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A's(アース) ー惑星(ほし)を見守る者達の詩ー  作者: 藤原有理
とある吟遊詩人の詩
3/3

小さな冒険者(前編)

※文字数事情で前編後編に分けて投稿します。

 惑星A’sの地上には、何本かマナの樹が点在している。その中の一本、マナの老いた大樹上に形成された”世界”があった。この物語の主人公は、樹上の世界に住まう一人の少女である。


 巨大なマナの樹の梢の一角に、小さな小さな神殿があった。マナの小枝を丁寧に組み上げて建てられた木造建築である。小さな小さな神殿とはいえ、あくまで人間サイズを基準としての話である。マナの老木には稀に、小人が住む事があった。人間の親指サイズ程の小さな住民だ。そのようなサイズのマナの樹上の民達にとっては、その神殿は広すぎるほどの建造物でもある。

 この神殿には、神官と巫女達が住み込みで働いていた。神殿内部は、一般の人々が集まる大広間、儀式に使う特別な広間、神官や巫女達のそれぞれの居住スペースと、彼ら共有の施設や談話室などで構成されていた。

 神殿内部の聖職者達に用意された個室のうちの一室にて、ライザは身なりを整えていた。腰まである長いライムグリーンの艶やかな髪を結いあげて、マナの宝珠があしらわれた清楚な髪飾りをつけ、白を基調とし、所々金糸で模様が施された装束を身に纏った。マナの宝珠が一際大きく輝くペンダントも忘れずに装着し、室内用サンダルから純白のブーツにはきかえて、部屋を出た。

 この日は一か月に一回行われる“儀式”の日だった。ライザは足早に、儀式の間に向かう。途中で何人かの巫女に出会い、挨拶を交わしてから同じ目的地に向かった。

 儀式の内容は、樹上の街を覆っている結界を補強・修復する作業である。この樹上の街は結界により閉じた世界となっており、結界内部の住民たちは、結界の内部こそが世界の全てだと考えていた。そしてライザも例外ではなく、両親達や近所の人々からも、そのように教えられて今まで育ってきた。結界の外には虚無の空間が広がっており、神々が支配する世界である、と。未だかつて結界の外に出たものはおらず、出たら最後、エネルギーの源泉に戻って存在ごと消滅してしまうとすら言い伝えられていた。その、世界を守る結界が破れたら、世界が滅びるとも言い伝えられていたのだ。つまりは、結界を補強・修復する事は、彼らにとって世界の存亡を託されていたようなものであった。この重大な儀式を担ってきた巫女達の事は“境界の巫女”と呼ばれ、通常の巫女達と一線を隔てる存在として扱われていた。エリート中のエリートという訳である。


 そんなライザは、極めて普通の一般家庭に生まれた。家族が聖職者の家系という訳でもなく、幼少期は普通に同じ集落内の幼馴染たちと遊んだりして、聖職者とは程遠いごくごく普通の少女として家族と一緒に生活していたのだった。

 ライザが幼いころ、良くつるんでいた幼馴染がいた。名をエミルという少年だ。彼はやんちゃで好奇心が旺盛で明るい、人懐こい性格だった。難点はというと、一度言い出したら人の言う事を聞かない頑固な性格。勝気で活発だが、意外と論理的で冷静沈着なライザとは相性が良かった。エミルの家は、代々「アミーラ」という生き物を飼育する家業を営んできた。

 このアミーラという生き物は、樹上の民達の足として生活に不可欠なものだ。巨大なイモムシのような外見をしているが、顔立ちは非常に愛くるしい。大きくて潤んだビーズのような黒い瞳を持ち、口角が上がってニッコリ微笑んでいるかのようなあひる口も併せ持つ。イモムシよりは長めの3対の脚。そして尾部にアンテナのような上を向いた尻尾があり、その先には球体がついていて歩く際にぴこぴことリズミカルに揺れた。脚の先は吸盤状になっており、樹の枝々、幹などを移動できる為、他の集落や街に移動する際の交通手段として重宝されていた。彼らはマナの葉っぱを主食とする為、新鮮なマナの葉を毎日与える必要があった。そしてアミーラの糞は固形燃料となる為、これは樹上の民の熱源を支える貴重な資源だった。しかしアミーラは、ある蝶の幼体であり、乗り物として彼らを活用できるのは蛹になるまでの間のみだった。なので、アミーラ農家は定期的に蝶の卵を探しにいって確保しなくてはならなかった。

 ある日、ライザの運命を一変させた出来事が起きた。この日は、エミルと共にアミーラのうちの一匹「ラインハルト号」に乗って、新たなアミーラの卵を探しに出かけたのだった。樹の幹に沿って下方に移動中、エミルが幹の洞の中に光る何かを発見したのだ。二人はラインハルト号で洞の中まで入り、謎の物体の正体を確かめる為に近づいた。その時だった。その何かは、一際眩く輝きを放った。

「うわっ!なんだこれ!」

「眩しいっ!急に光ったわね。」

「うーん…目が潰れそう。ちょっと待ってて。」

エミルは眩しさに目を細めながらもやっとの事で手を伸ばして、その光を放った物体を手に取った。エミルの手の中にコロリとおさまったそれは、非常に透明度の高い何かの結晶のようだった。淡いグリーンの結晶は、見る角度によってはパールカラーを帯びた輝きを放った。

「あっ、これ!マナ鉱石じゃない!?じいちゃんから聞いたことあるよ。実物見たのは初めてなんだけどね。」

エミルが半ば興奮気味に言った。

 マナ鉱石とは、マナの樹液と大気中の酸素、窒素、ネオンなどや、大気中の元素がマナに接触したことで発生した未知なる元素等が長い年月を経て、マナの持つエネルギーを媒介に結晶をなしたものである。純度が高いほど魔力を大量に蓄える事ができ、魔道具の媒体としても護身用のアクセサリとしても貴重な、高価な鉱物だ。結晶が大きければ大きいほど高値で売買される。

「へえ、どれどれ、見せて。」

ライザがその結晶に触れた瞬間だった。キーンという高い音を放ちながら、その結晶は周囲がホワイトアウトする程の閃光を放った。周囲の空気は激しく振動し、結晶と共鳴しあった。刹那、ライザの体に電撃のような衝撃が走り、彼女は気絶した。

ライザが目覚めると、ローブを羽織った見知らぬ人の姿があった。それと、彼女を心配そうにのぞき込む両親とエミルの顔。何やら彼らは嬉しいような哀しいような複雑な表情をしていた。

「目覚めましたか。早速で申し訳ないのですが、事情を説明致しましょう。」

見知らぬローブの人がライザに説明を始めた。

 そのローブの人物は樹上の世界を護る為に建てられた神殿から来た、神官長補佐のシドという青年だった。彼によると、ライザがマナ鉱石に触れた瞬間に起きた現象は、マナ鉱石との共鳴現象との事だ。通常の人がマナ鉱石に触れてもそのような現象は起きないが、稀にマナとの非常に高い適合性を持った者に見られる現象だという。

「兎も角、彼女は100年に一人生まれるか生まれないか、という程の逸材なんです。是非神殿に来て頂き、境界の巫女になる為の修行をして頂きたい。」

「その…行っても構いませんが、自宅から通う形なのでしょうか?」

ライザは、てっきり決められた時間だけ修行し、自宅に戻れるものだとばかり思っていた。まだまだ遊び盛りの彼女にとっては、学校から帰宅後に近所の友達と探検に出かけたり、サバイバルごっこやマッドサイエンティストごっこなどをして遊ぶのは貴重な時間だったのである。その期待はあっさりと否定される形に終わる。

「いえ。俗社会から絶ち、清い精神を身につけなくてはいけませんので。教会に住み込み修行をして頂きます。お辛いお気持ちはお察し致します。誠に申し訳ございません。暫くの間はご家族やご友人達と会えなくなります。」

「そう……ですか………。」

「しかし、一切会えない訳ではないのでご安心ください。」

 その後、家族交えて一通りの説明を受けてから、何日かの猶予の後に彼女は神殿に移住する事になった。

 神殿での生活は、不自由する事はなく快適ではあった。義務教育期間中は、年の近い少女達と相部屋で共同生活をしながら神官達の講義を受け、義務教育課程を終えた。それ以降は自室を与えられ、おのおのの専攻内容に分かれて指導教官がついた。ライザの場合は、必須科目の「結界魔術理論・実技」とその他の専門分野「創薬理論・実技」を履修した。創薬とはいっても原材料はマナの葉や果実、樹液くらいしかない。これらを媒体に、様々な魔術を施して加工して薬を作る技術だ。彼女らの作る薬は相談に来た住民に処方箋として出されるか、各地の診療所に無償で配布された。

 ライザが一通りの修行を終え、単位を履修し、一人前の巫女と認められて以降は訪れた家族や友人達に会う事も許されるようになった。両親は相変わらずで、エミルや他の友人達も相変わらずだった。エミルは仕事がてら各地を冒険し、よく他の集落の話をしてくれたものだった。


 ライザは儀式を行う部屋に入り、定位置についた。既に到着していた他の巫女や神官達はとっくに儀式に備えて瞑想を行っていた。部屋の中には巨大な円が描かれ、それに内接した六芒星が描かれている。ライザの担当は、六芒星を形成している6つの正三角形のうちの一つだった。その中央に立つ。六芒星を形成している中央の正六角形に内接する円があり、更にそれに内接する正三角形がある。正三角形の各頂点の各々に神官が一人ずつ立ち、その中央、つまり正三角形の重心の位置に最も魔力の高い神官が立つ。計10名の構成だ。そして図形の頂点などの要所要所に魔術の媒体となる大きなマナ結晶が設置されている。

 全員が揃うと、暫しの間の精神統一の後に儀式が始まった。“世界”の存亡がかかった大事な儀式だ。精神の僅かな乱れも許されない世界なのだった。張り詰めた空間に、全ての気配が無になる瞬間が訪れた。この一瞬を逃してはいけない。中央部の神官は詠唱を開始した。彼に合わせて、それぞれが自分たちの担当を詠唱し始めた。彼らの持つ魔道具を中心に、淡い光の靄が立ち上がる。そしてそれらは混じり合い、安らかな音を放ちながら共鳴を始めた。光の靄は神々しいまでの眩い金色の光を放ち、魔方陣を構築する円形から巨大な光の柱となって教会の天井を突き抜けた。そしてそれは噴水のように、無数の光の粒子となってマナの大樹の上空から広がるように降り注いで結界に触れた。刹那、結界全体がそれらと共鳴してブヨンと大きく振動しオーロラのようなスペクトルを放って発光した。

 これにて儀式は完了である。結界の発光は徐々に弱まり、もとの無色透明なものに戻っていった。神官長が皆にねぎらいの言葉をかけた後、儀式のメンバーは解散した。

 儀式の間を出て、ライザが自室に向かって歩いていると、待っていたかのように巫女の一人が小走りに駆け寄ってきて彼女を引き取めた。

「ライザさん、お友達が遊びにきているわよ。いつもの自称“冒険家”の彼ね。待ち合わせ場所は…また変な暗号書いたメモを渡されたわ。いつ会っても面白い子ね。」

そう言うと、彼女はライザに紙切れを手渡した。ライザは、お礼を言いつつ紙切れを受けとると、肩を竦めてため息をついた。

「有難う、メリルさん。今回はすぐ解読できるものならいいのだけど…。」

「頑張って!きっと大丈夫よ!この間みたいにどうしても解けなかったら、皆で知恵を振り絞って考えましょう。私も協力するから、その時は声をかけてね!」

「極力、一人で頑張ってみるわ。本当にギブアップだったら、その時は宜しくね。」

「うんうん!グッドラック!」

 メリルと呼ばれた巫女は手を振ると去っていった。一人残されたライザは乱雑に折りたたまれた紙切れを慎重に開いてみた。前回の暗号は、多重に色々な解読をしなくてはならず、あまりに複雑すぎて巫女達で知恵を絞っても解けず、まさかの神官長まで参戦してくる事になった。やっとのことで解読ができたものの、面会可能な時間を過ぎてしまって、エミルはとっくに帰ってしまった後だった。流石に今回はそんな難解なものではなかろうと期待したかった。

 紙にはこう書かれていた。

「26日ならOK?

11 21 20 25 21 11 1 9 18 15 21 14 9 20 5

 13 1 20 19 21」

26日…。何かヒントになりそうなワードだな、とライザは直感で思った。この数字の羅列もよく見ると共通して使われているものが幾つかある。恐らく数値の並びが文字の何かに対応しているのだろう。問題はこれらの数値一つ一つが何に対応しているのか、である。そのためにヒントとなるのが、26。26といえば………。

「あっ!そっか!アルファベットだわ!26文字しかないもの!そうすると、AからZまでが、1から26にそれぞれ対応している筈。」

ライザは自室に戻ると紙にペンでアルファベットを書いていった。

“K U T Y U K A I R O U N I T E M A T S U”

「く…ちゅ…かいろう?空中回廊!」

空中回廊にて待つ、という事のようだ。今回は容易に解けてよかった、と胸を撫でおろした。儀式用の装束から、通常の制服に着替えると、早速“空中回廊”と呼ばれている見晴らしの良い場所に向かった。この空中回廊という場所は教会の敷地内でもあるが観光名所として有名で、世界で最も絶景と呼ばれている場所でもある。マナの枝と枝を結ぶ長いつり橋である。転落防止と建造物の強度を強める目的を兼ねて、マナの樹液を特殊な技術で加工して作った無色透明な素材でアーチ状に覆ってある。壁と天井が無色透明だからこそ、下に広がる風景のみならず遠景も見渡せる絶景スポットという訳だ。

 ライザが待ち合わせ場所に着くと、エミルは回廊の中央部分より外の景色を眺めて物思いに耽りながらぼうっとしていた。あまりにも考え事に集中している様子なので、彼女は声をかけるのを躊躇ったが、足音に気づいてエミルのほうが振り返ってこちらを向いた。

「やあ、久しぶり。暗号、今回は解けたみたいだね。」

「やあ、じゃあないわよ。全く、なんで毎回毎回暗号よこすのよ。こっちは解読が大変なんだからね!」

ライザが口を尖らす。

「だと思って、今回は難易度下げたじゃん。暗号解読は冒険者の必須項目なんだからさ、マスターしてもらわなくちゃ困るよ。はっは。」

「いや、そもそも私は冒険者じゃないし!なるつもりもないっ!」

 二人は何時ものように冗談を言い合っていたが、不意にエミルが真面目な表情になって話題を切り替えた。

「あのさ、マジな話してもいい?」

「な、何…突然。」

「こういう仕事してるお前に言うのも不謹慎だと思う。凄く分かってる。でもさ、どうしても気になってる事があるんだ。」

「気になってる…事………?」

「うん。世界の事。ぶっちゃけ、俺は世界の境界の外に別の世界が広がっていると考えているんだ。」

「えっと………………。」

ライザは言葉に詰まった。そして暫しの沈黙の時間が過ぎる。気まずい空気を断ち切って、エミルが話を続けた。

「根拠がないって言いたいんだろう。実は、それらしき現象を何度か目にしているからこそ言っているんだ。」

「それらしき現象……?境界の外の何かが見えたとでも言いたげだけど、大気の屈折率が揺らいで境界の内側にマナの枝が映りこんだだけじゃあないの?」

怪訝そうに問い返すライザに対し、エミルは首を横に振って返した。

「俺も最初はそう思ったんだ。でも、やっぱり違うと思うんだ。境界を補修する儀式やるだろ?その直後に一瞬だけ境界周辺の時空が歪んで、本当に一瞬だけここで見たことのない何か謎の模様が見えるんだ。本当に一瞬で何が見えているのかは分からないけど、マナの枝や葉っぱ以外の何かだと思う。少なくとも俺のシックスセンスはそう言っている。」

