1 マリアの日常はもう限界
初投稿ですがよろしくお願いいたします。
「やばーーー忘れてた!!!」
マリアはさっと青ざめた。そういえば言われていたのだ、18時までにこの書類を仕上げ、届けて欲しいと。
現在の時刻は……18時30分。今から書類を整えるのに2時間はかかる。
終わったな。
吐きそうになりながら、まず指示をした上司に土下座せんばかりに謝り、届け先にもお詫びの電話を入れる。今回は明日の朝でもなんとか間に合うものだったようで事無きを得たが、マリアの信用としてはズタズタだった。
いや、そもそも私には信用なんてないか。そう考えると何とも言えない気分になった……。
マリアは、31歳。半年ほど前から、街の大きな商店で経理アシスタントをしている。店のアシスタントとしては最年長だが、まだ勤めて半年なのでベテランの年下の従業員に聞くことも多い。
しかし要領の悪いマリアに親切に接してくれる人は少なかったし、数少ない優しい従業員に頼って彼らの仕事が増えるのも気が引ける。上司は超多忙で話しかけるのも気が引ける。そんなわけで自力で何とかしようとすると時間がかかる。悪循環にハマってしまっていた。
そして、マリアは地味顔で、デブで、忘れっぽくドジで、友達もおらず、貧乏だった。
ものすごく不幸……ということはない……のかもしれない。
生い立ちはごくごく普通の家庭で育ち、幼いころから体型をからかわれてイジメられていたが、そしてそれは本人にとっては地獄のように辛かったが、犯罪に巻き込まれた訳ではないし、両親に虐待までされていた訳ではないし、何とか普通の成績で学校を卒業することができ、何とか仕事をしている。
楽しみは美味しいものを食べることと、良い景色と温泉を求めて旅行へ行くこと。あとはひたすら現実逃避のために物語を読むくらいだった。
のっぺりと適当に化粧をした地味顔も、太っている体型も、要領の悪さも、友達がおらず交友関係が狭いことも、お金がないことも、すべて自分のせいだ。すべて自分の行動の結果であるのだが……どうしてこんなに生きていくのが辛いのだろう。
何とか書類を仕上げて先方に届け、商店に戻って残りの仕事を片付けていたら、深夜1時になっていた。さすがに帰宅の準備をする。明日は極力早く来なければ手持ちの仕事の締め切りに間に合わない。真っ暗な商店に鍵をかけ、寒い11月の空気の中、人気のない帰り道を歩いていたら涙がこぼれた。
極力、人には親切にしようと努めてきた。学校へはイジメを受けながらもなんとか通ったし、その後も与えられた仕事は一生懸命にやってきたはずなのに、なぜ私はこんなに苦しい生活をしているのだろう。心を許せる友もなく、若さもなく、お金もなく、美貌も頭ももちろんない。
ここで私が何か物語の主人公だったら、魔法使いか不思議な生物でもあらわれて、シンデレラよろしく助けてくれるのだろうか。いや、さすがに主人公だったら、こんなに中途半端で自業自得な境遇じゃない、か。自虐的な思考に迷い込みながら、トボトボと帰宅をした。明日はまた6時には商店に出ていなければ、間に合わないのだ……そう思いながらも、悲しみで満たされた心はなかなか眠りに落ちることができなかった。
マリアはクタクタだったが、どうにか金曜日を迎え、爆睡をして土曜日の昼には目を覚ました。今は繁忙期ではないので、週末は普通に休みがとれたのが有難かった。最低限の家事をすませ、今日は隣町の図書館に行ってみることにした。
「ここは、天国かな??」
乗合馬車で1時間かかる隣町の図書館は、控えめにいって素晴らしかった。マリアの住んでいる街は首都なので都会だが、隣町は適度に栄えた港町で、港の収益で行政が潤っているのか、最近図書館を新設したばかりだった。そんなに大きくはないが真新しい図書館は、海の見える気持ちの良いテラスと大きな窓の読書席を備え、ピカピカの蔵書が並んでいる。海と反対側は自然を生かした公園、花壇、カフェスタンド、散歩道があり、天気の良い今日などは思い思いに訪れた人たちが日向ぼっこをしたり遊んだりして過ごしている。
厳しい現実を忘れ、マリアは楽しむことにした。初めて訪れたので、どこにどんな本があるのか分からない。館内図を見て良さそうな分野を探しても良かったが、マリアは受付近くの「本日返却された本です。貸出可」と書かれた看板の本を見てみることにした。
『家族で美味しい健康レシピ』
『宇宙のすべて』
『メリーアンの純情』
『クラーケンの弱点と社会に与える影響』
ザっと見ただけで雑多なタイトルが並んでいるが、どれも何となく手に取る人の顔が見えるようで、マリアは内心クスリと笑った。しかし……その中に、『生きるのが苦しいあなたへ』という本があった。
「生きるのが苦しい、か。まさに私のことだなぁ。」
こんなに素敵な空間で、辛気臭い本を読むのは躊躇われる。でも、ずばり自分に当てはまるタイトルが気になり、マリアは迷った末にその本を借りることにした。この本に、私の苦しい状況から抜け出すヒントが書いてあるだろうか。ただの慰めに始終しているかもしれない。でも、もし何かヒントのかけらでもあったら儲けものだ。
他にも数冊見繕って借りる手続きを行い、本を爽やかな風がそよぐテラスに持ち込む。少し読んで、街をぶらぶらしたら帰るつもりだった。シンプルな紺地に『生きるのが苦しいあなたへ』と書いた金字のタイトルを撫で、そっと開く。
「この本を手に取ったあなたへ」と書いた一番はじめのページが目に入った瞬間、ドクンと心臓がはね、胸に痛みが走る。続いて猛烈なめまいと頭痛が襲ってきて、マリアは胸を抑え倒れこんだ。これまでに経験したことがないような、ものすごい気持ち悪さと衝撃を覚え、世界が回る……。自分の身体を襲う何かに恐怖を覚える間もなく、マリアは意識を失った……。