消せない怒り
城下では妻への贈り物を買い求めるエドアルドの姿がたびたび見られていた。
マティルデはあまり多くのものを欲しがらない為、エドアルドは店に赴いてはこれが必要なのではないか、喜ぶのではないかと悩んでいた。
その様子を多くの者たちが目にしていた。
長身にローブを目深に被り、供を連れて歩く人物は多くないし、魔法の力でもって領地を守るエドアルドは領民たちによく知られている。
『エドアルド様は妻となった王女をことの他大切になさっている』
『ご本人が気になさる疵痕も、王女には見えぬのだから、安心するのだろう。裏切られることがないのだから』
『子が生まれ、健やかにお育ちになれば王家との確執もいくらか和らぐに違いない』
『疵を負ったとは言え、エドアルド様は美丈夫で、王女も盲しいてはいても美しいと聞く。お二人の子なら美しい子が生まれよう』
皆、好き勝手に言った。本当に好き勝手に。
嫌味のようなものを言うものもいたが、概ね好意的なものが多かった。エドアルドが前線に立ち、戦う姿を知っているからこそ、悪く言う者はそうは多くなかった。
恋人に捨てられ、自暴自棄になっている姿を知っていた者は総じて、エドアルドの婚姻を喜んだ。
この話は、エドアルドのかつての恋人の耳にも当然届いていた。むしろ敢えて届ける者もいた。
誰もが彼女がエドアルドの元を去ったことを仕方ないとは思っていない。
顔だけを愛していたのか、勇気ある行動を取った彼を捨てるなんて薄情者だと罵られたことも一度や二度ではない。
エドアルドが婚姻を結んだことで、かつての恋人──エレオノーラは再び悪く言われるようになった。
彼女には新しい婚約者がいる。親が決めた婚約者だ。婚約者はエレオノーラを愛してはくれない。
彼は有事の際には戦いに赴く騎士の一人である。自身がエドアルドと同じように傷を負ったなら、エレオノーラは自分を捨てるのだろうと思っているし、周囲にもそう吐露していた。
婚約を結ぶ際にも、父にこの婚約は絶対であり、嫌がったなら家から追い出すと言われてしまった。
否定しようにも、エレオノーラの言葉には説得力がない。
多くの者が知っているのだ。
どんな怪我をしても愛しているとエドアルドに言っていたことを。
エレオノーラは、本心でどんな怪我を負ってもエドアルドを愛せると思っていた。だからそう口にした。
顔の半分を敵国の魔法使いにより焼かれ、身体のあちこちも裂傷を受け、大怪我を負った。
身体の傷が治り、熱が下がり、目を覚ました恋人の変わり果てた姿に衝撃を受けた。
生理的に受け付けられなくなっている自分に気付いたのは、三度目の見舞いに行ったときだった。
手が触れ、鳥肌がたった。嫌だと思った。
一度駄目だと思ったら我慢が出来なくなってしまい、あれやこれやと言い訳をしてエドアルドと会うことを拒んだ。
婚約していなくて良かった、そう思っている自分に気が付き、彼と続けていくのは無理だと悟った。
あまりの変わり様に、彼女が受け入れられなくとも仕方ないと言う声もあり、その言葉に乗っかるようにしてエレオノーラはエドアルドと疎遠になることに成功したのだ。
ほっとしたのも束の間、両親には叱られた。
妹はエレオノーラの気持ちを理解してくれていたが、エドアルドとの関係を事実上終わらせてしまうと、そこまでする必要はあったのかと言い出した。
突然発言を変えたのには訳がある。
辺境の地は前線に立つ騎士や兵士たちが多い。
妹には恋人になりたいと思う相手がいた。意を決して想いを告げたが、苦い顔をされた。
君もオレが怪我をしたら捨てるのか? と。
批判される姉が可哀想だと友人たちにこぼしていたら、同じことをするだろうと思われてしまった。
騎士や兵士たちからすれば、怪我をしたら捨てられるとあれば、そんな相手はごめんだと言われてもおかしくない。
彼らも分かってはいる。それでも、不安を抱く。
どちらの言い分が正しい、間違っていると言うものではないが、難しい問題だった。
結局、妹の恋は成就しなかった。
エドアルドの母 カテリーナは静かに怒っていた。未来の娘になると思い、目をかけていたエレオノーラがエドアルドを捨てたことを。
確かに顔の疵痕は酷い。元の美しい顔を知っているからこそ尚更、その傷が痛ましかった。
あれほどまでに変わってしまった息子を、変わらずに愛してくれとはさすがに言えなかった。
エレオノーラは逃げた。その気持ちも分からなくもない。けれど、エレオノーラに捨てられた息子の荒んだ姿を身近で見ていた身としては、どうしても息子の気持ちに肩入れしてしまう。
恋人に捨てられたのだと理解したエドアルドは捨て鉢になり、隣国との争いでは後方に立たずに前面に立ち、敵兵に対して残酷な仕打ちをした。
エドアルドが狙うのは、自身を傷つけたものと同じ魔法を操る者で、見つけ次第攻撃をしかけた。
それが人の噂にのって広まっていったことも知っている。悪く言う者もいたが、それならば言った人間が戦に出て戦えと、カテリーナは言いたかった。
安全な場所にいて、命をかけて戦う私たちを悪く言うなど許せなかった。
カテリーナも、それぞれの立場の違いは分かる。
ただ、なんの痛みも負わない者に、これ以上息子を傷付けられるのだけは嫌だった。
エレオノーラが逃げたことを許せない。気持ちが分かるからと言って許せる訳ではないのだ。
決してそれを表に出したりはしないが、胸の中に燻り続ける怒りを持て余していた。
何度目かの小競り合いにおいて、エドアルドが敵軍の将を倒した。これまで幾度と苦戦を強いられた相手に勝てたのは僥倖である。
王から賜る褒美に、エドアルドの妻として三の姫を欲しいと願った、そう夫の口から聞いたときには衝撃が強すぎて言葉にならなかった。
三の姫が目の見えぬ、それも呪いがかかっていると言われていることをカテリーナも知っていた。
何故かと夫を問い詰めた。
王家との確執をこのまま見逃す訳にはいかない。それにエドは目の見える妻だろうが、見えぬ妻であろうが、どちらにしても傷付く。
そう言われてしまった。その言葉に間違いはない。
間違いはないが、思った通り、エドアルドは怒り出した。カテリーナも思った。
何故そっとしておいてあげないのかと。
月日が過ぎ、姫を迎えに行くと夫と息子が旅立った。怒りを抑えきれずにエドアルドが何か問題を起こしたらどうしようと、そればかりが気になって、何をやっても手に付かないありさまだった。
不安で落ち着かなかったカテリーナは、馬車を降りるマティルデを支えるエドアルドの姿を見たとき、心の底から安堵した。形式的に仕方なく支えているのではなく、自発的に動いているのが分かったからだ。
マティルデのエドアルドへの態度も、カテリーナを安心させる要素となった。
この地のことや、領主一家に嫁いだ者の心得のようなものをマティルデに何度となく教えた。
王家の姫ではあるが、驕ることなく、カテリーナが教えることに真摯に耳を傾けてくれる。
殺伐とした空気を纏っていた息子は、妻の横で笑うようになった。
もう二度と笑わないのではないか、失意で己の命を捨てるのではないか、カテリーナが抱えていた恐ろしい不安は、春になり解けていく雪のように消えていった。
ようやく幸せになれる。
そう思っていたのに、エレオノーラが今更になって姿を見せた。