「うーん、冒険やら探検への強い憧れから、思い込みで何か目の錯覚を起こしているだけじゃあないかと思うんだけど…。」

「ま、そう言うと思ったし。すまん、忘れてくれ。」

そう言うと、エミルはライザに対して背を向けた。

「ご、ごめん…。でもさ、世界を否定するのが立場的にNGだから言ってるんじゃないからね。やっぱし……見間違いじゃあないのかなって気がして。よく疲れていると目の錯覚で本当はないものを見えたように感じる事もあるじゃない。それと、思い込みって結構色々と感覚に影響するんだよ。幻覚とか幻聴の類も強い思い込みやら肉体的・精神的な不安定状態から来ることもあるわけだし…。」

慌ててフォローするライザに、再びエミルは向き直った。

「まあ、そうだよな。だからこそ、冒険に出る意義があるんだよ。この目で真実を見極めてくるんだ。」

「へっ………!?ちょっと…、いま……何て……………。」

「うん、だから今から冒険に出るって。それを伝えたくて今日、ここに立ち寄ったんだ。君が元気そうで良かったよ。」

「いやいや、だから、あの……ちょっと……!?」

「そんな訳だ。ちょっくら長い旅に出るから当分会えない。運が良ければ土産くらいは持って帰るぞ!じゃあな!」

ライザは突然の、ぶっ飛びすぎたカミングアウトに頭を抱えた。一方で、そんな彼女にお構いなく背をくるりと向けて、振り返ることもなく肩越しに手だけ振って大股に歩いて去っていくエミル。慌ててライザは後を追って駆け寄った。

「ちょっと!バカな事やめてよねッ!!!本当に境界の外が何もなくて生き物が生きられない場所だったらどうするのよ!あなた死んじゃうのよ!?!?」

「その時はその時さ。どっちみち世界の中に閉じこもっていたって、いずれは病気で死ぬかもしれないし、老衰で死ぬかもしれない。生き物は、必ず死ぬ定めなんだから。なんなら後悔しない生き様を、俺は選ぶさ。万一、世界の外の世界があったらどうする?真実を知らないまま、知ろうとしないままダラダラと日常を過ごすのなら、俺は冒険を選ぶ。それだけだ。」

 どうやらエミルは本気のようだ。しかし、一住民としても、神殿の者としても、友人としても、何が何でも彼を止めなくてはいけない。彼の命にかかっていることなのだ。きっと、彼の両親だって散々止めたに違いない。否。止められるからこそ両親に言わず勝手に出てきた可能性も十分に有り得る。ライザはエミルの袖を強く引っ張った。

「バカ!あんた死にたいの!?行っちゃダメ!!!ダメったらダメ!!!」

「ええい、止めてくれるな!俺は行くといったら行く!何が何でも行く!!!」

「あんた馬鹿!?!?ダメだといったらダメに決まってるでしょ!ダメ!絶対ダメ!!!」

「行くったら行く!俺は旅に出るんだァァァ!!!」

「この馬鹿!分からず屋!!!」

「なにぃ!この馬鹿石頭!!!」

 ちょっとした口論のつもりが双方ヒートアップし、取っ組み合いの喧嘩になりはじめた。童心に戻ったように、エミルが上になったりライザが上になったり、橋の上をごろごろ転げまわってひっかき合ったり頭を叩き合ったり。転がりながら、ライザはつり橋を覆っている透明な壁にぶつかった。

刹那。ライザの視界がぐるりと180度反転した。何かに振り落とされた感覚がして、気づいたときには彼女は落ちる筈のない橋から、突き抜ける事のないはずの透明な壁からスッポリすり抜けて落下していた。上空にはマナの葉の梢がどんどん遠ざかって見え、橋の上から呆気にとられて下を見ているエミルの顔がどんどん遠くなっていった。彼女の今まで過ごしてきた、ありとあらゆる見慣れた風景が、どんどんと小さく見えて上方に遠ざかっていく。まるで小人の世界をしたから見上げているかのように、あんなに大きかったマナの世界が小さくなっていく。だんだんと、彼女の意識も遠のいていき、不意に意識を失った。


 ここは、どこだろう。右も左も上も下も分からない。自分の体が地に沈みゆくのかも、浮上していくのかも分からない。ただ、自分が“どこか”に存在している、という事だけが分かる。朦朧とする意識の中で、何者かが語り掛けてくる。直接、意識の中に。


《 小さき聖女ライザよ、よく聞きなさい。貴女は今、どこでもない場所にいます。“世界”の秩序から外れた、時間という概念も座標という概念もない場所です。世界中の因果関係と一切関連しないような場所ともいえます。実は“世界”は今、あらゆる力の均衡が乱れた事により滅亡の危機に瀕しています。貴女が、本来貫通することもない物質からすり抜けてしまったのも、境界の外に放り出されてしまった事も、世界を構成する時空の綻びによるものです。物質どうしの相互作用が突如何らかの原因で失われたのでしょう。しかし、貴女がここに存在しているという事には何らかの意味があるのかもしれませんね。 》

ライザは意識に直接語り掛ける声に対して問い返した。

「本来なら、私はこの場所に放り投げられた時点で存在や意識もろとも消えていたという事ですか?」

《 そういう事になります。正義も悪も感情もない、純粋な再生可能エネルギー「リソース」に還元され、世界を構築する為の資源に戻るだけの筈でした。本来なら。 》

「ええと、あなたは一体………」

《 スターゲイザーとでも申しておきましょう。そのほうが、聞こえがいい。ゲイズ オンリー メンバー、略してGOMよりは。 》

「GOM ごむ? ……うん、確かに。じゃあ、スターゲイザーさん、うーん、長ったらしいわね。略してよいかしら。スタゲ?」

《 ちょ………!スタゲはちょっと……。某コーヒー屋さんみたいで嫌です!ゴムでいいですよ、ゴムで。 》

「わかったわ、ゴムさん。スタゲより短くて、響きもいいと私は思う。」

《 話が逸れましたが。貴女がこの場所で形や意識をとどめている事は想定の範囲外、つまりは奇跡なのです。貴女の存在そのものが、何やら特殊なのかもしれません。そこで貴女に頼みがあります。 》

「世界の綻びの原因を調査しろ、とか、あわよくば世界の滅亡を阻止してくれとか、そんな類じゃあないでしょうね…。」

《 先に言われてしまったら、返す言葉がありませんね…。流石に“原因を調査しろ”と大雑把に言われても、どこから手をつけてよいのか困ると思います。なので、少しだけ説明をさせて頂きましょう。貴女は「樹上の民」として、マナの樹そのものが一つの世界だと信じて生きてきましたよね。その外には何も存在しないと教わって今まで生きてきた事でしょう。 》

「ええ…。」

ライザは俯きつつ口籠った。頭の中に、どうしてもエミルが訴えていた「外の世界がある」という仮説が引っかかって仕方がなかったのだ。

《 貴女のご友人の仮説通り、実は外側に世界が広がっています。貴女方の住んでいたマナの樹が根差した大地が広がる世界です。この広大な世界を構築しているのが火、土、風、水の4つの要素なのです。貴女方、樹上の民が魔術理論基礎で学んだ通りだと思いますよ。 》

ライザは息を呑んだ。世界の外側に世界はあったのだ!エミルに伝えてあげたかったが、今となってはその術もない。そして自分の置かれている立場も、更にそれを困難な事としていた。この謎の空間からいかにして抜け出せるのかすら見いだせないままでいるのだから。“ゴム”と呼んでいる謎の存在は、更に話を続けた。

《 現在、分かっている事は、世界を構築している4つの要素の均衡が崩れている事です。代表格となる大精霊達がこれらの要素をそれぞれ制御しているのですが…。 》

「何らかの理由や原因があって、4要素の制御がうまくいっていない訳ですね?つまりはそれが世界に影響を及ぼしている。それで私のいた“世界”にも時空の歪がでた、と。」

《 飲み込みが早くて助かります。貴女にはこの4大精霊達に会ってもらい、現状を調査してきて頂きたいのです。先に述べた通り、私は単なる観測者でしかありません。現段階で、彼らに干渉する事は敢えてできませんので。 》

「しかし、どうやって…?」

《 貴女に私の加護を与えます。今から貴女のマナの宝珠のペンダントに、彼らの住まう世界へ通じる扉の位置をインプットします。水、風、土、火の属性順に各属性の大精霊達に会ってもらう事になりますが、貴女のペンダントが行き先を示してくれることになるでしょう。そして、一周して以降であれば、彼らとのリンク付けがなされています。なので、もう一度彼らのうちの誰かに会う必要性が生じた場合、誰それの場所とイメージしながら貴女のペンダントを掲げて強く念じてください。それだけで彼らの元に飛ぶことができます。但し、相応の魔力消費が伴いますので、そこだけ注意してくださいね。 》

 ゴムからのメッセージが終わるや否や、ライザの身に着けていたマナ宝珠が眩く虹色に光り始めた。あまりの眩さに、ライザは反射的に目を細めた。

「わっ!?」

《 この場所を出たら、貴女には私の声が二度と届かない場所に行くでしょう。今の私が貴女にしてあげられる事はこれだけしかありませんが…どうか、ご武運を!いつまでも見守っていますからね! 》

「ゴムさんッ………!?」

 ライザの意識が徐々に薄れていく。全ての五感が失われてゆき、遠のく意識の中で、一瞬だけ彼女はどこまでも広がっていくような、暖かく、心地よく、慈愛に満ちた何かに包まれた気がした。


 気づくと、ライザは”ジャングル”の中に居た。己の身長の何倍もあるような単子葉類の萌黄色の尖った剣のような葉が、足元から何本も何本も天に向かって聳え立っていた。ジャングル、否。単なる草の生い茂った場所である。しかし通常の人間の親指程度の身長しかない彼女にとっては、もはやジャングルに等しかった。ふと、胸元のペンダントが淡くパールグリーンに発光し、だんだんとその光は細い光線に絞られてゆき、ある方向を指し示した。

「こっちに行け、というのね。」

足元の悪い中を躓きそうになりながら、光の指し示す方角に向かって、葉っぱをかき分けながら懸命に進んだ。

「これは、かなり大変な旅になりそうね…。」

苦笑しつつ、なんとか一歩一歩を踏み出す。そのうちに少しずつ、草丈が低くなっているのに気づいた。いや、草が折れ曲がってしなっているようだ。何か重みのあるものが踏み倒していった形跡だ。

「丁度良かったわ。これで歩きやすく………」

ライザが、踏まれて低くなった草の上によじ登った時だった。少し離れた先、草が踏まれて低くなっている方角より、か弱い生き物の鳴き声が聞こえたのだった。微かに、ひい、ひい、と息を漏らすようにやっとのことで声を振り絞って鳴いているように思えた。どうやら、この足跡を付けた主のようだ。

ライザは、踏まれた草の先に茶色っぽいふわふわした塊が微かに揺れ動いているのを見た。恐る恐る、そちらの方向に近づいていく。近づくにつれて、その輪郭がくっきりし、詳細が見え始めてくる。ふわふわして見えたのは羽毛のようだった。

「鳥………?」

 ライザは「鳥」という生き物を実際に目にしたのは初めてだった。学校の授業では「進化論」を学んだが、鳥類という生き物は淘汰されて殆ど絶滅したと教わっていた。昆虫類も進化論において登場したが、そのうち生き残ったのは唯一アミーラ種だけ、と教えられてきた。教科書には鳥類の説明が図入りで書いてあったものの、殆ど空想上の生き物に近い扱いだったのだ。その、”鳥”らしき生き物が、瀕死の状態で呼吸を荒くしているのが近づくにつれて分かった。

 彼女が、その鳥に触れられるほどの距離まで近づいたとき。胸元のペンダントが一際明るく輝きを放った。その光に反応したのか、ライザが近づいた事に反応したのかは分からないが、その鳥は力を振り絞って首を擡げ、一際大きなはっきりした声で「ぴい!」と鳴いた。あたかも「私はここにいます!」とでも主張するかのように。

 刹那、ライザと鳥の目があった。白鳥ほどの大きさの鳥だが、少なくともライザにとってはとてつもなく巨大な鳥だった。その鳥の黒目勝ちで潤んだ瞳がじっと、ライザの金色の瞳を覗き込む。何かを訴えているかのようだった。

「この子、ひょっとしてお腹がすいているのかしら…。」

ライザは、上着の内ポケットの中に非常時用の万能エナジーキャンディーがあるのを思い出した。腰につけた巾着袋の中にも、皮肉にもエミルに土産として手渡す筈だった、自作の非常食やらポーション等を入れていたのだった。この巨大な鳥の胃袋を満たしてくれるかどうかは分からなかったが、全くなにもないよりはマシに違いない。

彼女は、内ポケットのキャンディーを取り出した。マナの実の果汁を数日間にわたって煮込んで、数十分おきに何度か術を施して成分を凝縮させたり雑味を取り除いたりの処理を行い、手間暇かけて作った特製薬用キャンディーだ。カロリー摂取だけではなく、体の治癒能力も高めて傷の治りも早める。また、病気にも効く優れものだ。人間からみたら米粒大にも満たないそのキャンディーを、巨鳥の嘴の近くに差し出す。すると鳥は嘴を小さく開けた。あたかも、隙間からそれを入れてくれと言わんばかりに。ライザは嘴の隙間に、小さな小さなキャンディーをそっと入れた。

その瞬間。みるみるうちに瀕死の鳥に生気と活気が戻り、それはすっくと立ちあがった。そして全身の羽毛を逆立てて体をブルブルッと震わせてから、「ピィッ!!!」と元気よく甲高い声で鳴いた。そして首を下にゆっくり下げてライザのほうに近づけると、目を細めて「キュルルル、キュルルル」と小さく声を震わせた。お礼を言いたげだった。

「よかったわ、手持ちの飴で具合が良くなって。」

「ピイ、ピイッ!」

巨鳥は、嬉しそうに甲高い声で鳴いた。

この巨鳥はまだ幼いのか、ふわふわした羽毛が残ってはいたが、脚は太くしっかりしており、長距離の走行に向きそうな感じである。頭部は烏骨鶏のようにふわふわした羽毛で覆われており、燃え立つような赤色から首にかけてオレンジ、黄色とグラデーションカラーをなしていた。体を覆う羽毛は全体的にレモンイエローで、翼の先はパールがかった紫色をしている。ちょこんと上に立った尻尾はラメがかかったような、輝く深い緑色をしていた。

ライザは、この外見に心当たりがある気がした。とはいえ、それの実物を見たことは未だかつてない。そもそも「鳥」という生き物を実際に目の当たりにしたのですら、今回が初めてな訳だから。しかし、神殿での講義で一度だけ聞いたことがあった。聖なる鳥「ガルーダ」について。ガルーダは世界の外を往来し、世界を浄化する鳥という事。主食はマナの実で、年に一度だけマナの樹周辺に現れ、マナの実を食べにくるという事。知能と知性が高く、テレパシーを通じて大概の生き物と会話が可能という事、など。まだ幼いとはいえ、羽毛の配色に共通する部分が多くあった。だが、仮にこの鳥がガルーダのひな鳥だとすると、事態は思った以上に深刻なのだろう。聖なる鳥の雛が、地上に堕ちた上で完全に干上がって、死にかけていたのだから。

巨鳥は、ライザのマナ宝珠のペンダントから一筋の光がレーザーのように指示した先を目で追うと、小首を傾げてライザの方を見た。

「これ、ね?私はこの光の示す先に進まなくてはいけないの。恐らくあなたが墜落した原因を解明できるヒントがあるかもしれないし、それを解決できるかもしれないのよ。」

「ピィッ?ピィピィピィ!ピイッ!」

ライザが話しかけると、鳥は言葉の意味が通じたのか、通じてないのかは分からないが、何やら返事をすると、首をくるりと回転させて自分の背中を示し、何回か頷くそぶりをした。

