対面
エレオノーラがエドアルドに近付こうとしている。その噂はソニアからマティルデにすぐに知らされた。
「まぁ……今更になってエドを惜しんだのかしら?」
困ったような顔をする主人とは違い、ソニアは苛立ちを覚えていた。
主人であるマティルデと夫のエドアルドの関係性は今のところ良好である。
そこにかつての恋人であるエレオノーラが出てきたことで、エドアルドの心が乱れ、妻から心が離れることを恐れた。
「何を考えてのことかは分かりませんが、既にエドアルド様には不要な存在でしょう」
ソニアとてエドアルドのあの疵痕は酷く、恋人として続けられなくなっても仕方ないと思えた。良い悪いは別にして。
簡単に割り切れるものではない。大きなものを失った際、誰もが悪くなくとも、壊れていくものはあるのだ。
だからエレオノーラがエドアルドから離れたことに関しては別に構わない。終わったことだ。けれどこうして、マティルデという妻を得たエドアルドの前に現れるとなれば話は別だ。
主人の幸せを第一に考えるソニアは、エレオノーラを排除すべきとの考えに至る。
焼け木杭に火がついた、などと言うことが起きては困る。
「私、その方とお話がしてみたいの」
長く側にいれば相手の考えも分かるもの。マティルデはソニアがどう言った行動を取るか、分かっていた。
「ですが、姫さま」
「お願いね」
マティルデの元にエレオノーラが連れて来られたのは、その五日後のことだった。
青褪めた顔をしてマティルデの正面に腰掛け、俯いている。
エレオノーラがマティルデの元に招待されたことは、カテリーナとアンドレアの耳にすぐ届いた。
二人とも、エドアルドとエレオノーラを会わせたくないと考えていた為、このことはエドアルドには内密にされた。
危害を加えられないようにと、マティルデを守るようにソニアがすぐ側に控えており、部屋の隅にはカテリーナが配した侍女、部屋の外にはアンドレアが寄越した騎士が控えていた。
「初めてお目にかかるわね」
マティルデはエレオノーラに笑顔を向ける。
「お聞き及びでしょうけれど、私はエドアルド様の妻、マティルデよ」
目上の存在が名乗ったのだ。名乗らないわけにはいかない。エレオノーラは名を名乗り、父は辺境を守る騎士の一員だと言った。
「エドアルド様の最愛の恋人だった、とは名乗らないの?」
遠回しではない言葉にエレオノーラは怯えた。
「自分がどのような方と婚姻を結ぶのかぐらい、当然調べていてよ? お二人の蜜月も、その終わりがどうであったのかも」
責められるのかと身構えるエレオノーラに、マティルデは笑顔を向けたままだ。
「聞けばあなたにも婚約者がいるそうね。それなのにエドアルド様に近付こうとしたのはどう言った意図があるのかしら?」
エレオノーラは手に持っていたハンカチーフを握りしめた。
「……エドアルド様に近付こうとした訳ではありません」
「それではどうして?」
「……私は、エドアルド様を愛し続けることが出来ませんでした。恐くなって、逃げてしまいました……」
声を震わせながら、エレオノーラは話していく。
「愛せなくなるなんて、思ってもいなかったんです。傷付けるつもりなんてなかった……」
ハンカチーフを握りしめる手は、力を入れ過ぎて白くなっていた。
「今更、自分となんて図々しいことは考えていません。ただ、姫さまとの婚姻で、エドアルド様が幸せそうだと聞いて……」
「……そう。それで?」
「エドアルド様が幸せになった姿を、一目見たかったのです。安心したかったのだと思います……」
己のしたことが正しかったとは思っていないし、今更エドアルドとどうこうしたいなどとは思っていない。
ただ、ずっと胸につかえていたものを下ろしたかった。
「罪悪感をなくしたかったのね?」
真っ直ぐな言葉に傷つくものの、言われて当然だとエレオノーラは分かっていた。
どれだけ言葉を重ねても、どれだけ理由を述べたとしても、エドアルドに最も助けが必要であったときに逃げた。
