるからだ。結果、楽しいので積極的に仕事をしたり異性と関わるようになる。しかも過程を楽しめるので、本人の負担感もなく、それらに時間を割くので上手になる。最終的には、楽しんでいたら結果がついてきちゃった、という形になる。
一方、Aは自分がグズでブズだと思っているので、仕事をしても異性と関わっても、自分は評価されず、人に迷惑をかけ、役に立たないだろうと考えてしまう。すると、仕事をしたり異性と関わるのが大変苦痛になり、そのような事柄から逃げたり、逆に人一倍無理をして努力したりする。すると、逃げ回って結果が出ないか、無理な努力をして結果を出すものの燃え尽きてしまうのだ。つまり結果がどうなるか(そして他者評価がどうなるか)は個性や環境によるのだが、過程は必ず苦痛を伴い、本人は辛いのだ。
つまり、自己評価は、何かをする時の楽しさや負担感を左右しているため、生きやすさに繋がっている。大抵の人はある部分の自己評価は高く、ある部分は低い、というように凸凹があるのだが、全てにおいて自己評価が低いマリアは、何をするのも辛い、という状態になるのだった。
ちなみに、竣介の場合のように、必ずしも容姿が良いから、有能だから、楽しくなるという訳ではない。厳密に言えば、容姿が良いことを本人が良いことだと思っているから、有能なことを本人が肯定的に受け止めているから、上記のような好循環が生まれるので、竣介のように容姿が良いことは損だ、と思っている場合はBさんパターンに入ったりする。
こんな状態でよく生きてこられたね…。心の中で、過去のマリアに思いを馳せる。なかなか、心の休まる時も無かっただろうに。
竣介のクライアントにも、このような自己評価が低く苦しい思いをしている人はたくさんいた。彼らは往々にして善良で一生懸命で、それでも息苦しく生きにくい人生活を送って、相談にきてくれるのだった。
よし、いろいろ実験してマリアの今後をめちゃくちゃ幸せな人生にできないか、試してみよう!そしたら、マリアも苦しい生活から開放されるし、竣介時代のカウンセリング技術も浮かばれるというものだ。