「一緒についてくるとでも言っているのかしら…?」

「キュピッ クルルルルル キュピッ ピッ ピッ」

鳥は首を横に振ると、縦に大きく頷いた。何か、もどかしげにしている様子だ。首を低く下げてライザの前に突き出す。

「えーと………。」

「クルルルルル キュピッ ピッ!」

良く解らないが、どうやら背中に乗るようにと言っているのだろうか。ライザが腕を組んで悩んでいると、鳥は彼女の服の裾をつまんで咥え、自分の背中に載せて嘴を離した。

「わっ!?」

「ピピピッ ピッ ピピピ」

巨鳥は、あたかも「落ちないようにしっかりつかまっていて」とでも言いたげに、ライザのほうを振り向いて鳴いた。

「ひょっとして、連れて行ってくれるの?」

「ピイッ!」

「有難う。では、宜しくね。」

「ピイッ!」

一際大きく甲高く鳴くと、ガルーダのひな鳥は光の筋の指す方向めがけてトコトコと歩き出した。

 ライザの目の前には未だかつて見たこともない壮大な風景が広がっていた。生まれてから今までずっと、樹の上の世界が全てだった。見える風景は木の枝や巨大な葉をわさわさと茂らせた梢のみ。そして、その合間に点々と存在する集落くらいだ。今彼女の目の前に広がっているのは、見たこともない植物、そしてそれらを一望する事の出来るのに十分な高度からの風景だった。さきほどまでジャングルのように見えていた草原を上から見渡すと、まるで若草色の大海原を渡っているかのようだった。とはいえ、ライザは海というものすら未だかつて見たことも聞いたことも無かったわけだが。

 ガルーダの雛はどんどんと歩調を速めて行った。あたかも助走をつけるかのように、小走りする状態から徐々に頭の位置を低く下げながら、突進するかのように走り始めた。時折、ばさばさと小さな未熟な翼を羽ばたかせてジャンプし、暫しの間のみ宙に浮いて低い位置で滑空した。不思議な事に、背中に乗ったライザには振動のみが時折伝わるくらいで、身を切るような風圧は一切感じずに済んだ。鳥の背中は安全な空気のバリアで守られているかのようにライザが背中から転げ落ちる事もなく、バランスを崩す事もなかった。樹上に住んでいた時の、透明壁のようなものが張られているのかもしれない、と彼女は思った。

「凄い…!こんな体験初めて!」

ライザは感動のあまり身を乗り出して周囲の風景を見渡した。

ただ、周囲の景色が流れるように、鳥の動きに合わせて色の軌跡のみ描いて過ぎ去っていった。不意に、エミルの顔が脳裏を過った。考えてみれば、本当に旅に出たかったのは彼なのだ。本来ならエミルがすべきだった体験を、アクシデントだったとはいえ自分がしてしまっている。もしエミルがこの場に居合わせたらどんなに喜んだだろうかと考えると、申し訳ないような複雑な気分になった。きっと、自分が元の世界に戻った時に土産話でもしたら、地団太を踏んで悔しがるに違いない。

 暫く進むと、前方に何やら黒っぽい靄のようなものが見えてきた。巨鳥はスピードを徐々に緩めると、靄のようなものまでゆっくりと用心深く近づいた。靄のようなものは、何やら時空が歪んでいるようにも見えたが、禍々しい邪気を放っているのが分かった。鳥は小首を傾げて立ち止まって、背中の方に首をくるりと回してライザの方を見た。

「どうしたの…?あれ、何かしらね。」

「クルルルル。クルルルルル。」

鳥は警戒するかのような低い唸り声を出して前方に向き直った。そして、大きく息を吸い込むと………。


「ピキュ――――――――ッ!!!!!」


腹の底から、全身全霊をかけるような甲高い鳴き声で前方の靄に向かって叫んだ。むしろ叫んだというよりは、音波を放って靄のような空気にぶちかました感じがした。刹那、前方の淀んだ空間がボワンと大きく振動し、つぎの瞬間には霧散した。

 あたりには静寂が戻る。先ほどの淀んだ邪悪な靄は跡形もなく消えている。

「す…凄いわね、あなた………。」

ライザは感嘆の息を呑んだ。巨鳥はどや顔で首をくいっと上げて「ピイッ!」と鳴いた。

「それにしても、さっきのは一体……。あれが、件の“時空の歪”というものだったのかしら……。」

「ピイッ」

ライザの言葉が通じているのだろうか、巨鳥は彼女の言葉を肯定するかのように大きく頷いて相槌を打った。

「そういえば、あなた、名前はあるの?」

ライザが鳥に名を問うと、小首を傾げて「ピィピィッ」と鳴いた。

「まあ、仮にあなたの親御さんが名前を付けてくれていたとしても、人の発する言葉に該当するものがないものね。」

そう言うとライザは苦笑した。その瞬間、さりげなく鳥と目が合った。それは黒目がちな瞳でじっとライザの瞳を見つめ返した。気のせいかもしれないが、「名前、勝手につけちゃっていいよ。」と言われた気がした。ハッとして、ライザは鳥の目を見つめ返した。

「ピピ、はどうかしら。安易でごめんね、私、ネーミングセンスないの。」

「ピイ!ピピッ!ピィィィ!」

鳥は、目をキラキラさせると嬉しそうに頷いた。それでよいと言っているかのようだった。

 ライザとピピは再び、光の指す方向に向かって草原を進み始めた。風に乗って、ふんわりと良い香りが時折漂ってきた。ピピは香りに激しく反応した。丁度、光が指す方向とほぼ同じだったので、彼らはそちらに向かう事にした。

 近づくにつれて、その香りの正体が明らかになってくる。とても懐かしい香りだ。そう、ライザが樹から転落して以来、久しく嗅いでいない、あの香り。遠方に小さくではあるが、シルエットが見えてきた。マナの樹だ。ピピの足取りが徐々に速くなっていく。

「ピーィピーィ♪」

「ちょっと、ピピ、はしゃぎ過ぎ。」

ピピの背中に張られた透明バリアのお蔭で、ピピがどんなに大はしゃぎしてもライザが振り落とされる事はないとはいえ、ピピが飛び跳ねて上下する振動は、ふわふわの羽毛越しに伝わってきた。

 彼らがマナの樹に到着すると、樹の周辺に新鮮なマナの実が幾つか落ちているのが分かった。ピピは大喜びで果実にかぶり付いた。一方でライザは、落ちているマナの実を使ってピピ用の非常食を大量生産する事にした。長い旅になりそうである。

 ライザはピピの背中から降りると、熟したマナの実を一つ選んでその果実と向かい合う様に佇んだ。そして感謝の祈りを捧げた。その後、何やら唱えながら懐から取り出した短刀を果実に突きつける。刹那、ライザよりも大きな果実がスパッと二つに割けた。中から新鮮な果汁がとろりとあふれ出てきた。

 彼女は手際よく果実を捌きながら謎の魔術を用いて果肉ごと加工し、ドライフルーツのようなものに仕上げていった。そして草の葉をよじって縄をつくると件の加工食品を纏めて縛り上げた。腹が満たされて退屈していたピピは、ライザの作業を興味深そうにのぞき込んでいた。

「これはあなたの分の非常食だからね。魔力で成分を凝縮して乾燥させたものだから、通常のマナの実よりも栄養価が高く、日持ちもするのよ。」

「ピーィ?」

ピピは長い首をぐいっと伸ばしてドライフルーツの端っこをつついた。味見してもいいかと言っているかのようだった。ライザはそれを制して首を横に振った。

「だーめ。次にいつ別のマナの樹にたどり着くか分からないんだから。貴方がまたお腹を空かせた時にあげるから、今は我慢してね。」

ピピは残念そうに首を引っ込めた。

 創薬などの一通りの作業を終えると、ライザはペンダントの示す方向を見た。ペンダントから放たれた光は真っすぐにマナの樹の梢の更に上空に向かって伸びていた。

「これって、上に飛べっていう事かしら…。どう思う?ピピ。」

「キュピ?」

ライザは首を傾げると、ピピと互いに目を見合わせた。ピピの黒く潤んだ瞳は何かを言わんとしているようでもあった。ピピは長い首を背中に回す仕草をして、ライザに背中に乗るようにと合図を送った。

「よくわからないけど、乗れっていうことかしら。」

「キュピッ!」

 ライザはピピの首を伝って背中によじ登った。ピピはライザが作った非常食を忘れずに嘴で器用につまんで背中に乗せた。ピピは、ライザが背中に乗った事を確認すると、ライザのネックレスの示す光の筋を見上げるようにして首を伸ばした。ピピは幼い翼を懸命に羽ばたかせながら光の筋に向けて助走をしていく。不意にピピの全身を眩い純白の光が覆い、ふわりと宙に浮かせた。彼らは吸い寄せられるように光の筋に沿って上昇し………一瞬視界がホワイトアウトした。

 方向も上下感覚も一切分からない。ただ、ただ、白い光の中を、ピピとライザは彷徨うように流れて行った。どこからか、ライザの意識に何者かが語り掛けてきた。

《 私の聖域に干渉するとは、一体君らは何者なのだね。 》

ライザは臆する事もなくその声にテレパシーで応えた。

《 私は、マナの樹の民の一人であり、境界の巫女のライザです。この子はピピ。ガルーダの雛です。失礼ですが、貴方は水の大精霊様でしょうか。 》

声の主は少々驚いたかのような素振りを示しながら、ライザの問いに応えた。

《 おや、いかにも私がそうだが…。私の正体を当てたという事は、そもそも私の元を訪れる予定があったようだね。 》

《 はい。世界の均衡が崩れている原因を調査する為に、貴方の元を最初に訪れるよう…ある方から指示を受けました。 》

《 ふむ…。訳ありのようだね。いいだろう。少々待ってくれないかな。ゲートを開くからね。 》

 暫くすると、ライザの視界が徐々に晴れてきた。白く乱反射している光の粒子の霧が晴れあがると共に、あらゆる色彩感覚が戻り、周囲の景色もくっきりと見えてくる。

ピピの背中越しに見渡した風景は、息を呑むほど実に神秘的なものだった。どこまでも澄んでいて波一つない水平な、深みのあるターコイズブルーの湖面が広がっており、所々に小島が浮かんでいた。遠くに見える水平線まで、ラベンダーブルーがかった空が広がっている。そこには所々にクリスタルをちりばめたかのような、結晶を秘めた虹色に輝く雲が浮かんでおり、ゆっくりと形を変えながらゆるやかに漂っていた。

ライザ達は、湖面上に浮かぶ小島のうちの一つに居る事が分かった。地面には、黄緑がかった不思議な色にぼんやりと発光する背の低い草が密に生い茂っている。

《 いらっしゃい、小さなお客様がた。 》

空間全体から響き渡るように声が聞こえて来るのと同時に、天空を漂っていた雲が凝縮し、徐々に細長い形をとると、そこに青光りする巨大な竜の姿が現れた。金色の輝く瞳でライザ達の姿をじっと見据えている。あまりの威圧的かつ神々しい姿に、ライザは息を呑んだ。

《 私はこの聖域の管理を任されている青龍という者だ。以後、お見知りおきを。 》

「よろしくお願い致します。」

「ピイッ!」

ライザは深々と頭を下げた。ピピも元気よく首をこくんと上下に振った。

《 では、早速本題に入ろうか。お茶も出せずに申し訳ないのだけどね。急ぎなのだろう?そして私自身も、この状況が長引く事を非常に懸念しているんだ。 》

 考えている事を見透かされているようで、ライザは驚きのあまり、何度か瞬きをした。間髪を置かず、ライザの反応を見て愉しそうな口調で、青龍は続けた。

《 何で分かったのか、って顔してるけどね。マナの樹の上で生涯を過ごす筈の住民が樹の外からこちらに干渉した事、そして地上に降りてくる事のないはずのガルーダが同じく地上に居た事、しかも雛鳥じゃあないか。余程の事がない限りそんな例外は起こりえない。そしてその“余程の事”というのは…君らが調査を依頼された件が絡んでいる事に他ならない。 》

言いたいことを一通り先に喋ってしまってから、青龍は一息置いた。そして同意を求めるかのようにライザの顔を覗き込む。ライザは大きく縦に頷いた。

「その通りです。実は境界を補強した直後にトラブルで橋から転落した際に、そのまま境界を突き抜けてマナの樹の世界から放り出されてしまったのです。外の世界において均衡が崩れている事が原因で時空に歪が生じてしまったのが原因ではないかと考えているのですが、その均衡の崩れの原因を調べる為に貴方に会いに来たのです。このままでは世界そのものの崩壊に繋がりかねない、とある方は仰っていました。」

《 ある方、か。君は所謂、選ばれし者…ある種の救世主的な立ち位置にいる訳だね。 》

「救世主だなんて、私はそんなッ…!」

ライザは顔を真っ赤にして首を左右にブンブンと振った。自分のようなちっぽけな存在が救世主だなんて滅相もない、と恥ずかしくなってしまった訳である。しかもつい先ほどまではマナの樹の外に世界など存在しないと頑なに信じてきた程だ。それが、まさか世界の外に放り出されて冒険をしているなど、未だに信じられないくらいなのだから。

《 まあ、そう自分を卑下しなくてもいいと思うんだけどね。資質は十分にあると思うよ。君自身、マナの樹の恩恵を凝縮したかのような高密度の研ぎ澄まされた魔力を秘めているように見えるけどね。それと、君の魂の純朴なのに高潔で、しかし気取らず、誠意に溢れた感じがとても気に入ったよ。 》

そう言うと、青龍は目を細め、笑っているかのような素振りをした。

「えっと…あの……有難うございます……。頑張ります。」

ライザは照れ臭そうに頭を掻くと、俯いた。

青龍は姿勢を正すと再びライザに向き直った。

《 ごめんごめん、話を続けようか。ちょっと見て欲しいんだけどね。 》

そう言うと、青龍はライザ達の目の前の空間にイメージを映し出した球体を出現させた。そこには、湖面の一部が濁り、そこから瘴気が発生している様子が映し出されたていた。

「これ…は……。」

ライザは息を呑んだ。

《 うん。いま私の聖域内で起きている困った現象だよ。水が何らかの原因で汚染されてしまうんだ。浄化してまわるんだけどね、すぐ他の場所で瘴気が発生してくる。もう、この浄化作業で手一杯で困っているんだ。私がこの世界の水全てを司る存在というのは「ある方」から既に聞いたと思うんだけどね。つまり、この聖域内の水が汚染されるとさ、世界の水にも悪い影響が出かねない。 》

ライザは顎に手を当てると呻った。

「汚染の原因は不明なのですね…。畏まりました。原因を調査してまいります。」

《 有難う。助かるよ。私は聖域を離れる訳にいかないからね。 》

青龍は目を細めて頷いた。そして思い出したように付け加えた。

《 おっと、君にいいものを渡しておくよ。穢れた水に対して、これをかざすだけで浄化できるからね。下界を旅する間に気になる場所があったら浄化しておいて欲しいんだ。宜しく頼むよ。 》

宙空より何やら輝く小さなリングのようなものが現れた。それはゆっくりとライザのほうに移動していく。ライザは咄嗟に手を伸ばしてそれを受け止めた。すると、それはライザの左手の薬指にすっぽりと嵌った。

「わわっ!」

《 うん、それね、君のマナに反応して吸着してるから勝手に抜け落ちたりしないよ。それに人に見えるものでもない。ここでは見えているけどね。だからうっかり無くすこともないし、悪い人に盗まれることも無いよ。それから……。 》

言いかけると、青龍は金色の目を見開いた。刹那、無数の光輝くクリスタルのような粒子がどこからともなく現れてピピの体に降り注いだ。それらはピピの羽毛に触れると溶けるように羽毛に吸い込まれて消えた。

「ピッ!?ピィっ!?」

ピピは驚いて目をぱちくりさせて首を伸ばしたり引っ込めたりして、尾をパタパタと左右に振った。そんな様子を見て可笑しそうに青龍は目を細める。

《 ごめんごめん。ビックリさせたね。それ、ただのコーティング剤だから安心して。君を穢れた水の影響から護る効果があるやつね。瘴気の程度にもよるけど、何回かは耐えられる筈だよ。 》

