アークとレイザー
1章 アークとレイザー
20XX年、記念すべき4月1日の出来事だった。ポールシフトが起こった事により、地球文明は一瞬にして滅んだ。地上に住む生き物にとって、晴天の霹靂ともいうべき出来事だったであろうが、あまりに一瞬の出来事であった為、彼らは命が尽きたことすら自覚できていないかもしれない。否。「今日は何の日だ!?そうだ!年に一度だけ堂々と嘘をついて良い日ではないか!」誰もがそのように考えた筈だ。きっと、「春の馬鹿野郎!」と夕日に向かって、ガキのいたずらのような陳腐なウソに騙された自分の恥かしさに叫ぶのに違いない。
しかし、そんな彼らに明日はやってはこなかった。地球文明は滅びたのだ。燃え盛る炎の中で、地球は次の文明を構築すべく準備を始めたという訳である。
アスペル界。そこは神々の、神々の為の、神々による、途方もなく大きなエネルギーギャップにより遠く遥か物質界より隔離された世界である。「神々」と一言で書いたが、地球人が「神様」と崇め奉る知的電磁生命体全般を指している用語であると言っておこう。彼らも人間同様に食いひり寝たりの生活を営んでおり、社会的な秩序のもとに生きているのである。
地球文明と異なる事といえば、通貨という価値観がないという事であろう。労働の対価に対してサービスや物、若しくは「リソース」と呼ばれるエネルギーで交換するような感じである。リソースは純粋なエネルギーであり、魔力や念力にも形を変えるし、物や生き物にも形を変えるので使いまわしが効き、彼らの世界においては最も喜ばれるものである。
ならば地球文明における通貨と同じではないかと反論されるかもしれない。しかしインフレやデフレでコロコロ価値が変動する通貨と異なる点がある。リソースとはエネルギーの流れであるがために循環するのだ。無限に湧いてでるわけではない。有限の量のリソースが循環して、あたかも無限にあるように感じられるだけなのだ。
生き物が死ぬと、その魂や精神エネルギー、そして物質を構築していたエネルギーが純粋なエネルギー、すなわちリソースに戻る訳だ。そう、うっかりしたら誰かの大便から解放されたリソースが循環して食べものになり、誰か別の人の口に入るのかもしれない。
誰かの大便か小便由来のリソースから巡ってきたかもしれない、大きな肉まんをほおばって舌鼓をうっている男が居た。公園らしき施設内のベンチに横になってベンチを独占しつつ、口の中一杯に広がる肉汁を味わいながら片手で携帯用の小型端末を操作していた。
「直虎餃子房のしみったれ肉まんは最高だな。それにしても地球文明には美味なるものが沢山あったというのに…惜しい事をした。もっと色々食べて置けばよかったぜ。」
男は端正な顔を少々しかめながら、肉まんの最期の一口を頬張った。男は、携帯端末で何かを確認すると、それを懐にしまった。
「まあ、地球の任務も終わったし。暫くは有休でもとって家でゴロゴロするか。つっきーでも呼んで地球闇鍋会してもいいな。もしくはゲームでもするか…」
その男は、かつての最期の地球文明における「日本」という国家において「須佐之男命」と呼ばれていた者だった。「つっきー」とは同じ国家において「月読命」と呼ばれていた者の事である。最後の地球文明時代以前から懇意にしている仲間のうちの一人だ。よく一緒にちょっとした悪戯をしては、当時の上司に懲らしめられていた仲だった。
かつての日本において「古事記」やら「日本書紀」として知られている神々の系図を語った読み物において、彼は乱暴者というレッテルを貼られている。それも上司からの戒めのうちの一つだった。同僚の天照大神が大事にしまっていたクッキーをこっそり男連中が酒に酔った勢いで全部平らげてしまったのが原因である。須佐之男命は「乱暴者の神様」という設定にされ、月読命は「兄弟喧嘩したせいで夜の世界担当にされたちょい悪な神様」という設定にされ、大国主命は大黒様という、太っちょな爺さんのイメージのレッテルを貼れらた訳だ。おかげで参拝に来た人間が言い間違って「おおにくぬしのミート」と呼んでしまい、デブまっしぐらのイメージが一部の人間に固定されてしまったという辱めを受けることになった。古来より、食べものの恨みは怖いという事になる。
地球プロジェクトのプロジェクトリーダーであった女神ガイアは、各国を統治する神々に対し、風水術や天文学等を人間に叩きこむ為や神々の名前を覚えさせる為の物語を作らせた。皆は面白がってその企画に臨んだ。それが仇になり、泣きをみた神々が数名居たことは否定できなかった。
彼女募集中の大神それがしが、女の子の気を引こうとして行った悪戯の度が過ぎて怒りを買い、「そんなに彼女欲しいなら与えてやるわよ!物語の中で!」と、某神話において悪魔の化身のようなモラルも糞もない最低最悪な「ヘラ」という名の架空の嫁を与えられてしまった訳である。誰もが思っただろう。ヘラではなく、この女は「ヘル」のいい間違いだろう、と。ゼウスは糞真面目で仕事熱心な神であるが、女の扱いが苦手で、いまいち距離感が掴めずにいた。故に彼女ができた試しがない。彼なりに色々と勉強をし、笑いを取ろうとしてわさびタップリの手作りトリュフを本命の女の子にプレゼントした訳だった。やはり、食べものの恨みは怖いのであった。
須佐之男命に話を戻そう。彼はベンチに横になったまま、でかい放屁をすると鼾をかいて寝始めた。束の間の休息を満喫しながら。夢の中で、彼は銘酒「松竹桜」の川の中を背泳ぎしながら、宙を舞う色とりどりのマカロンを捕獲して頬張っていた。まさに幸せの絶頂を味わっていた。時折、日本酒でできた川の中をすいすいと泳いでくる鯛焼きを片手で器用につかんで頬張った。ビバ、地球の食べ物。朦朧とする意識の中、かすかに声が聞こえる気がした。
………くん………おい……………くん!…起きろ!
「ん…、ああ……もう食べられないぜ……ぐう。」
不意に、瞼の周りにひんやりとした刺激を覚えて、彼は呻った。それはだんだんと強まってひんやりを通り越して痛さすら覚えた。
「がぁッ………うぼぁっ!?!?…目が!目がああああああ!!!」
某浮遊大陸で非業の死を遂げた某ロリコン大佐に引けをとらないほどのリアクションにて、彼は飛び起きた。何が起こったのか把握するまでには数秒間の時間を要した。
目を見開いた先にはよく見知った顔があった。形の良い口元に悪戯っぽい笑みを湛え、その右手には地球文明の遺産である「メンソーレ・タムラ」を持って。緑色ベースでデザインされ、琉球王国の女性が描かれた円筒状のパッケージの先から覗く半透明感を帯びた油脂の塊からは、割と強烈なメントールの香りがした。
「おいこら、つっきー!!!なにしやがるんだ!!!俺の食べ放題ぐうたらドリームを返せ!!!ってえ…!目ん玉までひりひりしやがるぜ……。」
「なんだよ、お前こそなんでこんなところで寝てやがる。今日は地球プロジェクトの打ち上げのコンパあるの完全に忘れてねえか?家にいねーから探しまわったんだぜ?」
つっきー、こと月読命は、さらさらの前髪をきざっぽく掻きあげて苦笑した。
「ああああああ!!!すっかり忘れてたぜ!!!さぼったらガイアさんが怖いからなー………」
「そうそう。また変なあだ名つけられるぞ。地味にパワハラだよな。」
「だなー。あれ、そういや会場どこだったっけ?居酒屋サタン?」
「いや、“三途の河原”だぞ。ていうかお前、その格好で行くのか?」
「オフなんだし、正装しなくてもよくね?」
「いやいや、組織の飲みだし。ドレスコードってやつがあるだろ…。一応着替えて来いよ?」
「ふぅーん、結構これ気に入ってんだけどな。仕方ねえか。」
須佐之男命は、ぼそっとつぶやくと、着古してよれよれになった赤いTシャツの裾をもの惜しげに引っ張った。バックには「俺は怒っている!」と日本語のロゴがはいっている。しかし、指摘した本人もド派手なオレンジ色で、黒い縁取りの大きな円の中に「鶴」と大きくプリントされた謎のTシャツを着ていた。旧地球文明で流行ったアニメ「竜魂」の主人公が着ていた戦闘服をデザインしたものらしい。面白いのでそのまま指摘せず放っておこうと一瞬考えたが、わざわざ呼びにきてくれた上で、エチケットについてもご丁寧に教えてくれた親友に恥をかかせるわけにはいかなかった。
「そうそう、お前もな。」
「おっと!忘れてた!サンキュ!」
月読命は一見チャラそうなところもあるが、根は真面目で沈着冷静、そして几帳面な性格をしている。しかしたまに抜けているところもある。ずぼらで面倒くさがりだが、正義感が強く熱血漢の須佐之男命と良いコンビである。
須佐之男命は一端、月読命と別れると自宅に戻って“仕事着”に着替えてきた。地球文明の人間のサラリーマンにとってのスーツのような立ち位置の衣服である。平安貴族が身にまとうようなゆったりとした衣に袴を着用すると、烏帽子を被った。これが日本の神々の正装である。男女兼用である。頭髪は、長髪の者は後ろで束ねて烏帽子の中にしまいこむのがしきたりとなっている。彼は、念動力を使って中空を飛び、瞬時に会場に移動した。
土煙を巻き上げながら、彼はずしんと着地した。ホテル“三途の川”は独創的な料理が魅力である。何かのイベントの際は、ビュッフェ形式がとられる事が多かった。大食漢の彼にとっては、そのほうが都合がよくもあった。
「美味いものをちびちび?否!!!美味いものをたらふく喰らう!それこそロマンである!」
これが彼のポリシーである。
会場に入ると、大広間には色とりどりで個性的な料理がてんこ盛りになって、もはや空腹でいたたまれない気持ちの彼の視線を釘付けにした。さきほど食した肉まんは、とうの昔に分解されてリソースと化した。飲み会にありきたりな上司の挨拶やら司会は、はっきり言ってどうでもよい。早く御馳走を頬張りたい。そんな想いで一杯だった。腹がぎゅるると鳴った。どうにも本能にはあらがえないものがある。プロジェクトメンバーがぞろぞろと入ってきた。そろそろ定刻である。
「それでは、地球プロジェクトの打ち上げコンパをはじめまぁ~す!」
妙に張り切った司会の声が会場内に響き渡る。
「わたくし、今回のコンパの幹事をさせて頂きます、うずめちゃんでぇ~す!」
アルコールも入っていないが、幹事はとっくにできあがっている雰囲気だ。否。もともとがハイテンションなのだろう。初っ端から羽目を外すくらい、今回のプロジェクトは皆にとってヘビーなものだった。「俺、今度の任務が終わったら結婚するんだ!」と死亡フラグを立てそうだったゼウスは結局彼女ができずに終わったが、無事に生還した。ストレスで頭髪の生え際が若干後退するだけで済んだようだ。
須佐之男命は会食が始まるとひたすら目についた料理を食い漁った。不意に背後から肩を叩かれて振り向くと、つっきーの姿があった。
「おいおい、俺の分もとっとけよ。ていうかお前、鼻からパスタ出てるじゃん。」
「ま、まぢか!!!」
「うっそぴょーん!」
「っ……!てめ、こら!」
二人は笑い合いながら互いに酒を注ぎ合った。
不意に月読命が思い出したかのように話を切り出した。
「そういや、配属変わるって話聞いてるか?どうも今日付けで変わって報告があるらしいんだぜ。」
「そうなんか?まあ、地球は一端、知的生命体が発生するまでやること無さそうだしな。俺も有休取ろうと思ってたとこ。」
「うーむ、それなんだが…。噂によると、新たなプロジェクトの配属も今日発表になるらしいんだわ。配属決まって下手したら、有休なしかもしれん。」
「まぢかよ!どんだけブラック企業だよ!」
そこに、司会の声が割り込んだ。
「縁もたけなわとなりましたぁ~。ここで皆さんでビンゴ大会をしたいとおもいまぁす!豪華景品も揃っておりますので、こぞってご参加くださいねぇ!」
全員にビンゴの紙が配布された。須佐之男命は何やら不吉な予感を感じ取った。豪華景品の裏に何かモンスター的な存在が見え隠れしている気が、した。
彼は一般の運はひたすら良いが、何故か籤運だけには恵まれなかった。商店街のくじ引きで、20連続くじを引けたにも関わらず、全て参加賞のポケットティッシュだった。にも拘わらず、彼の次にくじを一回だけ引いた人が一発で1等を当ててしまったのには心底腹が立った。ゲーム運も同様に悪かった。アスペル界で一世を風靡したオンラインゲーム「拳と剣のログイン」では課金(リソースを投入)したもののレア武器が出ず、ドロップ運にも恵まれず、努力の割には弱いキャラで終わってしまった。寧ろ非課金ユーザーにごろごろ神武器・神防具が出て、運営者を呪ってやろうと思ったくらいだった。そんな籤運の悪さなので、今回も嫌な予感しかしないのは仕方のない事であった。それにしても、理不尽なまでの籤運の悪さである。しかし今回は………ミラクルが起きた!筈だった。
彼は茫然と立ち尽くしていた。己の不運を呪いまくった。寧ろ雄叫びを上げたいくらいだった。何が起きたのか?皮肉にも、“特等賞”を引いてしまったのだ。