分かっている。自分の行いが褒められたものではないことぐらい。それでも自分の中で言い訳を続けていた。
記憶の中のエドアルドが自分に向かって微笑むたびに、胸が苦しくなった。己に対しても何故、あのとき我慢して寄り添い続けなかったのかと責めた。
「そうだと思います」
そこまで言うと、エレオノーラは視線を落とした。
「ご存知かと思うけれど、私は目が見えません」
顔を上げ、マティルデを見る。
マティルデは茶の入ったカップを口元に運んだ。その仕草は目が見えないとは思えないほど自然な動きだった。
「自分の顔も分からないわ」
その言葉に胸がざわめく。
「目の見えないことを仕方ないと諦めているし、それが自分なのだと分かっていても、やはり悔しく思うのよ。エドの顔が見えないことが」
カップをソーサーの上に置くと、マティルデは真っ直ぐにエレオノーラを見た。
「私はあなたのしたことを責めるつもりはないの。私はあなたではないから、あなたがあの方を拒絶したことを良いとも悪いとも言う権利はないし、あなたの心の内も分からない」
罵られるかと思っていたのに、まったく違う言葉を向けられてエレオノーラは戸惑う。
「あなたが羨ましいわ。たとえ疵痕が残ったとしても、あの方の顔を見ることが出来るあなたや、他の方たちが」
羨ましいと言う言葉に、エレオノーラだけでなく、カテリーナの侍女も、ソニアも戸惑う。
「永遠に見ることが出来ないの、愛する方の顔を」
その言葉がエレオノーラの胸に突き刺さる。見たい見たくないという話ではないのだ。
マティルデはどう足掻こうとエドアルドの顔を見ることが叶わない。絶対に。
「死した後、私の魂はきっとあの方を探すでしょう。けれど分からないのよ、どのようなお顔をなさっているのか」
「俺が見つけ出すから……大丈夫だ」
開いた扉の前にエドアルドが立っている。
言うなり、大きく息を吐く。呼吸が乱れ、肩で呼吸をしている。走ってここまで来たのだろう。
いつもなら顔を隠しているローブがその役目を果たしていない。走る間に露わになったのか、邪魔だと外したのか。
「エド?」
「なにやら皆の様子がおかしいから早めに城に戻ろうとすれば足止めを食らうし……」
バタバタと足音をさせてアンドレアがやって来て、カテリーナもやって来た。
エドアルドはマティルデの横に立つと、屈んで妻の手を取り、マティルデの顔を優しく見つめる。
「俺はマティルデが見えるから、マティルデを見つけられる。たとえこの先の戦いで目を失っても、ルディの顔を忘れることはない」
マティルデの目から涙がぽろりとこぼれる。
「本当?」
「本当だ。約束する」
頷くマティルデの頰をそっと撫で、涙を指で拭うと、エドアルドは立ち上がってエレオノーラを見た。
「きちんと言葉にしていなかった」
エレオノーラはエドアルドの顔を見る。あのときあれほど耐えられないと思ったのに、今は普通に見ることが出来た。
「さようなら、エレオノーラ」
「……さようなら、エドアルド様……」
立ち上がり、深々とお辞儀をすると、ソニアに支えられながら部屋を出て行く。
廊下に立っていたアンドレアとカテリーナが部屋に入って来た。
「すまなかったな」
アンドレアの謝罪に、エドアルドは首を横に振った。
「俺がエレオノーラと会って、傷付くのを防いでくれたんでしょう?」
エドアルドの問いにアンドレアは頷いた。
それだけではないが、余計なことは言うまいと口をつぐんだ。
「母上も」
カテリーナがエドアルドを見る。
「申し訳ありませんでした、心配ばかりかけて」
「いいえ……いいえ、親なのですから」
「俺はもう、大丈夫です」
母と兄であるカテリーナとアンドレアは笑顔で頷くと去って行った。
エドアルドはマティルデに向き直る。
「ルディ」
「はい」
「愛してる」
ぽろぽろとこぼれた涙を、エドアルドの指が拭う。
「ルディは意外に泣き虫だな」
「そんなこと、ありません」
強がるマティルデをそっと抱きしめると、マティルデもエドアルドの背中に手を回した。
「愛してるよ、ルディ」