「ピピッ!キュピッ!キュピッ!」

ピピは嬉しそうに首をコクコクと縦に振って、あたかもお礼を言っているかのような素振りをした。ライザも深々と一礼した。

「有難うございます。」

《 いえいえ。それより気を付けて行くのだよ。そうだ、下界に降ろしてあげるね。 》

 青龍は大きく一回瞬きをした。刹那、ライザ達の視界が再びホワイトアウトし、次の瞬間には先ほどまで居た位置…つまりマナの樹の根本周辺に戻っていた。まるで束の間、夢を見ていたかのような感覚だった。

 ライザのペンダントはもはやマナの樹の上方を示すことはなく、今度は西の方角を一直線に示していた。ピピはペンダントの指す光の筋の方向をじっと見つめたまま、ライザの指示を待っていた。

「ピピ、宜しくね。次に行こう。」

「ピィッ!」

ピピは甲高く鳴き声を挙げると、光の指し示す方向に向かって軽快に走り出した。


 どれだけ走っただろうか。流石のピピも少々疲れ気味な足取りになってきた。ライザは察してピピに話しかけた。

「無理しないでね。ちょっと休もうか。」

「ピィ…ピィッ……。」

 ライザは周辺を見渡した。ちょっと先に灌木が生い茂っているのが見えた。ピピをそこで休ませる事にした。得体のしれない野生動物から身を隠せるという理由でもあった。

 ライザは非常食用のドライフルーツをひと切れだけ背負うと、ピピの背中から飛び降りた。そしてピピの目の前に差し出す。

「疲れたでしょう。これを食べて疲れを癒してね。」

「キュピピピッ!!!」

ピピの目の色が変わった。待ってましたと言わんばかりに、ピピは加工されたマナの果実を勢いよくついばんだ。そして、嘴をもにゃもにゃと動かしながらドライフルーツを味わうようにして食べた。美味しかったのだろうか、感激のあまり潤んだ瞳でライザの顔をじっと見た。「非常食じゃあなきゃ、腹いっぱい食べたいよ。」という思念が一瞬ライザに聞えたような気がして、ライザは噴出してしまった。

 ライザは自分も空腹な事に気づいた。腰に下げた袋からエナジードロップを一粒取り出すと口に含んだ。マナの果実の自然の甘味と、凝縮したうまみ成分が口いっぱいに広がる。同時に、洋梨と薔薇の濃厚な香りを混ぜたかのような芳醇なマナの果実の香りが心地よく鼻腔を刺激した。今までの緊張感や疲れが、霧が晴れたかのようにスッキリと消えていくのが分かる。ライザは、ピピの傍らに腰かけると青空を仰ぎながら深呼吸をした。不意に、ライザは猛烈な睡魔に襲われた。瞼が重い事すら意識する間もなく、ライザの意識は遠のいていった。彼女の意識は深く、深く、沈み込んでいく。


 どれくらい経ったのだろうか、ライザが目覚めた時、ピピは首を羽に突っ込むようにして丸まっていびきのような音を立てながら気持ちよさそうに寝ていた。慌てて彼女はピピを起こした。

「ピピ、起きて。」

「プキュ~プキュ~……キュピッ!?」

ピピが首を伸ばして目をパチパチと瞬かせたた。ライザのほうに首を伸ばして彼女の顔を覗き込むと、何やら首を傾げた。ライザが違和感に気づくのに、そう時間はかからなかった。

「どうしたの?……え?えっ!?えっ!?」

在るべきはずの物がそこになかったのである。ライザのペンダントが、首元から消え去っていたのだ。ライザは涙目になった。

「どうしよう……どうしよう………ペンダントが………。」

「ピ……ピィィィ………。」

ピピはライザを慰めるように覗き込む。が、突如クルルルル、と妙な唸り声をあげて周囲にゆっくりと首を伸ばした。そして、立ち上がると何かの気配を調べるかのようにゆっくり歩きだした。

「ピピ?」

ライザが怪訝そうに呼び止めると、ピピは首をくるりと後ろに向けてライザの方を見た。ついてこいとでも言っているかのようだ。

 ライザが不審に思って周囲を調べると、何か小さな足跡がうっすら残っているのに気づいた。どうやらペンダントは何者かによって盗まれたようだった。ピピは現場に残された犯人の残り香を追っているようである。

足跡の形、歩き方から推測して、二足歩行の人型だ。サイズからして、どうやらライザと同様に小人の類のようだった。ライザはピピを呼び止めた。

「ピピ、どうやら下手人は小さい人のようね。いくら頑張って歩いても、貴方が走ればすぐに追いつける筈よ。数時間程経っていようが、すぐに追いつけるわ。ちょっと背中に乗せて頂戴。考えがあるの。」

「キュイ!」

ピピは立ち止まって首を地面に擦り付けるように降ろすと、ライザを背中に乗せた。

「ありがとう。ちょっと待ってね。」

ライザは意識を集中させると、周辺の残留思念をサンプリングした。そして、何やら念じると空気中を漂うマナを瞬時に凝縮させ、宙空に淡くグリーンに発光する魔方陣を出現させた。

「かの者の行方を示したまえ。」

ライザは魔方陣に向けて、サンプリングした残留思念を解き放った。刹那、光の魔方陣はその中央部より怪しく紫色の光をレーザーのように放ち、彼らの前方を照らした。光は時折屈折してうねっていた。恐らく犯人の足取りを正確に示したものなのだろうが、誤差は無視してピピは一直線に光の指す方向に向かって疾駆した。

 光の示す道が途絶え、ピピは急に立ち止まった。反動でライザは前にのめりこむ。とはいえ、ピピの持つ不思議な術式によりライザが背中から転がり落ちる事はないのだが、多少の衝撃は避けられないようだった。

「クルルル、クルルルルル…」

ピピは首を低く伸ばして、威嚇するような様子である一点をじっと睨んだまま立ち止まっている。よく見ると小さな人影がある。怯えた様子で後ずさりをしているのが分かった。人影の正体はどうやら男のようだ。人間に換算したら、外見年齢は10代後半から20代前半といったところである。

「見つけたのね。お手柄よ!」

ライザはピピの背中から身軽に飛び降りると、じりじりとその人影に迫った。何やら唱えながら。ライザの瞳が爛々と金色に輝く。同時に右手に金色の光が宿った。そして一歩、また一歩、距離を詰める。そして構えを取った。

「ひいいいい!」

男は慌てて逃げ出そうと踵を返した。

「逃がさないわよ。…ターゲット、ロックオン。」

男が転びそうになりながらも走ろうとした矢先。ライザは男に手のひらを向けた。金色の光の球体がライザの右手より勢いよく射出される。それは剛速球のように勢いよく男めがけて飛び、クリーンヒットした。ライザはその瞬間、男に向けた右の手のひらをぎゅっと握りしめた。

「縛!!!」

「ぎゃあっ!!!」

男を飲み込んだ金色の光は瞬時にその半径を縮め、男を縛り上げる光のロープに姿を変えた。身動きを取れなくなった男は、あっけなく地面に転がった。

 男の前に、ライザが仁王立ちになって問い詰めた。

「さあ、盗んだものを返しなさい。」

「うっ…うっ……。」

男は身動きがとれずにもがいて転げまわった。男の手に光るものが見えた。ライザのペンダントだ。ライザは、屈みこむと男の手から無理やりペンダントを奪い取って、自分の首にかけた。そして立ち上がると大きくため息をついた。

「やれやれ…。一時はどうなるかと思ったわ。」

 一方でピピは怪訝そうな顔で、一言もしゃべろうとしない男の顔を覗き込んでいた。

「キュイ?クルル、クルルル…」

「ピピ?」

問いかけてもピピは動じず、男をじっと見ている。

ライザはピピの視線の先にある、怪しい男の様子を改めて観察した。目は虚ろで焦点が合っていない。口元はだらしなくたるんでおり、常に半開きだ。吐息は荒い。時折、痙攣するかのように体を震わせている。少なくとも正気を保っているとは思えない様子だった。

「うーん、この人からまともな話が聞けるとは思えないんだけど…。何故こんなことをしたのか、何故こんな状態なのか、色々聞きたい事はあるわね。どうしたものやら。どう思う、ピピ?」

ライザは苦笑して肩を竦め、ピピと目を合わせた。

「キュイ!ピッピッ、ピキュ!」

ピピは首をくるりと伸ばすと、ライザの左手を示すようにちょいちょいと首を動かした。ライザは何となく、「その人に浄化の力を使ってみたらどうかな。」と言われているような気がした。

「そうね…。ピピは結構、感が鋭いわよね。一か八か。」

ライザは、青龍より受け取った浄化のリングがついている左手を、件の男の上にかざした。刹那、淡いパールカラーのライトブルーの光がライザの左手から照射され、それは男の全身をふんわりと包んだ。男の歪んだ表情が徐々に穏やかになっていき、瞳に正気の光を再び宿していくのが分かった。

「うっ………、ここ…は………。」

男は上半身を起こそうとするが、身動きが取れない事に気づいた。慌てて周囲を見渡すと、目の前に清楚な身なりの、整った顔立ちの少女が覗き込んでいるのが見えた。

「気づいたようね。改めて、初めまして。泥棒さん。」

「えっ!…どろ…ぼう………!?僕が………ッ!?」

男はショックとパニック状態で目を白黒させながら身動きの取れない体をじたばたさせてもがいた。

「そうよ。私たちを何らかの方法で眠らせ、私のペンダントを盗んで行ったの。貴方を追いかけて、ペンダントを奪還し、捕縛した所。」

「えっと……………。本当にそんなことをしていたら申し訳ないのだけど、僕…記憶が全くないんだよ。」

男は混乱して挙動不審な動きを取りながらも、なんとかライザに返した。どうやら男はウソをついていないように思えた。ライザは苦笑し、肩を竦めるとため息をついた。

「貴方が私のペンダントを握っていた事、残留思念からもあなたが犯人である事は間違いないのよ。でも貴方は記憶がないという。どういう事かしらね…。」

「ううっ………。ごめんなさい。本当にごめんなさい。でも…本当に記憶がないんです。」

男は申し訳なさそうにそう言うと俯いた。仕方なくライザは質問を変える事にした。

「じゃあ、貴方は記憶をなくす前までどこで何をしていたか覚えている?」

「ええと…確か、薬草を取りに森に入って………。遭難して見覚えのない場所にでてしまって。喉が渇いていたところに丁度、泉があったんです。そこで水を飲んで………。あれれ?」

どうやら男の記憶はそこで途切れているようだった。

ライザは首を傾げて唸った。青龍から譲り受けた浄化のリングで男を浄化したところ、彼は正気に戻った。すると、彼が飲んだ泉の水というのがどうやら怪しいのである。ひょっとしたら、泉の水そのものが汚染されていたのかもしれない。調べる価値がありそうである。ライザは再び男に問いかけた。

「で、その泉の場所ってどの辺にあったか覚えてる?」

「無我夢中で歩いたので、全く覚えてないんです。ごめんなさい…。」

 男が泉の場所を覚えていないのは想定の範囲内だったが、念のため問いかけた、といったところだった。すると、ピピは地面に首を擦り付けるようにして臭いを嗅ぎながらゆっくりと進み始めた。

「ピピ?」

「キュピッ!キュピッ!」

ピピは、背中に乗ってくれと言いたげにライザの顔を見た。そして、嘴の先で件の男の服の裾を掴み上げて背中に放り投げると、ライザが背中に乗るのを待った。二人がピピの背中に乗ると、ピピは再び地面すれすれの位置の臭いを嗅ぎながらゆっくりと慎重に進み始めた。

 ピピは森の中に入って行き、ゆっくりと草をかき分けながら臭いを頼りに進んでいった。暫くすると、何やら不思議な香りが前方から漂ってきた。刺激臭が多少混じっていたのもあるが、それ以上に媚薬のような甘ったるい香りは、激しく倦怠感を覚えさせるようなものだった。ライザは咄嗟に両手で鼻を覆った。

「うっ、何この変な臭い。」

一方でピピは平然としていた。寧ろその謎の香りのする方向に向かって速度を徐々に上げながら進んでいった。ライザは確信した。この妙な香りの根源が件の男が話していた泉なのだろう。そして、左手にあるものの存在を思い出した。

「なるほどね。“これ”の出番といった所かしら。」

 ライザは左手を高くかざした。刹那、彼女の左手が眩い閃光を放つと周囲の瘴気を飲み込むようにして浄化していった。ピピは一方で、香りの強くなる方向に向かって一直線に猛ダッシュしていった。徐々に目の前に水面の揺らぐ光が見えてきて、それはだんだんと大きくはっきりとしてきた。泉が目の前に迫ってくるに連れ、ピピは徐々に走行速度を落とす。

ついに彼らは、男の話していた泉の畔にたどり着いた。泉全体から高濃度の瘴気が漂っているのが分かった。一見すると普通の泉に見えるが、禍々しい何かが時折水面からじわじわと浮き上がっては蒸発しているのが分かった。よく見ると泉の水は澄み切っている訳ではなく、なんとなく全体的に淀んでいる感じがした。

ライザはピピの背中から身軽に飛び降りると、ゆっくりと泉のギリギリ淵まで歩み寄った。そして、左手を高く泉の上方に掲げた。ライザの左手から発した光は、泉の上空から光輝く結晶のようなものを降り注がせた。結晶が泉の水面に触れるや否や、それは光の粒子となって霧散すると同時に、泉のほんの一点を針で突いたかのように透明な一点を作った。次々と降り注ぐ淡く光る結晶体は次々と泉の水を浄化していき、次第に透明感を帯びた清らかな水を湛えた泉へと変化した。

一方でピピは、背中から男をつまんでゆっくりと地面に降ろした。そして、一通りの作業が終わって戻ってきたライザに何かを訴えるかのように小さく「ピッ、ピッ」と鳴いて促した。

「あ、この人ね。捕縛したままだったのを忘れてたわ。ごめんなさい。もう敵意も害意もなさそうだし、解放してもよさそうよね。」

そう言うと、ライザは何かを唱えて手のひらを無残にイモムシのように転がっている男にかざす。男を縛っていたロープのようなものは瞬時に光の粒子と化して消え去った。

「あ、ありがとう……。」

「いえいえ。私よりも、寧ろピピにお礼を言ってね。凄く、気の利く子よね…。」

 束縛を解かれた男はゆっくりと立ち上がった。そして改めて、泉の淵から水面を覗き込むとため息をついた。

「この水のせいだったんだね。言い訳する訳じゃないけど、本当に、本当に、記憶がないんだよ。迷惑をかけてしまった事、改めてお詫びするよ。」

「いえいえ、過ぎた事よ。そして嘘をついていない事は信じるわ。この瘴気のせいだった訳で不可抗力だと思う。いいかえると、貴方に罪はない。それより………。」

途中でライザは言葉を濁した。そして改めて泉を眺める。

「貴方の他にも、この泉の水を飲んでしまったりした人がいたら…。それ以上に、泉から発した瘴気が充満してしまった地域が心配だわ。貴方、この周辺に集落があるかどうかの心当たりはある?」

男は暫く考え込んでから、おずおずと答えた。

「迷子になってから以降、どこを歩いたか自覚がないんだよ。でも、僕の住んでいる集落から大体5~6時間は歩いたし、その間に集落らしきものはなかったよ。つまりは、僕の集落が最寄りなんじゃあないかな。」

「そう………。少々心配ね。」

ライザは顎に手を当てると唸った。

「とりあえず、ピピに乗せてもらいましょう。どうせ手あたり次第なら、我々が徒歩で進むよりはるかにそっちのほうが効率的よ。」

「キュイ!」

ピピは「その通りさ。」とでも言いたげに頷くと甲高く短く鳴き声を上げた。そして首を低く地面に降ろすと、二人に背中に乗るよう促す仕草をした。彼らはピピにお礼を言うと、首筋を伝って背中に乗った。

 彼らがピピの背中に乗るや否や、ピピは迷うことも無く森を突き抜けて走って行った。ライザは驚いたかのように小さく悲鳴を上げる。

「ピピ?ちょっと!?」

その時、ライザの意識に直接「大丈夫、場所は分かったから安心して。」と言われたような気がしたのだった。

 ピピが集落らしき場所を突き止めるのにさほど時間はかからなかった。通常の人間の親指ほどの背丈程の種族の徒歩の速度と、白鳥ほどの大きさの鳥の猛ダッシュの速度は天と地の差程あるのだから。