「はぁい!今回の“残念で賞”はとてつもなく豪華なラインナップとなっておりましてん。新たな任務への着任でございまぁす!心底、ご愁傷様ですん………。」
空気を読んでない司会の声に、イラッとすらする気力も失せた須佐之男命であった。
撃沈する男の肩をぽんぽん、と叩く者があった。須佐之男命と同じような顔をして、隣に並んだ。大の男がショボンヌである。
「まあ、次はきっといいことがあるさ……ははっ……。」
「ひょっとしたら飯が美味い惑星かもしれないし……前向きに行こう、な。」
次なる勤務先は、惑星A‘sであると告げられた。地球とうり二つな環境の辺境惑星である。しかし、任務は地球プロジェクト以上に過酷なものであると、後ほど知ることになるのだった。
「なんだって!?転生業務だとおおおおお!?!?ふざけんなコラァ!!!」
「おいおい落ち着け!」
「落ち着いていられるかこのやろwwwwwww有休とれないどころか一般の保守業務よりヘビーじゃねえかこのやろおおおお!!!」
「気持ちはわかる!しかし…落ち着け!」
会場内に須佐之男命の悲痛かつ怒りに満ちた雄叫びが響き渡る。司会のウズメが心底申し訳なさそうに見ている。会場にいた他の神々も然り。
「スサノオ君、本当に本当に申し訳ない。籤運が悪かったとはいえ、本当にこればかりは……」
ビンゴ大会の企画を立てた副幹事のヘルメスが非常にいたたまれない顔をして慰めるが、何の足しにもならなかった。
「理不尽である!!!」
須佐之男命は男泣きしながら手当たり次第に料理を貪り食った。
「でもね…もっと大変な思いをしてきた子もいるから……ちょっと今回は耐えて欲しいのよ。申し訳ないんだけど………。これ終わったら本当に有休とっていいから!」
ガイアが申し訳なさそうに説得をする。
どうやら、前の地球プロジェクトだけでなく、他の発展途上惑星文明などで理不尽かつ報われない人生ばかりを転生業務において連続して担当させられた某熾天使がブチ切れて、ストライキを起こしてしまっているとの事だ。力量からして彼女しか適任者がいないとのことで、結局のところ彼女ばかりに大変な仕事が理不尽な程に偏ってしまったようなのだ。
「こんな不幸で阿鼻叫喚な体験ばかり連続でやらされて、“お前しかできない!お前しかいない!”と抜かして皆して僕ばっかしに嫌な仕事押し付けやがって!僕はカルマも一切ないのにこの仕打ちはなんだ!!!理不尽にもほどがある!!!」という事らしい。
確かに話を間接的に聞いたら酷いものだった。マヂ切れするのも頷けた。世界で初めて地動説を唱えて異端扱いされてフルボッコされた上で惨殺された女物理学者やら、欲に目がくらんだ育ての親に散々飯のタネにされた上に不当な扱いをされてショック死した宇宙人美女やら、民衆を悪政から護ろうと革命を起こしてフルボッコされて火あぶりにされた革命家やら、挙句の果てに悪魔の巣窟に一人放り投げられて一騎当千させられた挙句、悪魔に精神支配された人々に囲まれて理不尽な人生を強いられ、夜な夜な一人でアセンションを一晩で完了させるよう命じられ、持ち合わせた特殊能力のせいで統合性失調症扱いされた挙句、信じていた恩師に呪い殺された報われない一般ピーポーなどなど。最後の一番大変だった地球プロジェクトの総仕上げのネックとなったのが、件の不幸極まりない一般ピーポーへの転生業務だったとの事。
流石にそんな話を聞いてしまった後では不平をたれる気力も失せてしまった。ただただ、酷使されて疲弊しきった某熾天使にねぎらいの気持ちを伝えたい気分になった。そして同時に、彼女に対して行ってきた非礼の数々についても改めてお詫びをしに行きたい気分になった。彼女が完全にストライキを起こす直前の任務の際、彼女が転生中の人間の住まいに入り浸ってぐうたら三昧をしていた事は記憶に新しい。
彼女の転生したキャラは神々の姿が見えてコミュニケーションが可能だっただけでなく、天使やら精霊、付喪神までコミュニケーションが可能という特殊極まりない能力を持っていた。なので、彼女に対しては我儘が通った。彼女の家は代々信心深く、毎日朝には水を取り替えて神棚にあげ、炊き立てのご飯を小皿に持って神棚に備えていた。
彼女の能力が覚醒して、スピリチュアルな存在の姿が見えたり会話ができたりするようになってからは「飯にはつけものとか、ふりかけとかをつけてくれ。」やら、「日本酒は松竹桜じゃなくて富士山とか青桜でもいい。いっそのことウイスキーでもいいぞ。」とか「酒の肴が欲しいぞ。」などこき使ってしまった事を思い出すと罪悪感に苛まされるのであった。
大国主命に関しては、彼女の家の仏壇を占領して別荘にしていた事すらある。彼女の家は少々特殊な家族で、先祖が全て宇宙人か天使の魂の入ったキャラだった。それ故、彼らは死後地球に留まる事はなく、オリジナルの肉体が保管されている出身地に戻ってしまっており、お彼岸にも冥界より訪れる客はいなかったのである。
仏壇は、形式的には毎日水が新しく取り替えられ、定期的にお供え物が交換され、生花も定期的に交換されていた。茶も毎日熱いものが供えられた。霊的な存在も一切仏壇に出入りすることがない上、彼女の家そのものが閑静な住宅地にあった。まさに、通常の鬱陶しい業務を忘れて寛ぐのに最適な物件だった訳だ。
彼の担当している神社は有名どころであり、エゴむき出しで感謝の気持ちすらなく、次々に要求ばかりするだけで努力もしないような低レベルの人間が毎日毎日うんざりするほど参拝にきて「彼女欲しい」やら「早く結婚したい」やら耳にタコができるくらいエゴエゴした願い事ばかりしていくのである。万一願い事が叶ったところで彼らは感謝の意すら示すことなく(むしろお願い事をしたことを忘れている!)更に願い事ばかり重ねていくのである。よく大国主の愚痴に付き合って一晩飲み明かしたものである。
「普通に日常を送れているだけだって奇跡的な確率だってのに、やつら一体なにが不満なのかね。」と、大国主命は口癖のように呟いていたが、それも然りである。
中性子星はかなりの高確率で宇宙空間をそこかしこに飛来するのである。しかしそのような高密度、高質量の天体が飛来すると、惑星の近くをかすめて通っただけで惑星はごっそり物質を削り取られて持っていかれてしまう。惑星消滅の恐れすらある。原始の惑星から生命が生まれ、知的生命体が生まれて文明を構築するまでのサイクルまで持ちこたえられない確率のほうが高い訳だ。
誰も気も付いていないし感謝もしていないが、女神ガイアやその側近の神々が必死こいてあらゆる天体の軌道を念力やら魔力で修正するなど、日ごろからのリスク管理を行っている賜物なのである。ニュートン力学だけでは解明できない不可思議で未解決な物理現象は、地球文明レベルでは未確認かつ理論化されることもない相互作用によって微調整を受けている、といったところである。
しかし地球文明においては、定式化されて初めて科学と認知されるのである。あまりにエネルギーレベルが高すぎて地球文明では観測不可能な現象が地上の物理現象になんらかの影響を及ぼしている場合、地球上の理論体系で説明をすることは不可能なのである。若しくは、一般人と比べて松果体の性質が特殊であるような特定の人にしか観測できない存在が居て、彼らにしか処理できない“非科学的”な問題が存在していたとする。そういった謎現象を片付ける便利な言葉も、地球文明には存在していた。”オカルト”である。
かつての地球文明でも、お化けが見えるやらオーラが見えるといった能力だけでなく、念力を使えるものや、テレパシーを使える者などが居た。特殊能力を用いて除霊を行える者や、未来を予知できる者などもいた。しかし、うっかり人に打ち明けようものなら統合性失調症というレッテルを貼られ、肩身の狭い想いをせざるを得なかった。スピリチュアリストやら占い師として世にでる者は氷山の一角であり、飯のタネになる事などレアケースであった。まだ、超能力者の存在を信じて受け入れ、仕事に導入しているアメリカならまだマシなほうだ。日本はいろいろな意味で保守的であった為、能力者は通常はオカルト扱いされるか気がふれた者扱いをされ、彼らに対して非常に世知辛いものだった。能力の事で悩んだり、能力のせいで生活に支障が出た場合など、誰にも相談することができなかったし、彼らを理解して寄り添う人がいてくれなかった訳である。
リニューアルした地球文明は、これらの反省点を活かし、スピリチュアルな存在に対する理解を持てるように知的生命体を導かなくてはならないだろうと彼は考えていた。
いつからだろう。人々から自然に対する感謝と畏敬の念が消え、知的生命体はエゴに走り、自分らの利益の為なら他の生き物や生態系を乱す事を何とも思わないようになったのは。少なくともついこの間まで存在していた地球文明は、ようやくそれに気づき始めて一部の理解のあり、勇気ある人々が声を上げ始めた。しかし時すでに遅く、どんなにエコな技術開発を急ぎ、エコな生活を送るよう人々が気を使い始めたが、自然の回復力に対して文明による破壊速度がはるかに上回った。これ以上文明が続くと地球の回復力そのものが機能しなくなり、手遅れになる状態まで達していた。つまりは生き物そのものが住めなくなる訳だ。
しかし、地球という惑星は巧妙に設計されていた。こういったアクシデントを見越しての「ポールシフト」なるリセットイベントが組み込まれていたのである。
どのみち地球内部のコアが冷えてくるのに従って、海流の動きも鈍くなる。それによってあらゆる自然現象に異常をきたし、いかに知的生命体が節度を守った文明を築こうとも大型の生き物にとって生命維持に困難をきたす環境になり、文明も最後の時を迎えざるを得ない。ポールシフトが起こることで地軸が光速に近い速度で回転し、その運動エネルギーによって内部のコアが再度加熱されるという仕組みである。
ポールシフトのタイミングは実に巧妙で、地球上のありとあらゆる状態が有機的に関連し合い、ある条件を満たしたときに起きるように設計されている。地球のスーパーコンピューターではこれらを解析することは不可能であると断言してもよい。寧ろ、技術力に見合ったモラルが伴わない地球人が、高度な文明を理解できるようにしてはならないのである。彼らのその時代における道徳レベル以上の知識や技術を得させる事は、猿に原子爆弾のスイッチを持たせる行為に他ならない訳だ。
須佐之男命が死ぬほど嫌がった、「転生業務」について補足説明をしておかねばならない。
その前に、生命体の仕組みを簡単に説明しておこう。
生き物は、肉体を構築している物質部分と、精神部分と魂部分で成り立っている。俗にお化けとよばれる存在は、肉体から精神と魂の塊が完全に分離して浮遊している状態の存在を指している。まあ、固形物か否かというだけで、自我を持っているという点では生きていたキャラと殆ど変わらないとだけ言っておく。但し、精神と魂は物質に殆ど相互作用を及ぼせない。だから、お化けは物体をすり抜けるし、生きた人間から観測されることも出来なくなる。特殊な人間を除いては。
生きていても幽体離脱をする者もいるが、自分の肉体と魂、精神の塊とのリンクがつながっている状態であるという点がお化けと異なるのである。少々ずれるかもしれないが、ベントスとプランクトンの違い、とでも言っておこう。
物質は、魂や精神と全く異なって見えるが、共通点はある。それは、3つの要素全てが波であるという事だ。「物質が波!?そんな馬鹿な!!!」と思われた読者諸賢は、何卒高校物理の教科書を引っ張りだしてみて欲しい。波は、波の性質も勿論の事持ち合わせているが、同時に粒子としての性質も持ち合わせる事が分かった。そこに目を付けた物理学者が、逆も然りではないかと仮説を立てた訳だ。つまりは物質も粒子の性質を持つのと同時に波動性も持ち合わせているのではないか、と。物質を波に見立てた波は、「物質波」やら「プランク波」と呼ばれている。
地球の物理学は、アホな人類が過ぎた技術を悪用して宇宙をめちゃくちゃにしないようにとフェイルセーフ機能付きの理論を与えられた物である。それ故に一部の理論は真実を語っているが、一部の理論は見当違いなものが混じっているのである。
例えば円柱を考えよう。陰影をつけないものとすると、真正面から見た時に長方形に見えるだろう。また、真上から見ると円に見える。これらは平面にしか見えないが、角度を変えて全体像を見渡すと初めて、これが立体である円柱と認識できるわけだ。
ある粒子を、観測方法や理論の構築方法が異なったがために、同一粒子を何通りかの異なる粒子として認識していたとしたら…?想像しただけで恐ろしい話である。地球上の理論体系が足元から崩れるのだから。
フェイルセーフ機能付きの物理学。隙さえあれば科学を戦争の兵器にすることしか考えない、モラルの低い野蛮な地球人に、進んだ文明の誰かが導入したロック機能付きの物理学。ある真実が、特定の方向性からしか考えられないように仕向けられているとしたら?