 ピピは速度を緩めると、よちよち歩きながら集落の手前で止まった。そして誇らしげに「キュピッ!」と甲高く鳴いた。

「凄い…!ピピってどんだけポテンシャル高い訳……。」

ライザは感嘆の息を漏らした。そして傍らに乗っている男を促すと、共にピピの背中から降りた。ライザは集落の様子を外側から一望し、特に変わった様子がないかどうかを伺った。見た所、瘴気が充満しているようではなさそうである。

「なんとか無事そうね。」

ライザは胸を撫でおろした。

不意に、集落の中から、こちらの様子に気づいて数人が慌てて飛び出してくるのが見えた。住民は、男の姿に気づいて走り寄ってきた。

「デーン!おお、デーンが戻ってきたぞ!!!」

「デーン、無事だったか!心配したんだぞ!!!」

どうやらこの男の名前は「デーン」もしくは「ディーン」というようだ。年配っぽい男たちが口々に「デーン」と呼んでいた所を見ると、加齢に伴う活舌の悪さから想定するに、本名は「ディーン」なのではないかとライザは考えた。しかし、見知らぬ風土の見知らぬ文化では本当に「デーン」という発音が正しいのかもしれない。色々と想像力を掻き立てている間に、件の男は駆け寄ってきた年配の男たちと感動の再会を果たしていたのだった。

「ベンおじさんに、ジョーおじさん!!!」

「薬草を採りに行ったっきり戻ってこないものだから、蟲か何かに食われたのではないかとか、色々心配していたんだぞ。」

「ベンおじさん………。それが……。危ない所だったんだけど、いろんな意味で。女の子に助けてもらって…えーと………。」

「ライザよ。以後お見知りおきを。」

感動の再会シーンに浸りきりで、ライザとピピが近寄った事も知覚していなかった老人たちは驚きのあまり奇声を発した。特にジョーと呼ばれた老人は、ピピの存在に恐れ戦き、謎の念仏を唱えて縮こまった。

「ふぁあああああああ!?!?!?」

「ぎゃあ!“とり”がいる!!!食われるぞ!!!オントリソワカ、くるっぽーくるっぽーくるっぽー!!!」

しかし謎の呪文は何の加護も与えてはくれなかった様子。ピピは不審そうに首を傾げてジョーおじさんの奇行を眺めていた。

 ライザは集落の民の命の恩人ということで、集落に歓待される事となった。ピピは勿論入れない為、外で暫く待機する事になる。

「ごめんね、暫く待っててね。退屈させちゃうかもしれないけど…。何かあったら呼んでね。」

「キュイ。」

ピピは首を長く伸ばしてライザに近づけた。ライザはピピのふわふわの首の毛を撫でた。ピピは目を細めて気持ちよさそうにしている。ライザは名残惜しそうにピピから離れると、集落に入って行った。

 結局のところ、件の青年の名は「デーン」だった事が後ほどになって分かることになる。ライザが「デーン」らを伴って集落に入ると、住民らは老若男女問わず、口々に「デーン」と声をかけてくるからだ。デーンは、ライザを長老のいる屋敷まで案内してくれた。

 集落のなかでも一際大きく立派な建物が見えてきた。どうやら長老の屋敷のようだ。中に入ると、白髪の、立派なあごひげを蓄えた老人が出迎えてくれた。

「おお、デーンよ、無事で何よりだったよ。そちらの方が件の恩人かね?」

「ええ。ご心配おかけして申し訳ございませんでした。ライザさんという旅の方です。」

「ご紹介に預かり、誠に光栄です。」

ライザは深々と一礼した。奥のほうから老婦人が出てきて彼らを客間に案内してくれた。

「あらあら、とっても可愛らしい方ね。どうぞ此方にいらっしゃいな。」

「失礼します。」

 デーンとライザは長老夫人に促されるまま、ソファーに腰を降ろした。長老も後からやってくると、テーブルを挟んで向かい側のソファーに深々と腰を降ろした。長老夫人も、彼らに茶と茶菓子を運んでくると、長老の隣の席についた。

 改めてライザは彼らに対して自己紹介をすると、デーンに目で合図をした。流石にライザの口からデーンが正気を失っていた間の出来事を語るのはどうかと考えたからだ。デーンは自ら、長老夫妻に一部始終を説明した。薬草を探しに出かけて森で迷子になり、途中にあった泉の水を飲んだあとの記憶が一切ない事と、記憶が飛んでいる間にライザのペンダントを盗んでしまった事など。謎の泉から湧き出る瘴気についてはライザが補足説明を行った。

 一通りの説明を聞いてから、長老夫妻は顔を見合わせてから考え込んだ。

「なるほど……。ひょっとしたらだが、別の集落で起きた出来事と無関係ではなさそうだな。」

「そうですねぇ。ああ、ごめんなさい。実はね……」

言いかけて、婦人がライザとデーンに向き直って重々しい口調で語り始めた。

「デーンが薬草を採りに出かけてから数日後の事なんだけど…。」

「隣の集落が全滅したんだよ。謎の伝染病で。」

言いにくそうに言葉を濁していた夫人に代わって長老が続けた。

「えっ!?」

驚くデーンに対して、長老は続けた。

「それがな、唯一生き残って命からがらこちらに逃げ延びてきた住民をこちらで保護したのだが、彼らの話によると……。君の母君や、君の親友のブリデルと症状が同じなんだよ。その、伝染病にかかった人々の症状が。」

「そんな………!」

デーンは絶句した。ライザは一方で何やら考えていた。そして、長老夫妻に話を切り出した。

「あの、もう少し詳しくお話頂けますか?その、伝染病で滅んだ集落について。それと、デーンさんのお母様やお友達の症状について。もしかしたら、お二方の病気は治せるかもしれません。保証はできませんが……。」

 途端に三人の顔色が変わった。

「えっ、もしかしたら君は……あの泉と同じように、母さんとブリデルの病気が浄化で治るっていうのかい!?」

「やってみなきゃ分からないわよ。その前に集落の話を聞きたいわ。」

「あ、ごめん。つい話の腰を折った…。長老、すみません。続きをお願いします。」

デーンはきまりが悪そうに俯いて頭を掻いた。

「うむ…。集落の生き残りの人々の話によれば、ある日突然奇妙な突風が吹いてきたというのだ。この時期に突風など吹くはずもないので、奇妙に思ったらしい。しかも局所的だという。隣の集落に吹いたのならば、此方にも幾分来てもおかしくはない。我々は特にここ数日強い風が吹いたのを見た事はない。」

「まさか、伝染病はその突風が原因…と?」

ライザは途中で口を挟んだ。長老は頷くと、重々しい口調で続けた。

「我々もそう考えていたところだよ。妙な伝染病が流行ったのは、その突風の直後だと聞いている。集落周辺の大気が汚染され、急に人々が息苦しくなって倒れこんだと聞いている。外に狩りや薬草摘みに出かけていた者達、何らかの作業で防塵マスクをかけていた者が比較的症状が軽く、何とか生き残れたと聞いている。」

「なるほど…。有難うございました。」

ライザは長老に敬意を払いつつ一礼する。そして、茶菓子の食べかけを全てたいらげると、淹れてもらったお茶の残りを飲み干す。

「少々気になる事があるので、デーンのお母様とお友達の所に案内して頂けませんか?それと、隣の集落の生き残りの方々もですね。」

長老夫妻とデーンは少々驚いた表情をしつつ、申し訳なさそうな素振りをした。

「それは構わないが、来て早々申し訳ない。旅の方と伺った故、もう少々ゆっくりしていってもらいたいのもあったが…。」

ライザは頭を振った。

「いえ、病人を待たせるわけにはいかないでしょう。もし私に治せるのであれば、すぐにでも治さないと。」

「有難う。何から何まで申し訳ない…。」

デーンが頭を下げた。長老夫妻も深々と頭を下げてお礼の言葉を口々に述べた。

 デーンの母親と友人、生き残りの人々の元には、彼が案内することになった。ライザは長老夫妻に一礼すると、デーンと共に件の人々の元に向かった。

 デーンの家に着くと、彼は家の扉を開けてくれた。ライザは一礼して挨拶をすると中に入った。家の奥の部屋には寝室があり、デーンの母親と思われる女性が床に伏せていた。時折激しく咳込んでは、ゼェゼェと苦しそうに息をしているのが見えた。

「失礼します。」

ライザは彼女に歩み寄ると、しゃがみ込み、左手を上からかざした。彼女の“見えない”リングはデーンの母親の瘴気に反応したのか、淡いグリーンの光を放った。光はやんわりと彼女の体を包み込むと、体に浸透するように吸い込まれていった。刹那、デーンの母親の体全体が眩い白い光を発すると、それは瞬時に消えた。暫くすると、彼女の呼吸が穏やかになり、青ざめていた顔色に血の気が戻るのが分かった。

 デーンの母親はゆっくりと上半身を起こした。今まで呼吸が苦しいまでに圧迫され、時折激しい痛みすら覚えていた胸を押さえて不思議そうに首を傾げた。

「あ、あら………?もう、何ともないわ。」

「母さんッ!!!」

デーンは母親に駆け寄って上半身を支えた。デーンの母親は、傍らに跪いているライザに気づく。

「ひょっとして…あなたが………?」

ライザはこくりと頷く。

「治って、何よりです。」

「ありがとう…ありがとう……。何とお礼をしていいのか……本当に、ありがとう………!」

デーンの母親はライザの両手を取ると、何度も何度もお礼を言った。

 ライザは同様に、他の患者も治療していった。皆、土下座をするほどの勢いで彼女にお礼の言葉を述べた。その一方で、ライザは焦りを覚えていた。汚染の原因を突き止めて解決しない限り、どれだけ彼らと同じ状況に陥った人々を救おうと、他所で被害が発生し続けるからだ。どこで被害があったかすら分からないが故、全ての人々を救う事は不可能に近い。それだけではなく、運が悪ければ、浄化済の場所が再び被害に遭いかねないのだ。

 ライザは、隣の集落の生き残りの人々に案内してもらい、汚染された集落を浄化しに行くことにした。ピピを外で待たせてある。退屈していないかどうか、少々心配でもあった。

 見送りにきた集落の人々と、生き残りのうちの一人を伴い、集落の外に出ると、ピピは首を羽の中に突っ込んでスヤスヤ寝息を立てて寝ていた。ライザの気配に気づくとモゾモゾと首を伸ばして「ピィ!」と甲高く鳴いた。まるで「おかえり」とでも言っているかのようだった。集落の人々はピピを見ると仰天して一斉に尻もちをついた。ライザは慌ててフォローした。

「大丈夫、この子は何もしないわ。私のお友達よ。」

一同は胸を撫でおろした。

 集落の皆が見送る中、ライザ達はピピの背に乗り、件の汚染された集落に向かった。小人にとって徒歩で数時間かかる場所かもしれないが、ピピの徒歩ではさほど時間もかからず到着した。

そこは何となく、うっすらと靄がかかっているように見えた。ライザはピピの背に乗ったまま、左手を集落の上にかざした。ライザの左手から発した光は集落全体を包み込むと、純白の浄化の光を伴った。集落を取り巻いていた靄は跡形もなく消え去って、清浄な空気が流れているのが分かった。

「有難う…有難う……。本当に、有難う………。」

ピピの背の上で、生き残りのうちの一人は涙を流しながら何度も何度も、ライザにお礼を言った。彼らは廃墟となった集落に背を向け、再び元の集落に戻った。

 ライザ達が戻ると、デーンを含む住民たちが彼らを出迎えてくれた。長老夫婦も知らせを受けて後から出迎えにやってきた。

「ライザさん、本当に何とお礼を言ってよいやら…。まさか隣の集落まで浄化してくださるとは!死んでいった人々も、安らかに眠れる事でしょう………。」

長老はライザの手を取って感謝の言葉を述べた。しかし、当のライザは表情を曇らせたままである。

「いえいえ。浄化するだけで解決できたから本当に良かったわ。それより、まだ安心できる状況とは言えないのです…残念ながら。」

「と…いいますと……。同じ事が再び起きるかもしれない、とおっしゃいますか?」

ライザは申し訳なさそうにコクリと小さく頷いた。一度は喜びと安堵に沸き立った住民たちだが、その言葉を聞いて肩を落とした。その時だった。気のせいかもしれないが、ライザの脳裏に直接問いかける声が聞こえたような気がした。

《 ぼくの羽を使えばいい事だよ。浄化の加護を受けているからね。一本引っこ抜いて。それを汚染された所にかざせば同じように浄化する事ができる筈だよ。 》

「ピピなの?」

問いかけると、ピピは潤んだ黒目がちな瞳でじっとライザの瞳を覗き込んだ。ライザは頷いた。

「分かったわ。でも…多分私たちの大きさと力じゃ、抜けないわね。」

ライザは苦笑した。するとピピは首をくるりと背中に回し、自分の背中の羽を一枚嘴でつまむと首を一気に前方に回して自ら羽を抜き取った。そしてゆっくりとそれを地面に置いた。住民たちは呆気にとられて一部始終を見守っていた。ピピの引き抜いた羽は、ライザたちの身長くらいの長さだった。

「ピピ…………。有難う…………。い、痛くなかったの?」

「キュピ?ピッピッ!」

ピピは首を横に振った。全然痛くないよ、とでも言っているかのようだった。ライザはピピの首筋を撫でた。そして未だに状況が分からず呆気に取られている住民たちに向き直って説明をした。

「この子の羽に浄化の加護がついているので、一枚頂きました。万一、同じような事態に陥った場合や、大気の謎の汚染が原因で病気になってしまった方を他でも見かけた場合、若しくは他に困っている集落を見かけたら、この羽をかざして浄化してあげてくださいね。私たちはこれから、汚染の原因を突き止めに行かなくてはなりません。それまでの間は…そのようにして何とか耐え凌いでください。」

住民たちはライザとピピに深く頭を下げて、何度もお礼を述べた。旅の疲れを取るためにどうしても暫く滞在するようにと長老を始め、住人達に勧められ、ライザ達は彼らの好意に少しだけ甘える事にした。今まで野宿が続いたのやら極度な緊張状態が続いたのもあり、流石のライザもへとへとだった。またピピも殆ど走りっぱなしだったので、安心して休める時間をとってあげたかった。

ライザは、長老の娘のヨーデルの家で数日間世話になる事になった。彼女はライザより年上の風貌をしていた。人間に換算すると20代半ばといった所だ。ヨーデルには一人息子がいて、名をキバルといった。彼はライザにすっかり懐いて、しきりに冒険の話を聞きたがった。デーンの母リキームは裁縫が得意だった為、ライザに旅用の装束一式を新調してくれた。ライザにとって、それは涙が出るほど嬉しかった。流石に着の身着のままで下界に転がり落ちた為、彼女の装備は冒険用としては向かないただの普段着だった。それ故、防御力も耐久性も心もとないものだったのである。

一方、ピピは彼ら小人にとって巨大すぎて集落内に入れない為、依然として集落の外に野宿だった。しかし前回の睡眠薬らしきものでパーティーメンバー全員が眠らされる襲撃を受けた苦い経験もあり、ライザはピピの周辺に魔術結界を張り巡らせて悪意ある干渉を受けないようにした。住民たちは、彼らの背丈以上もある巨大な樹の実…とはいえピピにとっては普通のサイズの実なのだが…を男何人かでどこからか調達したものを転がしながら、時折ピピに献上した。ピピは気遣いに対する嬉しさがあったのも勿論、食べたこともない樹の実に喉を鳴らしながら喜んでついばんだ。

デーンは、ライザとピピの為に旅で必要になるかもしれない薬を何種類も調合して持たせてくれた。彼の親友のブリデルも、ライザの為に防具を作って持たせてくれた。

彼らが集落に滞在している間、他にも住民たちが歌や舞を披露してくれたり、色々な見たことも食べたことも無い珍しい料理を持ち込んで来たりと歓待を受けた。

ライザとピピの疲れも完全に癒えた頃合いを見計らい、名残り惜しみながらも彼らは集落を立ち去る事にした。流石に先を急がなくてはならない。早く世界の歪の原因を突き止めて、世界の崩壊を防がなくてはならないのだ。

旅立ちの日、住民たちは総出でライザ達を見送ってくれた。キバルは、ライザとピピ用に手作りのお守りを手渡しにやってきた。

「ライザおねえちゃん、ピピちゃん、絶対死なないでね!無事に旅が続けられますように!」

「有難う!大事にするね!」

ライザは屈みこむとキバルの頭を撫でた。そして改めて住民たちに向かって深々と一礼した。

「いろいろとお世話になりました。有難うございました。では、行ってきます!」

住民たちが名残り惜しみながら見送る中、ライザはピピの背に乗って集落を後にした。

 ペンダントの光は集落を出てから西の方角を指している。ピピは光線に沿って真っすぐにひたすら走った。暫く暇をもらってゆっくりと休憩できたのもあり、走りは軽快で力強かった。時折、進行方向から生ぬるい奇妙な突風が吹き荒れてきた。瘴気を帯びた空気の塊が押し寄せて来るようだ。浄化の加護を受けたピピには何の影響もなかったものの、それらがピピの体に触れるたびにピピ全体から純白の光が放たれては消えた。

「こんなに頻繁に瘴気の風が吹き荒れてきたら…放っといたら地上全部が廃墟になってしまうわね。」

「ピッ!」

ライザは苦笑した。相槌を打つかのようにピピが短く鳴いた。

 暫く走ると、光が上方に向かって徐々に勾配を帯び始めたが、ある地点で急に天空に向かって伸びているのが分かった。ピピは前回同様に助走をつけながら羽ばたいた。吸い込まれるようにして彼らは天空高くへと舞い上がって、空間のある一点に跡形もなく消えた。


虚無の空間。上下左右も分からない時空の狭間にて。声が聞こえる。唸り声のような、ドスの聞いた低い声だ。これらはライザの脳に直接語り掛けてくる。

《 誰だ、俺の聖域に干渉する者は。そして何用だ。 》

「突然の来訪、申し訳ございません。私はマナの樹の民で教会の巫女をしているライザと申します。こちらはガルーダの雛のピピです。こちらは風の大精霊様の聖域で宜しいでしょうか。時空の歪の調査の任務により罷り越しました。」

《 なん……だと………!マナの樹の民にガルーダの雛だと……!?バカな!!!まあ、とりあえず入れ。話はそれから聞こうじゃないか。 》

声の主は明らかに動揺を隠せないようだったが、彼らを受け入れて聖域に招き入れた。

 ライザの周囲の視界が突如開けてくる。失いかけた五感も戻ってきた。目に入った光景は、一面に広がる草原だった。所々に灌木や、背の高い樹木が点在している。サバナ気候のようにも見えた。特徴的だったのが、黄色い空だ。そして広がる草原は紫を帯びた草に木々だった。その中に、巨大なそれは居た。白銀の滑らかで美しい毛皮を持つ、巨大な虎のような姿の存在が。長い尻尾を揺らめかせ、鋭いスカイブルーの目をギラリと光らせて此方を見据えていた。

《 こんな所まで良く来たな。俺は“白虎”。風を司っている者だ。以後宜しく頼む。で………。 》

自己紹介をしかけて、突然白虎は鼻をモゴモゴさせ始めた。

《 ……ぐッ……あがっ…!ふがぐぐ……ふぇ………。ちょ、失敬…… 》

白虎は顔を横に逸らした。次の瞬間。


へっくしょん!!!


巨大なクシャミをした。大気が、ビリビリと振動している。それはライザとピピにまで伝わってきた。ピピの羽毛が逆立ち、びっくりして目を真ん丸にしたままピピは硬直している。白虎はバツが悪そうに後ろ足で頭を掻く仕草をした。

《 すまねえ。最近ずっと、こうなんだ。鬱陶しいったらありゃしねえ。大精霊クラスがアレルギー気味とか笑えねえよ。 》

ライザは首を傾げた。こんな、人里と離れた…否、次元の異なる現世から隔離された聖域にまで花粉や粉じんが飛んでくるモノなのだろうか。白虎はライザの考えている事を察したのか、付け加えた。

《 言っとくが、地上から舞い上がった花粉じゃあないからな。原因が分からねえから困ってる。兎に角、この聖域の空気が悪い。悪くなった?うん、良く解らないが俺が耐性がなくなったのか?うん、それも不明だ。これも何かの縁だ。すまんが、ちっさい聖職者さんと幼い聖獣さんよ、原因を俺の代わりに突き止めて解決してくれたら嬉しいんだがな。歪の原因とも必ず繋がってる筈だ。 》

ライザは頷いた。ピピも短く甲高く鳴いて意思表示をした。

「謹んで、拝命致します。」

「キュイ!」

《 ありがとな!頼んだぜ!…そうだ、俺の加護を与えておこう。万一“巨人族”に遭遇した時に何かと役に立つ代物だ。ちょいと両手貸してみな。 》

「えっと……こうですか?」

ライザはおずおずと両手を白虎に向かって差し出した。

《 おう。 》

白虎は何やら唱えると、ライザの両手に息を吹きかけた。すると彼女の両手に半透明な軍手のようなものが現れた。

「これ…は……?」

《 まあ、ここでは見えているが下界に出ると見えないものになる。これをはめて居れば、魔力を物理的なパワーに変える事ができる。指先一つで巨人もひっくり返らせる程の一撃が繰り出せるぜ。まあ、どれだけ魔力を消費するかにも依る。また、物理的なパワー…自然エネルギーも含むが、魔力に変換する事もできる訳だ。例えば竜巻に遭遇しても打ち消すことが出来る訳だ。 》

「凄い!有難うございます!」

《 俺はここを離れる訳にいかないからな。これくらいしかしてやれる事がなくて、返ってすまねえが。ああ、お前もだったな。 》

白虎はピピに目をやった。白虎が何やら唱えると、ピピの体全体に空気のヴェールのようなものが出来上がった。

《 まあ、強風の影響も受けなくなるやつだ。嵐だろうが竜巻だろうが気合いと根性で貫通できるってやつだな。あとは、受けた風のエネルギーを蓄積して風属性の攻撃魔法に転じる事も可能だ。特に何も使わなければ勝手にマナに戻るだけだがな。 》

「キュピッ!ピッピッ!」

ピピは嬉しそうに首をこくこく縦に振ると、お礼を言う素振りをした。

「では、先を急ぐので失礼致します。」

ライザは一礼した。

《 なんだ、来て早々せっかちな奴だな。だが、こんなところに居ても美味い物も何もありゃしねえ。正しい選択かもしれねえな。とりあえず、宜しく頼んだぜ。 》

「はい。」

「キュピッ!」

 白虎は、聖域のゲートを開いてライザ達を元の世界に戻してくれた。一瞬視界がフェードアウトして全ての感覚を失うが、気づいたときには、ピピが上昇した地点に戻ってきていたのが分かった。

 恐らく、集落を襲った謎の突風は、風の大精霊である白虎のクシャミだったのだろう。白虎は何らかの原因で彼の聖域に発生したアレルギー物質…正体は不明だが…によってクシャミが止まらないのだろうとライザは推測した。地上由来の粉じんやら花粉ではないと本人が言っていたのも踏まえると、恐らく白虎と同じ立ち位置にある大精霊同士の何かが絡んでいるようにも思えてきた。そう考えると、青龍の言っていた水の汚染源は白虎のクシャミによるウイルス的な何かじゃなかろうか。しかし現段階ではまだ、断定はできない。ひとまず、残る土の大精霊と火の大精霊に会って話を聞くのが先決だろう。

 ライザが頭の中で色々と仮説を立てて唸っている間も、ピピはひたすら光の筋を追って走っていた。どうやら北に向かって進んでいるようだ。周囲の植生の移り変わりを見るのもライザの楽しみでもあった。今までは青々とした草原が広がっていたのだが、ピピが進むにつれ、荒地が多くみられるようになってきた。次第には荒涼とした砂漠に近い風景があたり一面に広がっていた。

「しかし、妙ね。」

「ピィ?」

ライザは呟いた。気づいたのかピピが速度を緩め、相槌を打つようにライザに反応した。

「うん、この一帯はそんなに寒いほどではないじゃない。緯度からしても、亜寒帯とまでもいかない。にも関わらず、荒地が多いのよ。さっきの草原からそんなに北上していないと思うの。妙よね。それともここが特殊なのかしら?」

「ピィー…。ピッ!」

 ピピは何か言いたげに答えたが、今回ばかりは“気のせい”レベルの謎のメッセージは聞き取ることができなかった。ピピはひたすら走り続けた。

 暫くすると、再び草原が現れた。林地も所々に広がっているのが遠方に見える。ライザは再び首を傾げた。

「うーん。なんだったのかしら。」

先ほどの荒地は“巨人”達が乱開発した跡という訳でもなさそうだ。文明が入り込めば、必ずその痕跡は見られる。しかし先ほどの荒地の一帯は、未開の地そのものだったからである。瘴気の気配がない事から、草一本も生えていなかったのは汚染由来という訳でもなさそうである。緯度に無関係な不自然ともいえる荒地の点在については、今まで知り得てきた事と全く別の原因があるように思えてきた。

ピピは疲れてきたのか、少々走行のスピードを緩めた。ライザはそれに気づくとピピに声をかけた。

「あ、休みましょう。疲れたのよね?あなたの好物のアレ、食べましょ。」

「!!!」

“アレ”と聞いて、ピピの目の色が変わった。そして急停止する。ライザは衝撃で前にのめった。

「ちょ、ちょっと……。」

「ピピピピ、ピピピ、ピピピ…。」

ピピは決まりが悪そうに何やらもにょもにょ言っている。急ブレーキの件を謝っているかのようにも思えたし、それについて言い訳をしているかのようにも思えて、ライザは可笑しくてたまらなかった。

 草むらの中に、丁度大きめな岩があるのが見えた。ピピの姿がすっぽり隠れるくらいだったので、ライザ達は岩の影で小休憩する事にした。今度は忘れずに結界を張って、外敵からの襲撃を受けないようにした。

 ライザは“アレ”即ち、ドライフルーツを背負ってピピの背中から降り、それをピピの目の前にゆっくり置いた。ピピは待ってましたと言わんばかりにそれをついばむと、目を細めて嘴をむにゃむにゃと動かしながらマナの果実の凝縮した風味を味わっていた。

 そんなピピの様子を微笑ましげに眺めていたライザだったが、何やら結界の外が騒がしい事に気づいた。結界そのものは、大気の屈折率を変化させて背景を表面に映しこみ、ライザ達の存在が外部から見えなくなっているようにさせるものでもあった。また、物理的にも結界近辺に近寄れないように細工がしてあった。しかし、結界付近に近づけば内側からは外の様子が辛うじて分かるようにしてあった。ライザは恐る恐る結界の外側を覗いてみた。

 そこには人々が移動しているのが見えた。人…とはいえ、ライザ同様に親指ほどの身長の人々が大勢、大荷物を背負って列をなしてゾロゾロと横切っている。人々の表情は虚ろで疲弊しきった様子。余程遠くから長旅を続けてきたのだろう。しかも、年端もいかない子供や赤ん坊も連れての大移動だ。何やら尋常ではない雰囲気だった。

 見るに見かねて、ライザは結界の外に出る事にした。その前にピピに一声かける。

「ちょっと外の様子見て来るね。」

ピピは首を前方に伸ばして結界の外を覗いてから、ライザのほうに振り返ってから頷いた。何となく「気を付けてね。」というメッセージが直接脳に語り掛けてきた気がした。

 ライザが結界の外に出ると、丁度人々の列の真ん中あたりに出くわした。年配の女が、孫らしき幼い子供の手を引いて、よろけながら横切って行ったが、次の瞬間には彼女はその場に転倒して蹲った。体力も限界だったのだろうか、立ち上がる力すら残っていないようだった。孫らしき幼い少年が心配してしゃがみ込み、必死に女を揺さぶる。

「おばあちゃん!おばあちゃん!しっかり!」

後方にいた人々も心配して立ち止まる。しかし、その女はやっとのことで声を振り絞って人々に弱々しい声で伝えた。

「私は………もう、限界です………。一緒に行っても足手まといになるばかり…。どうか、この子を、この子だけでも……宜しくお願いします………。」

「おばあちゃん!ダメだよ、一緒に行くって約束したでしょ……!僕を一人にしないでよぅ………。」

少年は倒れた女を起こそうと必死になっていた。ライザは咄嗟に屈みこむと、少年を制した。

「ごめんなさい、ちょっと…。」

「えっと…えっと………。」

いきなり何処からともなく出没した見知らぬ少女の存在やら、突然割り込まれた事も含めてパニックになっている少年を他所に、ライザは緊急用のエナジーキャンディーを女の口に押し込んだ。途端に、女の顔に血の気が戻り、みるみるうちに活力が戻った。動かなかった手足に力が入り、女はゆっくりと体を起こした。少年は女に抱き着いた。

「えーと……私は一体………。」

「おばあちゃん!!!」

周囲に居た人々も、ホッとした様子で彼らを見守る。その後、一同の視線はライザに集まった。突如飛び出してきた謎の少女が老婆の口の中に何か入れた直後に女が元気になった、という奇跡的な瞬間をその場にいた人々は見逃さなかったからである。

「貴女が私を助けてくれたのですね。有難う、見知らぬお方。」

「おばあちゃんを助けてくれて、どうもありがとう!」

「いえいえ。」

先行していた一部の人々も、騒ぎに気付いて戻ってきた。

「一体何があったのだね?」

「ええ、私が力尽きて倒れた所を、この方が助けて下さったのです。良く解りませんが、力が漲ってきてこの通り元気になりました。」

「へえ、それは……!我々の町の人を助けて下さって有難うございました。」

周囲にいた一同はライザに口々にお礼を述べた。

 ライザは人々に事情を聞いた。何故移動しているのか、どこに移動しているのか、何があったのか、等。人々によると、彼らの住んでいた町が突如起こった大震災によって甚大な被害を被ったとのことだ。建物が全壊して中に居た人々ごと犠牲になった区域もあれば、大地の亀裂に飲まれて地の底に沈んだ区域もあったらしい。運よく生き残った人々で、復旧作業を続けながら細々と生活を営んでいた。しかし度重なる余震により復旧も追いつかないだけでなく、町に留まっていると命すら危ぶまれると判断し、町の人々全員で移住を決めたという事だ。移住先はまだ決まってはおらず、野宿をしながら安全な地域を求めて旅を続けてきた最中だったという。

 住民たちの話を聞き終えてから、ライザは眉間に拳を軽く当てて唸った。聞くところによると、その町は未だかつて未曽有の震災など起こった事もなく、風光明媚で過ごしやすいエリアだったと聞く。本当になんの前触れもなく、局所的にそこだけ震災が起きたというのだ。近くに活火山がある訳でもないようだ。これも、ひょっとしたら大精霊界の何らかの不調による影響が地上に出たものかもしれない。ペンダントの指す方向を見ると、住民たちが移動して来た先とほぼ一致している。偶然とは思えないほどの一致だった。ひとまず、震災が起きて崩壊した町に行ってみる価値はありそうだ。その前に移動中の住民たちを、せめて不毛の大地を避けた方角に案内する必要があるとライザは考えた。彼らが向かう先が、先ほどライザ達が通過してきた砂漠へと向かっているからだ。そこで、彼女は周囲にいた人々に、自分たちがどの方向から向かってきたのかを伝える事にした。

「皆様が今現在進まれている方向に真っすぐ進んでも、広範囲に渡る不毛地帯にぶつかるだけです。草一本と生えてない荒涼とした土地でしたよ。私はそこを横断してきたばかりですから。恐らく、皆様がそこを渡り切る前に物資も尽きましょう。今の状態で皆様方が生きてそこを横断しきれるとは、到底思えません。」