しかし地球上の人類は既に滅んだ。真実を知る機会すら与えられることもなく。真実に近い理論を導入しようとした天才はぽつぽつと文明の流れの中で現れたものの、リスク管理事情で闇に葬られざるを得なかった。フリーエナジーの話は良い例である。寧ろ、テスラという物理学者そのものが業績とともに闇に葬られた事実から、地球プロジェクトの薄暗い背景を垣間見ることができよう。今となっては過ぎた話であるが。
地球人から観測されない神々は、肉体を持っていないのか?否。彼らもきちんと肉体を持っている。しかし、彼らの肉体を構築している粒子が非常に高い振動数で振動しているが為、エネルギーレベルの低い地球人から見ると非常に見づらくなっているだけの話なのだ。
例えば猫を、猫じゃらしでじゃらしてみよう。猫じゃらしをゆっくり振動させると、猫は猫じゃらしの先に触れる事ができる。しかし、非常に早く振動させると、動きについてこられず猫じゃらしに触れることができなくなる。
波どうしが相互作用しやすいか否かの問題は、せいぜいこの程度の解釈で事足りる。そんな訳で、神々も人間同様に肉体を持つ存在であるが為、幽体離脱ができる訳だ。
では、転生業務について話を戻そう。転生とは、もともとある肉体から魂と精神の塊が離れて、別の肉体に宿って別の人生を送る一連の流れを指す用語である。大概は、元の肉体で過ごしてきた間の記憶、すなわち前世の記憶は忘れた上で新しい体で新しい人生を過ごす事になる。
稀に、うっかり前世の記憶の一部を覚えている場合がある。死を迎えた際、つまり肉体から魂と精神の塊が完全に分離した際に、胎児という次の肉体を得るまで待機している者もいれば、そのまま消滅してリソースたるエネルギーの循環に戻って真の死を迎える者もいる。また、前世の肉体に戻って前世の続きを始める場合もある。
須佐之男命が命じられた転生業務は、まさに最後に述べた方法である。人が夜寝ている間に夢を見ている感覚で、別の場所で別の人生を過ごす訳だ。目覚めたらいつもの生活に戻るが如く。
転生の目的は様々だが、①カルマ落し。②ご褒美の旅行として。③銀河文明のサポート業務として。④人生経験を積む為。などなど。言うまでもなく、今回の彼の任務は③の、サポート業務である。
カルマとは、俗にいう「悪行ポイント」みたいなものである。誰かに不快な想いをさせ続けたり、意地悪やいやらがらせをしたりという軽度のものも含まれるが、明らかに悪行(いじめ、パワハラ、性犯罪、窃盗、殺人等の犯罪行為)を積んだ場合に、罪状に重みを付けて蓄積されていくものだ。人から受けた恩義等の借りを返さない事もカルマとして蓄積される事に注意して頂きたい。感謝ができない人も、感謝しなかった行いの分、カルマが蓄積されていくのである。犯罪に及ばずとも、人を口汚くののしる行為もカルマに換算されてしまう。塵も積もれば山となる、といった具合に、性格悪い人は生きて周囲に迷惑をかけた分だけカルマが溜まってしまうのである。目に見える犯罪行為のみがカルマに換算される訳ではないのだ。
須佐之男命は、神々の中でも①のケースで地球人として原始的文明に突き落とされた残念な人がいるのを知っている。非常に残念な事に、彼女はアスペル界の中でも屈指の実力者であり、長い事トップを牛耳ってきた人物である。もともとの気質なのか、悠久の時を経て耄碌したのかは分からないが、彼女は徐々に傲慢さが目立つようになり、度を越え始めた。周囲の者や部下を見下し、彼らに対して理不尽な対応をし始めた。このように神としてあるまじき言動や態度が目立つようになり、業務にも支障をきたす程になってしまった。もはや彼女はアスペル界の住人としての道徳基準を明らかに下回るようになった為、頭を冷やして初心に戻って人格形成をし直させる目的にて、転生業務にあたらせた訳である。
カルマを打ち消す為には、善人に生まれ変わって善行を積むか、それができない場合は体調不良で嫌な思いをし続けるか、自分が前世で他人にしてしまった行為をそのまま我が身で体験させられる事が必要となる。例えば、ある人が善人として生まれたとしても、前世で凶悪な行為をした場合は理不尽な犯罪に巻き込まれりするなどの嫌な経験を強いられる訳だ。カルマもないのに理不尽で嫌な人生体験をせざるを得ない場合もある。経験値を積むために敢えてそういう人生設計を選ぶ物好きもいるが、大体は業務命令の③のケースである。
須佐之男命が死ぬほど嫌がった理由はそこにあった。下手したら、理不尽で理不尽、かつ理不尽な、努力も報われずに己の存在意義すら全否定されるような人生を過ごした挙句、原始人どもにフルボッコされて非業の死を遂げる可能性も否定できないのだ。一度だけなら「俺一人の犠牲で世界が少しでも救われるなら!」と我慢できよう。だが、酷すぎる人生体験に心の傷も癒えないうちに連続してそのような不幸な経験をさせられてもみたら、確かに気が狂ってしまいそうである。現在、全身全霊でボイコット中の某熾天使の心境を考たら…。恐らく想像を絶するような阿鼻叫喚な体験を想像を絶する無限に近い時間の中、連戦させられたのだろう。よく自刃しなかった、よく精神が壊れて廃人にならなかった等、彼女の鋼の精神力に感服せざるを得なかった。鋼…、否。狂気に満ちたダイヤモンド並とでも言っておこうか。
須佐之男命と月読命の転生の日程が定まった。転生中、彼らの肉体は長い間コールドスリープにつく。転生先の肉体が寿命を迎えて、A‘sにおける任務を全うするまでの間、彼らの肉体はうっかり損傷を受けないように、しかるべき場所に保管される事になる。彼らはきっちりと正装し、転生オペレーションシステムのある施設に向かった。
「地球とほぼ同様の環境の惑星か。飯は美味いんだろうな?」
「だといいな。原始人ウホウホ文明で、焚火に動物の丸焼きとかブッ刺してあるような文明じゃない事を切に願うぞ。そういやスサノオ君は動物の毛皮でできた腰巻一丁で棍棒もった格好が似あいそうじゃないか。ははっ。」
「ふざけんな、てめ、ゴルァ!」
軽口をたたき合いながら歩く。
もし、転生したら、恐らくお互いの記憶はなくなる。転生先でも友人になれる保証はないのだった。一応は転生コーディネーターより、ざっくりとした人生計画を聞いてはいる。しかし、あまりにもざっくりしすぎて、不確定事項が多すぎた。そこも彼らが不安に思っている要因のうちの一つだった。通常は、○○歳ごろに○○のイベントが発生、などのイベント情報がある程度提示されるのだが…。あまりにも情報が少なすぎるのだ。
「人間の集落が点在しているが、未開の地すぎて互いの行き来がない為に文明が一向に発展しない。未開の地を開拓し、人間が住みやすい環境に整えるサポートをするように。」
本当に、それだけだった。人々の間に秩序を齎し、モラルを向上させる事は暗黙の了解である。
そして彼らが不安で仕方がない要素がもう一つあった。大概の転生業務は、転生先の惑星の、予め計画された母親に胎児として宿って生まれてくる。しかし、今回に限り、転生先の、計画された場所に、予め空の肉体が用意されているという。そこに魂と精神をねじ込む形で転生させるというのだ。須佐之男命はとてつもなく嫌な想像をしてしまった。
「まさか、その辺で命尽きた冒険者の肉体を再利用するとか、そんなんじゃあないよな?」
「やべえよそれ!ゾンビじゃん!」
「最後の地球文明で流行ったスーパーファミコンのあるゲームでそんな設定のキャラいたよな。体を冥界の霊体に乗っ取られて、仕方なく別の死人の体をレンタルして暫く自分の体を探す冒険を続けた悲惨なキャラ。”ミトラの秘宝”だっけ?」
「あったあった!難易度糞たけえRPGな!自分で詠唱魔法作れるやつ!」
「つっきーさ、“うんこへぐ”とか下ネタ用語で徹底して攻略してなかったっけ?絶対お前アホだろ。」
「スサノオ君こそ、自爆魔法、しかも全体攻撃のやつ作ってPT全滅させてなかったか?あれも超笑えた。」
ゲームの話で盛り上がっているうちに、目的地に到着した。転生コーディネーターと、施設の職員に案内され、彼らはコールドスリープ用のカプセルに入った。
「何かご不明な点はございませんか?」
と、職員に問いかけられる。須佐之男命はすかさず、気になっていた事を恐る恐る尋ねた。
「まさか、そのへんの屍に転生させるわけじゃないだろうな?」
職員一同はおかしそうにクスクスと笑った。その質問に対して、代表者っぽい職員が答えた。
「ご安心ください。それは、ないです。転生先の周辺の元素を変換し、器となる肉体を構築いたしますので。」
須佐之男命は胸を撫でおろした。つづいて月読命がおずおずと質問した。
「まさか…マッパじゃないですよね?服くらいは着てますよね?」
先ほどの代表者がおかしそうに肩を震わせながら答えた。
「ええ、大丈夫です。その文明レベルに合った初期装備くらいは施しておきますので。」
どこぞの原始文明のように一物の先だけに筒状の飾りを施したものではなかろうな、と言いかけて、須佐之男命はぐっと言葉を飲み込んだ。万一、そうと肯定された場合に、いたたまれない気持ちのまま転生する羽目になりかねない。嫌な想像はこれ以上しないようにしておこう。
「あ、そうそう。あなた方の名前ですが、フンドシの裏に記しておきましたのでご安心ください。こちらにいた記憶は消して転生して頂きます。つまり、あなた方は記憶喪失のキャラとして転生する事になります。スサノオさんは“アーク”で、ツクヨミさんは“レイザー”という名前に設定してあります。」
職員が付け足すように言った。
フンドシ…かよ………。まさかのフンドシ一丁って落ちはないよな?いやもう、これ以上考えるのをやめよう。須佐之男命は雑念を振り払うように目を閉じた。
「準備ができ次第、システムを作動させます。カプセルが閉じて、肉体から霊体を切り離す処理を施し、霊体の変調を行った後、目的地点の肉体に転移・連結した後、同期化させます。」
職員が手順を説明した。須佐之男命は覚悟を決め、大きく深呼吸した。OKの合図を出す。カプセルの蓋が閉まる間際、月読命と目が合った。
「レイザー、必ず俺を見つけてくれよ。俺もお前を見つけに行くからな!」
彼は大きく頷いた。
カプセルが閉じると、特定の周波数の電磁波が照射された。肉体から霊体を切り離す為の固有振動数を持つ電磁波だ。眠気が強くなってきた。次第に意識が薄れてくる。体の感覚は、殆どない。刹那、意識がぷっつりと途絶えた。静寂が訪れる。
不意に意識が戻る。ここは、どこだ?須佐之男命、否、アークは目を開けて周囲の確認をしようとしたが、体の感覚がまだ麻痺しているようだ。上体を起こすのがやっとだった。
痺れがおさまってから周囲を見渡した。荒れ果てた土地が広がっている。サラサラと乾燥した粘土質の大地に、ところどころゴツゴツとした岩が転がっているのが見える。灌木が多少生えている程度で、目立って大きな樹木は生えていないようだ。そして我に返った。“ここはどこ、私は誰”という一般的な自問自答の文言のうちの後者の確認が必要である。