 その場にいた一同は息を呑んだ。同時に絶望のため息すら聞こえてきた。ライザはすかさず補足した。

「ええと、ご安心を。今から進行方向を変えてください。真っすぐ南下せずに東か南に方向転換をしてみてください。林地が広がったエリアをどちらの方角にも見かけましたので、荒地にはなっていない筈です。」

「……でも、おねえちゃんは………?」

行き倒れになっていた年配の女の孫が心配そうに問いかけてきた。すると、件の女もライザの身を案じた。

「そうですよ。貴女こそ、どこを目指すのかわかりませんが…この先食料や飲料水だって確保できるとも限りませんし。あっ…。」

言いかけて、彼女は背負っていたリュックからなけなしの食料を出してライザに手渡そうとした。

「助けて頂いた、せめてものお礼なんですけど…宜しければ……。」

「いえいえ、お気持ちだけ受け取っておきます。有難う。」

ライザはゆっくりと首を横に振って、申し出を断った。そして腰に装着した袋からエナジードロップの入った小瓶を取り出すと、何粒か取り出して布に包むと彼女に手渡した。

「えっと…これは………。」

困惑する女に、ライザは笑顔で答えた。

「先ほど貴女の命を救ったアイテムです。万一道中に仲間の方が倒れたら、これを舐めさせてください。大怪我をした方にも効きますよ。」

「いえいえ、頂けませんよ!そんな大切なもの!こちらは助けて頂いて何もお返しもできていないというのに…。」

女は申し訳なさそうに断るが、ライザは無理やり女にドロップの包みを握らせた。

「私に対する借りは、他の困っている誰かに返してあげて下されば結構ですから。どうぞ、受け取ってください。これは道中で調達できるものですから、大丈夫です。」

そして、力強く頷いて微笑んだ。

「本当に、何から何まで有難うございます。大切に使わせて頂きますね。」

女は躊躇しながらもライザに手渡された包みを受け取って、大事そうに懐にしまった。傍らの少年も何度もライザにお礼の言葉を述べた。

「おねえちゃん、神様みたい。本当に有難う。あとで必ず恩返しできるくらい強くなるね!」

「うん。頑張ってね!その前に、安住の地が見つかりますように…!」

「頑張る!」

「じゃ、私たちはそろそろ行かなきゃならない場所があるから行くね。」

ライザは町の人々に別れの挨拶を告げると、その場を去った。と、いうよりはその場から瞬時に消えた。少なくともその場にいた人々から見たら、瞬時に消えたように見えたのだった。実際は結界の中に戻っただけなのだが。直後、人々が騒然としていたのは言うまでもないが、ライザの頭の中は大崩落した町の事で頭が一杯だった為、彼女は何の気にも留める事もなく、ピピの待つ方に向かって行った。

 ピピはドライフルーツの余韻に浸って幸せそうに目を細めてまどろんでいた。ライザが戻ってきたのを察すると、首をもたげて振り返った。「おかえり、どうだった?」と言っているかのように小首を傾げて小さく「ピィ?」と鳴いた。

「ただいま。なんかね、大変な事になってたわよ。外で騒いでた人たち、故郷が未曽有の震災で崩壊しちゃったんだって。復興も間に合わないうちに震災ばかり続くから、故郷を捨てて大移動していた最中だったみたい。」

「キュイ?」

ピピは、「それで?」と続きを促すように首を傾げた。

「でね、偶然にもペンダントの指す方角が、その人たちが捨てた故郷…震災のあった方角なのよね。ピピ、どう思う?何か臭うわよね。」

「ピキュ!ピキュ!」

ピピが相槌を打つように頷いた。

「とりあえず、行ってみますか?スタンバイOK?」

「キュイ!」

ピピは首を地面に低く降ろし、ライザを背中に乗せるのを助けた。ライザが背中に乗るのを確認すると、ピピは立ち上がった。ライザは指をパチンと鳴らした。刹那、結界の魔法が解けて彼らの姿が外部に露わになった。先ほどの移動中の人々の列の、最期の一人が遠方に遠ざかるのが見えた。ライザは彼らの行く先を暫し見送ってから、ピピに合図をだした。ピピはペンダントの指し示す光線の方向に向かって軽快に走り出した。

 走り続けて数時間も経つと、大地の異変に気付く程度の変化が表れ始めた。至る所に大地の裂け目が刻まれているのが分かった。ピピは次第にスピードを緩め、注意深く歩き始めた。そして、ついには足を止めてライザの方を振り返った。何か見せたいものがあるかのように、ライザの方をみては、下方に首を伸ばして何かを指し示している。

「どうしたの?ひょっとして………。」

「ピッピッ。」

ピピはこくこくと頷く。「実際に降りて確認してみるかい?」と言っているかのようだ。

「ちょっと降りてみるね。」

ライザはピピの背中から飛び降りると、ピピが示した方向を眺めた。そこには目を疑うような凄惨な光景が広がっていた。あたり一面瓦礫の山と化していた。大地の至る所が隆起し、かと思うとその傍らには巨大で深い亀裂が至る所に刻まれていた。恐らく、つい先ほどできたばかりであろう新しい亀裂も刻まれていた。湿気を帯びた黒い土が亀裂から覗いている光景が生々しい。

「生存者がいるとは到底思えないけど………。」

そう言いかけた瞬間、突如何処からともなく突風が吹き荒れた。瓦礫の欠片を巻き上げて此方に襲い掛かってくる。ライザは咄嗟に両掌を前方に向けた。“見えない手袋”は仄かな白い光を放って吹き荒れる風を吸収し、同時に瓦礫をはじき返した。

「ふぅ…。白虎さんに救われたわね。」

ライザはため息をついた。

「長居は無用のようね…。行こうか、ピピ。」

「キュイ。」

 彼らは亀裂を避けながら、再び光の指し示す方向に向かった。暫くすると、前方にうっすらと何かの影が見えてきた。近づくにつれてマナの濃度が上昇していく。

「ピピの大好物が落ちているかもしれないわね。私も薬の補充をしないと。」

「ピイイイイイ!!!!!」

途端にピピの目の色が変わって爛々と輝き始めた。前方に猛ダッシュし始める。ライザはピピの急な加速によってピピの背中の上で横転してしまった。

「ちょっとー!ピピってば!」

「ピピッ!ピーっ!ピーィピーィ!」

ピピは謝罪しつつも言い訳をしているかのような声で反応しながらも、ひたすら走った。近づくにつれ、影のようなものだったものの全貌が明らかになってくる。樹の梢の緑がはっきりしてくる。ピピまっしぐら。

 マナの樹に近づくにつれ、異様なまでに地面の亀裂が増え、地面の隆起も激しくなってきているのが分かった。ピピは待ちきれないかのように樹に向かって疾駆するも、地面の隆起にバランスを崩してよろけたり、亀裂を避けながら飛び跳ねなくてはならず、悪路に苦戦しはじめた。光は已然としてマナの樹の方角を指している。

 突如、大きな大地の揺れが彼らを襲った。ピピは足元を掬われて咄嗟に飛び上がった。刹那、メリメリと低音を轟かせながら大地に亀裂が走る。ピピは亀裂を避けた前方に着地した。

「うわっ!危なかったわね!ピピ、ナイス!」

「キュピッ!」

 しかし、安心するのはまだ早かった。間髪おかず、次の激しい揺れが彼らを襲った。メキメキと大地が隆起する。ピピは羽ばたきながらジャンプした。その瞬間。彼らの視界がホワイトアウトするや否や、突如ぽっかりと空いた時空の歪の中に飲み込まれていった。


 ライザの視界に入ってきたのは、まずサーモンピンクの色だった。ぼんやりとクリーム色に輝く不定形なふわふわした塊が、ゆるやかに揺蕩うのが見えた。ライザはピピの背中の上で仰向けに倒れていたのだった。どうやら目に入っていた光景はどこかの空のようである。ライザはゆっくりと上体を起こした。ピピも首を伸ばしてキョロキョロし始める。

「ピピ、良かった。無事だったのね。怪我はない?」

「キュイ。ピッピッ、ピキュっ!」

ライザの頭の中で、なんとなく「僕は大丈夫だよ。君は怪我してない?」と聞かれたような気がした。

「私は大丈夫だけど…ここ、どこかしらね。」

「ピキュ……。」

 周囲を見渡すと、至る所に高く切り立った岩から成る山の峰々が連なっているのが見えた。岩山といっても、それ自体が美しい鉱物で構成されているかのように淡く空色がかったアクアマリンのような色をしており、所々に若草色の柔らかな葉を茂らせた木々が至る所に生えていた。大地からは至る所にカラフルな鉱石のクラスターが煌めいていた。そして、サーモンピンクの空。なんとも幻想的で美しく息を呑むような光景だった。

 突如、彼らの目の前に、ラメがかった空色の巨大な円盤のようなものがゆっくりと上空から降りてきた。それが地上に着地すると、下からクリーム色の手足、尻尾、頭部をぴょこっと覗かせた。ザクロのような真紅の一対のつぶらな瞳がこちら側を向いた。そして、ライザの脳裏に直接語り掛ける声があった。

《 おいらの聖域に、ようこそ。 》

「えっと…ひょっとして、土の大精霊様でしょうか………?」

困惑するライザに対して、声の主である円盤状の存在…巨大な亀のような存在…は、ゆっくりとした口調で答えた。

《 そうだよ。玄武っていうんだ。よろしくね。君らを“拾って”招き入れたのも、おいら。びっくりさせてごめんね。 》

「こちらから伺う予定でおりましたので、かえって好都合です。有難うございました。」

ライザは礼儀正しく深々と一礼した。ピピも長い首を上下にくいっと動かして一礼する仕草をした。

《 いえいえ、礼には及ばないよ。おいらを訪ねる用事があったっていうのは…多分我々の聖域の異変についての事だよね? 》

ライザは目をぱちくりさせた。玄武は話を続ける。

《 だって、おいらの仲間のエンブレム持ってるでしょ。先に二人ほど訪れてるよね。マナの樹の発するマナと、君らの持っているエンブレムが共鳴してたからさ。すごくキラキラしてて目立ったから、ついつい気になって拾っちゃったの。おいらもずっとイライラしてた所だったから、お客さんがきて気分転換になって良かったよ。 》

玄武が「エンブレム」と呼んでいる物は、恐らく青龍や白虎から受け取った加護の力の事だろう。

「本当に美しい風景ですね…。」

ライザはぼそりと本音を呟いた。どこを見渡してもキラキラと輝いている。宝石箱のような世界だったからだ。

《 ありがとう。それなのにね、突然理由もわからずおいらの聖域内の土地から発火して、そこにいた植物や生き物達ごと焼かれて不毛の土地になっちゃうんだよ。今ね、修復したばかりなんだけどさ。修復すると今度は別の場所から発火しちゃうんだ。きりがないんだよ。それで疲れてイライラしちゃうのさ。ストレス発散の運動がてら跳ねたりしてみてるんだけどね。ふう、やんなっちゃうよ。 》

「そうだったのですね………。心中お察しいたします……。」

ライザはそう答えて、改めて周囲の風景を見渡した。玄武のストレス発散運動による跳躍が恐らく地上における大地震の原因なのかもしれない。玄武はのそのそと動き回りながら周りの地面を手足でパタパタ仰ぐ仕草をしながら話を続けた。

《 ほら、焼け焦げちゃった跡ってさ、動植物たちの燃えた灰やら、鉱物が熱で変質したり脆くなってぼろぼろになっちゃったりしてね。その後処理が大変なんだよ。こうやって手足で掃き出して、まっさらな状態に戻してからじゃないと大地の蘇生作業ができないんだ。 》

玄武が動き回った周辺は、よく見ると何もなくなっていた。平らな、何もない空間…穴の様にすら見える空間…になっていた。その上を、細かな粒子がキラキラと空中を舞っているのが分かった。

「そこは………穴……ですか?」

周囲の美しい風景に不釣り合いなほどに、漆黒の何もない空間がぽっかりと空いているので、ライザはじっとその一点を見つめてしまった。

《 説明はし難いけど、空間の一部が初期状態に戻っただけなんだよね。何もないけど、すべてがある。破損した部分を純粋なエネルギーに戻しただけなんだよね。 》

「では、そのエネルギーから新しく地面や岩石などを再構築する訳なんですね。」

《 うん、まさにその通り。君は、飲み込みが速いね。 》

玄武は満足そうに目を細めて頷いた。そして改めてライザに向き直ると真紅の瞳を輝かせてライザとピピに向けた。

《 で、まあ…来て早々難だけど、君たちにお願いがあるんだよね。いや、寧ろ君たちはその目的で来てくれたんだとおいらは確信しているんだけどさ。………おいらの聖域の異変の原因を突き止めて欲しいんだよね。おいら、ここを離れる訳にいかないからさ。 》

ライザは頷いた。

「ええ、もともと其のつもりで伺う予定でしたので。」

ピピもこくりと首を縦に振った。

《 助かるよ、有難う。じゃあ、おいらからも加護の力を付与しておくからね。道中役に立つと嬉しいな。 》

玄武は短い尻尾を、嬉しそうにパタパタと横に振った。そして玄武の真紅の瞳が一際眩く光を放った。刹那、ライザの右手首の周りに黄金に輝く光の環が現れ、それは徐々にブレスレットを形づくっていった。シンプルだが、所々に見たこともないような美しい宝珠が散りばめられている。ライザは息を呑んだ。一方でピピの周りの空気がぼんやりと金色に輝き始め、そ突然強く激しく明るく輝くと、一瞬でピピの体に吸収されるようにして消えた。ピピは不思議そうにキョロキョロしてから毛づくろいをしたり、脚を後ろに伸ばしたりしていた。

《 君には、ダイヤモンドガードを付与したよ。瞬時に最強の硬度を誇る防御壁を四方に張り巡らすことが出来るんだ。自身にかけると、自身の体を一瞬だけダイヤモンド並の硬度にすることもできる。そっちの幼い聖獣君にも同じような力を付与したからね。 》

「有難うございます。」

「ピィッ!」

ライザとピピは深々と一礼した。玄武は目を細めると嬉しそうに尻尾をパタパタ振った。

《 久々のお客さんだったから楽しかったな。いつも、おいら一人だからさ。また時間のある時にでもゆっくり遊びにきてくれたら嬉しいな。このエリアを案内してあげたいけど生憎、修復作業で手一杯なんだ。勝手に呼び込んでおいて何もお構いできなくてごめんね。 》

「いえいえ、お気になさらずです。世界が落ち着いたらまた、ゆっくりと伺いますね。では、そろそろお暇致します。」

「キュイ!」

《 うん、またね。 》

 玄武は聖域のゲートを開いて彼らを下界に送り出してくれた。一瞬ホワイトアウトして意識が飛ぶのはいつもの事だった。

 彼らが気づくと、そこはマナの樹の真下だった。不思議な事に、先ほどまで沢山できていたマナの樹周辺の亀裂や地面の隆起は綺麗に消えており、なだらかな草原が広がっていた。頻繁に激しい揺れが襲う事もなかった。ライザは、消耗したエナジードロップやら各種消耗アイテムの補充を兼ねて、ピピの捕食タイムを設ける事にした。

「ピピ、私は薬を作ってるから、暫く散歩してきてね。お腹いっぱい生の果物を食べておいてね。」

「キュイ!!!」

ピピは、待ってましたと言わんばかりに地面に転がっているマナの実を見つけては美味そうについばんでいた。

 ライザは一方、落ちていたマナの実や葉、周囲の草花を原材料に薬草やら消耗アイテムを作りながら考えていた。道中で見かけた異様な不毛地帯について。ひょっとしたら、玄武の聖域にできた不毛地帯と対応しているのかもしれない。その不毛地帯を発生させている原因は何なのだろうか。最後の大精霊が何らかのカギを握っているかもしれない。いずれにせよ、大精霊全てに会って話を聞かなくてはならない。