「俺はアーク。俺はアークだ。名前はフンドシの裏に書いてある…ハズ。」
ぶつぶつと己に言い聞かせるように呟いてから、彼は違和感を覚えた。
「おいまて。俺はなんで自分がアークだって覚えてるんだ!?フンドシの裏って…えーと…えーと………。」
違和感の原因、それは………致命的なものだった。彼には前世の記憶がそのまま残っていたという致命的なミスだった!!!オペレーターが操作をミスったのか、装置が故障していたのかは不明だが、前世の記憶を完全消去しての転生だった筈の彼に、記憶がまるっと残っているのだ。
彼がショックを受けた要因はもう一つあった。まさかのフンドシ一丁。初期装備がまさかのフンドシ一丁!!!防具っぽいものも一切なく、武器っぽいものも一切ない。まさに丸腰だった!!!念のためにフンドシの裏を確認すると、そこだけきっちりと「アーク」と名前が英語で記されていた。油性マジック……?墨汁………?そんなことはどうでもよかった。とりあえず、フンドシ一丁が初期装備に対応するような文明レベルという事なのだろう。
「ああ、これは動物の丸焼き決定だな………。」
アークは落胆して肩を竦めた。それにしても、獲物を捕るための武器すらないとは。オペレーターの気の利かなさに苦笑するしかなかった。いや、もしかすると、丸腰でも楽勝なくらい身体能力が超越しているのやもしれん。アークはプラス思考に取った。ワンパンでどんな敵も粉砕できるに違いない!アークは拳を握って………すぐ近くの岩を殴った。
普通に赤い血しぶきが飛び散り…アークは拳を押さえ込んで悶絶した。
「おい、クソ強ぇえ設定どこいったああああ!!!俺様無双設定返せゴルア!!!」
いや、最初からそんな設定については説明されていない。頭では分かっているが納得がいかないのであった。ヒーロー設定がダメでも、ひょっとしたら念力が使えるのかもしれない。前世同様に。しかし、その期待も儚く散った。自分の周りの気を圧縮し、中空に噴射するイメージを行ったものの、何も起きなかった。気張りすぎて、でかい放屁をするだけに終わった。
「おおう………スーパーメサイヤ人にすらなれねえ俺、残念ッ!!!」
フンドシ一丁の丸腰装備。だからといって突出した身体能力に恵まれた訳でもなく、かつて使えていた念力の一つも使えない一般ピーポーすぎる肉体。獲物を捕獲するどころか、自分が捕食対象になりかねない。
「もう絶望だ………。俺、詰んだ………。異世界転生モノでゼロから始めるにしても、せめてジャージ着てるとか、スマホの一つくらい所持してるとかさ…。よりによってフンドシ一丁とか、なんつー理不尽ファッキン!!!」
しかし己の待遇を嘆いてばかりいても、何も始まらなかった。とりあえずアークはライフラインの確保が最優先と判断し、水場を求めて歩き始めた。籤運ゲーム運にはクソが付くほど恵まれない須佐之男命だったが、それ以外の運が最強という設定は引き継がれていたようだ。水場はさほど苦労する事もなく、すぐに見つかった。灌木が異様に生い茂ったエリアに足を運ぶと、その中央に小さな泉があった。冷たく澄み切った水がこんこんと湧き出ていた。飲料水にしても問題がなさそうである。アークは、屈みこむと両手で水を掬って飲もうとした。その刹那。自分の容姿が水面に映って、手を止めて覗き込んだ。可も不可もない筋量。つまりは普通。くせっ毛がかった金髪ツーブロックのショートヘアにて碧眼。先の尖ったエルフ耳。しかし顔立ちに見覚えがある。激しく見覚えがある。
「おいぃぃぃ!!!顔、そのまんまじゃねーか!!!金髪碧眼エルフ耳なのに顔立ちが平たい族そのまんまとか、マヂで冗談きついぜ!!!」
前世で黒髪、黒目といった東洋的な容姿であったアークにとって、顔立ちが日本人顔のまま、髪色やアイカラーだけ西洋風になったアンバランスな外見は、違和感が半端なかったのである。
「日本人俳優が無理してズラやらカラコンでファンタジーキャラに扮してるのと同じくらい痛い外見じゃねーか………。挙句、名前も西洋人っぽいし!なんかツッコミどころ満載なんですけど、もう。」
アークが脱力しているのも束の間。突如、少し離れた背後に殺気立った気配を感じた。じりじりと、それはアークに迫りつつあった。一歩、そしてまた一歩。目を付けた獲物が気づいていない事を確認するように、間合いを詰めていく。アークは背筋が凍る想いがした。振り返る事無く、一気に前方に疾走しはじめた。やはり人並みの能力でしかない。寧ろ、ファンタジー物に出てくる主役キャラの標準値以下の出力程度しかない事を痛感しつつ、ひたすら走った。背後に恐ろしい気配がとんでもない勢いで追ってくるのを感じながら。
前方にきらりと光るものが見えた。
「もしや希望の光やもしれん!」
アークは疾駆した。前方の光る一点を目指して全身全霊の力を振り絞って疾駆した。
近づくにつれて、光の点の背後に影のようなものが見え、それがだんだん大きくなり、大樹が生えている事が認識できた。
本当に大きな樹だ。地球文明において樹齢1000年を超えるような御神木クラスの樹をも凌駕するほどの、威圧的で威厳に満ち溢れたオーラすらビンビンと肌に感じるような大樹だった。光る一点は、大樹の根本の大地に刺さった剣のようなものだった。とりあえず迫りくる恐怖から身を護る武器の一つ二つはあってもいい。寧ろ、不可欠だろう。剣の持ち主は、既にこの世の住人ではないかもしれない。いや、居たとしてもだ。この場をやり過ごす、ほんのひと時の間だけでも拝借させて頂こう。アークは剣の柄を両手で握り、一気に引き抜こうとした。しかし剣は微動だにしない。アークは踏ん張った。彼を追ってきた殺気の正体の輪郭が、彼に近づくにつれてくっきりとし始めた。全身が漆黒の長い体毛で覆われた巨大な獣だ。鋭い牙が一対、大きく開かれた口の両端から長く突き出ている。見開かれた目は滴る鮮血のような赤い光を禍々しく放ち、アークをしっかりと捕縛していた。鋭い爪を持つ前足は、一瞬で獲物を叩き潰す程のポテンシャルを漂わせていた。もう一刻の猶予もない。アークは顔が真っ赤になるほど、力んだ。必死に踏ん張って剣を抜こうと踏ん張った。
しかし、それでも剣は微動だにしなかった。
不意にアークの意識に直接語り掛ける声があった。
《 抜けないよ 》
「へっ!?」
アークは振り返った。再び“それ”は語り掛けた。
《 だから、その剣は抜けないって。君には、その資格がないからね。 》
アークは悶絶した。
「ちょ、嘘だろ!?このシチュエーションで剣使えないとかマヂでありえねー!難易度設定ボロッ糞に間違ったクソゲーRPG級だろ、それ!!!」
須佐之男命時代の十八番であった念力スキルは封印され、人並み外れた身体能力も封じられてモブキャラクラスのステータス。それだけではなく、初期装備はフンドシ一丁の丸腰である。こうなったら覚悟を決めるしかない。モブキャラ設定の身体能力でも、戦うしかないのだ。しかし、戦闘慣れしていた彼には分っていた。目の前に迫りくる敵は、はっきりいって強敵だ。明らかに今の戦闘能力と装備では倒せない事が一目瞭然だった。
「ああ…もうこれ死亡フラグ決定だわ。死んで誰か蘇生させてくれるとかいうシナリオなのかね。まさかこのまま転生業務終了ってオチか?知らんよ、もう。」
肉弾戦は明らかに死亡確定である。なら、飛び道具的なものはないのか。アークは咄嗟に地面に落ちていた木の実っぽいものを拾って投げつけた。気のせいか、ほんの一瞬だが、魔獣がひるんだ気がした。
《 そうそう、時間稼ぎにボクの子供たちを使ってくれよな。今のでいい。 》
再びアークの意識に直接何者かが語り掛けてきた。
子供たち?恐らくは、先ほどアークが投げた謎の木の実の事を言っているのだろう。すると、謎の声の主は、アークの背後にある大樹ということになる。そこでアークは推測した。先ほど投げた実が魔獣にとって気分の良いものではないとしたら、その実の生産者である大樹は、魔獣が近づけない何か、バリア的なものを発しているに違いない。即ち、この大樹の真下にいる限りは、彼の安全が確保されているという事になる。更に、大樹の茂らせている葉も何か魔力を秘めている筈だ。
ともあれ、目の前の魔獣を倒さない事には先に進むことができないのは事実。魔獣を倒す事は、必須イベントという事らしい。
大樹の真下にいる限り、時間は十分にある。アークは体制を立て直しつつ、魔獣討伐の計画を入念に立てようと考えた。その前に、情報収集をしなくてはならない。
そこで、アークは謎の大樹とコンタクトをとることにした。この樹が魔獣攻略のネックになっている事は明白だった。直接アークの意識に届いた声といい、この大樹はテレパシーが使える筈だ。
「俺はアーク。外の世界から来た。お前さんは一体誰だい?」
アークは大樹を見上げて問いかけた。答えはすぐに返ってきた。
《 僕は、“マナの樹”の一族の末裔だよ。太古の昔、一羽の怪鳥によって、ここに運ばれた。 》
”運ばれた”というのは体よく語っているが、恐らくは、”鳥に果実ごとパックンされて、そのフンがここに落とされて、運よくこの地で発芽し無事に成長した。”という事なのだろう。
《 ちょっと…!すっごく失礼なお兄さんだな。僕おこっちゃうよ、プンプン。しかし否定はしない。できないから腹が立つんだよ。全く…これだから人間は。 》
どうやら考えている事もお見通しらしい。アークは大樹に向かって詫びた。
「これは失敬した。あなたの「子供」のお蔭で命拾いできたことだ。更に、あなたの放つ聖なるバリア的なもので先ほどの魔物が俺に近寄れないようだ。相応の礼をしたいところだが、生憎俺はこんな身なりなのでな。これといって誇れる能力の持ち主でもなさそうだし…どうしたものか。」
《 冗談だよ。気にしないでくれ。この地域一帯は魔獣の住処だし、人っ子一人通らない未開の地なんだよ。久々に話ができる者が現れたからさ。つい、からかっちゃった。あとさ、よく見たら君はただの人ではなさそうだね。エルフ一族のようだけど… 》
エルフ一族か…。それなら魔法の一つや二つは使えるようになるかもしれない。しかし、彼の前世である須佐之男命は、魔法が使えなかった。彼は念動力者体質だった為、マナとの相性はめっぽう悪かった。どのみち、魔術理論も、魔術回路についても習得したことはない。知ったところで、使えない以上は無意味だったからだ。いろいろな意味で今回の転生業務はクソゲー仕様であった。
アークはアイデアを捻ったり、根拠のない期待に胸を膨らませ、人間ではない故に灰色かどうか分からぬ脳細胞をフル回転させていた。
①もしかしたら、マナの葉っぱをフンドシに縫い付ければ装備が強化できるやも!
②マナの葉っぱを食えば何か能力値が上がるやも!
③マナの実を食らえば魔法の一つ二つ使えるやも!
などなど。
《 あながち間違ってはいないよ。全部試してみたらどうかな、エルフンドシ君。 》
やはり、頭の中の思考を読まれていた。
「俺は“アーク”だ。エルフンドシって……………。なんかフンドシがLサイズみてーな物言いじゃねーか!」
《 ほら、あれだよ。「フンドシを見たら50人はいると思え」って言葉があるだろ?大丈夫、君は一人じゃない! 》
「いやそれ、ゴキブリの話だろ!俺はブリゴキ扱いかよっ!あと、何の慰めになってねーし、意味不明じゃねーかっ!!!」
《 そうそう、そのリアクションだよ。君は本当に面白いね。君と話していると、“あの人”を思い出すな。 》
「あの人?もしや、ここにぶっささってる、抜けない剣置いてった奴か?」
アークは、大樹の根本に刺さっているひと振りの剣を指した。
《 存外、鋭いね。まさにその通りだよ。彼もまたエルフンドシだった……。あっ、訂正。3Lフンドシだった。 》
「フンドシ繋がりかよっ!!!しかもキングサイズかよっ!!!」
恐らく、剣の持ち主は相当ガタイが良く、脳筋派エルフだったに違いない。RPGのジョブ風に表現したら「魔法剣士」か何かに違いない。
《 君はゲーマーだな。本当にその通りだよ。ッ…ゲーム?!君は………進んだ文明から来たのか!?この文明では、まだコンピューターゲームは開発されていな筈だよ! 》
この樹は他の銀河文明の事も多少知っているのかもしれない。大樹からなるべく多くの情報を得なくてはいけない。そう考えた矢先。大地を揺るがすような重低音領域をも含む轟音のような咆哮が、あたりに響き渡った。先ほどから放ってある魔獣だ。放ってあるというよりは、大樹バリアのお蔭ですっかり存在を忘れていたともいうべきか。
「すまねえ、俺が相手してやらなかったから拗ねたか?悪かったな。良いモノをやろう。」
そういうと、アークは足元に落ちていたマナの実を、魔獣の顔めがけて勢いよく投げつけた。魔獣は、マナの樹の聖なる魔力バリアが効果を発揮する境界のぎりぎり外まで着て徘徊していたために、基本ステータスの低いアークですら魔獣の顔面に実を当てるのは簡単な事だった。そこに、アークの運の強さが加算され、なんと魔獣が吠えた際に閉じ切っていなかった大きな口の中に、件の実がシュッと滑り込んだのだ。
「がッ!グガアアアアアア!!!!!」
刹那、魔獣は悶え苦しみ始め、地面を転がりながらのたうち回った。そして、それが数十秒間続いた後、ぱったりと魔獣は息絶えた。
「喉に詰まったのやも………。と、同時に聖なる力でトドメをさされた系だな。」
《 君って運だけが、クソみたいに良いんだね。 》
「“だけ”ってとこ強調するのやめてくんね?傷つく………自覚してるだけに凄く凹む……。」
《 ごめんごめん、謝るよ。君ってほら…うん………お気の毒に。なんのトラブルでこんな羽目になったかわからないけど…。転生オペレーションシステムの故障なのかな。君は神クラスだね?勝手に深層心理読ませてもらっちゃったけど、前世ではかなり強いほうのランクに入ってた人でしょ?前世の記憶もバリバリ残ってるからさ、君の正体すぐ分かったよ。大丈夫、安心して。君の沽券に関わる問題だからね、他の人々には君の前世キャラについては話さないようにしておくよ。 》
元・須佐之男命は肩を落として深い深い、それはとっても深いため息をついた。魂の奥底より出づるような深いため息を一つ。
しかし落ち込んではいられない。基本能力がモブキャラ並でも、ひたすら前進あるのみなのだ。目の前に転がり込んだチャンスは何が何でも、とことん利用しなくてはならない。それだけが、彼に残された唯一の可能性、希望の光なのだから。
「すまんが、おまえさんの葉っぱを多少もらっておくぞ。落ちてる実も、持ち運べる分だけ貰っておく。」
《 どうぞお好きなだけ。あ、因みに果実食べたければ樹に登って好きなだけ食べるといいよ。味の保証はできないけど、餓えは凌げる。マナの回復もできるよ。 》
アークは樹に礼を言うと、葉っぱをできるだけもぎ取り、フンドシの周りに挟み込んだ。誤差程度かもしれないが、少しだけ強くなった気がした。そして思い出した事が一つ。
「そうだ、思い出した。俺はおまえさんに借りを沢山作ってしまった。俺の立場からして、貸し借り関係はきっちりしておきたいんだ。でないと元・神の名が廃る。何か俺に恩返しできることはないか?」
《 そうだね……… 》
そういって大樹は少々間合いを置いた。
《 僕としては無償でやってることだし、当然の事をしたまでだからさ。そんな堅苦しく考えなくていいんだけどね。魔獣のボスっぽいのを倒してくれただけでも十分有難いよ。周囲の安全が確保されたからね。でも君がそこまで言うなら………。 》
大樹の根元に刺さった剣が一瞬、青白い光をキラリと放った。
《 君に、この剣の“適合者”を探してきて欲しいんだ。元の持ち主の、たっての願いでもあるから。 》
「ひとつ、聞いてもいいか?」
《 ひとつでも、ふたつでも、みっつでも、いくつでも。僕退屈してたから、丁度いいや。答えられる事、即ち知っている事なら何でも答えるよ。 》
「この剣の持ち主の事だが…。」
《 いいよ。 》
言い終わらないうちに、大樹は語り始めた。
《 まず、ひとつ断っておくね。 》
「なんだ。」
《 びっくりしないでね。いや、自然の摂理だから仕方ないんだけどさ。 》
「うん?」
おおよその検討はついたが、アークは続きを促した。
《 僕は彼の死骸を消化して、この葉を生い茂らせ、君が投げつけた実を実らせた。 》
ああ、やっぱりだ…。おおよその検討はついていたが、お約束ではあるが、剣の下にはその持ち主の亡骸が葬られているってことだ。
「ってか、お前…。“死骸”とかいうなぁ!野生動物とか虫の死骸みてーだろ!」
《 あぁ、そうだった。人権を考慮したモノ言いをしなくてはね。僕ってほら、樹だからさ。植物だからさ。ついつい植物サイドの表現になっちゃうんだよね。気分を害したらすまなかったよ。そして言い訳するわけじゃないけど、僕は久しく“人”やら知的生命体に遭っていない。 》
「いやいや、いいんだ。続けてくれ。」
《 ありがとう。ええと、彼はお察しの通り、3Lフンドシの魔法剣士だった。そりゃもう、ボディビルコンテストに出場したら優勝するのではないかってくらいのガタイの良さだったよ。筋肉もキレまくってたね。そりゃもう素晴らしいキレ具合で。大胸筋が凄くてね、腹筋も見事に割れてて。ああ、大殿筋も素晴らしかった。 》
「いや…筋肉談義じゃなくてだ、彼がどういう役割で、何のために剣を残していったか、とか…そっちを教えてくれないか。」
《 まあ、結論を言うとだ。彼は僕らの先祖、即ちマナの樹を守る騎士だった。 》
地球のゲームでそんな設定のやつがあったな、と思いながらアークは話に耳を傾けていた。
《 んーと、結構さ、ゲームのシナリオとか設定って、いろんな銀河文明でおきた実際の出来事なんかをモチーフにしてるの多いんだよ。“ジェムの騎士”?君の脳裏に浮かんだワードがあるね。“聖拳レジェンド”?ゲームの名前かな?あっそう、続けてくれ?わかった。続けるよ。えっ…、思考読まれてるんじゃ、俺は答える必要ないって?いやいや…困るよ。僕の一人相撲みたいで切なくなるからさ、たまには“音波”として相槌打ってね。音波すなわち、空気を振動させることで、その振動が伝わって相手の鼓膜を振動させ……えっ、自明である物理現象の説明は要らんって?そうだね、これは中学校の理科の教科書ではない、確かにそうだ。 》
「お前、絶対わかってておちょくってるだろ…。」
《 御謙遜を。 》
「おまえな……。」
意図的にかみ合っていない相槌を打ってみたり、話を逸らしてみたり。大分この大樹様は退屈を持て遊ばしていたようである。
《 話を戻すよ。で、ゲームの世界におけるマナの樹の騎士はどういう立ち位置かわからないけど。こっちでいうところのマナの樹の騎士は、発芽したてのマナの樹の苗を魔獣や魔物から護って、ある程度成長するところまで見守る役割だよ。ほら、苗木のうちは体力もないし魔力も不十分だから、魔獣の瘴気に当てられただけでも枯れてしまう事があるんだ。あとは若木のうちは、葉っぱをイモムシとかにガッツリ食われてしまって、それがもとで枯れちゃうこともある。…あっ、通常の植物より生命力高いから虫に食われたくらいで枯れるとかナイワwwwって思った?まあ、それはおいといて…。まあ、そんな訳でマナの樹の騎士に適切な人材は①草木と相性が良く、②マナとも相性がよく、③魔獣討伐が出来て、④気合いと根性があって、⑤筋肉質でフンドシが似合う。 そんな人材を見かけたら宜しくね!僕が最終面接するからね! 》
「…………………ふむふむ。わかった。……って訳ないだろっ!!!最後の⑤の項目何ッ!!!騎士の資質に必要ない項目だろ明らかにッ!!!」
《 やだなぁ、軽いアメリカンジョークだよ。 》
「いや、寧ろ明らかにお前の個人的な趣味はいってんだろ、それ。」
《 ばれてしまっては仕方ないか。僕の秘密が割れてしまった以上、ここでお前に消えてもらうしか、ティウン!よし、そうと決まったら僕の実をお食べ。 》
「全くもって意味わかんねーし、なにその“ついでに顔食っとけ”みたいな投げやりな某菓子パンヒーローみたいなセリフ!よくわかんねっけど、とりあえず実もらっとくぜ。」
アークは樹によじ登ると赤から黄色にかけたグラデーションカラーに熟し、パールカラーの光沢を帯びた謎のフルーツをもぎとった。そして、皮ごとワイルドにかぶり付いた。刹那、口の中一杯にじゅわっと、渋みと酸味、耐えがたいえぐみとともに、味の素を凝縮したような妙なうまみ成分が広がった。ステビアのような口に残る自然で上品な甘味と、薔薇の香りを帯びた洋ナシのようなフローラルフルーティーな魅惑的な芳香は、これらの不味さ要素を全くといっていいほどフォローしていなかった。
「おげぇッ!!!うぅぅぅ……うげぇぇぇ!!!」
ドスン!!!