 一通りの作業が終わったので、ライザはピピを呼び戻し、マナの樹の元を去ることにした。ピピは腹いっぱい食べて満足そうに目を細めて喉を鳴らしている。

「さ、行こうか。宜しくね。」

「キュイ!!!」

ピピはライザを載せて、光の指し示す方に向かって再び走り始めた。


 どれくらい走ったのだろうか。ピピを適度に休憩させつつ日が暮れたら野宿を繰り返し、旅を続けてきた。ペンダントの示す先は南を向いている。ライザはふと、途中で行き会った難民一行の事を思い出した。彼らは無事に新たな居住区を見つけられたのだろうか。こうしている間に新たな難民を出さない為にも、なるべく早く異変の原因を突き止めて解決しなくてはいけない。ライザが考え事をしている間にも、ピピは逞しい脚で荒れ果てた砂漠地帯を真っすぐ突き進む。

 そうしているうちに、ピピが突然足を止めた。首を傾げて、何やら鼻をくんかくんかし始めたのだ。不審に思ったライザはピピに問うた。

「何かあったの?」

「ピピピ、ピピピピ、キュピ。」

ピピは、ある方向に向けて首をくいくいと伸ばしてはひっこめたりして何かを伝えたそうにしている。そちらの方向は明らかにコースアウトだったが、ピピは非常に気になっている様子だった。突如、ライザの意識に直接声が届いたような気がした。

《 あっちからね、水の匂いが微かにするんだ。きっとオアシスだよ。いってみない? 》

ライザは頷いた。

「そうね、野宿するなら砂漠のど真ん中よりオアシスのほうが確かにいいかもしれないわね。ひょっとしたら人が居るかもしれないものね。」

「キュイ!」

ピピはライザの同意を得ると、匂いの方向に一直線に突っ走った。徐々に木々の茂みらしき影が見えてきて、それは近づくにつれてくっきりとしてきた。

ピピの言った通り、オアシスが確かに存在していた。ライザは感嘆の息を漏らした。

「ピピの嗅覚、凄いわね…!本当にオアシスがあったなんて!」

「キュピ、ピピピ。キュピ。」

ピピは照れ臭そうだが誇らしげに羽を動かす。そして、何かを探り当てるかのように、注意深くゆっくりと緑の大地を歩き始めた。そして不意に歩を止める。

「何かあったのね?」

ライザは下方を見下ろす。すると、小さな街があるのに気づいた。そこからワラワラと人が出てきて何やら騒いでいるのも聞こえた。恐らく、いや、確実にこれはピピの存在に驚いているに違いない。ライザ達のような小さな種族にとって、ピピのサイズは十分にマンモス級なのだから。

 ライザは慌ててピピの背中から飛び降りた。彼らに事情を話して害意がない事を知らせなくてはならない。

 ライザが巨獣の背中から降りて来るのを見て、集まった人々は更に驚いてライザを取り囲んだ。

「えっと…、驚かせてごめんなさい。この子は体は大きいけど、賢いし優しいし、何もしないから安心してくださいね。オアシスがあったのを見て、ここに立ち寄っただけなんです。」

 ライザはピピを外に待たせ、街の人たちから情報を収集する事にした。街の人たちの話によると、どうやらここの住民たちはかつて難民だったという。彼らは周辺の色々な地区から集まってきているが、それぞれの住んでいた町やら集落が前触れもなく一瞬で焼け野原になってしまったという。草一本と残らず、家の跡すら残らず、完全な更地かつ不毛の大地と化したというのだ。偶然にも町の外にいて難を免れた人々ばかりだった。オアシス周辺の不毛地帯は恐らく、その謎の災害にて焼け野原になってしまった跡地なのだろう。

 街の人たちは、ライザを快くもてなし、町の施設等を案内しつつ運営の仕組みなどを説明してくれた。流石に難民たちの集まった場所なので、お互いが助け合って生活できる仕組みが充実しており、特定の個人が利益を独占したり権力者が権限を掌握するような体制にはなっていなかった。特に死活問題の水資源は共同利用という事になっており、水資源を活用する為の施設…井戸や風呂なども皆で協力し合って運営しており、特定個人の所有するものではなかった。通貨という価値は存在せず、物々交換やら異なる業種間でのサービスの交換によって平和的に運営がなされていた。トップとなる長も人格者かつ適任者をを皆で相談しあった上で決める仕組みとなっていた。

 一見、平和そうで何不自由なく生活が営まれているようにも思えたこのオアシスの街だったが…実は現在、深刻な問題を抱えている事が分かった。ライフラインである、なくてはならない水資源の出がここのところ悪いというのだ。水が枯渇すれば、ここもまた砂漠になってしまい、人々は放浪の旅に出なくてはならないという事になる。しかし、ライザがピピに乗って走ってきた中で見た限りだと、次の緑地帯までピピの足ですら数日はかかった程、広範囲に渡って干上がっている。小人サイズの人々が徒歩で砂漠を乗り越えられるとは到底考えられない。水も食料も枯渇してミイラになることは目に見えている。

 ライザは、オアシスの街のリーダーに、水源の調査をしに行く事を申し出た。そのリーダーの名はエリアといった。ライザはエリアに事情を聞くことにした。

「水の出が悪くなったのは何時頃からか、わかりますか?」

エリアは少し首を傾げると暫く考え込んだ。そして、何か思い出したように言った。

「ひょっとしたら…ですけど。先日大きな地震がありまして。それ以来だったような気もするんですよね。」

「岩か何かが水路に挟まった可能性もありますね…。見てみない事には何とも言えませんが。」

「ええ………。しかし、本当に、お任せしてしまって宜しいのか…。旅の方なのに、調査までして頂くなんて…。水源調査の為の地下通路は開設以来、危険なので立ち入り禁止区域にしてあるのです。以前は定期的に検査に立ち入っていたのですが、危険なモンスターが巣食って以来は完全封鎖してしまったのですよ。」

申し訳なさそうに俯くエリアに対して、ライザは力強く頷いた。

「旅人だからこそ、ですよ。ほら、死線をかいくぐっているからこそ、それなりの知識と経験があるからこそ出来る事があるのです。お任せください!」

「本当に…有難うございます。では、水源の入口までご案内しますね。しかしくれぐれも無理はなさらず。身の危険を感じたらすぐに戻ってきてくださいね。」

エリアは、護身用の煙玉や手榴弾を幾つかライザに手渡した。

「万一の時は…使ってくださいね。本当に無理なさらず。」

「ええ、有難うございます。」

 そうしているうちに、目的地に到着した。ライザは、地下通路入口のゲートをあけてもらうと、中に入って行った。地下通路は暗く、じめじめしていた。以前は点検担当の人が使っていたと思われるランプが壁に沿って点々と並んでいるが、使われなくなって久しいのか、煤だらけで手入れもされていなかった。使えるのかどうかすら疑問である。

ライザは、腰の袋から携帯用のマナランプを取り出して、装着用のベルトを取り付けると頭部に装着した。このランプは、マナに反応して発光する素子を吸収させた素材が中に入っており、何もしなくても大気中にマナさえあれば勝手に点灯するようになっている便利アイテムだ。ランプはぼんやりと発光し始め、ライザの周辺を照らした。ライザの身長ほどの距離の前方まではくっきり明るく見える程である。

しばらく通路に沿って進むと、巨大な蟲が前方から地面を這って迫ってきた。地中にもともと住み着いている蟲だろう。灯りが苦手なようだ。ライトの光に気づくと、それを避けるかのように進行方向を逸らしたのが分かった。敵意はなさそうなので、ライザはそのまま通路端に寄ってやりすごした。

ライザが遭遇した地中の生き物の殆どは害意がなく、ライトを避けるようにして通過するか、方向転換して撤退していくものが見られた。

しかし時折、好戦的な蟲と遭遇した。彼らは肉食で、ライザを捕食しようと容赦なく襲い掛かってきた。身長が通常の人間の親指ほどの丈ほどのライザにとっては、ムカデの子供ですら驚異的な大きさだった。自分の身長ほどの長さもある訳である。しかし、ライザは臆することも無く炎の魔法を狙い打って正確に瞬時に仕留めて行った。

とはいえ、成虫のムカデに遭遇した時は、見た目の巨大さや気味の悪さに相俟って凶悪さと獰猛さを形にしたような様に、流石のライザも震えあがってしまった。小人のライザにとってはムカデの一撃すら致命的だった。しかも移動速度が尋常ではない。通常の人ですら、高速移動するゴキブリを叩ききれずに逃げられるケースが良くある。小人サイズの人にとっては、彼らの移動速度は通常の人から見たそれをはるかに凌駕する程なのだから。

幸いな事にライザは大掛かりな魔法でない限り、無詠唱で術を瞬時に発動させる程の資質と、敏捷性を兼ね備えていた。瞬時の攻撃魔法と防御魔法くらいは発動できる訳だ。それらが幸いして、剛速球のように突進してくるムカデの攻撃を避けつつ、アクションゲームの達人級の攻撃ボタン連打のように、攻撃魔法を素早く繰り出すことができた。そうでもしない限り、詠唱中に食われて人生そのものがゲームオーバーとなることは必然だ。

ライザはムカデの攻撃に対して瞬時にダイヤモンドガードで身を固め、頭部を焔の魔法で狙い撃ちした。攻撃を風属性の術で紙一重で避けながら、ターゲットを狙い打つ。何度か外すが、一撃がムカデの体躯の一部を掠めた。ムカデは熱に震えあがって、その場で長い胴体を激しくうねらせた。チャンスである。ライザは畳みかけるように次々と炎を連射した。激しく胴体をうねらせているムカデに対し、次々と灼熱の炎が撃ち込まれた。ムカデは瞬時に沈黙した。地面に力なく長い胴体を投げ出すかのように転がっていた。焼け焦げた外骨格の一部の色が変色している。

「この外骨格は武器や防具なんかに使えそうだけど…流石にバラして持っていく気がしないわ。気色悪いもの、この生き物………。」

 転がっているムカデの死骸を見てライザは肩を竦めた。確かに鋭い牙は小人にとっては良い武器になりそうだ。しかし…流石に触れる事すら抵抗があるほど、気色悪い形相の生き物だった。死骸の横を通る事すら抵抗があるほど、この形状の生き物に苦手意識があった。戦っていた時は必死だったが、よくよく振り返ると…こんな寒気がするような生き物とよく戦っていたなと、ライザは改めて震えあがった。

 ライザは先を急いだ。暫く行くと、かすかに水の香りがした。水源が近い。同時に、点検用通路の終点にたどり着いた。行き止まりの壁にはドアがついており、その先が水源からの水を市街地に運ぶための水路があった。

 ここからが、本題となる水路の状態の調査だった。ライザはドアを開けると、その先を覗いた。水路の溝に沿って人がぎりぎり一人通れるほどの通路がある。そこを歩いて水源までたどり着かねばならない。水路を見た所、明らかに水位が低い。ライザは水路に落ちないよう、慎重に細い通路に沿って流れの上流に向かって歩いて行った。このような足場の悪い場所で先ほどのムカデのような強靭かつ獰猛なモンスターに襲われたらひとたまりもないが、幸いな事に特に何事もなく水源までたどり着いた。

 案の定、水路と水源を結ぶ地点が殆ど土砂で塞がれており、水路の細い隙間から水がちょろちょろと辛うじて流れ込んでいる状態だった。

「さて…どうしたものかしらね。」

ライザは、水路をふさいでいる土砂部分を調べた。どうやら一枚岩という訳ではなさそうである。しかし、この状態で一人で泥を掘り出すわけにもいかない。とはいえ、魔法で土砂を吹き飛ばしたら飲料水が濁るだけではなく、せき止められていた水が一気に流れ込んでくるリスクが非常に高い。そんな荒療治をしたら、溺死フラグ確定である。

「ふむ…。町の人には申し訳ないけど、断水させて頂くしかなさそうね。」

ライザは苦笑すると、何やら唱え始めた。ライザの全身にライトブルーの淡い光が集まってきた。ライザは片腕を、水源への隙間にねじ込むと、そこに向けて術を発動させた。瞬く間に水源全ての水が凍結する。

「これで、よしっと。次は………」

ライザは水路をふさいでいる土砂に向けて両手を当てる。白虎からの加護の力を発動させ、両手から衝撃波を放って土砂を吹き飛ばした。瞬時に玄武の加護の力であるダイヤモンドガードにて勢いよく吹き飛んできた土砂から身を護った。

 水路を塞いでいた土砂は完全に吹き飛び、突如目の前の空間が開けた。そこには地下水を湛えた空洞が広がっている。とはいえ、その地下水は現在はライザの術により巨大な氷の塊と化しているのだが。

 ライザは地下水を凍らせている間に、土砂ごと吹き飛ばされて歪になっている水路の天井や壁を補修した上で、術によりそれらの強度を上げた。そして水源の氷の一部を術で溶かして液体へと変えた。ちょろちょろと、溶けたクリアな水が水路を流れ始めた。その様子を確認すると、ライザは満足気に頷いた。

「完了っと。長居は無用ね。もう“アレ”に遭遇するのは嫌よ。」

アレとは勿論、巨大ムカデの事である。

 ライザは撤退準備を始めた。そそくさと管理用通路に逃げ込むとドアを閉め、足早に地上へと戻って行った。非常に幸いな事に、帰還途中には件のモンスターとのエンカウントは一切なかった。念のため、通路天井や両サイドの壁を術で補強し、通路全体に結界を張り巡らせて邪悪な生き物の侵入を防いでおくことにした。これで、想定外のトラブルが起きない限りは一般人でも安心して通路を使う事ができるだろう。

 ライザが地上に上がってくるのを、心配で待っていたのだろう。街の人たちが総出で出迎えてくれた。

「ライザさん、ご無事で何よりです。びっくりさせてごめんなさい。でも、皆が心配で集まって来てしまったんですよ。この通りで…。」

エリアは、照れ臭そうに頭を掻いた。

「いえいえ。それより…予想通りでしたよ。」

ライザは、調査結果を皆に報告した。その上で、修理も完了した事と、水源の氷が解けるまで水量が安定しない事も付け加えた。しかし、管理用通路の道中にグロテスクな生き物の死骸が転がっている事について触れる事はすっかり忘れていた。凶悪かつ巨大とはいえただの死骸…即ち物体である。それゆえ特に害はないが、あるとしたら発見者が死ぬほど驚く程度だろう。

 エリアを始め、住人たちは水路の修繕の知らせに大いに歓喜し、飛び跳ねて歓声をあげてライザを湛えた。彼らはライザとピピを連日のようにもてなしてくれた。おかげで彼女は、長旅の疲れを完全に癒すことが出来た。ピピも珍しいフルーツや野菜を毎日堪能できて満足そうに喉を鳴らしていた。

彼らの出発時には、街の人々が旅支度に必要な物資を揃えて持たせてくれた。

「ライザさん、本当に有難うございました。なんとお礼を言っていいか分からない程です。また何かありましたら街にお立ち寄りくださいね。」

エリアはライザの両手を握って握手をした。街の人々も総出でライザの見送りに来てくれた。

「ええ、有難うございます。機会があればまた、是非立ち寄らせて頂きますね。」

ライザはエリアに握手を返して、頷いた。

 オアシスの街は本当に居心地が良く、食べものも全て美味しく、立ち去るのには惜しかったものの、先を急がなくてはならない。これ以上難民を増やさぬよう、大地の発火の原因を調べなくてはならないのだ。ライザは名残り惜しみつつ、街の人たちに別れを告げて街を後にした。

 残すところ、火の大精霊の元を訪れるだけとなった。ライザはペンダントの放つ光の示す先を見た。寄り道をした為、進路は暫くは南から若干逸れていたが、軌道修正後は真っすぐ南に下るだけとなった。


ネタ煮詰まって途中でレトロゲームにはまってしまいました(´・ω・`)

大昔に遊んだクロノトリガーを、内容忘れたんで2週目したんですが、これもボス倒せなくて煮詰まりました(´・ω・`)

難易度高いっす(´・ω・`)(´・ω・`)

あ、続編…よろしかったら読んで頂けると嬉しいですー!

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