あまりの衝撃的な、脳をえぐって眼球にまで痺れがくるような破壊的かつ芸術的な不味さによって、アークは悶絶しつつ樹から落下した。猿も木から落ちるように、庚申様も木から落ちた。
「痛いじゃねーか!!!そして不味いじゃねーか!!!危うく死ぬかと思ったぞ!!!」
大樹は可笑しさをこらえるかのように葉をわさわさと茂らせた枝を、風もないのにさわさわと揺らした。
《 だから最初に言ったでしょ。味の保証はしないよ、って。死んでないんだから結果オーライだし!それにほら、あれだ。僕の加護付きだ。分からないんじゃ、まあいいや。 》
言われてみれば、樹から盛大に落ちた割には痛みがすぐひいている事が分かった。最初に岩をワンパンで砕くつもりで逆に砕け散った拳が、すっかり傷も塞がって綺麗に治っている。アークは感嘆のため息をついた。
《 ふふ、気づいてくれたようだね。味を犠牲に、全てを治癒効果やら体力回復効果、異常ステータスからの回復効果、基本ステの底上げなんぞにパラメタを割り当てた産物だよ。魂さえ抜けてなきゃ、どんな瀕死状態でも一瞬で全回復する魔法の果実なんだな。えっへん! 》
「すげえな!!!すげえぞこれ!!!」
《 ここまでになるのに相当な年月がかかってるのさ。種が発芽してから1万年以上しないと実がならないんだからな。後期高齢者もいいところだろ? 》
アークは、咄嗟に「いや俺のほうが年上だ」と言いかけて、慌てて飲み込んだ。
《 あっ…ごめんね。もうちょっと敬語使うべきだった?というのは置いといて。そんな訳で僕もそろそろ子孫を育成したいんだよ。いつ枯れるか分からないでしょ。それにマナの一族が一人前に成長するには1万年は最低でかかるからね。常にバックアップがないと不安でしょ?魔法文明にマナの樹は不可欠だからね。つまりはキープラントという事になる。何故なら僕らの一族は、マナの循環をする役割を担っているからね。地球上の木々が、二酸化炭素を吸って、それらを自分らの組織として炭素固定をして、かわりに酸素を大気中に吐き出すのと一緒だよ。僕らは有機物や魔獣の残滓を分解して栄養源にしたり、周囲の瘴気や邪念といった負の波動を吸って、それらを純粋なマナに変換して大気に放ってる。 》
「じゃあ、マナの樹の騎士ってのは、基本樹の周りを離れられないって事になるな…。」
《 基本そうなるね。ある程度樹が成長すれば、騎士も活動範囲を広げることができるけどね。 》
「じゃあ…彼らの主な活動に必要な栄養素は………。」
とっても嫌な予感しかしなかった。
《 Lフン鋭いね!お察しの通りだよ。だから言ったでしょ。④気合いと根性。ふふふ、この項目が必要な意味、分かったでしょ? 》
「うっ……げろげろげろ!!!あれを毎日食うとでもいうのか!マヂで!?」
《 失敬な…。だってそれしかないでしょ。だけどそれが一番、理にかなってるんだよ。 》
騎士はマナの実を食って命を繋げ、己のステータスアップもできる。そして樹の根元で用を足す。騎士の排泄物は樹の栄養素となって樹の成長を促す。そしてパワーアップした騎士は更に強力な魔獣を駆逐できる。結果、樹の周囲が守られて、子孫の安全を確保できるような土地を確保できる。完全に樹と騎士の間で循環が成り立っている!!!共存、いや…共生である。送粉する生き物の存在や、他に実や葉を食らう生き物の存在を無視すれば、「一種対一種」のほぼ安定した共生関係が構築されている。
「しかし、実がなるまで樹が成長するまでは騎士たちはどう食つなぐのだ?」
《 そこがデリケートな問題でね。魔獣やら負の波動を発生する存在さえ発生しなければ樹は放っておいてもある程度は元気に育つんだ。マナの種子の胚乳部分にはそれ相応の邪悪耐性や瘴気耐性、そして成長に最低限必要なマナが凝縮して蓄えられているからね。負の波動は、ある程度知性を持った生命体が発生すると少なからず生じ始める。魔獣の個体数や負の波動のエネルギー密度が上昇すると、ある閾値に達したときマナの若木の耐久性を上回ってしまう事になる。なので、そうなる前に騎士の資質を持った人員が派遣されなくてはならない。しかし、騎士たちは若木からはマナの実を食す事ができない訳だから、周辺で狩猟をするか、その辺の木の実を食して飢えをしのぐしかない訳だ。当然、世界全体でマナの樹の個体数が圧倒的に少なく、成長もしきっていない状態なので、マナの循環も良くない。魔法も殆ど使えないと言って過言ではない。 》
「効率的ではない導入方法だな…。もっとこう、ラン藻類的な生き物でマナの循環をさせるやつはないのかね…。そういうのが居れば、マナの樹が成長するまで間を持たせることも可能だ。しかし、マナの樹ありきのスタートだとしたら、最初から前世の記憶や能力をそのまま持ち合わせた上で十分に魔力を蓄えた人員が若木の世話をするしか方法がないではないか。」
《 実際、そうだったんだけどね。僕の親から語り継いだ話によると、神様が直接、交代制で苗木の世話をしに来ていたらしいよ。苗木はアスペル界のホームセンターっぽい所で入手できて、何種類か存在するらしいけど。僕らの御先祖は“ビックリマナ”と呼ばれる品種で、果実が通常のものより大きいんだって。食べ応えあったでしょ? 》
「じゃあ俺、別にエルフに転生しなくてよくね?そのまま須佐之男命でくれば話はやくね?」
《 あー、自分で真名ばらしちゃったよこの人。あのね、元・神様に説教するのもアレだけどさ。滅多なことで見知らぬ人に真名ばらしちゃだめだからね?うっかり真名なんて握られたら、悪い人に精神支配されちゃうからね。 》
「はっ………しまったァ!!!」
《 だから、転生時に記憶消してくるんだよ。うっかり前世の記憶あったら、悪意持った魔導士や悪魔なんぞに深層心理探られて真名把握されちゃうからね。それ以外にも記憶消すメリットはあって…今の君みたいに、うっかり強い人がモブキャラに落とされたら、やる気スイッチOFFになっちゃうでしょ?そしたら業務に響くし。 》
「そりゃそうだな…。」
アークは肩を竦めて苦笑した。
さて、借りを返さなくてはいけない以上、道中魔物に遭遇してもやり過ごせる程度の護身術を身につけなくてはならない。魔術理論の基礎くらいは実践込で身につけておくべきだろうと考えた。アークは、マナの樹から教えを乞う事を決意したのであった。
「借りをつくってばかりで申し訳ないが、後払いするので、俺に魔術の初歩を教えてくれまいか?」
《 そう来ると思ったよ。喜んで。講義は手短に済まそうか。まあ、僕の幹に直接額をあててくれ。直接意識の中に、必要な理論を叩きこむからさ。 》
「忝い。では、よろしく頼む。」
アークは巨木の幹に自分の額を押し当てた。刹那、膨大な知識や情報が一気に濁流の如く流れ込んできた。常人であれば、気が触れてしまうであろう強烈な衝撃だった。一瞬、視界がホワイトアウトし、意識が何者かに乗っ取られるような奇妙な感覚と、体中の組織細胞を駆け巡る奔流のようなエネルギーの流れと、体中を揺さぶる強い衝撃、そして…強烈な眩暈を感じ、吐き気を催した。
《 大丈夫かい?ちょっと詰め込みすぎだったかな。でもまあ、君の器が相応のもので良かったよ。常人ならとっくに廃人になっていると思うよ。 》
「実際死ぬかと思ったぞ………げほげほっ!」
《 でもさ、あれだ。通常なら魔法使うのに詠唱しなきゃならないけど、詠唱なしで魔術が発動できる資質があるんだよ、君は。多少練習しなきゃいけないけどね。慣れれば、魔術なんて楽勝だよ。 》
「お!一気に勝ち組にのし上がるか、俺!」
《 それは練習とセンス次第だね。まあ、僕の結界で安全が確保されてる領域内で色々練習してみて。 》
「よし、やってみよう!」
アークはマナの樹に背を向け、何歩か前進すると、手のひらを前方に向けて適当な詠唱をした。流石にしょっぱなからイメージが湧かないので、覚えている限りのアニメやゲームの詠唱文句をパクることにした。その中でも言語として分かりやすいモノといえば…。
「我は穿つ!鋼の錬金術………」
ガゴン!!!
詠唱するや否や、アークの頭上から突如現れたタライが落下して脳天をクリーンヒットした。
「アガッ!!!あったああああ!!!」
頭を両手で抱えて悶絶するアークを、マナの樹が可笑しそうに枝をサワサワ揺らしながら笑っている。
《 ダメだよ、詠唱文句がむちゃくちゃで統一されてないから。イメージが形成されない結果、マナにリンクされないんだ。つまりは何をしたいのかが分からないって結果、”何が起こるか分からない術”が発動されたんだ。 》
「なるほどな…。では、仮に言霊の内容を理解せずに詠唱文句を唱えても意味をなさないって事か…。」
《 そういうものもあるよね。まあ、適当な詠唱文句でも、リンク付けがされていればいいんだけど。 》
「なるほどな。回復魔法と思わせつつ………“キュア”!!!」
アークは手のひらを再び前方に向け、詠唱と同時に焔が前方一帯に燃え盛るイメージをした。
刹那、何もない大地から突如紅蓮の炎の柱が轟轟と地面を突き破りながら発生して一面に広がっていった。
《 ま、そゆこと。ていうかヤバいから消してね。僕熱くて枯れちゃうよ、ぐすん。 》
「そんなやわじゃないだろ、お前。」
アークは樹の余裕ぶっこいた冗談に苦笑しつつ、焔を一瞬で押し流す濁流のイメージをした。すると、突如どこからか発生した水流は余裕で燃え盛る炎を鎮め、瞬時にいずこやらに消え去った。
《 どうだい、こんな感じで色々なレパートリーを増やしていくといいよ。でも、詠唱なしの魔術はイメージが大事だから、自然のあらゆる現象を観察し、自然の理を理解するといい…って、釈迦に説法だけどね。でも流石に言霊効果もあるから、あまりにも異なる属性の詠唱文句を使ってイメージだけリンクしても効果は弱まっちゃうよ。先ほどのやつみたいにね。 》
「なるほど。何となくコツは掴めてきた。しかし、どうしても気になるものがあって……。」
《 うん、試してみるといいよ。かつてお友達が考えた最強の“言霊”でしょ。 》
「そうそう。何が起きるか分からんが……。」
そういうと、アークは意識を集中し、全身全霊の魔力を込めて、こう唱えた。そう、月読命がよく、とあるゲームにてボス戦で意地でも使おうと頑張っていた自作魔法。
「うんこへぐ!!!」
唱えるや否や、周辺の空が真っ黒になり、巨大なUMAが飛来し、樹の上空からゆるやかに旋回しながら大量の排泄物、つまりうんこをばら撒き……何事もなかったかのように真っ黒な空に消えて行った。そして、空は明るさを戻して何事もなかったかのように……。
あとにはUMAの排泄物まみれになったマナの樹と、アークだけが呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。
《 そのまんまだったね。結果は予想できていたけどさ。 》
「うっ…くっさ!くさっくさっくさっくさっ!!!」
アークは排泄物まみれになったまま地面を転がりながらのたうち回った。
《 よかったじゃん、洗うものはフンドシだけなんだし。雨でも降らしてくれれば、僕も葉っぱについたうんこが下に流れて肥料で使えるし、君も体のうんこが落ちるよ。 》
アークは半べそをかきながら、雨雲を召喚して周囲に雨を降らせた。体中のうんこをフンドシで洗い流しつつ、フンドシも雨水で洗った。
《 大変な目にあったねぇ。ははははは。でも、大量に肥料を貰った分、借りはちょっとだけ返してもらったよ。 》
「いろいろな意味で不本意だな…。」
《 そうそう、旅立つ前に、僕の実でドライフルーツを大量に作っておくことをお勧めするよ。道中でマナの回復や体力回復にもなるし、餓えも凌げる。万一誰か人間に遭ったら、このドライフルーツと衣類を交換してもらう事もできるしね。 》
「そうだな…、そうさせてもらうとしよう。有難う。」
《 いえいえ。君のお友達が見つかるといいね。僕の長年の直感だけど、案外その友達が僕の求める“3Lフンドシの君”だったりして。 》
「だといいがな。まあ、いずれにせよ、“レイザー”という名の男を見つけたらここに連れてこさせる事にする。その折には、“最終面接”宜しく頼むよ。」
《 ガッテン承知の助!!! 》
アークは旅立ちに備えて準備を始めた。マナの果実をできる限り収穫し、適度な大きさに切って天日干しをした。フンドシは、マナの葉の汁で染めて魔法防御力と魔力を高めたものに改良した。念のためにマナの葉も採取し、天日干しをしておくことにした。ハーブティーにもなるかもしれないし、物々交換の際に使えるかもしれない。
旅立ちの日がやってきた。アークは、マナの種を拾い集めた。多少は何らかの恩返しがしたいと考えたのだ。
「旅のついでにお前さんの種をまいてくるが、お望みの場所はあるかい?発芽率がよさそうな場所でも教えてくれれば、そこに赴こう。勿論、適合者かどうかは分からんが、レイザーも連れてくるが。」
マナの樹は一瞬、びっくりしたように動きを止めたように思えた。
《 えっ!いいの!?いいのかい!?嬉しいよ!すっごく嬉しい!!!最高の恩返しだよ!!! 》
アークは笑顔で頷いた。
「そんなことで喜んでもらえるなら、容易い。」
《 うんうん!!!えーとね、撒いてもらう場所は、できるだけ魔獣の巣の近くがいいな。できるだけ惑星の浄化に貢献したいからさ。まあ、リスクも高いんだけど…。ハイリスクハイリターンってやつだよ。発芽条件はね、適当に水と魔力分けてもらえるだけで出てくるよ。 》
「わかった。いろいろと世話になったな!では、行ってくる!」
《 おう!久々に楽しいひと時を有難う!ご武運を! 》
アークは大樹に深々と頭を下げると背を向け、歩き始めた。アークの果てしない旅が、今始まった。
数十年の歳月が流れた。もはやアークの名を知らないものは誰一人いないという程、彼の名声は世界中に轟き渡っていた。“大賢者アーク”、として。彼は、行く先々で魔物の討伐を行い、結界を施して、人々が安全に隣の町まで往来できるように簡単な街道の整備を行った。彼は一つ一つの村や町に数年は留まり、彼らの教育に勤めた。学術や道徳だけでなく、簡単な魔術理論と実技の指導である。ある程度村や町が盛ってくると、彼は人員を募集し、街道の舗装整備の指導をしつつ、実際の作業のサポートに当たった。少しずつではあるが、着実に交通網が整い、これらに連結された村や町は着実に発展し始めた。
一方で難攻していたのが、マナの樹と約束した“マナの樹の騎士”適任者探しである。その為には、ある程度一部の街の文化が発展し、初歩的な魔導器具の開発が可能になるのを待つしかなかった。
アークは、とある魔導器具工房にて、人や動物の持ちうる魔力上限値や各種ステータスを一瞬で測定できる「スカウター」の製造を依頼した。彼は、受け取ったスカウターを更に魔改造し、自分のいる地点を中心に、半径10kmほどの範囲内に点在する設定した基準以上の魔力を持つ知的生命体の分布を光る点としてモニターに表示できるようにした。流石に手当たり次第、行く場所行く場所で街の人々一人ひとりから情報収集をしたり、地上すべてを舐めるように移動して情報を得るのは非効率この上なかったからだ。
ある日、アークがとある未開の村周辺で警備も兼ねて野宿をしていた時の事だった。突如、スカウターのアラームが鳴るや否や、それはバチバチと火花を立てるとショートして使い物にならなくなった。
「スカウターをぶっちぎるような化け物か…。久々だな。」
アークは身構えた。距離からしてそう近くはないはずだが、件の何物かの放つ山のような闘志は空気を細かく振動させてアークの肌を震わす程だった。しかし、その強大なオーラの中心部は、人非ざるスピードで此方にぐんぐん近づいてくるのが分かった。
「来る!!!」
刹那、アークは結界を展開した。と、ほぼ同時に。衝撃波を放ちながら激しく何かが結界に突進し、結界は音を立てて歪み、爆発音と共に砕け散った。
「…………ッ!?!?」
辺り一面、土埃が舞って視界がぼやけている。アークより少し離れた前方、黒い塊がある。人のようだ。倒れている。アークはある意味ほっとした。先ほどの激しい闘志の主が魔物ではない事が分かったからだ。否。こうしてはいられない。安否確認が先だ。
アークは倒れている人影に近寄った。が、それは直ぐにむくっと起き上がった。何事もなかったかのように、それはこちらに歩み寄ってきた。なんという強靭さだろう。輪郭だけでも巨躯の持ち主であることが分かる。
相手の顔が互いにはっきり見える程度まで近づいたとき、アークはいろいろな意味で絶句した。何という事だ、相手の顔は月読命そっくりだったのだ。エルフ耳で、銀髪、銀がかった薄紫の瞳の持ち主であるという事を除いて。2メートル程ある、筋骨逞しいを通り越してプロのボディービルダーも顔負けするほどの筋肉ダルマの肉体の上に、澄ました顔の、整ったやさ男風美青年顔が乗っかっている。何という筋肉!そしてなんというアンバランス!圧倒的かつ破壊的なオーラを持ち、破壊的なインパクトを持つ容姿の巨漢が目の前に立っていた。アークは直感で感じた。彼こそがレイザーだ。否。彼こそがレイザーでなくては逆に、困る!
「もし。」
アークが声を掛けようとしていた矢先、相手の巨漢が切り出した。
「失礼ながら、貴殿が大賢者アーク殿か?」
どんなむさ苦しいドスの聞いた声かと思いきや、透き通るような低音の美声だったので、これにもまたアークは呆気にとられてしまった。なんたるアンバランスの賜物!ここまできたら、もう芸術の域に達していると断言してもよい。
「いかにもその通りだが、お主は一体。」
筋肉ダルマの美青年は一呼吸置くと、アークの問いに答えた。
「私はレイザーと申す。修行僧をしている者だ。かの有名な大賢者殿が、3Lサイズのフンドシを着用したエルフ男をお探しという噂を聞き、貴殿に会うために旅を続けていた。」
アークはあらゆる意味で絶句した。目の前の男が散々探し求めていたレイザーであり、しかも偶然の賜物か、3Lサイズのフンドシを着用していた事、そしてそれ以上に、彼がアークを探していた理由だった。どこからどう話がこじれたのか。アークが人探しをする際に提示した情報は①レイザーという名の男②エルフかつ魔力と体力が尋常ではない強者、だった。冗談で酒場で口を滑らせて「そんな強者であれば、恐らくキングサイズフンドシを着用してるやもしれん。」と談笑した程度である。そして、結果的にふざけた内容になり下がった求人募集のような情報をまともに受け止めてしまった者がおり、それがまさに目の前の男だったという事だ。純粋なのか、はたまたバカなのか…。ともあれ、前世からの朋の魂を宿した男、レイザーが見つかった事には変わりがなかった。
アークは求人の件について、レイザーに詳細を説明した。レイザーは2度返事で快く承諾した。
「ふむ、私で良ければ志願致そう。最終面談とやらに合格すればの話だが。」
“最終面談”、即ち先代の遺した剣が抜ければ、レイザーは晴れてマナの樹の騎士に認められた事となる。
「うむ。そうと決まればすぐ出発するぞ。」
アークは杖の先端で地面を掘りながら、レイザーと自分を取り囲む円形を描き、何やら念じた。雑っぽく描かれた円形…かなり歪んでいて楕円に近い、しかも画線がデコボコである…は眩い閃光を放ち、光の柱は天をも貫いた。刹那、二人の体は跡形もなく消え、あたりには静寂のみが残った。
草原の中に聳え立つ巨大な樹がある。何かを予感するかのように、枝葉がさわさわと音を立ててこすれ合いながら揺れた。
《 古き朋が帰ってきたようだね。おもてなしの御馳走でも用意しておくかな。 》
冗談めいた口調で、巨樹は枝をわさわさと揺すった。新鮮な完熟した果実が何個か地面に落ちて転がっていった。フローラルでフルーティーな何とも言えない良い香りがぷんと辺りに漂った。
突如、樹から少々離れた場所に眩い光の柱が立ち上がった。とってもがちがちで歪んだ光の柱だが、何故か神々しかった。光の柱がスッと消えると、その中から人影が二人現れ、樹に向かって歩いてきた。
「朋よ、久しいな。息災だったか?君に紹介したい男を連れてきた。」
《 とっても元気だよ。嬉しいな、また会えて!しかもお友達もできたんだね!ほら、長旅でつかれたでしょ?とりあえず…さあ僕の実をお食べ。そちらの新顔さんにもどうぞ。 》
「有難う。ある意味この味が懐かしく感じるぞ。」
アークは落ちていたマナの果実を二つ拾うと、片方をレイザーに差し出した。
「甘くて美味いぞ。皮ごとがぶりといくと良い。」
「忝い。」
レイザーは素直に皮ごと、思い切りマナの実にかぶり付いた。刹那、ウッと小さく唸り声をあげると顔を顰めた。
「し、失礼…。どうも個性的な味なようだな。慣れればいけそうだが…。」
アークは頷くと、自分も実にかぶり付いた。
「マズッ!!!ああ懐かしすぎる、この不味さ!!!でもそれが良い!!!」
《 褒めてるの?けなしてるの? 》
「両方だ。」
アークは可笑しそうに笑った。
《 まあ、いいんだけどさ。僕の果実は効能重視だし。 》
「すまんすまん。では早速本題に入ろう。」
アークは、マナの樹にレイザーを紹介した。
「彼が、俺が探していたレイザーという男かつ、君の求める人材かもしれない騎士候補だ。」
レイザーは深々と一礼すると自己紹介をした。
「記憶を失っていた故、出身は分からぬがエンベレス山地で修行僧をしていた者だ。よろしくお願い申す。」
《 うん、よろしくね。ま、気楽に面接に臨んでくれたまえ。君の目の前にある剣を抜いて欲しいんだ。それだけ。 》
レイザーは、のしのしと大股で剣の刺さっている所まで進むと、片手でそれを掴んで、あたかも赤子の手を捻るように一瞬で引き抜いた。あまりにもあっけなさすぎて、アークは呼吸をするのを忘れていたくらいだった。かつて彼が顔を真っ赤にしながらも抜けなかったアレが、いとも簡単に……。
《 うん!合格だよ!採用決定!!! 》
「謹んで拝命致す!」
「うむ。良かったな。」
アークはとっても複雑な笑顔でレイザーの着任を祝った。
しかし、最初に対峙した時の事も考えると、素手でラスボスクラスのモンスターも狩れそうな廃火力なこの男に、今更剣など必要なのだろうか…。いまいち剣の立ち位置が不明ではあるが、騎士というからには剣が形式的にでも必要なのだろうか。否、「騎士=剣を所持」などという定義をしてしまったら“騎士”というジョブを馬鹿にしていると言われかねない。アークは今更深く考える事は止めることにした。
アークとレイザーは数日間、レイザーに地理案内等を兼ねてマナの大樹の周辺で寝泊まりをした。かつての朋が転生した男とはいえ、アークと異なりレイザーは前世の記憶が一切ない。レイザーの様子を見ている限り、彼がアークの顔を見ても、特に何かを思い出した風ではなかった。アークは、長居は無用と考えた。レイザーには彼の騎士としての仕事が、そして己には己のなすべきことがある。
アークは、大樹とレイザーに旅立つ旨を伝え、荷物をまとめ始めた。
《 どうしても、行ってしまうのだね? 》
「ああ。騎士は見つかったし、周辺に君の種をまいてレイザーに世話を頼むのだな。俺は約束通り、“最も危険な場所かつ浄化に必要な場所”を探して種をまいて来よう。」
冗談交じりにアークは返答した。
「大賢者殿、色々と世話になった。この地周辺は、私がしっかりと責任をもって護る。また何かあったら、いつでも声をかけて頂けると嬉しいよ。」
「ああ。3Lサイズのオシャレフンドシを見つけたら手土産に持ってくるとするさ。」
「フンドシ友よ………。」
二人はがっしりと互いに握手をした。しかし、アークのモブキャラ骨格の手首が苦痛を訴えていた。別れを惜しんでの涙というよりは、握りつぶされて壊死しかけた手の細胞達ひとつひとつの痛みを噛みしめて、こらえた涙を目に湛えながら。
アークは一人と一本に背を向けると、旅立った。まだ訪れていない未開の村の発展、街道の整備の仕事が残っている。そして、人々の生活を脅かす魔獣の討伐、人々の教育等々。
遠ざかるアークの背中を、一人と一本は、その姿が小さくなるまで見送っていた。
そして幾星霜の月日が流れた。人間にとっては悠久に近い時の流れの中を、アークは生きた。そして街がだんだん発展し、国家を形成するまでに成長する姿を見届けた。世界中にあらゆる国家が形成され、あらゆる文化が栄え、一部の国家同士で交易が行われたり、同盟を結んだり、その一方で争いが起きる姿も旅の途中で見てきた。
残念な事に、国や文化の発展により返って魔獣の成長を促す事になってしまった場面も見てきた。豊かになった反面、人々は欲に捕らわれ争いを始める。争わずとも、欲望の連鎖は負の思念を助長する事がある。それ故アークは、人々を正しく導く人格者かつ教育者の育成にも心血を注いできた。
にも拘わらず、教育ではどうにもならない2%は悪人が出てしまう事を、長きにわたる統計的結果により実感させられてしまうのであった。だからといって、その2%を容認するわけにもいかない。
彼らを野放しにした結果、何らかの犯罪が起きて大勢が巻き込まれてしまうリスクも伴う。できる限り2%の存在と真摯に向き合い、できるだけ悪意を削いで非道徳な行動に出る確率を減らす努力はしていかないといけない。
確かにどれだけ優秀な指導者がどんな素晴らしい教育をしようとも、魔の2%問題は付きまとった。だからといって、“仕方がないんです”で終わらせてしまうと教育者として怠慢であると見做される。極力努力はしたけれど…、と結局はどこかで線引きをして妥協しないと、教育者側が自分を追いやり、自分の責任問題と重くとらえ過ぎてそちらが鬱になってしまいかねない。
これだけ歳月を重ねても、「教育こそが健全な文明発展の要であると同時に、最も難しい問題である」と言わざるを得なかった。
アークは、ある程度発展した都市に“大学”を設立し、彼が手塩にかけて育てた弟子を教育者として配置し、ある程度、教育課程を設定したうえで運営にあたらせてきた。非常に優秀な人員を輩出する程に各地の大学は成長してきたが、まさかの地球文明と同じような事件が起きてしまったのである。
ある優秀な卒業生の一人が、ある繁華街に毒ガスをまき散らして自分も自害するという大事件を起こしてしまったのだ。人の心の闇につけこみ洗脳行為を行って無差別殺人事件などの凶悪犯罪行為をさせるテロ組織「アンペア真理教」に協力した結果だった。どうやら彼は、卒業後に職場のいじめなどの人間関係などで悩みを抱え、心身弱り切ったところを件のテロ組織の勧誘員に言葉巧みにのせられて、組織に入ってしまったようなのである。
イジメやパワハラ問題等も、旧地球文明で問題視されていた事柄の一つであった。立て直した文明A‘sにおいてもやはり、進化の段階で同じ問題に直面する事になった。学校だけではなく、あらゆる組織においても内部でのいじめの抑止につながる組織体制の確立が急がれた。同時に、万一起きてしまった場合に被害者が相談できるような仕組み等、心のケアを専門とする場所の設置もしなくてはいけない。
人権問題に関して、あらゆる組織体制の抜本的構造改革等の仕事も残されていたが、アークの寿命はそれを待っていてはくれなかった。いくらエルフで長命とはいえ、命に限りはあったのである。彼は、最も信頼のおける弟子たちに、二度と戻らぬかもしれない旅に出ることを告げた。そして、事前に作り置きしたありとあらゆる引継ぎ資料を託すと、後の事を任せてあてのない旅に出かけた。
アークは荒野を彷徨っていた。不毛の大地には、魔獣の足跡が無数に存在した。瘴気が濃い。人々の悪意は、邪念はどう足掻いても0にはならない。必ずどこかに負の思念は凝縮してしまう。長い年月とともに、吹き溜まりのように集まったそれはだんだん凝縮して質量を持ち、更に周囲の邪念や悪霊、瘴気を吸って更に膨れ上がってより凶悪で強力な魔獣が誕生するのだ。余命幾ばくとない彼に託された最後の使命を果たす時が来た。彼は命の続く限り魔獣を撃破した。まるで死に場所を求めた獣のように、彼は無心に魔獣を駆逐しながら荒野をあてもなく彷徨った。
ふと、意識の中にテレパシーで呼びかける声がした。アークは俯くと、深くため息をついた。
「そうか、あいつは先に逝ったか…。せっかちな男だ。」
初対面の、まるで猪突猛進のような突撃を思い出して苦笑した。
アークは、目印になりそうな場所を探した。朽ちて久しい古木がある。その根元に、懐から取り出した巾着を開いてマナの種を取り出し、丁寧に植えた。飲料水として持ち歩いていた水筒の水を全てその上からかけて土を潤す。彼にはもはや、無用のものだからだ。
一帯の魔獣という魔獣は全て駆逐した。もう、当分は魔獣が徘徊する事はないだろう。アークは、種をまいた場所を中心に、杖の先で地面を掘って半径数100メートルの円形を描いた。そして、種をまいた少し横に杖を突きさすと、その横にどっかりと腰を降ろし、老化により乱れた呼吸を整えた。
「うむ…。品種名やら取り扱い方法くらい遺しておきたかったのだが…。どのみち、粒子一粒たりとも残らんだろうな。」
意味深な独り言を言うと、アークは立ち上がった。
「この術を見届けた者は一人も居らん。何故なら、俺のオリジナルの、最強かつ最終奥義であり、今回一度切り、初めて使う技だが失敗も許されん。だが理論上は間違ってはおらん。見届けられる者も居らん、か…。うむ………。始めるとするか。」
アークは地面に突き刺した杖に両手を添えると何かを唱え始めた。アークの全身、そして杖全体から薄紫色の靄がゆらりと立ち昇った。彼は、全身全霊の力を振り絞り、残された魔力を全て全身に集中させ圧縮すると、刹那、四方に眩い閃光とともに気を解き放った。
あたり一面がホワイトアウトする。乱反射した光線がおさまり、視界がクリアになると、そこにアークの姿はなかった。彼の長年愛用した杖も、彼のフンドシも、何一つ残されていなかった。彼は、彼の体や杖を構築している原子、そして残された魔力全てをマナに変換し、マナの若木の為に強力な結界を遺していったのだ。
《 彼もまた、逝ってしまったか。有難う。お疲れ様。またどこかの輪廻の旅路にて出会う事がありますように…。 》
マナの大樹よりさほど離れてはいない場所に、マナの若木が風にそよいでいた。その木陰には、件の求人募集用の剣が半身を大地に埋めてひっそりと佇んでいた。
《 お前もまた、年頃になったら子孫を預けられるような騎士様を見つけないといけないよ。 》
《 大丈夫だ、俺は親父より美味い実を実らせてやるからな! 》
《 やれやれ、口だけは達者なやつだね。一体誰に似たのやら…。 》
《 そんなことより親父よぅ、“あの人たち”はもう“戻った”のかな。 》
《 かもね。遊びに来るといいね。今度はLフンドシ男ではない“あるべき姿”で。 》
初めまして、藤原有理と申します。それがし、突然虚弱体質になってしまって、何度も死にかけてるような棺桶に片足突っ込んでるようなヤツでございます!終活しながら、気を紛らわすために小説かきはじめてみました。文学専門でもなく、ガチガチの理系でございます。ボキャ貧なのであまりカッコいい言い回しできないけど、それなりに頑張ってみました!文明の進化をたどるとか、テーマは硬いかもですが、コメディーを入れるなどちょっとは笑える内容に頑張ってみました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです!